決別

 天狗としての仕事を一段落させたとき、旭の脳裏に三毛とその連れのことがよぎった。彼女は暴れる人外の対処を進めるうちに東豊線の改札前まで下っていた。構内へ入ろうかとも思ったが、他の天狗が鎮圧に当たっている様子をみて戻る事にした。あとで報告を受ければいい。

 旭京が今日という日に大通にいたのは個人的な所用があったこともあるが、部下の鴉天狗から「不穏ゆえ確認を」という奇妙な要請を受けたからだった。


「物々しさの気配数知れず、しかしてその徴なきゆえに不穏」


 詳細を訊いてもそうとしか返ってこなかったこともあって、確かめる必要があるというより、ついでのつもりで来てみれば。確かに不穏だった。密度の濃いものの気配がしたから。

 その正体は、なお、わからなかった。

 旭が階段を上って地下通路まで戻ると、三毛と白猫の姿が地上へ続く階段の前にあった。その周りに、背中から翼生やし、顔から嘴が突き出た男達――鴉天狗ふたりが様子をうかがうように立っている。三毛は膝をついた白猫に寄り添って何事か話している。

 なぜ鴉天狗が見張っているのか? 旭が疑問に思って駆け寄っていく。白猫が彼女のほうを振り向いた、猫に変貌しているその顔で。


「グゥオオオオオオオ!!」


 白猫は咆哮とともに腰低く旭に突進した。止めようとした三毛はまるで虫を払いのけるように振り払われて壁に叩きつけられた。四つ足で更なる助走をつける白猫。ついで、鴉天狗が立ちふさがり、片腕ずつ捕まえ、その首を二人がかりで締め上げようとする。が、それでも止められない。


「ウウウウウゥゥゥ……グゴオオオォォ!!」


 捕られた腕をそれぞれの鴉天狗の腰に回し、白猫は立ちあがると同時に二人を天井へと投げた。ヒビが入るほどの衝撃。

 旭はその隙に距離を詰めた。無防備にさらされた白猫の腹を殴打。その身体の密度を知ったうえでの力加減。だが、白猫は“硬かった”。ものともせず、猛腕をふるって旭に掴みかかるのを、彼女は後方に飛びじさって躱す。

 白猫の膝がぐっと曲がる、その突進の予兆を旭は見逃さなかった。血に飢えた虎の牙を躱し、跳んだ勢いで白猫の背中に組みついた。


「グルラアアア!!」


「落ち着きなよ……!」


 振り落とそうとする身体にしがみつき、腕を首にかけて締め上げる。白猫がその腕をふりほどこうと爪を立ててかきむしる。旭は動じるどころか、ミシミシと首の骨がきしむ音が聞こえてなおも力を込めた。


「フーッ……フーッ……」


 白猫の身体が徐々にこわばり、膝をつく。締め上げ続ける旭の腕を掴む力も弱まっていき、ついには気を失った。弛緩した白猫を旭はゆっくりと横たえる。ダウンジャケットの袖はずたずたに引き裂かれたが、彼女の腕から血は流れていなかった。


「旭……」


 ほうほうの体で近寄る三毛に、旭は顔も見ずに、

「気絶させただけさ」と返した。捕まえていこうとする鴉天狗を制して、他への応援へと向かわせる。


「只野はどうして暴れた? 血の匂いで獣性に引っ張られたわけでもなさそうだけど」


 三毛は力なく首を横に振った。


「側で見てたが、俺もよくわからなかった。特に噛まれたり傷つけられたりしたわけでもなかったが、何か割れた音がして、それからヘンになった」


 三毛は言葉を切って、その正体を探すために白猫の身体を調べにかかった。ポケットから出てきたものを一個ずつ確かめる。意外にも携帯電話は壊れていなかった。家の鍵らしいものも無事。地下通路に入る前に貰ったポケットティッシュにそれらしいものはないと投げ捨てた三毛を、旭が問いただした。


「三毛くん。それは?」


「……ポケットティッシュだろ」


「おかしなものはそれかも」


「は?」


 旭がポケットティッシュの裏側を覗く。そこに入っていた飴玉の袋が割れていた。白い飴の欠片がティッシュ全体に散っている。


「これだ」


 旭は合点がいったとばかりに呟いた。


「それが……?」


 なにか、と続けようとして三毛は口を噤んだ。鼻をくすぐる香りの奇妙さに疑念を持ったからだ。甘くはない。嗅いでいると頭の奥を痺れさせるところがあった。なぜこんな匂いが――まるで雨が降る前のようなキツイ匂いが香ってくるのか。

