№261

 大学が緊急事態宣言で休校だったとき、バイトにも入れず困窮していました。

 そんな時SNSで1日10万円の仕事を見つけたんです。怪しいですよね。分かるんですけど、あの時はそれでも良かった。その仕事というのがある民家で一晩何もせずに過ごす、と言う内容です。

 書類とかはあちらが準備した名前と電話番号を書く用紙一枚だけ。ビルの貸し会議室で10分ほど世間話のような面接を女性として、ビルから5分ほどの家に案内されました。家の前で

「通信機器の電源を切って一晩居間にいてください。何もしないで、何もしゃべらないでください。寝るのはかまいません」

 それだけ説明されて家に入らされ、ガラス戸の中に放り込まれた鍵を閉められました。

 すでに夕方で家の中は薄暗くて不気味でした。靴を脱いで家に上がるとすぐ左手の扉に「居間」と手書きされた紙が貼ってありました。この部屋にいろと言うことだろうと思いました。一応右手には2階へ上がる階段、廊下の先も部屋があるようでした。

 居間は遮光カーテンのためか、ほとんど何も見えませんでした。目をこらしてソファを見つけ、慎重にそこに座りました。スマホの電源を切ってドキドキしながらアルバイトが始まりました。

 寝ていいと言われていましたが、怖くてそれどころではありません。日が沈み、部屋の中で自分すら見えなくなると、誰かが部屋に入ってくる気配がしました。暗闇の中、慎重に歩いているようでした。小さな息づかいと衣擦れが聞こえ、やがて軽く壁にぶつかるような音がして動くのを辞めたようでした。緊張で吐きそうになりながらも相手の次の動きに神経を集中させていましたが、またしばらくすると他の人が入ってくる気配がしました。これは歩き方が違ったので、別の人と分かりました。

 その後、間を置いて一人ずつ、誰かが入ってきました。私のすぐそこをかすめるくらい近くを移動する人もいました。私と同じような人が他にもいるんだと、ちょっと緊張が緩みました。

 どれくらい経ったでしょうか、廊下の方がぼんやり明るくなってきました。私はそれを見ながらうつらうつらしていましたが、ガラス戸が開く音ではっとしました。

「大東さーん」

 面接の女性の声がし、私は慌てて居間を出、玄関に向かいました。他の人に軽く会釈したと思います。

「おつかれさま」

 家の外に出ると面接官がぴしゃりと戸を閉め、鍵を掛けたので

「他の人は時間差で出てくるんですか?」

 何も無かったことにホッとした私は、思わず聞いてしまったんです。

「他に誰もいません。だって玄関が開く音がしなかったでしょ?」

 何を言われたか最初分からずぽかんとしていました。でも確かに、何度も人が入ってくる気配はありましたが、扉が開く音は聞いていません。それに土間に私の靴以外有りませんでした。

 私はその場で現金で10万円いただき解放されました。私は今でも元気に生きています。大学卒業して、就職して。でも、たまにあのバイトを思い出します。あの気配は何だったのかなって。

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