第11話 最後の戦い


 ある程度覚悟はしていたことだったが、それはあまりにも想定外だった。目の前に立っていた生意気な幼子が、よろめいたかと思うと、まるで煙のように姿がかすれ、消えてしまったのだから。

「あわわわわ〜……っと! 結界! 結界〜!!」

 あわてふためく暇もない。即座そくざにバンダナ頭の少年は幼子、オミクロンが残した術を引き継ぐため、結界に触れて魔力を注ぐ。即座そくざにガイが動いたおかげで、結界は切れることなく神殿への出入り口を開いたまま保っていた。その様子にほっと一安心する少年だったが、そのまま目線を下に向ければ、小さな足跡が雪の上に残っていた。先程まで幼子が立っていた跡だ。それを見つめ、ガイは震えるように息を吐く。

「ま、まさか、本当に消えちゃうなんて〜……」

 オミクロンの残していた不気味な言葉が、現実のものになったのだ。

 ――万が一、私が消えたときには――

 そんなことを言っていたが、まさか本当に消えるとは、予測できたはずもない。

「……オミクロンが消えたってことは……他の二人も〜? ……いや、ともすると、一体ペルソナに何が……」

 そう思うと、いいようのない不安が押し寄せてくる。ガイは神殿入口の光のカーテンを見つめながら、心臓が握りつぶされそうになるほどの不安から唇をんだ。

「シン……シンジ……。頼むよ〜……!」

 友の身を案じながら、ガイは大きく息を吸った。




 目の前にいるのは巨大な魔物だった。巨大なおおかみのような姿は黒い水ぶくれに表面を覆われ、その皮膚ひふが赤黒く脈打っていた。大きく裂けた口には鋭い牙が小刻みに震え、その白い牙は、薄暗い闇の中で不気味なほど目立って見えた。

 何よりも不気味なのはその顔だった。狼のような姿をしてはいたが、その顔には瞳がなく、太い血管が頭を埋め尽くし、ただただ巨大な口だけがそこに真っ赤に裂けているだけだったからだ。

 ぱっと見れば、突然黒い魔物が現れたようにも見ただろう。だがその魔物のひたいには見慣れた仮面が張り付いていた。くだけかけたあのペルソナの仮面は、すでにその下半分を失い、虚ろな黒い瞳からほほにかけて、ひび割れが走っていた。しかしその仮面のひたい部分には、巨大に膨れた闇の石が脈打ち、そこから巨大な黒い血管がいくつも走り、その血管が魔物の頭を埋め尽くしていた。

 疑いようがなかった。キショウのときと同じように、ペルソナの体を、意識を、あの闇の石が乗っ取って同化してしまったのだ。

 そんな巨大な魔物と薄暗い空間に、たった二人――

 状況は絶望的だった。

「……ペルソナ……! 本気だべか……! 本気で闇の石と同化しちまったんだべか……!」

 認めたくない気持ちが、素直にシンの口をつく。しかしそれに答えたのは、骨まで震わせられるような、低く恐ろしい獣のような声――。ペルソナの声とは似ても似つかない、魔物の声だった。

「なんでなんだよ……っ!」

 シンジの、力を込める両手が震えている。

「なんで……なんでペルソナが……同化されるんだよ……っ!!」

 弟の言葉に思わず同調して、シンは唇をむ。

 今さら何を言っても、今は届かないのだ。シンジの言葉に応えるのはもはや人の声ではない。巨大な魔物の咆哮ほうこうだ。

 シンは震える右手を押さえるように、左手で強く手首を握りしめた。地面のゆれは更にひどくなり、今彼らのいる場所ですら小刻みな振動が足に伝わっていた。

 かつを入れてくれる人は誰もいない。行動を助けてくれる人もいるはずがない。今この空間に残されているのは、たった二人だけなのだ。双子はたった二人きりでこの化け物と向い合っていた。本当ならば、黒いマントの人の姿をしていたはずの男と――

