第28話「不安」

 日が暮れてくると、広場でイルミネーションを使ったショーが始まる。

「おー、こんなん俺一人の時だったら、絶対見に来なかっただろうな。いや、見ても何も感じなかったのかもしれん」

「僕も、好きな人と一緒だから、ただ綺麗なものを見てるんじゃなくて、幸せを感じてるんだと思う」

 光に彩られた幻想的な空間が広がり、様々にその姿を変えていった。

 ロマンチックな雰囲気と、ぴったり寄り添った二人もの素敵な恋人の温もり、それらがないまぜになって、どんどん気持ちが昂っていく。

(はぁ……幸せ……)

 言いようのない至福に心が満たされていた。

 その時のことだ。

「……っ! 陽菜さん!」

 不意に蓮から名を呼ばれたかと思うと、口元にハンカチが押し当てられる。

(え……!?)

 そして何かを拭うように唇を撫でられた。

「え、あ……、今のは……」

 混乱しながら尋ねると、蓮はためらいがちに小声で答える。

「あ、あの……、よ、よだれが……」

「――!!」

 周囲の様々なものに気を取られ、デート中やたらと唾液が分泌されていた口から意識が外れていた。

「あ、す、すみませ――」

「陽菜、蓮とこんなに密着してる訳だし興奮するのは分かるが、今は俺もいるし。ちゃんと二人きりになれる時間も用意するから……」

 珍しく琉聖が残念そうな声で言う。蓮との関係に嫉妬はしないが、さすがに自分がそっちのけにされるのは寂しいのだろう。

 琉聖は今でも、どちらかといえば蓮の方が格上だと思っている。

 陽菜が興奮までするのは蓮だけだという認識だったのだ。

「い、いえ……!! 違うんです……!! 蓮さんだけじゃなくて、先輩にも興奮してたんです……!!」

 一刻も早く誤解を解かなければと無我夢中だったせいで、はっきりと、とんでもないことを口走っていた。

 蓮も琉聖も目を丸くしている。それだけならまだいい。

「何や今の? 興奮したとか聞こえなかったか?」

「そうやな。そうとしか聞こえんかった」

 普段は小さくて聞こえないと言われ続けていた声が、焦るあまり周囲にも聞こえるぐらいになっていた。

 次第に笑いが広がっていく。

「あははっ、あれって男口説いてんの? あの見た目で? 真面目に?」

「わ、笑っちゃ悪いですよ、くくっ、本人はモテると思ってるのかもしれないしっ」

「ていうか、二人に向かって言ってない? レンさんと先輩がどうとか」

 特に同性からの嘲笑が容赦ない。

 蓮だけひいきにしていると思われない為に、いったん離れて二人と向き合った状態。経緯を知らない者からすれば、無謀にも美男子二人を卑猥な言葉で誘っているように見える。

(お、終わった……。いや、わたしのことだけならともかく……! 蓮さんや先輩まで変な目で……!)

 危惧した事態は起こり始めているようだった。

「よく見たら相手いい男やん。ちょうどあの子がハードル下げてくれたし、声かけてみよっか」

「そりゃ、あれの後なら何言っても良く聞こえますよっ」

 どうにか二人に迷惑をかけないで済む方法はないかと、頭を働かせるも何一つ思い付かない。

「本気にしていいんだな?」

「――!?」

 気付くと、琉聖が眼前まで迫っている。

「お前がその気なら、向こうで俺たちといいことしようぜ……」

 ただならぬ色気を醸した声と共に、肩へ手を回された。

「ね……行こう?」

 蓮までもが手を取りながら、甘い声を発する。

(え……? え……? これってまさか……)

 蓮と琉聖に好かれているというのが、実は勘違いでなかった。なら、他に勘違いと決めつけていたことについてはどうなのか。

 二人に促されるままに、その場を離れる。

「え? さっきのでOKなん!?」

「しかも二人共って、本当にモテまくってる!?」

 陽菜をあざけっていた女性陣に衝撃が走っているようだった。


「さて、この辺なら誰もいないか」

 連れられて来たのは、人目につかない公衆トイレの裏。

「ああ、あの……、て、てっきりまだ、こういうことは、な、ないかと思っていて……、な、何の準備も、勉強もしてなくて……! こ、こ、今回は何もできないかと、お、思うのですが……、つ、次の機会までには、か、必ず――」

 先ほど余計なことははっきりと言ってしまったにも関わらず、肝心なことは声も身体も震えてまともに言えない。

「待て待て、ちょい待て」

 激しく取り乱す陽菜を琉聖が制止する。

「へ……!?」

「驚かせてごめん。あのままだと陽菜さん一人に恥ずかしい思いさせるかと思って……」

「俺らが恋人だって示しただけじゃ、あいつらはお前が急に変なこと言ったと思ったままだろ。口説き文句としてばっちりだったってとこ見せて、一泡吹かせてやろうかと」

 今度こそ途轍もない勘違いをしていた。完全なる失言を、大いに美化してくれていたのだ。

「す、すみません……!! 大変失礼な勘違いを……!! 逆ならともかくお二人からなんて……!」

 顔を真っ赤にして平謝り。

「いや、元々、周りの連中にはそう見せかけるつもりだったしな。まあ、蓮が乗ってきたのは予想外だったが。俺がお前出し抜いて陽菜を独占するつもりかもしれんのに」

「日下先輩がそういう人じゃないのは分かり切っていましたし。それに『俺たち』って言ったじゃないですか」

「よ、よりにもよってわたしが――」

 自分よりも蓮の方が琉聖を信用しているのでは話にならない。

「最初に余計なこと言ったのは俺だろ?」

「い、いえ……、わたしがよだれまで垂らしてたのが……」

「前にさ、陽菜にとっての二番目なら十分価値があるって言ったけど、もちろん一番だともっといいんだよ。蓮のおこぼれにあずかれて良かったってのは、これから追い上げて同率一位を狙えるからだ。完全なおまけで、形式上だけの恋人になるのが怖くない訳じゃない」

 琉聖が弱さを見せるなど滅多にないことだ。

(わたし……本当に最低だ……。自分が怒られる心配ばかりして……、怒るより不安になるなんて考えもしなかった……。挙句の果てに、今が幸せで仕方ないなんて……!)

 何も知らずにいた自分の無神経さが許せなかった。

「でも、これで分かりましたよね? 陽菜さんは二人共本気で愛してくれてるって。陽菜さんといて不安になることなんて何もありません」

 蓮が強い目をしている。しかし、授業中に見せた凍りつくような瞳ではない。どこまでも澄んでいて、柔らかく温かい。

 おそらくその優しさは、全てを凍てつかせるほどの強さを備えた人間こそが持ちうるものだろう。

「まいったな。やっぱ本当に強い奴は、見せかけで力を主張する必要なんてないのか。あるいは……戦う力より他の力こそが真の強さなのか」

 涙をこらえている陽菜に蓮が手を差し出す。

「そんな顔しないで。さっきまでの幸せそうにしてくれてた陽菜さんが一番素敵だから」

「わ、わたしばかり……幸せにしてもらってて……いいんでしょうか……」

「お前が幸せだと俺らも幸せなんだから、そもそもお前だけが幸せになってるなんてことはありえない。気分転換に最後、観覧車でも乗ろうぜ。多分定番なんだろ、よくは知らんが」

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