第6話 見張り


*****

 私はベッドの上に座り込んで、ぼーっと隣の金髪の男の人を眺めていた。時間はまだ昼下がり。まだまだいろいろと動ける時間なのに……。私は今日、ここから動けないらしい。

 私は後ろを向いて、背後で寝ている男性をちらと見る。ベッドには横になってすやすやと寝息を立てている男の人……クーフさんがいる。毛布もかけず、片手を胸においたまま、静かに胸が上下している。いつもは優しく輝く瞳を今は閉じ、深い眠りに落ちている。いつもはその頭の上にかぶる帽子を枕元におき、真っ黒な黒髪がそのおでこに影を落とす。

 そういえば……帽子をかぶっていないクーフさんって、あんまりまじまじと見たことないな……。

 私はそう思って、ベッドの上で向きをかえる。今度は金髪の男性に背を向けて、クーフさんの方向へ向き直り、両手を突いてそっと彼の方へ頭を寄せて、その顔を覗き込む。

 きりりとした眉、思っていたより長いまつげ、通った鼻筋に、優しげな口元……。瞳を閉じてはいるけど、優しい雰囲気の表情は変わらない。私は思わず見とれてため息をつく。

 と、同時に先ほどの話を思い出して、心臓が高鳴ってきた。

 「心音こころねかぁ……」

 思わず口からこぼれてしまう。もし、本当に心の音が聞こえているのだとしたら、私の気持ちも全部、筒抜けだったってことなのかな……? そう思うと、恥ずかしくてまた頬が赤くなる。

 初めて出会ったあの山で助けてもらった時のドキドキも、一緒に旅をしてくれるって言ってくれた時、驚きと嬉しさでいっぱいだったことも、彼の何気ない言葉や行動にドキドキしていたことも、そして、あの町で告白したときの落ち込みと淡い期待も……全部全部、彼には聞こえていたのだろうか。

 私は恥ずかしさで唇をかんで、ちらっとまたクーフさんを見る。いつも優しく笑ってくれていたけど、それこそ、彼はどう思っていたのだろう? 私の気持ちを感じて、彼自身は一体どう感じていたのだろう?

 そこまで考えて、私はベッドから足を伸ばし、そっと床に立つ。一歩踏み出すと、先ほどよりも近い位置にクーフさんがいる。立ったことで頭の位置が少し遠くなり、彼を見下ろすような位置にいた。私は少し腰を曲げて、クーフさんに顔を寄せる。寝息が静かに響いてきて、その距離感に思わず鼓動が早くなる。

 ……やっぱり、私クーフさんが好きなんだなぁ……。そんなことを実感して、私は息を止めて一歩下がる。これ以上近くにいたらもっとドキドキしてしまう。もしかしたら心音が大きく響いて、クーフさんが起きてしまうかも、と思うと、これ以上近くにいることが出来なかった。

 私は別なことを考えようと、目線をクーフさんから外し、背後の金髪の人を見た。こちらも硬くまぶたを閉じ、ぐっすり熟睡している。まだまだ目は覚めそうにない。私の見張りのうちには起きないんじゃないかな?そう思うと、退屈だな、とため息がこぼれた。

 そもそも、何故今こんな状態になっているのかといえば、これはクーフさんの提案だったのだ。


「彼がいつ起きるか分からないから、リタと私で、交代で見張るのはどうかと思うんだ」

 彼の言葉に私は首をかしげる。

「交代、ですか?」

「そう。昼間のうちならいいけど、夜中に目が覚めて、私たちが寝ている間に抜けられても困るだろう? 私もある程度、気配で起きることは出来るけど、彼のような術者相手では自信がないからね」

 そういってクーフさんが苦笑して頬をかく。

「だから、リタ。今からこの人を見張ってもらうことはできるかな?」

 彼の言葉に、私は戸惑いながらも頷く。

「は、はい……。え、見張るって、見てるだけでいいんですか?」

「もちろん。彼が起きたら、私も起こしてくれないか?」

「え……?」

 突然のお願いに私は思わず聞き返す。そんな私の目の前で、クーフさんは一つ場所を移動して端のベッドに座ると、帽子を取り枕元にそれを置いて私に微笑んだ。

「今から夕方まで、私は寝ることにするよ」

「え、今ですか?」

 私は予想外の返事に素っ頓狂な声を上げる。クーフさんは微笑んで軽く頷くと、

「その代わりリタは夜寝ていていいよ。それでは頼んだよ」

といって、そのまま寝てしまったわけなのだ。

 

