第10話 最大の危機


「ん……」

 重たいまぶたをかろうじて開けると、ぼんやりと部屋の様子が見えた。白い天井、視界の片隅すみに移る灰色のかたまり、薄茶色の焼けた本の束、カタカタと小さく鳴り響く機械音。何度かまばたきしていると、その視界のすみにエメラルド色の何かが映った。視線を向けると、そのエメラルド色が人の髪色だと気がついた。と、同時に、その人物はくるりとふり向いて、少女に声をかけた。

「良かった、目が覚めたね」

 優しい声色でそう呼びかけるのは、きれいな女性だった。大きなエメラルド色の瞳に白い肌、にっこりと優しい笑顔を浮かべるその人は初めて見る人だったが、その人の肩に小さな小人が見えた。そしてこちらは見覚えがあった。

「あ……キショウ……さん……?」

 かろうじて呼びかければ、小鬼が答えるよりも早く、エメラルド色の女性がそっと少女の肩に触れ、毛布をかけなおしていた。

「心配すんな。コイツはオレの相棒、リサだ。……って、シン達から聞いてるか」

 そう小鬼が頭をかくと、エメラルド色の女性、リサはクスリと笑った。

「キショウくんに呼ばれて急いで来たの。ヨウサちゃん、まだ安静にしていてね。魔力不足からくる体調不良だから、無理に動いては駄目」

と、優しくもしっかりとさとすような口ぶりに、少女――ヨウサはゆっくりうなずいた。

「……シン君達は……?」

 周りを見回しながらヨウサが問うと、キショウは即座そくざに答えた。

「もう、ペルソナの元に向かった。今頃闇の石を沈めに行っているはずだ。安心しろ」

 その言葉にヨウサはそっか、と小さくつぶやきため息を付いた。

「……大丈夫かな……みんな……」

「そんな難しいことはないんだ。心配ないさ。何事もなければな」

 ヨウサの言葉にキショウがわずかにほほえみながら言う。その言葉を、ヨウサはどこか不安な気持ちで聞いていた。

「だといいんだけど……」

と、ヨウサは祈るように瞳を閉じた。

(私、ここから応援することしか出来ないけど……みんな……頑張って……!)






「ん……? 何か聞こえた気がしただが……」

「僕も……。何だろう……」

 思わず双子は顔を見合わせ、首をかしげ合う。すると再び音が響いた。今度はさっきよりも聞き取りやすい大きさだった。

(ヤミ……チカラ……デ……アナタノ……ノゾミ……コタエヨウ……)

 双子は再び顔を見合わせた。言葉の意味がわからないわけでもないが、しかしここでこの言葉が当てはまることが思いつかない。二人が首をかしげていると、ふいに目の前の男がよろめいた。

「ん……? ペルソナ……?」

 シンが呼びかけた直後だった。ペルソナが意味深な言葉を吐いた。

「くっ……! まさか……化する気か……っ……!」

 言い終わるや否や、ペルソナはその仮面を両手で押さえ始めた。双子があっけにとられている目の前で、見ればその仮面のひたい部分が大きく変化していた。

 仮面のひたいには、ゆがんだしずくの宝石――そう、光の闇の石がある。三つの石が一つになり、本来の姿を取り戻したあの姿だ。しかしその石は、先程にはない紫色の不気味な光をこぼし始めていた。まるで本来の力を取り戻したかのような、激しい光のあふれ方だ。

 本来ならば、石の合体がうまくいったと喜ぶべき場面だろう。しかし、その石を合体させたはずの男の様子が、どうもおかしい。

「ペルソナったら! 一体どうしたっていうんだよ?」

 シンジが見かねて問いかけるが、男の様子は変わらない。いやむしろ、様子はおかしくなっているように見えた。初めはよろめいていただけの男だったが、その呼吸が荒くなり始めたのだ。

 そしてその間にも、双子には奇妙なささやき声のような音が聞こえていた。

(……ノゾミ……ノゾミ……ヤミノチカラ……ヲ……フウジル……カナメ……ソレガ……ノゾミ……オマエ……ノ……ノゾミ…)

