№117
その時、私は夫の運転で温泉地に向かっていました。銀婚式のお祝いで、子供がプレゼントしてくれた旅行でした。夫婦二人で旅行は新婚旅行以来なので、年がいもなくワクワクしていました。でもある山道のカーブで対向車線のトラックが中央線を大きくはみ出して迫ってきたんです。夫はハンドルを切って避けようとしましたが……。そこで記憶が途切れます。
私は何度も肩を叩かれ、名前を呼ばれました。ぼんやりと、あれ? そんな名前だったっけ? と思い目を開けました。私は道路に寝かされ、何人かの同級生が私を心配そうに見下ろしていました。
「大丈夫? しゃべれる? どこか痛くない?」
あちこち傷だらけの友達が矢継ぎ早に質問してきたので、「自分だって満身創痍じゃん」と答えると、同級生たちは一同にほっとした表情になりました。全員、制服のあちこちが破れて、つらそうにしているのに、自分のことより私の心配をしてくれたんだと温かい気持ちになりました。何があったのか聞くと、林間合宿のバスが事故に遭ったと。そう、私はバスの中で寝ていたんですね。その時、さっきまで夫と一緒だったことを思いだしたんです。私は、林間合宿に行く予定の女子高生なのに、事故より前は銀婚式のお祝いに旦那さんと温泉に行く奥さんだったんです。
夢? そんなはずありません。だって私はあの奥さんの、幼少の時の記憶から、旦那さんに出会って、子供を生んで、育てて、幸せな家族を作った記憶がちゃんとあるんです。でも15年生きてきた記憶もちゃんとあるんです。胡蝶の夢って言うんでしょうか。夢の中の自分が現実で、現実の方が夢で……。本当は今が夢で、あの奥さんが現実なんじゃないかって、奥さんは、今事故で植物人間状態だとか……。そう、思っていたんですが。
――兵司さんは、口髭の生えたダンディな中年男性だった。
先日、出張で高速道路を使ったときに逆走の車に当てられました。幸い軽傷で済みましたが、病院で目を覚ました時、私は自分が女子高生で、事故に遭ったショックでまた気絶して病院に運び込まれたと思っていました。もちろん私には私の人生の記憶があります……。気になって二人の女性を調べると、どちらも存在しました。そして奥さんの方はトラックにぶつかって即死、女子高生は一度目を覚ましたもののまた意識不明になり、病院で亡くなっていました。私は……、ここにいますよね? 事故にあっても生きている……。でも、もし次に事故に遭ったら、もしかしたら彼女たちの記憶ごと、誰か知らない人に引き継がれるんじゃないか。そんな気がするんです。
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