第9話 真実へ
外につながる窓から、優しい月の光がほんのりと差し込んでいる。オレンジと青を基調とした家具が置かれる部屋の中は、明かりこそついていなかったが、窓から差し込む月明かりで部屋の中はぼんやりと見渡せる程度には明るい。月の薄明かりに照らされて、黒く古びた本の表紙がキラリと光った。表紙の真ん中にはめ込まれた、黒くも金の光を閉じ込めた奇妙な石だ。それに引き寄せられるように銀髪の少年は本に近づいた。そしてそっとその本に手を伸ばす。触れるとその年季の入った表紙の質感が手のひらに伝わる。それをそっとなでると、そのまま本を静かに開いた。ちょうど本の真ん中に当たるページにたどり着くと、
「……」
それを見つめ、銀髪の少年はどこか満足そうな表情で笑みを浮かべていた。そして静かに息を吸い、低い声を響かせた。
『セペリア エク テネブレア クワエロ』
その呪文に反応して、本の魔法陣が輝きだした。しかしその輝き方は今までに見たことのないものだった。不穏な低い音を響かせながら、紫がかった光で魔法陣は動き出していた。それを確認して銀髪の少年が目を細めた。――その時だ。
「初めて聞く呪文だな」
予想もしていないことだった。突然声をかけられて、銀髪の少年は勢いよくその声の方向を振り向いた。しかしそこには誰もいない−−−−と思った瞬間だった。
天井の壁に張り付くように、小さな影が動いた。それが小鬼だと気がつくのも一瞬だった。
廊下の窓のカーテンが勢いよく吹き上げられたかと思うと、ハッとする間もなく目の前に冷気が迫った。とても部屋の空気とは思えない、凍てつくような冷気だ。その気配を素早く察知し、とっさに銀髪の少年はその場から右に飛び
銀髪の少年が舌打ちをしたその直後だった。
「人の部屋に勝手に入るなんて、感心しないだべよ」
扉が開き、声が響いた。
この部屋の持ち主の一人、シンだった。
「シ、シンくん……!」
驚くような声を発するその銀髪の少年の様子は、明らかに
困ったような表情でぼうぜんと立ち尽くしていると、その間にもまた人影が増えた。次に扉の前に現れたのは弟のシンジだ。見ればその顔は無表情で、なんの感情がそこにあるのかは読み取れない。その手には氷の剣が握られている。それが視界に入り、銀髪の少年は
「フタバ……。一体何してただ……?」
いつもの明るい声ではない。どこか暗い雰囲気をまとったその声に、銀髪の少年が
痛いほどの沈黙。一瞬ではあったが、その緊迫した沈黙破ったのは、か細い銀髪の少年の声だった。
「へ、部屋の前を通ったら……も、物音がして……ま、窓が開いていたから、そこから入ったんだ……。そ、そしたら……て、天井に……お、お、鬼が……」
「鬼ってのは、オレのことかい?」
銀髪の少年の言葉に反応して、それまで天井に張り付くようにしていたキショウがふわりと彼らの目線まで降りてきた。それを見て、銀髪の少年が驚き口を開くよりも早く、キショウが腕組みしながら質問を投げた。
「こんな小さな姿をしてんのに、すぐに鬼ってわかるとは、ちょっと察しが良すぎだな」
その言葉に銀髪の少年が次の句を飲み込んだ。それもそのはずだった。普通なら鬼といえば人と同じ大きさか、それよりも一回り大きい鬼族の姿が常識だ。キショウのように、小さな姿をしているなど、前例がないはずだった。少なくとも、闇族について精通している者でもない、まして子どもがそれを知るはずがなかった。それこそ、以前から彼と知り合いだった双子たちや、敵対しているペルソナの一味以外は。
銀髪の少年が絶句している間に、畳みかけるようにシンジが口をはさむ。
「さっきの僕の攻撃も、ずいぶん避けるのが上手いんだね……。だいぶ戦いになれた人でなきゃ、ああはいかないよ。――フタバくん……確か、攻撃魔法は使えないはず、だったよね……?」
シンジの言葉に、まるでにらむように銀髪の少年が視線を向けていた。無言であることを察した小鬼はさらに続けた。
「それにさっきの言葉……何だったんだ? あの言葉で本が動いたってことは…………呪文、だよな」
