第三章

第12話「恩返し」

 気が付けば、翌日の朝。

 結局、小説はまともに読めないまま、学校へ。

「水無月さん。おはよう」

「お、おはようございます。ええと、昨日の本なんですけど、まだちゃんと読めてなくて……」

「……? うん、そんなにすぐ読み終わらないだろうし」

「もう一冊の簡単な方から始めてみます」

 自分が蓮と同じものを読むのはまだ早かったのだろう。

「そうだ、水無月さんが薦めてくれた漫画面白いね。昨日の帰り早速本屋で一巻を買ったんだけど、先が気になるから、全巻買えるようにお金貯めないと」

 蓮の方は、陽菜と対照的な反応。相当気に入ってくれたらしい。

 朝はそうした会話をして、昼も一緒に食べる。満ち足りた学園生活に、何としても超能力のことだけは隠し通さなければならないと、思いを強くした。


 放課後。

 蓮とは家の方角が違って一緒に帰ることはできないので、一人で校門を出ようとしたその時。

「おーい、陽菜」

 琉聖の声だ。陽菜が帰ってしまう前に、といった様子で駆け寄ってきた。

「この後、時間あるか? 恩返しの方法ようやく思いついたんだよ」

 善は急げ、ということだろうか。たかが一飯の恩は、昨日もう返されたつもりだったのだが。

「は、はい、大丈夫です」

 蓮が関わっている場合を除けば、陽菜は基本的に何も予定がなく、暇を持て余している。

「よし、じゃあ、ついてこい」


「駅……?」

 てっきり歩いて行ける場所だと思っていたが、電車に乗るらしい。

「券売機は逃げないから助かるな。いったん地元離れりゃ少しはマシだし」

 琉聖の鮮やかな赤い髪は、普通の人間ではなく超能力者であることを予想させるが、知り合いがいなければ、あくまで予想。比較的行動しやすいのだと思われる。

 渡された切符の代金を払うと言って断られつつ、車両に乗り込んだ。


 それなりの時間をかけて着いたのはやけに閑散とした駅で、周囲には自然が多く残っていそうな感じだ。

 改札を出て向かった先は山の麓。

「……ここ登るんですか?」

「おう」

 健康のことを考えれば、登山ぐらいしてようやく少しは足りない運動量を補えるところだろう。しかも、付き添いがあるというのはありがたいのだが――、正直気が乗らない。

「わたしの体力で、いきなり山登りはハードルが高いような気が……」

「ん、そうか。じゃあしょうがないな」

 遠出してきた割に意外とあっさり諦めた、かと思いきや。

「しっかりつかまってろよ。一気に上がるぜ」

 言うやいなや、琉聖は陽菜を抱えて、山中を飛び上がっていく。

(ええっ!?)

 初対面で抱きついてしまったこともあったが、またしても身体が密着して、ドキドキする。陽菜の身体も別に女らしくはないが、単に貧相なだけなのに対して、琉聖の身体からは自分にはない、男性的な力強さや筋肉の硬さを感じて、恥ずかしいような、興奮するような、変な気分になってしまった。しかし、状況的に離れられない。

 風を切るような勢いで進むその力は、明らかに人間離れしていた。

(もしかして……、これが先輩の能力……?)

 思い返してみれば、琉聖と関わるようになってからも、どんな超能力が使えるのかまで聞いていない。身体能力を爆発的に上昇させるというのであれば、喧嘩が強く、また周囲から恐れられるのも不思議ではない。

 それはそうと、こうやって簡単に登ってしまうということは、登山そのものが目的ではないらしい。


「よっしゃ、着いたぜ」

 頂上まで行く訳ではなく、中腹辺りで止まった。

 目の前には、そこそこの規模の洞窟。

「この洞窟……ですか?」

 琉聖はうなずくと、陽菜を伴ってその内部へと入っていく。

 中は静かで薄暗く、ひんやりとした空気が頬を撫でた。大自然の美しさなどに感動した経験はない陽菜でも、どこか居心地のいい空間だと思える。

(こんな人里離れた場所で何を……? 暗くてよく見えないし……)

 真っ暗ではないが、足元には気をつけるように、と注意される程度には明かりが乏しかった。こんなところに、特別何かがありそうにも思えない。

(暗くて……人気のない……)

 状況を整理していると、思考があらぬ方向に飛び始めた。

(……!! ひょっとして、お、お礼ってそういう感じの……!? 一飯だけじゃなくて『一宿』もって言ったのが、本当は冗談じゃなかったとしたら……。い、いや、まさか……。現実で起こるようなことじゃないはず……)

 常識が欠如している自分だから、お礼の意味を曲解しているだけだろうと、なるべく客観的な視点を持つよう努める。

「このへんでいいか」

 琉聖が立ち止まったが、その先は行き止まり。

(こんな何もないところで、二人だけでできることって……!?)

 全く考えの読めない琉聖のことだ、ここから何があるのか分からない。

「陽菜? 顔赤くないか?」

 先導していた琉聖が振り返って、覗き込んでくる。

「あ、い、いえ……、何だか熱くて……」

「暑い? むしろ涼しくないか?」

 顔が熱を持っている分、周りの涼しさはよく感じていた。

「まあいい。始めるか」

「は、はい……!」

 何を始めるかは知らないものの、最早、なるようになるぐらいの心境に達している。

「よく見とけよ」

 そう言って奥の方に向き直ると、掌を洞窟の壁に差し向けた。

(あ……あれ……?)

