№135
――廉野さんは先日までネットカフェで卒論を書いていたそうです。
料金が高くて経済面でかなりしんどいけど、その分集中できるので助かっていました。その日もいつものネットカフェで作業をしていたら隣のブースから声がしました。一人分のスペースごとに仕切りを立てて小分けになっているタイプのネットカフェですが、人の姿は見えませんが何人かの気配やちょっとした会話、物音は聞こえるのは当たり前です。独り言も慣れていたのですが、徐々に気になってきたんです。というのも、ネットカフェで聞こえる声はぼそぼそと何を言っているのか分からないものばかりなんですが、その声はやたら通るんですよ。滑舌が良いというのか、大きな声ではないけどはっきりと話す。「ああ、違うな」「そうじゃないんだ」「役に立たねぇ」みたいな苛ついている様子ですが、ちょっと楽しそうでもありました。ネットゲームでもしているのだと思いました。そうなるとなかなか出て行かないでしょう。私もその日で書き上げる予定だったので、備え付けのヘッドホンをつけて音楽を聴きながら執筆を続けました。2時間くらい経ったでしょうか、ちょっと休憩しようとヘッドホンを外したところ、また隣の声が聞こえてきました。少し疲れたようでしたが、まだ続けているのかとあきれましたが「そうだ腹だ」と、隣の人が言い、何のことだろうと思わず耳をそばだてました。「内臓を刻まないと」。その後、低いうめき声が漏れてきました。なんだか理由は分かりませんがさっと血の気が引く感覚がしました。隣の人は何をしているんだろう。私はそっと自分のブースを出ました。隣の戸は当然閉まっています。隙間から光も漏れていません。つまり電気スタンドもパソコンもオンになっていないんです。そっと覗こうと思いました。なぜそんなマナー違反なことを考えてしまったのか分かりません。でもその時は、そうするしかないと思っていました。そして戸に手を掛けたその瞬間、「何をされているんですか?」と声を掛けられました。私は犯罪行為を見られて足が震えました。「そちらには誰もいませんよ」そう言って近づいてきた若い男はそのネットカフェの店員の制服を着ていました。「あの、変な声が聞こえて」私が必死に言い訳をしようとしました。しかし店員は2歩で私の前まで来るとすっと隣のブースの戸を開けました。そこには誰もいませんでした。ひんやりとした空間に、少しのほこりっぽさを感じました。「姿の見えない人の言葉を真面目に聞いちゃダメですよ」そう言ってまた戸をすっと閉めました。私は呆然としていましたが、ふと視線を感じ、周りを見渡しました。人がいるすべてのブースから誰かが覗いているのです。そして同時に細く開いていた戸が同時にぴったりと閉まりました。そこにいた私以外がその隣の部屋の異常さにずっと気づいていたんでしょうか。今は顔の見えない人たちがたくさんいる空間って、ちょっと怖いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます