無知

 とあるマンションの一室。自宅のソファでくつろいでいた男は、一緒に暮らしている女に話しかけた。

「君はこの世で一番怖いのはなんだと思う」

 女は男の突然のおかしな質問に少し笑う。

「いきなりどうしたのよ」

「なんとなくだよ。ところでこの世で一番怖いのはなんだと思う」

 男の表情にふざけた様子はない。女はそんな男の表情を見て、真面目に考えることにした。

「そうね……。私は蛇がこの世で一番怖いと思うわ。気持ち悪いもの。もし今、目の前に蛇が現れたら、きっと私、気絶しちゃうわ」

 男はため息をつく。それを見た女は不満そうに尋ねた。

「何よ。せっかく答えてあげたのに。それなら、あなたは何がこの世で一番怖いと思うのよ」

 男はコーヒーを一口飲み、言った。

「俺がこの世で一番怖いと思うのは、知らないことだ。つまり、無知さ」

「何を言ってるの」

「わからないのか。知らないことほど恐ろしいことはない。俺は最近、特に君を見ている時にそう思うのさ」

 女は腹をたてる。

「あなた、失礼すぎるわ。こう見えても私は記憶力がとてもいいのよ。少なくとも、あなたよりはたくさんのことを知っているわ」

 男は呆れた様子で答える。

「わかってないな。そういうことじゃない」

「どういうことよ」

「こういうことさ」

 男はポケットからリモコンを取りだし、女に向けて『停止ボタン』を押すと、女の動きが止まった。この女、自分の事を人間と思い込んでいるロボットだったのだ。

 男はまばたきひとつしない女ロボットの瞳を見つめながら呟く。

「本当、君を見ていると、自分もロボットのような気がしてくる……」

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