№81

俺の住む町には結構大きな川があります。緩やかに蛇行しているから、去年の台風の時に水位が上がって避難勧告が出るくらい大きな川です。

その河原で夜中、ぶらぶら散歩していました。仕事が終電までかかって、次の日が休みだったら、たまにそうやって寄り道してるんです。寒かったですよ。でも、川の流れる音ってなんかリラックスするんですよね。ぼんやりとせせらぎを聞きながら、明日はなにしようとか考えていたら、鼻歌が聞こえてきたんですよ。あ、他に散歩してる人もいるんだなぁって見渡しましたが誰もいません。河原は広々して障害物もないし、一応街灯もあるので隠れるところはないんです。不思議に思っていると今度はざぶんと大きな水音がしました。振り返ると黒い影が川から盛り上がっていました。岩かと思いましたが、そこはよく知っている場所なのでそんなものないのは俺がよく知っています。そして、それがずんずんと岸に上がり始めました。蛙? いや、サンショウウオ? どちらにしてもでかすぎます。軽トラくらいの大きさでしたから。そこで普通は逃げるんですけど、なんか幻覚を見ているんじゃないかって思って、じっと目を凝らして観察していました。

そのでかいサンショウウオは上半身だけ川から乗り上げ、しばらくその場で体をうねらせていました。そしてぱかっと口を開けました。街灯の光でピンク色の口内が見え、さらにその奥から黒い影がのそっと出てきたのです。最初は舌かと思ったんですが、それの後ろから舌が押し出すように突き出され、それはつんのめるように口の外に出ました。黒い影に見えたのは、黒い長い髪の女でした。女は顔を上げるとすたすたと歩きだし、女を吐きだしたサンショウウオのような化け物はそのまま後ずさりをして川に入っていきました。女が河原から出て消えていっても俺はそこから動けずにいました。いったい俺は何を見たんだと混乱してたし。

でもすぐに、やっぱり幻覚を見たんだと自分に言い聞かせて家に帰りました。だって意味が分かりませんよね、化け物が女を食べるならまだしも吐きだすなんて。

でもね、それからすぐ最寄りの駅でその女を見たんですよ。普通のOLみたいな恰好で電車を待っていました。そして鼻歌を歌ってたんですよ。あの河原で聞いた鼻歌。聞いたことがないメロディでしたね。えっとこんな感じです。

――森口さんは一生懸命メロディを再現してくれたが、私にはよくわからなかった。

 すみません、歌が下手なんです。あれから毎日のようにその女を駅で見るから、また聞いておきます。録音もできたらしておきます。

――しかし、それから森口さんが来ることはなかった。

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