 私は、先ほどと同じようにまたぼーっと金髪の男性を見ていた。起きたとき、傷はまだ痛むだろうか? 血は足りているんだろうか? 私はふと傷の具合が気になった。私は先ほどまで座っていたベッドを右手に通り過ぎ、金髪の男性が寝ているベッドへ歩み寄る。よくよく覗くと、整った顔立ちをしていてかっこいい人……。一瞬見とれるが、私はすぐに目線を外す。……でも、やっぱりクーフさんが一番かっこいいかな……。

 そんな思いが一瞬よぎって、私は慌てて首を振る。そんなことを考えている場合じゃない。この人の傷の様子を探っておこう。

 私は両手を横たわる男性の傷口あたりにかざして意識を集中する。そして目を閉じ、治癒魔法の呪文暗誦を心の中で始める。徐々に手が熱くなり、私が放った魔力は患部の状況を私の手のひらに伝えてくる。

 ……傷の状況は大分落ち着いてきたみたいだけど……やっぱり体力や……血が足りないみたい……。現状を把握し、私は術の発動をやめる。彼が起きたら、まずは食事をちゃんと取らせなくちゃ。夕食時までに起きてくれるのかな……。私がそんなことを思って目線を頭に移してすぐだった。男性の眉がぴくりと動いた。

 私ははっとして枕元に近づく。男性のまぶたが動き、うっすらと瞳が開いた。

「……い……石……は……」

 目が覚めると同時に、男性は苦しそうに声を上げる。思わず私は声をかける。

「だ、大丈夫? 気がつきました?」

 私の声が届いているのだろうか。男性は返事をすることなく、唸るような声を上げ、その身体に力を込める。立ち上がろうとしているのだ。

「あ、だ、だめです! まだ起き上がれるような状態じゃ……」

 私は慌てて男性の肩に手をかけるが、男性はその腕を震わせながら、何とか立ち上がろうと上半身を起こす。だが傷が痛むのだろう、上半身を起こした時点で、苦痛な声を上げてよろめいた。慌てて私はその身体を受け止める……が、私の片手に収まるような大きさではない。とても支えきれず、私は両手で男性を抱きかかえるような形で身体を押さえた。

 ……ってこんなところ、クーフさんに見られたらどうしよう……。

 私は唐突にそんなことが頭をよぎってしまう。でも今はそれどころじゃない。

「あ、あの、まだ動けるような状態じゃないんです! まだ横になって……」

 私は男性の身体を何とか横向きに動かした。金髪の男性は苦しそうに肩で息をしながら、ゆっくり上半身をベッドに横たえる。起き上がったはいいが、動き回ることを傷は許してくれないようだ。まだ苦しそうに肩で息をする男性に、私はとっさに治癒魔法を発動する。少しでも痛み止めになればいいんだけど……。そう思いながら、術が発動した右手で彼の患部に触れる。淡い光はわずかに熱く、彼の患部にしみこんでいく。それと同時にわずかながら男性の苦しそうな声が和らいだ。少しは効いたのかもしれない。

「……お、おまえは…………」

 男性はわずかに開いた瞳で私を見つめ、途切れ途切れに言葉をつむぐ。

「大丈夫……ですか? あ、わ、私、リタ。怪しいものじゃないです」

 私は慌てて自己紹介するが、相手の質問を間に受けて返している場合じゃないよね、と答えてから反省する。しかし名乗ったことで、相手は若干ながら警戒は解いたのだろう。身体の力を抜いて、おとなしくベッドに身を預ける。

「……あいつは……あの男はどこ行った……」

「あの男……?」

 息をするのにも苦しそうな状態で、それでも男性の言葉は続く。すこしでも情報を得ようと必死なのだ。私は「あの男」と言われて戸惑う。

「え、クーフさんのことかな……それとも……」

「あいつだ……あの、アニムスとか言う……」

「アニムス……?」

 私はあのクーフさんと向き合っていた男性を思い出した。銀髪の黒い肌をした謎の男……。

「もしかして……あの……銀髪の男の人?」

 私の言葉に男性は荒い呼吸の中、無言で頷く。

「は、はやく……あの男を追わないと……」

 そういってまた腕に力を込めようとする男性を見て、私は慌ててその腕をつかむ。

「だ、だめですって! まだあなたの身体、治りきってないんです!」

 体力的に弱っているとはいえ、なんて力だろう。私の押さえる力なんて何にもならない。金髪の男性は私の腕を逆につかみ振り払うと、震えながらもその腕で立ち上がろうとする。