 雨の残骸をじっと見つめていた旭は断言する。


「以前話した、龍の死骸に近い密度だ。暴れたやつらの密度の高さもわかるってものさ」


「これのせいでおかしくなってたって? そんなことあるのか?」


 三毛は袋に手を伸ばすが、すんでのところで旭が引いた。触らない方がいい、とばかりに。


「密度の高い異物に身体が防御反応を起こした、というところだろう。酒を飲んだら顔が赤くなるのと同じさ」


 旭は紫色の紐を取り出してポケットティッシュに結びつける。天狗流の封印を施して、その影響を抑えたのだ。


「食べたわけでもないのに、おかしくさせられるのか?」


「君は匂いでわかったんだろう。じゃあ彼もそうだ。そして匂いで“酔った”わけだ」


「ムチャクチャな代物だな」


「ああ、ムチャクチャさ」


 旭は物証をポケットに入れると、いつもの調子で三毛を見た。


「私の春休みもムチャクチャになる」


「どうして? 収まったんだ、これで終わりだろ?」


「これがテロだからだよ。人外へのテロであり、人間へのテロでもある」


 旭は溜息を吐いた。「他者を害した人外はすぐさま天狗が始末してきた。運良く警察――人間の手に委ねられた場合は除いてね。今日だけでこっちが手に掛けなきゃならないのがどれほどになるか……」


 旭は足下の白猫に目を向けた。三毛が声を荒げて、


「おいおい。白猫さんは正当防衛だろ!」


「でも、私と鴉天狗に牙を向けた」


 旭の目は揺らいでいた。


「それだけで充分なんだ」


「その飴のせいってことだったろ?」


「行動だけで殺すかどうかを決められるのさ、私たちはね」


 三毛はすぐに二の句が出てこなかった。しばらくして、

「横暴だろ」と非難した。

「ああ」旭は頷いて、

「力ってのは横着ものだ」

 まだ変化が解けていない、虎耳の見える獣そのままの白猫に寄り添って、三毛は天狗を睨みつけた。


「手に掛けるつもりなら、俺はたたかうぞ」


「やめてくれ」


 旭は顔をそむけた。「手間が増える」

 三毛は奥歯を噛みしめた。

 旭京は三毛にとって闊達に映っていた。その生き様を自分で決めることのできるところに尊敬していた。今の旭に、その美点は見えなかった。

 三毛は自分のポケットからマッチを取りだし、火を着けた。


「いと近き火の翁、いと親しき火の媼」


 マッチの先の小さな火に呼びかけた。


「土より手を出すカムイをここに呼び寄せよ」


 それはトイチセコッチャカムイこと雪下ゆかなへ連絡を取る手段だった。昔ながらの暮らしを守って電話を持たないOGへの通信手段は、火の神アペフチカムイを通じた伝言による。

 日本語でも良い、というところは救いだが、緊急連絡でも良いのかは不明だった。


「私の前でするのかい、それを」


 三毛が白猫を逃すつもりだと察した旭は、


「もっと手間が増える」


 光のない目で言った。


「俺はマッチを擦って独り言をいっただけだぞ。行動だけみれば、な」


 三毛は白猫を庇うように膝を立ててしゃがみこんだ。旭は拳を握る。

 三毛の足元、コートの裾をめくって白い腕が現れ、白猫の服を掴む。腕が白猫の巨体をずるずると床の下の闇へ引っ張り込んでいく。


「旭」


 卑怯だと思いながら、三毛は続けた。


「俺は君の敵か?」


 旭の葛藤をわかっていながら、ひどいことを聞くものだと三毛は自嘲した。旭は口を引き結び、腕を少し上げる。三毛は床に手を着いた。いつでも飛び出せるという構え。


「好きにしなよ」


「ああ。好きにさせてもらう」


 たったそれだけが別れ際の言葉だった。

 昏倒した白猫が闇の中に消えてしまうと、三毛は跳躍した。旭を飛び越え、脇目もふらず疾走。防火シャッターと床の間から伸ばしたユカノシタ先輩の腕を取って、そのまま引っ張り込まれていった。

 旭は振り向きもしなかった。後ほどやってきた部下に白猫をどうしたかを問われて、「跡形もないほどに始末した」とだけ返した。


 その日の大通駅での事件はガス管の破裂による混乱ということになり、死傷者40余名の大惨事、と報じられた。

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