閉架書庫の管理人(上)
そのうちにバスは札幌文化大学の前に着いて、三毛は汀と昨日と同じ道筋を辿る。その途中、汀とは別れの挨拶を交わし図書館に入っていった。
三毛は自分の通う大学に魅力が多いとは思わない。
勉強をする気がある学生はそう多くないし、制度を運営する職員や手伝いの学生は融通が利かないことも多い。そんな大学だが、図書館の蔵書が充実していることは数少ない美点だった。
なんとか大学に四年間いられたのも、本があればなにかしら読む気になる性のおかげかもしれない。三毛はそんなふうに考えている。
「あ、先輩!」
頭上から振ってきた声に顔を上げると、階段を下ってくる鈴川の姿があった。札文大の図書館は一階が広いロビーになっていて、閲覧室と大部分の本は二、三階にある。
「今日も会えるなんて奇遇ですね!」
「そうだな。例の研究の、資料を探しにきたもんでね。君は?」
「昨日、本を返すのを忘れちゃって」
三毛は「相変わらずだなあ」と笑った。
鈴川は抜けていると評されることが多い。本人は一生懸命やっているが、どうしてもどこかミスしてしまう。しかしそれはたいてい笑って許される間違いだし、また喧しくいわれるというタチでもなかった。
ゼミの指導教官であるところの汀は、彼女を評して、「性格がウケるんだよ」などという。
釘を刺されているのかも、と三毛は考えて、あまり甘やかさないようにしている。
降りてきた鈴川と向かい合った三毛が訊ねた。
「僕はこれから資料探しだが、きみは?」
「んー」と指を口元に置いて一考し、
「映画を観るくらいですね」
大学図書館ではあるが、映像文化の資料として多くの映画DVDが収蔵されている。もっぱら資料としてより娯楽として見られているのがほとんどで、それは視聴スペースが別室に用意されていることからもよくわかる。
「時間があるなら会ってみるか、OGに」
「OG……サークルの、ですか?」
「そうそう。君も聞いただろ、大学図書館に勤めてるOGのことは」
鈴川はきょとんとした顔で三毛を見た。まったく聞いた事がないようだ。
「木場から聞いてないか?」
「あんまり……。そういえば、木場さんはサークルの先輩の事は全然話しませんね」
「彼は僕より上の世代はあんまり知らないかもな。ほとんど俺と白猫さんだけが、彼にとっての先輩だろう」
「木場さんも、そのOGに会ったことないんですか?」
「いや、あるよ。それから訪ねた事があるかは知らないが」
結局、三毛は鈴川と連れたって行くことになった。木場は必要なら後輩に指導するタイプで、決して積極的ではない。三毛はあと何回あるかわからない先輩風を吹かしておく事にしたのだった。
鞄をロッカーに預けて、三階へ向かう。参考カウンターという名の資料収集を受け付ける窓口があるからだった。
半回転するようにぐるっとめぐる階段をのぼると、怜悧な目をした司書の綿井絹が三毛と鈴川をみとめた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
か細い声で挨拶を返した綿井に、三毛は、「これを借りたいんですが」とメモを渡す。そっと覗いた鈴川は、そこに『Лёт Дракона (Frying Dragon)』という書名と、下線が引かれた「閉架書庫」という文字をみた。
「彼女の管理ですね」
綿井はパソコンに入力した情報から確認をとった。
「ああ、やっぱり」
「では、これといっしょに彼女に」
そういって綿井の手から三毛に渡されたのは、ペットボトルのガラナ飲料だった。
「飲み物の持ち込みって禁止なんじゃ」と鈴川が小声で三毛を糺す。三毛は、バツが悪そうに、
「これはアレ、手数料みたいなもんだから」
なおも顔をしかめる鈴川に、「あとで説明するよ」と返した。
「……そちらは後輩さんですか」
「ええ。あの人に、まだ会ったことないそうなので」
「そうですか。……資料のことで相談があれば、気軽にどうぞ」
綿井は花がほころぶように笑いかけて、鈴川は慌てて会釈をした。
「あ、ありがとうございます」
カウンターから左手に曲がって、書庫に足を踏み入れてから、
「OGってあの人じゃないんですか?」と訊いた。
三毛は笑って、
「ちがうよ。これから会う人だ」と返した。
「さっきのひとは司書の綿井さん。論文のコピーとか書籍の調達とか、すぐに手配してくれるエキスパートだよ」
「説明してくれたっていいじゃないですかあ。いつ紹介されるのかと身構えてました」
「すまん、すまん。見た目通り口数少ないひとだし、俺もそこまで親しいわけじゃないから」
書庫の中には二十列の本棚があり、そこには論文掲載誌ばかりが並んでいる。「文化」と名を冠するが、法学部もある関係で、判例集いっしょに蔵されている。
だが、三毛はそれらに見向きもせず歩いて行く。そして、書庫の一番奥の壁の棚、そこの左端でしゃがみこんだ。
「これから少し静かにする。色々と聞きたい事はあるかもしれないが、終わってから説明するよ」
「えっ。ここで何を……?」
三毛はにやりと笑って、
「沈黙交易だ」と答えた。
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