第8話 もう一人の守護役


 思ったよりもクーフさんが戻ってくるのは遅かった。随分夜が更け、私もそろそろ眠くなる時間だった。ベッドの上に座り込んでひざを抱えて、私は窓の外を見る。本当は横になりたいけれど、横になった途端、眠くなりそうでそれは避けたかった。せめてクーフさんが戻るまでは起きていたい。

 隣のベッドでは、既にダジトさんが寝息を立てていた。一通り話をしあった後、彼は気がついたら眠っていたのだ。あれだけの傷を受けて、ようやく食事を取ったんだもの。まだ体力も戻らないから眠くなるのも当然……。寧ろ早く寝てくれないと、明日が心配だもの。

 私は時計を見る。いつもの寝る時間が刻々と迫っていた。私がひとつため息を漏らした直後、扉が静かにそうっと開いた。はっとして私は扉を見る。

「……あれ、リタ。まだ起きてたの?」

 そうっと頭だけ入れて様子を伺おうとしていたクーフさんが、扉の向こうから肩まで出したところで、私と目があって、静かに口を開いた。

「クーフさん遅い~……」

 私が思わず走り寄ろうとすると、クーフさんは指を唇に当てて、静かにするよう私に促す。思わず私は自分の口を押さえた。そうだ、ダジトさんが寝てるんだった。

「で、でも、クーフさん……いろいろ話したいことが……」

 私はクーフさんに歩み寄って隣に立つと、小声で訴える。クーフさんは片手に持った紙袋を机の上におくと、帽子をちょっと整えて既に眠っている金髪の男性を見つめていた。

「……落ち着いて眠っているようだね……。まだ術は切れないし、彼も眠っていることだから、ちょっと外に出ようか」

 そういって、クーフさんは私の背中を押して廊下に出た。

 私とクーフさんは、大分夜も更けて静かになった町を見下ろしていた。宿の屋上から、町明かりの大分減った町内を見回す。空には星が輝いてとてもきれいだ。屋上の柵を両手に掴み、下を眺めていると、クーフさんは私にマントをかけてくれた。

「え、これ……」

「夜が更けて大分冷えるからね。あ、私は大丈夫」

 そういって微笑むクーフさんを見て、私はまた頬が熱くなる。クーフさんのマントは私には長すぎて、ちょっと裾が下についてしまう。でも、クーフさんの匂いがして、思わず胸が熱くなる。……いけない、またこの心の音、聞かれているのかな……。

「さて、と。あの男性も、ようやく食事を取ってくれたようだね。リタ、ありがとう」

 そういって、クーフさんは柵に寄りかかりながら座り込む。座り込んだクーフさんの表情は優しい雰囲気を持ちつつも、真剣な面持ちだった。

 ……あ、私の心音とか、あんまり気にしてなさそう。もしかして心音って、意識しないと感じないものなのかしら? 人の表情とか声の感じとかも、何かに集中しているとあんまり感じないものね。

 急にそんなことを考えて、私は思わず笑ってしまう。クーフさんって、何かに集中していると、結構鈍いところがあるんだなぁ……。

「……リタ、どうしたの?」

 私が思わずクスクス笑っているのを見て、ようやくクーフさんが私を見る。きょとんとした表情から、私が何故笑っているのかを分かっていないことが伺えた。心音が聞こえても、やっぱり全部知られちゃうわけじゃないんだ。

「……リタ、どうしてそんなに心音まで愉快そうなんだい?」

 クーフさんがそんな問いかけをするので、思わず私は笑ってしまう。

「なんでもないですっ。クーフさんとようやくお話できるのがちょっと嬉しいから……かな」

 私はそう答えて肩をすぼめる。そう、エンリン術の話の後、ゆっくり話せるのはこれが初めてだ。ちょっと納得はいっていないようだが、クーフさんは、そうだったかな、なんて言って正面を向く。ちょっとクーフさんの口元が緩んだのを見て、私は少し嬉しくなる。

「で、リタ、話したいことって?」

 クーフさんの言葉に、私はダジトさんの話を始めた。

「実は……ダジトさん――あ、あの人の名前なんですけど――あの人も、私と同じ、あの石の守護役だったみたいなんです」

 私の言葉にクーフさんは少し目を丸くしただけだった。そうか、とだけ呟いて続きを促す。もしかして、クーフさんは石の守護役が何人かいるって知っていたんだろうか?

「それで……あの不思議な石は光の石っていって、彼が幼いときからずっと守ってきたものだって……だから、あれをアニムスに盗まれて、必死で追いかけてきたんだそうです。でも……」

「この町で返り討ちにあった」

 私の言葉を、クーフさんがつなぐ。私はそれに頷くと、また話を続ける。

「それで、どうして急いでいるのかを聞いたら、この先にある町に行きたいからなんだそうです。この先にある町には、同じように光の石を守護する人がいるって言ってました」

「なるほど……。もしアニムスとやらの狙いが光の石ならば、その次の町の光の石も狙うだろうからね」

 クーフさんは目線を私から外し、空を仰いだ。その瞳にはいつもの優しい輝きではない、緊迫した色が表れていた。

「そういうわけだったのか……。どうりで随分気持ちが焦っていると思ったよ」

 クーフさんがそう呟くのを聞きながら、私は同じくしゃがみこんでクーフさんの顔を覗き込む。私が顔を寄せると、クーフさんはその表情を和らげてこちらを向く。私はその表情にまた、つい見とれるが、すぐに質問を続ける。

