第23話「怒り」

 蓮と琉聖。二人共から告白を受け、二人共と付き合えることになってしまった陽菜。

(い、いいのかな……、こんなこと……。雨宮さんも、先輩も、本当に嫌じゃないのかな……?)

 授業中も終始、先の信じられない出来事で頭がいっぱいだった。

(ただでさえ、わたしじゃ釣り合わないのに……、逆ならまだしも、わたしが二股なんて……)

 いくら人との関わりが希薄だったとはいえ、男女共に、浮気されれば激怒し、二股かけられていたなどと知れば深く傷付くということぐらいは分かっている。

 恋愛自体が自分と別世界のことだと思っていただけに、浮気や二股など、不要の心配だと思い込んでいたのだ。

(このまま、二人共がわたしの恋人に……。いいって言ってくれたのが、本心だとしたら……、それなら……)

 何一つとして問題はない。

 しかし、うまい話には大抵裏があるもの。二人を疑う気持ちは全くなかったが、思わぬ落とし穴に自分が勝手にはまる可能性はある。

「お、珍しく水無月が起きてるな。せっかくだし、サービス問題だ。神奈川県の県庁所在地は?」

「へっ……!?」

 授業そっちのけで思い巡らしていたのだが、不意に担任から呼ばれ、我に返った。

「『へ?』じゃなくて、答えは?」

「す、すみません、何が何だか分からなくて……」

「問題の意味すら分からないのか? まさかお前、県庁所在地って言葉すら知らないっていうんじゃ……」

 こういう扱いの方が普通だ。蓮と琉聖の対応こそ異常――『異常』などという言葉を使いたくはないとはいえ、普通でないことは確か。

「居眠りも大概にしとけよ。そんなに地理が嫌いか? それとも俺が嫌いなのか?」

 方向音痴と関係あるかは分からないが、地理の授業は特に退屈でほとんど寝ている。今日は精神に衝撃を受けて眠気がないだけだ。琉聖より余程不良生徒だろう。

「教科書も出してないし、大体お前は――」

「先生! 水無月さんは色々大変なことがあって疲れてるだけです!」

「おお!? 雨宮、何でお前がそんなこと。つーか、やけに強気じゃないか!?」

「県庁所在地ぐらい覚えています!」

「入試トップのお前が覚えてんのは分かっとるわ!」

 蓮がいつになく強い語気で陽菜を庇う。

「僕じゃなくて水無月さんが覚えてるんです!」

「それこそ、何でお前が知ってんだよ!?」

 教師が知るはずもない。蓮が手取り足取り勉強を教えていたことなど。

「水無月さん、神奈川県の県庁所在地」

 聞き逃していたのだと察して、改めて問題を告げる。陽菜に対しては途端に口調が柔らかくなった。

「……あ! よ、横浜です」

「覚えてんのかよ!?」

「あ、その……、前に雨宮さんが勉強を見てくれて……」

 せっかく庇ってくれたのだから、せめて恩を忘れていないと示したかったのだが。

「ほー、イケメンに教わるから、学校の授業なんてどうでもいいってか?」

 担任教師はあくまで、冗談として言っている感じだったが、陽菜には耳が痛い言葉だった。

「いや……その……、そ、そんなつもりは……」

 おどおどしながら、必死に言い訳めいたことを言うのだが、本音としては教師に対するものではない。

 蓮も琉聖も、間違いなく美男子だ。

 二人共が無自覚のようだったが、傍からは顔で選んだようにしか見えないだろう。

 それに加えての二股。あまりに救いようがないので、いっそ開き直ることも視野に入れ始める。できるか分からないが。

「――先生。お伝えしませんでしたか? 水無月さんには大変なことがあったと」

 蓮の冷ややかな声に、教室内の空気が一瞬にして張り詰めた。

 せせらぎによって安らぎを与えていた川が、美しさはそのままに凍りついたかのようだ。

 後ろの席で雑談していた生徒も絶句している。

(あ、雨宮さん……!?)

 蓮に何が起こったのかと、慌ててその姿を見る。

(……!!)

 自分を叱っていた教師に向けられたその目に、陽菜自身の身も凍てついた。

 澄んだ氷のような瞳。そこからは、怒りも、軽蔑も、哀れみも、一切の感情が読み取れない。

 ただひたすらに、強く冷たいまなざしだ。

 陽菜を見つめた時のすがるような儚さは微塵も感じられない。そもそも誰かにすがる必要など全くないように思える。

「す、すまん……。あ、雨宮が教えてれば……、何の問題もないな……」

 蓮に射すくめられた教師は、怯え切った様子で引き下がった。

「分かっていただけて幸いです」

 一転して柔らかな微笑を浮かべる蓮。

(こ……、怖い……! 雨宮さん、怒ったらあんなに怖いんだ……。絶対に怒らせないようにしないと……)

 恐怖に震えて考える中、疑問が湧いてきた。

(……? わたし、もう怒らせたんじゃ……?)

 生徒に少々嫌味を言う程度のこととは比較にもならない、最低最悪の言葉を口にしたはず。

 本来なら怖さのあまり気絶していておかしくない。

(怒るとあんな風になるなら……、わたしには怒ってない……?)

 そういう理屈になる。むしろ、今は陽菜に助け船を出していたのだ。

(もしかして、わたしの不安を知ってて、本当に怒ってる時はこうだって教えてくれたのかな……?)

 確認する気はない。そんな勇気はない。

 とりあえず、残りの授業は、教科書を広げ勉強しているふりをしながら過ごした。

 授業終了のチャイムが鳴る。

「行こう、水無月さん」

 陽菜の手を取って、嬉しそうに中庭に向かう蓮からは、好意以外の感情こそ微塵も感じられなかった。

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