 しかしそれは空間に響く反響音のようで、一体どこから聞こえてくるのかがわからない。ペルソナの様子がおかしいことと相まって、理由の分からないこの声にシンはいらついた。

「さっきからこの声は一体どこから聞こえてくるだ⁉」

「僕にもわからないよ……。で、でも、この声でペルソナの様子がおかしくなっているような……」

 様子を見て不安になったのだろう。困惑こんわくする双子に向け、壁ぞいに大人しく寄りかかっていたデルタが声を飛ばす。

「おい、一体声とか、何の話をしてるんだ? ペルソナ様の邪魔をするなよ」

「何か様子がおかしいわね……。何か聞こえるの、坊やたち?」

 二人のその言葉に、双子はまたも顔を見合わせる。

「デルタ達には聞こえてないみたいだね、この声っぽいの」

「不気味だべな……。……ペルソナ、一体この声はなんだべ?」

 その直後だった。

「ぐあああああ……っ!」

 突然ペルソナが苦しげにうめき声を上げ始めたのだ。しかもその様子が尋常ではない。頭を押さえ、激しく首を振り始めた。それはまるで何かを振り払うかのように見えた。

「一体どうしただ!?」

 急なことで思わず動揺どうようしたシンの声が響く。急な変化に部下二人も困惑こんわくしていた。シンジは意味がわからず、その場で硬直してただただ仮面の男を見つめている。そんな双子の目の前で仮面の男は苦しげに声を荒げた。

「ならん……! 私は……っ……オレは……っ!」

 その言葉をまるであざ笑うような音が震えた。ケラケラともクスクスとも聞こえる気味悪い魔力の反響音が、双子の体を震わせ、思わず二人の背中に悪寒が走った。その音は、まるで笑い声のように空間をゆらがせ通り過ぎていく。そんな嘲笑う音を振り払うように激しく首を振る男の様子は、明らかにいつもの様子とは違っていた。冷たいほど落ち着き払ったあのペルソナとはまるで別人、目の前の男は必死に首を振り、何かから逃れようとしているかのように見えた。

「一体どうしただ、ペルソナ⁉」

 見かねたシンが叫ぶように問いかける。彼に近づこうとすると、思いがけず仮面の男は大声でそれを制した。

「来るな! 石の……暴走に触れるぞ……!」

 その言葉に思わず双子だけでなく、後ろで見守る部下二人までもが息を飲んだ。

「なっ……⁉」

「い、今何て言った……⁉」


 石の暴走――

 その言葉に、二人はあの忌々いまいましい光景が思い出された。大地の神殿の地下での出来事だ。ペルソナが奪いにきた炎の闇の石を守ろうと、双子達と小鬼のキショウが神殿地下に乗り込んだ時のことだ。キショウが炎の闇の石に触れたことをきっかけに、闇の石がその力を暴走させ、キショウの体を乗っ取ったのだ。その時はキショウの心身を破壊されるところを、たまたまペルソナと協力することで助け出せたのだが……。


「ま、まさか、光の闇の石が……暴走しようとしているっていうんだべか……⁉」

 シンのその言葉に、今まで背後で成り行きを見ていたデルタが声を荒げた。

「ありえねぇ! ペルソナ様が……闇の石に逆に乗っ取られるなんて、そんなことは……!」

「闇の力を支配するペルソナ様に限ってそんなこと……あるはずないわ!」

 しかし、目の前で呻き苦しげに首を振る男の様子は、明らかに異常だった。その様子にエプシロンまでもがペルソナの方に歩み寄り始めた。

「ペルソナ様……! ペルソナ様、お気を確かに……‼」

 部下の必死の呼びかけにも答えず、ペルソナは仮面を押さえよろめいた。

「ペルソナ様‼」

 思わず部下二人がペルソナに走り寄った。

「……ぐっ……がっ……ぁあああああーーー……っ……!!」

 しかし彼らの手が届くよりも早く、ペルソナが叫び声をあげた。苦しげなその声に思わず双子はまゆをしかめ硬直こうちょくしていた。目の前の出来事に動けなかったのだ。その不気味さはまるで、何かの前兆のように見えて目が離せなかった。この瞬間、苦しげに叫ぶ男を押さえる術も、逃げることも思いつかなかった。