 すると、琉聖の手に真っ赤な炎が現れてくる。発生した炎は、次第に球形を成す。

「はっ」

 腕の一振りと共に放たれた火球が炸裂。見るからに頑丈そうだった岩の壁が砕け散った。

 その奥も壁が続いているらしく、道が開けたという訳ではないが、その代わり壁には大穴ができている。

(い、今のって……)

 一瞬呆けていたが、じきに今見たものが何であるかを悟り、身が震えた。

(超能力……!! これが先輩の……)

 先ほどまでのいかかがわしい妄想――厳密な定義では空想――から一転、いたって真剣に状況を考え始める。

 社会的背景から、表立って超能力を使う者は滅多にいない。琉聖についてもどんな能力かまでは聞いていなかった。不用意に立ち入っていい問題でもない。

 身のこなしだけでも、それが超能力によるものかと思ったが、今の爆発は比較にならないほどの凄まじさだった。これこそが琉聖の超能力。

 生身の人間が受ければ、瞬時に灰となる威力だ。確かに世間からすれば恐ろしいものだろう。

「どうよ、俺の力は。お前には見せておこうと思ってな」

 陽菜の方を見て、誇らしげに笑う琉聖。

 人が来ることはまずない場所を選んだことについても得心が行った。超能力者だからと距離を取らずに接してきたことで、ある種の信用を持たれたのかもしれない。力を見せたのはその証、だと考えられる。

(わたしも超能力者だなんて知らずに……。隠してたって分かったら幻滅するかな……)

 せめて自分にできるのは、琉聖の持つ力を肯定することだけ。

「す、すごいです。こんなことができる人他にいませんし、他の人ができないことができるって立派なことだと思います……!」

「そうか、お前もやってみるか?」

「――!?」

 何をやるというのか。琉聖がやってみせたのは超能力の行使。、ということは超能力を使うように促していると考えるのが自然ではある。

「わたしも……ですか……?」

「ああ、お前の力もただ眠らせとくには惜しい」

「え……? ち、力……、もしかして……」

 おかしい。いくら間抜けで失言を繰り返していても、超能力のことだけは、一切話していないはず。それを何故。

「超能力は、錬度が上がるにつれて、基本となる性質――俺の場合は炎を出すことだが、それ以外にも特殊な効力が発現するみたいでな。俺は相手が超能力者かどうか判別できるんだよ」

「じゃあ、わたしが力を隠してるのは最初から……」

「ああ、知ってたさ。まあ、中にはもっと色々できる奴もいるから、俺の能力がそこまですごい訳じゃないけどな」

 バレていた。琉聖が持つ超能力について他人事のような口振りで話している時も、本当のことを知っていたのだ。

「す、すみません……。今まで騙すような真似を……」

「騙すも何も、普通はみんな隠してるだろ。だから、こんなとこまで連れてきたんだし」

「でも……、先輩のこと同じ超能力者だって知ってたのに……」

 うつむく陽菜に対して、琉聖は首を横に振る。

「俺だって気付いてること今まで言わなかったし、そこはお互いさまだって。悪いのは俺たちの力を抑圧しようとしてる連中だ」

 社会に蔓延する差別主義的思想――琉聖が憎んでいるのはそれだけとのことだった。

「な、見せてくれよ、お前の力も。ここなら誰の目もない」

 琉聖は陽菜の手をとる。

「で、でも……」

 分かってはいても、やはり怖い。力を使うと、辛かった過去に戻ってしまう、そんな気がする。

「それに、力を溜め込んだまま、外に出さないのは身体にもよくないぞ。超能力は使うと消耗するが、しばらくすると内から湧き上がってきて、新しいものに入れ替わる。ストレス解消だと思って……な?」

 琉聖から仲間として見てもらえている。優しげに紡がれる言葉を受けて、意を決する。

「わ、わかりました。やってみます」

「おう!」

 琉聖の思いに答えるべく、指先を洞窟奥の壁に向けた。

(多分、こうして身体の中の力を指先に集中させれば……。大丈夫……できるはず)

 陽菜は実際に超能力を使った経験がほとんどない。あくまで、自分の中に存在する力を認識し、使うとしたらどうすればいいかを漠然と把握していただけだ。

 ずっと内に秘め続けてきた、その力を遂に解放する。陽菜の指先が淡い光を纏った。

(いける……!!)

 精一杯の思いを乗せ、全身から集中させた力を超能力の光として撃ち出す。

 琉聖の炎のような派手さはないが、一筋の輝きが確かに駆け抜け、堅牢な壁を穿った。

「おお!」

 琉聖が感嘆の声を上げる。超能力を使って、このように好意的な反応が見られる時がくるとは思いもしなかった。

「やるじゃねえか! 今まで使ってなくてこれだったら上出来だぜ」

 そう言って軽く背中を叩く。以前は無縁だった、友達同士が楽しそうにふざけあっている様と近い印象だ。

「い、いえ、先輩に比べたら貧相なもので……」

「そんな謙遜――いや、それでいいのか。……どれどれ?」

 陽菜が光線を撃ち込んだ壁をまじまじと見る琉聖。謙遜しなくていい、と言いかけたように思えたが、言わなかったのは超能力に関していえば別格という自負を持っているが故だろうか。

「――!!」

 自身が空けたものより、遥かに小さい穴を覗き込んでいた琉聖が驚愕したように振り向いて陽菜を見つめてきた。

「見てみろよ、破壊した距離はお前の方があるぞ」

「ほ、本当ですか?」

 陽菜も穴を覗いてみる。確かに奥深くまで続いていて、琉聖が起こした爆発で砕けた部分より先までありそうだ。

「やっぱお前、俺より才能あるわ」

「い、いや、それはさすがにないです……」

「この分なら、いざという時にも――」

 嬉しそうに陽菜を褒め称える琉聖だが、最後は何か言い淀んだ気もした。

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