ちらりと銀髪の少年の目線が本に向く。先ほどまで少年が向き合っていた本は、机ごと氷漬けにされていて動かすことは難しい。しかし氷漬けにされたその氷の下で、まだ本の術は発動していることがうかがえた。まだ本の魔法陣は光っている。
「あれは……」
言葉を続けようとする少年に、一歩、赤髪の少年が近づいた。その様子に銀髪の少年が思わずびくりとする。しかし、近づいた方は、落ち着いたものだった。銀髪の少年を見るも、すぐに目線を落とし、唇を
「フタバ……。おめー、ホントにフタバなんだべよな……?」
「ふふ……僕が、僕以外の誰に見えるんだい、シンくん?」
しかし、その柔らかな雰囲気に飲まれることなく、シンは銀髪の少年を見つめた。その重い空気を感じ取ったのだろう。先ほどまで笑みを浮かべていた銀髪の少年はふっと真顔になった。
「……僕が……フタバじゃなかったら……一体誰なんだい……?」
それを銀髪の少年がゆらめくように避けたのは本当に一瞬だった。次の瞬間、黄色の短剣を構えるシンの姿と、そこから一歩後じさった銀髪の少年の姿があった。そしてその二人の間にはらりと落ちた物――切り裂かれた、銀髪の少年がいつも身に着けていた青色のバンダナだった。
「あっ……!」
思わずシンジが、シンが、そしてキショウまでもが息を飲んだ。
彼らの目の前の少年が、
白い仮面に黒い空洞の双眼と黒く裂けた口――
ペルソナの一番の特徴ともいえるあの仮面――その
*****
それはひどく曇った日の事だった。基本的に真面目で勉強熱心な少年は、その日も遅くまで勉強をしていて、それこそ学校を出るのも最後だった。
「相変わらず遅くまで頑張ってるな」
帰り際、少年は門を締めようとしている先生に声をかけられた。その言葉に照れ隠しに頭をかくと、少年はいつもの様に寮に向けて学校裏の坂道を登っていった。
声をかけられたのは突然だった。
『我が身を受ける器を持つものよ……』
誰もいないと思っていた坂の途中で、急に声がしたものだから、少年は思わず振り返った。しかし夕暮れの迫る曇り空の下、周りには自分一人しかいない。薄暗く人気もない夕方の坂だ。それだけで少年の気持ちには不安がこみ上げる。風が通り過ぎ、上空で雷がなる音が聞こえた。
こんな寂しい空気だから、
『闇の名の元に命ずる……』
やはり誰かの声がする。少年は再び立ち止まった。
「誰だ……?」
問いかけて振り返ってもやはり誰もいない。立ち並ぶ木々の後ろに目を凝らしても、人の気配はない。黙って耳を澄ましていると、遠くの雷鳴が徐々に近づいているのが聞こえるだけだ。空を見あげれば、曇り空がますます黒い色を帯び、今にも泣き出しそうな雲行きだった。
沈黙していると雷鳴が遠くで鳴り響き、それと同時に声が響いた。
『その器……我が闇の元に差し出すがよい……!』
雲の中に雷光が走り、一瞬周りが明るくなる。迫り来る嵐の予感と、正体不明な声の言葉が、少年の鼓動を速くさせていた。
「……一体……誰なんだ……? 魔物か……? 正体を見せろ!」
思わず声を大きくして叫んだその時だった。
ポツ……と少年の
「青い……光る雨……?」
そんな雨が降るなどありえない――そう思ってまた天を仰いだ。その直後、少年の
「うわっ……」
思わずまぶたを閉じて目をこするが、視界は無事だった。しかし――
再びまぶたを開けた少年の瞳は、青白く光っていた。自分の瞳が一体どうなっているのか、今の少年にはそれを察する事はできなかった。まだ心臓が不安に締め付けられたまま、少年は雨粒を受けている自分の手を見つめていた。雨に当たるたび白く光っていくその様子を、恐る恐る見つめているその瞳の上では、最初に雨粒を受けた
『闇の印……しかと刻ませてもらった……』
再び声が響き、少年が気づいて空を見上げると――
土砂降りになった雨に打たれ、徐々にその姿を白く染めていく少年の姿が闇に浮かび上がっていた――。
*****
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