№83

 子供の頃、勘違いしていたことはありませんか? 例えば街頭演説でよく聞く「ご声援ありがとうございます」というフレーズを「五千円ありがとうございます」だと思っていたり、「帰国子女」は皆、女の子だと思っていたり。

 私は子供の頃、人一倍「なんで?」「どうして?」「あれは何?」と母に聞く子供でした。母が説明しても「なんで?」を繰り返すので、母は何度かそんな私を平手打ちしました。虐待、なんでしょうけど、父は単身赴任で家におらず、近くに頼れる親戚も居ませんでした。母の故郷から離れたところに住んでいたので友達もいない。一日中私のような子供と一緒に居たら、まあ、イラつきますよね。でも機嫌のいい時は何度聞いても優しく教えてくれるから、私は質問をやめることが出来ませんでした。そして見えないリミッターを超えた母に叩かれる、ということを繰り返していました。

 二人で買い物に行った時のことです。母と手をつないで赤信号で止まっていたら、足元に見たことがない四本足の動物が現れました。そして私の横でぐるぐると、しっぽを追いかけるように回りだしたんです。その姿がおかしくて、母に「ねえ、これ何?」と聞きました。母はちらっと私を見て「わんちゃん」と答えました。たぶん母はイラついていました。でも手を上げなかったのはやっぱり外だからでしょうね。とにかく私はそれを「わんちゃん」と認識しました。「わんちゃん」はときどき家の近くに現れました。必ずしっぽを追いかけてグルグルと回っています。すぐに私のお気に入りとなりました。

 それが勘違いと知ったのは小学2年生の時でした。友達が「わんちゃん飼い始めたんだ」っていうので、あれって飼っていいんだと驚いたのと同時に、私も飼いたくなり、是非飼い方を教えてほしいといって友達の家にお邪魔しました。友達の家に行くとすぐに白いマルチーズを見せてもらいましたが、なかなか「わんちゃん」が出てきません。私はしびれを切らして「わんちゃんは?」と聞きました。当然、友達はきょとんとした顔をしました。「ここにいるじゃん」「マルチーズでしょ」「そうだよ」「わんちゃん飼い始めたって言ったじゃん」「だからこの子でしょ?」

 今思うとコント見たいですね。でもそこでようやく、「わんちゃん」は一般的に犬と同じことだと知りました。友達は笑って許してくれましたが、じゃあ、これは?と私が「わんちゃん」と思っていたものを絵で描いて見せました。それは知らないとあっさり言われました。母にも聞きましたが「そんなもの見たことがない」と怒られました。その「わんちゃん」ですが、大人になるにつれて見ることがなくなって、今では全く。ちなみにこんな動物です。

――雪村さんは、両手両足にヒダのついた嘴のついたネズミのような絵を描いてくれた。

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