№179

 その日は大学入試の模擬試験を他県に受けに行っていました。しかしうっかり現金をそんなに持っていなくて、行きの交通費と昼食を食べたら帰りの電車賃がなくなってしまいました。その頃はまだ現金が主流の時代です。携帯電話もなくて会場の人に頼み込んで家に電話し、母が車で迎えに来てくれることになりました。母にはちょっと不注意について怒られながらも、試験の手応えや進路についての話をしていました。その時、高速道路を使っていたんですが、あまり車はなかったように思います。ふと母が口をつぐみました。どうしたのかと聞くと、後ろの車がおかしいと。振り返ると黒光りする車がぴったりと僕らの車にくっつくように走っていたんです。車には男の人が二人乗っていましたが、どちらもニヤニヤと笑っています。あれは今で言うあおり運転だったんでしょう。母は白い顔でしたが慎重に運転していました。「路肩に止めたら?」と僕は提案しましたが「降りて来られたらどうしようもない」と母が首を横に振るのでそれ以上何も言えませんでした。何度かクラクションを鳴らされ、母はやっぱり焦ったんでしょう。助手席にいる僕はスピードが上がっていることに気づきました。しかし指摘して余計に母が焦ったらどうしようと、僕も萎縮していたんだと思います。そんなときに後ろの車が右の車線に移りました。追い抜いて行ってくれると僕は一瞬気が緩みました。母もそうだったかもしれません。ですが横に来た黒い車から何かが投げつけられました。石のように堅い物だったみたいで、母の横の窓ガラスに当たって大きな音が鳴りました。母は「あっ」と叫んで思わずハンドルを切ってしまったようです。車は大きく道を外れて中央分離帯にぶつかって停まりました。母はハンドルにもたれかかって動かなくなりました。僕は意識はありましたがぼんやりしていました。例の車から男たちが顔を出して笑っているのが見えました。その時、どこからともなく現れた背の高い人がその車に駆け寄っていきました。男たちは何故か焦ったように車の中に引っ込みましたが、車を出すより先に、わらわらと出てきた背の高い人たちに囲まれてしまいました。全員白い服を着ているようでした。そして全員で車を持ち上げひっくり返したんです。男たちが乗ったままです。逆さになった車をさらに持ち上げてひっくり返し、さらに持ち上げて、と転がして行くんです。あっけにとられていると、白い人の一人がこっちに向かってきました。そして僕と目が合いました。いや、目はありませんでした。目があるはずのところはぽっかりと穴が開いていて中は真っ暗でした。その人はバンバンと両手で助手席の窓ガラスを叩いてきたんです。その瞬間僕は気を失いました。その後、通りかかったドライバーが通報してくれて僕らは病院に運ばれました。幸い母も僕も軽傷でした。でもあの黒い車は見つかっていません。警察も母も逃げたんだろうと言っていました。でも助手席側の窓にくっきり手型が残っていたんです。

――何度拭いても取れなかったんですよね、と和野さんは苦笑いした。

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