№101

 動物の赤ちゃんって生まれて数時間で動けるじゃないですか? 敵の多い野生で生き延びる為らしいですけど。でも人間の赤ちゃんは何年も親に庇護されている。自分では何もできない。だから他の動物より劣っていると。そう言った友人がいました。果たして本当でしょうか?

――丹波さんが語ったのは事件になっていない誘拐の話だった。生まれたばかりの乳児が、病院から誘拐されたのだ。誘拐したのはその子供の祖母で、可愛い息子の可愛い子供、つまり自分の孫を、気の合わない息子の嫁に育てさせたくないから自分で育てようと誘拐したらしい。乳児の母親は産後に体調を崩しベッドから起き上がれないため、気づかなかった。父親は当の誘拐犯からの、孫を抱く喜びにあふれた電話を受け、知った。自分の親の異常な行動に愕然としながらも、生まれたばかりの我が子を誘拐されたことに憤怒し、だが冷静に対応しようとした。そして自分の母親が頭の上がらない地元の議員やお世話になっている弁護士などに協力を求め、実家に乗り込んだ。……そこは血の海だったという。頭から血をかぶったような乳児、床に倒れる自分の母親。母親は白目をむいて口を大きく開けていた。大きすぎた。顎が顔から引きはがされたようにだらんと落ちている。それは、血にまみれながらもすやすやと眠っている乳児がしたことだという。それがわかったのは、その部屋に設置されていたビデオカメラに映っていた。孫との生活を記録しておくために置いてあったようだが、乳児を抱き上げようとした女性の口に、乳児が入り込もうとする様子が記録されていた。乳児の身体に歯型がついていたので間違いはなかった。この事件は結局なかったことになり、乳児の祖母の死因は心不全で処理された。

 

そして、その赤ん坊は私です。

――と丹波さんは言った。

 私が大学を卒業してすぐに母が急逝し、四九日が過ぎたころに父がそのビデオを見せてくれました。まあ、酷い映像でしたが、なんとなく思い出したんですよね。母親に会いたい、この人は不快、怖い、嫌だ……そういう感情というか生理的な嫌悪のようなものなんですが。あと父が私にいつもよそよそしかったのがわかりました。怖かったんですね。自分の親を殺した自分の娘が。でもね、私はいたって普通なんですよ。誰かを殺したいと思ったこともないし、特に誰かと大きな喧嘩をしたこともない。普通に友達がいて、恋人がいて、仕事もしています。ねぇ、人間の赤ちゃんだって、本当は生まれて数時間で自分を守る方法が、実はあるんじゃないですか? 走ったり、木に登ったりするような能力が。

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