第四章

第14話「事故」

 ある日のこと。

「ええと、この道の先に喫茶店があるってことは……、こっちの方向に……」

 漫画やアニメを中心にした展覧会が近場で開かれるということで、蓮と一緒に会場へ向かい、いつも通り迷っていた。

 最近では、蓮も随分マニアックな話題についてきてくれるようになっている。出会った頃は、まさかここまで継続的に関わりを持てると思わなかった。

(雨宮さんと一緒に漫画のイベントに行ける……、ああ、一生このままだったらいいのに。――っと、今は会場を探さないと)

 地図によれば会場の傍に大きなデパートがあるはず。近くまで来ているなら見えない訳がない。

「す、すみません。目印にしようと思っていた建物が見当たらなくて……」

「ひょっとして、あれじゃない?」

 蓮が指している先では、大規模な工事が行われている。ちょうどデパートが建っていておかしくなさそうな敷地面積だ。

「あ……この地図のデータ、結構古いみたいです……」

 おそらく間違いないだろうと、近づいてみると、脇にある路地の先からイベント会場の入ったビルが見えていた。

「あっ、あっちみたいだね」

 蓮と共に路地を歩いていく。その時――。

(……? 何か、上の方から嫌な感じが……、空……?)

 陽菜は立ち止まって、空を見上げる。雲行きが怪しいどころか、普通に晴れといって差し支えない天気だ。

(……何だろう……、黒いもやみたいな……)

 雲はない。しかし、それとは別のものが薄らと浮かんでいるように見えた。

 単に自分の知らない気象というだけにも思えるが、妙に気になり、目を細める。

「どうしたの? 水無月さん?」

 蓮は、急に歩くのをやめた陽菜を傍で待っていたようだが、様子が変だと思い声をかけてきたのだろう。

 蓮を無視して、勝手に止まったまま空を仰いでいた。どのぐらいの時間だったか分からないが、おそらく少しの間なら何も言わずに待ってくれている。

「あ、すみませ――」

 蓮を待たせてまで、空のことなど考えても仕方ないと、視線を戻そうとしたのだったが、――戻す訳にいかなくなった。

「……!!」

 路地に隣接する工事現場、そこで組み上げられていた鉄骨の一つが外れて、自分たちの方へ降ってくるのが視界に飛び込んできたのだ。

 陽菜をまっすぐ見据えている蓮は気づいていない。

「……っ……」

 突然のことに、声が出せなかった。

 激突する――、そう感じた刹那、咄嗟に蓮を押して、鉄骨の落下地点から離れさせる。だが、自分はその場で体勢を崩し倒れてしまった。

 立ち上がろうと思考する間もなく、下半身に衝撃が走る。

「水無月さんっ!!」

 蓮の悲痛な叫びが響いた。

「う……」

 どうやら死んではいないらしい。倒れた時に、上半身は鉄骨を避けられたということか。そう思い、少し安心した。

 しかし、片脚の感覚が全くない。痛くもない代わり、そこに何もないように思える。

「水無月さん!」

 駆け寄ってきた蓮が、おそらく、感覚がない方の脚に手を伸ばした。

 どうにか身をよじって様子を見ると、脚が鉄骨の下敷きになっていて、それをどけようとしているようだ。実際、鉄骨をずらして脚を解放した。

(雨宮さん、意外と力あるんだ)

 どうでもいいことを考えるほど、妙に気分が落ち着いている。痛みがない為、ことの重大さが実感できないのかもしれない。今のところはそうだった。

「みな……づき……さん……、ごめん……」

「え……?」

 蓮の声が震えている。それに、今にも消え入りそうなほど小さい。

 膝を突いて、うつむいている蓮の姿を見て、ようやく事態の深刻さを感じ始めた。

 片脚と、脚の付け根辺りまでは感覚がある。こちらには多少の痛みを感じる。しかし、重い物が激しくぶつかったというほどでもない。もう片方の脚にだけ直撃したということだろう。

 そして蓮の態度を見る限り、二度と使い物にならないような状態なのだと思われる。

「あ、あの……」

 とにもかくにも、蓮を悲しませるのはいけないと、何か言おうとしたのだが、それを遮るようにもう一度謝ってきた。

「ごめん……!! 僕のせいで……!!」

 泣き出しそうなほど悲哀に満ちた表情で、頭を下げる。

「あ……いえ……、雨宮さんが無事なら、わたしはそれで……。わたしの方も何とか大丈夫そうですし……」

 『自分は大丈夫』という部分は別に強がって言っている訳でもない。陽菜にとって一番の問題は、蓮が辛そうにしていることだ。

「大丈夫じゃないよ! この怪我じゃ歩くことも……」

「これは、その……、そもそも雨宮さんのせいじゃ……」

「水無月さんは危ないって気づいてたんでしょ? 僕を庇ったりしなければ普通に避けられたはずなのに……」

 確かに自分が危険を察知した。だがそれは、一緒に歩いていた蓮をそっちのけにして空など見上げていたからだ。さっさと通り過ぎていれば何事もないはずだった。

 自業自得――、そう思いつつも、今までの経験上、その通りに話すとかえって相手に気を遣わせてしまうのだということも、いい加減分かってきている。

「ずっと迷惑ばかりかけてましたし、少しでもお役に立てたなら、その……、むしろ嬉しいというか……」

 ネガティブな発言ばかりしているのがまずいと、頭では認識しながら一向に改善できていなかったので、今こそ嬉しいという意思表示をする時ではないかと考えた。

「でも、結局雨宮さんを悲しませたんだとしたら、やっぱり申し訳ないです……。えっと……、もし自分のことを棚に上げてもいいなら……、謝られるよりは……別のことの方が……」

 第三者からすると、まさしく『お前が言うな』としか表しようがない発言だ。陽菜本人は、出会ってから今までの間に、一体何回謝ったのか。とてもじゃないが数え切れない。

 それでも蓮は気持ちを汲んでくれた。

「あ、ありがとう……!! このお礼は一生かけてするから……!」

 申し訳ないという気持ちを押し殺して、最大限の感謝を示す蓮。

(い、一生かけて……!? 雨宮さんに介助してもらっての生活……! 歩けない訳だから、肩とか腕とかにつかまって……)

 一方、怪我をしている当の本人が不謹慎なことを考え始めている。

 蓮の役に立てたのであれば、脚の一本ぐらいは些末な問題だった。しかも専属看護人がついて、元々引きこもりがちな陽菜にとっては、案外割のいい状況かもしれない。脚が悪い他の人に対して、申し訳ないぐらいだ。

「――それに、脚も絶対に治すから」

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