 デルタとエプシロンがペルソナに触れようとしたその瞬間だった。まるで突風、ペルソナから波のように闇の波動が勢いよく放たれ、その勢いに部下二人は勢いよく弾かれた。次の瞬間、その波動は双子にも襲いかかり、急な突風のような闇の力に、双子も思わずよろめいた。

 そしてその間にも、男の叫び声に変化が現れていた。苦しげに叫ぶ男の声は、徐々にその高さを低め、その声はまるで獣のように大きく、不気味な声に変化していた。

「まさか、ホントに闇の石が……」

 にわかには信じられず、困惑こんわくする弟の隣でシンが叫んだ。

「ペルソナー!」

 うなる声は獣のそれに近づいていた。しかしそこにたたずむ男の様子は、まるで頭だけが、いや仮面だけが宙に浮くように上を向き、体は苦しげに震えていた。一度は倒れた部下の二人も、必死に立ち上がっていた。

「なんてこった、ペルソナ様が……!」

「い、今助けますわ!」

 二人がペルソナの様子を見かねて再び走り寄ろうとしたさまに、シンとシンジも顔を見合わせ大きくうなずいた。

 どうしたらいいかは分からない。だが、あの仮面がいつもの様子と違い、これがこのペルソナをおかくしている原因に思えてならなかった。双子はとっさにあの仮面を引き剥がそうと考えたのだ。

 しかし、四人がペルソナに駆け寄った、まさにその時だった。

「い…ま……すグ……ニゲ…ロ……!」

 それが最後の言葉だった。

 宙吊りになった男の体から、黒い水ぶくれのような物が次々吹き出したかと思うと、一瞬にして男の体がありえないほど大きな黒い塊に変化した。と同時に再びあの黒い波動が吹き荒れ、あっという間に四人は吹き飛ばされた。

 その上――

「きゃあ! ペルソナ様っ……!」

「オレたちの術が……切れるだ……と……」

 妙な言葉に、思わず双子がその声の方向を見れば、驚いたことにデルタとエプシロンの体がふわりと煙のように消えていくところだった。

「で、デルタ⁉」

「エプシロンまで⁉ 一体何が……⁉」

とっさに彼らに走り寄った双子だったが、その姿に、彼らにはなす術がない。落ちてくる体を支えようと手を伸ばしたシンの手のひらに、デルタの手の甲にあったあの三角形の赤い宝石が落ちてきた。言葉をなくすシンの目の前で、それ以外の体はまるで本物の煙のようにふわりふわりと消えていく。

(ペルソナ様の術が切れたんだ……)

 手のひらに残る宝石にひびが入る中、デルタの声が微かに響く。

 同じようにエプシロンの四角形の宝石を握りしめたシンジの目の前でもエプシロンが煙となって消えていく。

(ペルソナ様の力が消えてしまったんだわ……)

 二人の様子に困惑こんわくする暇もないまま、過酷かこくな現実を双子は受け止めざるをえなかった。


 術が切れる――通常そんな事が起こるのは、その術をほどこした人物が意図的にそれを切るか、または意識を失ったときだ。

 そう、ペルソナの術が切れる――それは即ち、ペルソナが自我をなくした、ということを意味していた。


(悔しいが……後は任せたぜ、シン、シンジ……)

 デルタの最後の声が響いた直後、双子の手のひらにあった宝石はどちらもくだけ散り、雪のようにキラキラと舞って消えた。


 困惑こんわくし、言葉をなくす双子が次に聞いたもの――それは完全に姿を変えた黒い魔物の雄叫びだった。


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