 だが迷っている暇はない。空間に漂う闇の気配は徐々にその濃さを増している。

『召喚……!』

 迷うシンジのすぐ隣で、兄であるシンが両手を構えていた。

「シン……!?」

 驚きの混じった声で問いかける弟の呼びかけに、強い瞳でシンは答えた。

「迷っていられねーだ……! こんなところで世界が終わっちまうことを――」

 言いながらその両手には熱い炎の魔力が凝縮ぎょうしゅくされていき、次第にその光を赤くしながら強めていた。

「アイツだって望んでーだッ!!」

 叫ぶように声を振り絞り、目の前の巨大な魔物に向けてその魔法を放った。

『炎精!!』

 巨大な炎が膨れ上がり、一瞬で黒い魔物を飲み込んだ。

 痛みにもだえる大声が響く。獣の叫びに混じって聞き慣れた男の声の響きを感じ取り、思わずシンは顔をしかめた。

『召喚……!』

 両手を震わせながらシンジも手に魔力を集中させる。

「必ず……! 必ず石を沈めてみせるんだ……! だから――――ペルソナ……!!」

 絞りだすように声を漏らすと、キッと鋭い目線で炎から開放されたばかりの魔物をにらむ。

「早く正気に……戻ってよ……!! 『青女せいじょ』!!」

 一瞬女性の姿を現した白い氷の粒は、すぐに目の前の黒い魔物に吹付け、その氷が敵を鋭く突き刺していく。

 痛みに大きく咆哮ほうこうする黒い魔物に、双子は身構えた。暴れ狂うようにこちらに突進してくる黒い姿に、双子は左右に分かれるようにそれをかわす。

「あの仮面を……集中的に狙うだべよ!」

「わかってる!!」

 いうが早いが、双子は黒い魔物をはさむような位置に立ち、それぞれ武器を構えた。最初に突撃したのはシンジだ。

「くっそぉおおおおお!!!!」

 叫ぶとともに飛び上がり、ジャンプしたその位置から勢いよく魔物の顔に張り付いた仮面目かけて氷の剣を振り下ろす。しかし――

「――くっ……!」

 硬い音が響いてシンジの体制がよろめく。思ったよりもはるかに硬い。弾かれて着地するや否や、魔物の腕が勢いよくなぎ払われていた。

「ぐっ!」

 短い悲鳴とともに、勢いよく青髪の少年の体は容赦なく吹き飛ばされた。勢いよく飛び上がった体は床に叩きつけられるように落下した。

鎌鼬かまいたち!!』

 弟に気を取られているそのすきに、シンは仮面めがけて風の刃を勢いよく振り下ろす。硬い音が響いて、仮面を付けた頭ごと後ろに押しやられるが、仮面が外れる気配はない。

「硬いだな……!」

 唇をみ、距離を取りながら赤髪の少年は握りしめる剣に更に力を込めた。


 攻撃に迷いがないと言ったら嘘になる。しかしペルソナの身体を多少傷つける事になっても、石を引き剥がすことの方が大事だ。だからこそ、今の状況を双子は悔やんでいた。

 思えば、彼は初めからこの世界のことを案じていたのだ。その焦りから強制的な手段を取ることが多かった。ユキの時も、リサの時も、彼らの時計台の時も――

 もっと早くにペルソナの思いに気づいていれば――そんな後悔が胸をよぎる。


「一言――!」

 息を吸い込み、大きく剣を振りかぶった傷だらけの青髪の少年が駆け出した。

「あの時に言ってくれたってよかったじゃないかっ――!」

 飛び上がり、振り下ろした剣が仮面に弾かれる。弾かれても、着地後、即座そくざに飛び上がり、しびれる両手を必死に押さえ、さらにその腕を振り上げた。

 そんなシンジの胴体に、魔物の腕が襲いかかる。気がついて構えるが遅かった。

 激突する――!

 その瞬間、魔物の腕を間合いの外に勢いよく弾き飛ばしたものがあった。鋭い風の刃だ。

 そう、兄のシンの攻撃がその腕を弾いたのだ。

「うぉおおおおおお!!!!」

 青髪の少年は振り上げた剣を再び勢いよく振り下ろす。氷のくだける鈍い音と主に、仮面の位置がゆがむ。次の瞬間、敵の長い尾が振り払われていた。尻尾は勢いよく、着地したシンジを間合いの外に弾き飛ばした。

 その隙に再びシンが間合いに飛び込んでいた。

「こんなこと――オメーだって望んでいねーはずだべっ!!」

 振り下ろした剣が再び仮面の位置をゆがませる。苦痛に叫ぶ魔物の咆哮ほうこうの中に、あの男の声が聞こえた気がした。

「ペルソナぁあーーっ!!」

 叫びながら、再びその剣を構える。


(形が変わっていれば――手を組んでいたかもしれんな――)


 いつだったかペルソナの言っていた、あの台詞せりふが今更思い出される。

「形が変わっていれば……だべか……!」

 言いながら、その剣に力がこもる。

「今からだって、一緒に……世界の終わりを止めることだって……出来るはずだべさ!!!!」

 硬い音が響いて、仮面に勢いよく剣が激突する。

「この世界を――こんなところで壊していられねーだべよっ!!」

 気持ちに任せて剣を振り下ろす。その攻撃に、黒い狼は激しく叫び声を上げ、石と体をつなぐ血管が一つちぎれ、黒い煙が吹き上げた。

 痛みに叫ぶその裏で、ペルソナが答えているように聞こえた。

(世界を壊すわけにはいかない――)

 再び、大きな咆哮とともに、黒い魔物は尻尾とその両腕を大きく振り回した。鋭く風を切る音をほほで感じながら、シンは寸でのところで攻撃をかわす。

「一人の攻撃じゃ駄目だよ!」

 直後、弟の声が背後から響いた。

「力を合わせるだべ!」

「うん!」

 暗い空間で、二人の少年の声と、魔物の声が反響していた。


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