「ああ……だめだって…………あ、ク、クーフさんっ……!」

 私はそこでようやく頭が回って、クーフさんを起こすことを思い出した。私の力では抑えきれないが、クーフさんなら――

 そう思って振り返った次の瞬間だった。私の振り向いたその真後ろから、ぬっと腕が伸び、その腕はそのまま金髪の男性の肩を掴み、動きを抑えた。

「駄目ですよ、まだ君は怪我人だ」

 優しい響きの中、わずかに厳しさを含んだ声が私の頭上から聞こえる。

「クーフさん……」

 思わず私の方がほっとしてしまう。

 クーフさんの力では、さすがに金髪の男性も抵抗し切れなくなったようだ。そのまま押し戻されるような形で男性は横になる。

「あ……あんたは……あの時……の……?」

 クーフさんの姿を横目で確認して、男性の声色が変わる。どうやら意識を失う前のことをちょっとは覚えていたようだ。

「もう少し寝たほうがいい。まずは安静にして傷を癒さなければ、敵は追えないだろう?」

 クーフさんの落ち着いた声に、金髪の男性が歯を食いしばる。

「……だめなんだ……よ……急がないと……いそ……が……」

 まだ言葉を続けようとする男性に向け、クーフさんが額に手を当てる。見ればわずかにその手のひらが光っているように見えた。何かの術が発動されているのだ。

「……ファンスゥ……」

 不思議な言葉とともに、急に金髪の男性が静かになった。しばしの沈黙の後、また静かに寝息が響き始めた。どうやら眠ってしまったらしい。

「……苦労かけたね」

 そこでようやく、クーフさんは私を見た。いつもの優しい微笑みを見て、私はほっとするのと同時に、またちょっと照れてしまう。どうも私はクーフさんの笑顔に弱いらしい。

「でも、ごめんなさい。起こすの遅くなっちゃって……ちょっとそれどころじゃなくなっちゃって……」

「そのようだね。目が覚めた途端にこれか……。見張ってもらって正解だったよ。ありがとう、リタ」

 クーフさんはそういって私にその笑顔を向ける。いつもいつもクーフさんてホント優しいんだから……。起こしそびれた私のことを全然責めないんだもの。私は首を振ってクーフさんに微笑み返す。

「さて、と。睡眠の術をかけたから、多分またしばらくは寝ているだろう。リタ、また任せていいかな」

 そういってクーフさんは横を向いてあくびをかみ殺す。急に起きたからまだ眠いのかな?なんだかこんな表情を見るのが初めてで、ついまじまじと見入ってしまう。そんな私と目が合って、クーフさんがちょっと照れたような表情をした。思わず私は笑ってしまう。

「はは……寝ぼけ顔をしていたかな……」

「はい、ちょっとだけ」

 そう私が返すと、クーフさんはその黒髪をかきながらベッドに戻る。そしてベッドに座って大きく伸びをすると、ふと思い出したように私に言う。

「そうだ……。彼、何か言っていたね……」

「あ、はい……たしか……アニ……ムス?とかどうとか……」

 彼の言葉に私ははっとして思い出す。たしか、あの銀髪の男の名前だったような……。

「アニムス……か……」

 私の言葉に、クーフさんは復唱するように呟いた。

「……気になる部分は多々あるが……。今は彼の回復を急ごう。リタ、術の発動ありがとう」

 クーフさんはそういってまた私に微笑むと、ベッドの上に横になる。

「え、いえ、そんな大した術は……」

と、そこまで言って気がついた。

 ……私が術を使っているところを見ていたの……? だとしたら、もしかして、あの人を両手で抱きとめるようにしていたところも見られてた……?

「あ、あのっクーフさん! どこから起きてたんですかっ!?」

 私は急に恥ずかしくなって、慌ててクーフさんの枕元に走り寄る。

「うーん……あ……リタが呪文使っているとこかな……」

と、言いながら、既に寝る気満々だ。私の声を聞きながらももう瞳を閉じている。

「え、あの、具体的にどのあたりから……?」

「リタ……魔法上手だよね……私も怪我したとき、お願いしようかな……」

「クーフさんって! も、もしかして、見て……ました?……クーフさんっ!」

 いくら私が声をかけても、彼はもう眠りに落ちていくところだった……。



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