「それで……クーフさん……明日はどうするの……?」

 私の問いに、クーフさんは目線を外し、また天を眺める。

「そうだな……彼の傷はまだ気がかりだが……行くしかないだろうな……。次の町のことは確かに気になる。急いだ方がいいだろう」

 その言葉に私も、うん、と返事をしてダジトさんの状況を説明する。

「傷は自体はもう心配ないと思うんです。ただ、またいつもどおりに動くっていうのは無理だと思う……。体力もまだまだ戻っていないし……」

 私の言葉を聞きながら、クーフさんは無言で頷く。そして軽く息を吐くとゆっくり立ちあがった。

「ともなれば、しばらくは彼を庇いながらの旅になるだろう。リタ、明日からちょっと大変になるかもね。今日はもう休もうか」

 クーフさんに促され、私も頷いて立ち上がった。そしてそのままクーフさんの後をついて室内に戻ろうとしたのだが……。

 あ、と唐突にクーフさんは立ち止まるときびすを返す。

「え、え、部屋に帰らないんですか?」

 私は、急に私の背後に行ってしまったクーフさんに慌てて声をかける。クーフさんは振り返るとちょっと困ったように微笑んで見せた。

「いや、リタ、その様子だとシャワーもまだだろう? さすがにそこは気を遣うよ」

 そういってクーフさんは手を振る。その言葉に私は思わず声を上げる。そうだ、すっかり忘れてた……。

「少ししたら部屋に戻るから、ゆっくりしていいよ」

 私はそんなクーフさんに背を向けて建物の中に戻った。思わず顔が熱くなってくるのを感じていたが、悟られまいとそそくさと中に入る。ダジトさんは動けないし、覗かれる心配はないだろう。本当にクーフさんはいろいろと優しいんだから……。


 私は部屋に一人戻ると、クーフさんのマントを壁にかけ、すぐに着替えの準備をした。そして物音を立てないよう、静かに部屋のシャワー室に入る。ダジトさんは案の定ぐっすり熟睡していたが、いくら動けないとはいえ、室内で着替えるのはちょっとね……。

 クーフさんが部屋に来たのは、私がもうシャワーから出て、ベッドに横になっていた頃。何処で寝ようか迷った挙句、はじめクーフさんが寝ていたベッドに私は横になっていた。眠くてうとうとしていると、ゆっくりと部屋の扉が開いた。その音に私がそっと目をやると、やはりクーフさんがそっと物音立てずに入ってきた。

「……まだ起きてたの」

 私に気がつくと、クーフさんは微笑んでその帽子を取る。そのまま上着を脱ぎ始める様子に、私は思わずドキッとして彼の方を見るのをやめる。

「リタ、そっちで寝るの?」

 私の心音を知ってか知らぬか、クーフさんは小声で問う。私は思わず顔を赤らめて答える。

「だ、だって……さすがに男に人に挟まれて寝るのは……ちょっと……」

 その言葉にクーフさんの動きが一瞬止まる。それをなんとなく感じ取った私は恥ずかしくなって顔を毛布にうずめる。

「……ごめん、リタ。私としたことがそこまで気が回らなかったよ……。ごめんよ、そういえばそっち、一度私が横になってしまったけど、大丈夫?」

 どこまでこの人は優しいんだろう……。私は毛布からちょっと頭を上げて目線を彼に戻す。ちょっと心配そうな申し訳なさそうな表情をして、クーフさんは私を見ていた。

「大丈夫です……。でも、クーフさんも、私こっちで寝ちゃって大丈夫ですか?」

 私はクーフさんの様子につい嬉しくなって逆に問うと、その表情がまた優しく微笑んだ。

「私は大丈夫、何処でも寝れるから」

 ……それはそれですごいなぁ……。想定外の返事に私はつい感心してしまう。

「もうリタはおやすみ。私もシャワーを失礼してから休むから」

 そういってクーフさんは部屋のライトの魔法を切る。真っ暗な中、ダジトさんのベッドの向こうにある部屋だけがうっすらと明るく光っていた。向こうがシャワー室なのだ。その中にクーフさんは入っていった。程なくして水の流れる音がしてくると、私はもう睡魔に勝てなくて、寝息を立てていた……。




 翌朝、私は隣で何かが動く気配がして目が覚めた。寝ぼけた瞳を開けると、窓から差し込む光に部屋が照らされてとても明るい。朝か……と思って横を向くと……。

 上半身裸になって着替えているクーフさんの姿が目に入ってくる……。

 私は一気に目が覚めて、思わず呼吸が止まる。

「……あ、リタ、おはよう」

 私が声も出していないのに、私の様子に気がついたようにクーフさんが背後の私に振り返って微笑む。……がしかし。

「……おっと、失礼」

 私の表情を見て、どうやらいろいろ悟ったらしい。また私に背を向けてそそくさと服を着る。朝からパニックでしゃべれない私に気を遣ってか、クーフさんが弁解するように言葉を続ける。

「ごめんごめん、今リタの心音こころねが聞こえたから、起きたんだなって思って、ついそのまま振り向いちゃって……。もう着替え終わるから」

 私は無言で毛布にしがみついて縮こまっていた。

 きっとこの今の状態の心音も聞こえているわけでしょ……恥ずかしすぎる!!

 とてもクーフさんの顔が見れなくて、私は毛布に額を当てる。きっともう、私、耳まで赤いと思う……。私は自分の耳が熱くなっているのを感じてますます縮こまる。

「じゃ、じゃあ、私とダジトは外にいるから、着替え終わったら呼んでね」

 クーフさんの声が私の隣から扉の方に離れていくのを聞いて、私はようやく額を毛布から上げる。クーフさんは扉を開けて、廊下に出るところだった。

 扉が閉まると、私は思わず大きく息を吸った。ちょっと朝から私には刺激が強すぎた……。

 私はベッドの上に起き上がり、そのまま座り込むと、まだ熱い頬を両手で押さえながら、その息を吐いた。




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