三毛、旭に聞き取りする

 三毛と白猫が「天狗」と呼んでいる旭京あさひみやこは、札幌駅の北にある北海道大学の学生である。その専攻は中世日本文学で、同期からは古めかしく「今清少」などと渾名されている。講義中に講師から問われるまま、古今和歌集をそらんじたことが由来だ。


「まったく、ひどいものだよ」と旭は三毛に愚痴をこぼしたことがある。


「まるで私が、それしか覚えてないみたいだ」


 暗に、それ以外も覚えているのに、という予想と違う内容に、当時の三毛は旭京の境遇を想像した。大天狗の娘として彼女がどのような幼少期を過ごしたのか、九州のひなびた一地方で化け猫の家系に育った彼には皆目見当がつかなかった。


「それで?」


 鼻頭が触れあうほどに顔を近づけ、旭は問うた。


「私にわざわざ連絡を寄越したのは、なんなのかな? 愛の告白なら酔っていないときに聞きたいのだけど」


「そんな用じゃあないぞ。決してな」


 札幌文化大学から離れた繁華街・狸小路の西七丁目に位置するビアバー・カスケードで、三毛は旭と杯を交わしていた。

 木材をふんだんに使った内装はアメリカのバーをイメージして、映画のポスターや人形といった小物が置かれている。旭と知り合ったのは別のビアバーでのことだったが、ここでも何度か飲んだことがあった。

 昼に白猫、木場、鈴川らとともに昼食をとった三毛は、そのあと資料の収集と先生への連絡を行い、もののついでとばかりに旭とも連絡を取った。直接の連絡先を知らないため、ビアバーの常連たちが使うSNSを介したものだったが、

「いつにする? 今夜でもいいよ」という前のめりな返事が来たので、早速、夜に会うことにしたのだった。


「じゃあなんだい? このまま私を酔わせてすすきののホテルにでも行こうっていうの。ケダモノだねえ」


 三毛はけらけらと笑う旭に苦笑しか出ない。会う度にこういうからかいをやってくるのだ。

 旭は続ける。


「君が悪いんだよ。奢ってくれるなんていうから、つい邪推してしまった。ちょっとドキドキしちゃったじゃないか。そのくせ、自分は素っ気ないかっこうだし」


「お前だっていつもとかわらないだろ」


「外見は、ね。いやはや、結構気合い入れてきたのになあ」


 旭は黒のタートルネックに包まれた胸元からジーパンに包まれた太腿までをゆっくりと撫でてみせた。彼女の趣味はジョギングだが、その体つきはアスリート並に強いことがうかがえる。

「どこに気合いを入れてきたのか」という問いは飲み込み、三毛は話を進めることにした。これ以上、彼女に応答して会話をするとペースが変わらない。


「折り入って頼みたいことがあってな」


「ふぅん?」旭はビアグラスに口付けて、ようやく話を聞くかまえを見せた。

 今までの態度は俺への当てつけだったな。三毛は察するとともに眉をしかめた。

 三毛はあらましを話した。

 卒業のために研究レポートが必要なこと、その構想、そして協力して欲しい「現代の龍」のこと。

「せっかく頼りにしてもらって悪いけれど」旭は真面目な顔で言った。


「私は生きた龍を知らない」


 なにを言ってんだ、という考えが脳裏を過ぎるも、回りくどい言葉のニュアンスに思うところがある。

 三毛は訊ねた。


「死んだ龍は知ってるってことか」


「一度だけ見たよ。とても密度が高かった」


 旭は幼い頃、京都の鞍馬山で死骸となった龍を見たことがあったという。

 彼女はヒトならざるものの存在の強弱を密度で表す。ヒトから離れていればいるほど「密度が高い」という。


「生態についても知らないか」


「知らないね」にべもなく旭は言う。


「天狗は知りたがりではないんだ。高慢であるには無知でないといけないから。高慢でなければ天狗は地上のあまねく全てを睥睨するだけの至上の存在でいられない」


 遠くを見つめるような目でそう述べる旭に、「お前は違うんじゃないのか」と三毛は言わなかった。

 旭京は実の親との確執を抱えている。それは天狗としての生まれへの反発に端を発しているという。

 彼女の旧姓は鞍馬であり、天狗一族の本流。実親との対立から彼女を庇護したのは遠縁にある北海道の旭家だった。


「昔のことだから、あまり思い出したくないんだ。悪いね」


 本家での暮らしに自由はなかった。三毛は彼女を庇護する大天狗からそう聞いている。


「こっちこそ、嫌なことを思い出させて悪かった」


「そんなに縮こまることもないさ。むしろ申し訳ないのはこっちのほう」


 天狗はまた三毛のほうへと顔を寄せる。


「龍は天を駆け水に生きる。天に生き地に与る私たちとは似て非なるものだ」


 私たち、というのは当然天狗という種を指している。


「知らないっていったじゃないか」と驚く三毛に、

「密度が高くても中身が違うってことはわかる」と旭。


「それに龍は相当な力あるものだけど、ヒトの世には馴染めないだろうね。体を落とし込めるような器用さも感じられなかった。龍に直接出会う、というのは難しいだろう」


 旭の分析に三毛は唸る。


「そりゃ、厄介なような、ありがたいような話だ」


「少なくとも、レポートには書かなくて良さそうだね」


「動向がわからんって意味ではなあ……」


「なるほど。厄介だ」


 旭はビアグラスに口をつける。その姿を見て、「相変わらずさまになるな」と三毛は思った。

 三毛は短足の、パッとしない男という外見だが、旭はモデルかと思うようなすらっとした身の丈。この二人がカウンターの一隅で親しく話しているのは、なんともちぐはぐな組み合わせだ。

 これをからかったり、悪ふざけに絡むような客がいないのが、この店のいいところだ。


「ちなみに三毛くん。何杯までなら奢りなんだい」


 空になったグラスを見せびらかすようにかざして、旭は問う。

 旭を飲みに誘う条件として、ビールを奢る、と伝えていたからだ。

「エールの類なんだからもっとじっくり飲めよ」と釘を刺しつつ、

「五杯までな」と三毛は答えた。

「そんなにいいの。ありがたいなあ!」とおおげさに感謝を述べると、旭はすぐに、


「例の“ラスプーチン”、一本。私とカレで分けるから、グラスは二つで。頼むよ!」


 声を張りあげて注文した。

 三毛はその様子にすこし笑って、

「カレーライスください」と続けた。

 彼はまだ晩飯らしいものを食べていなかった。

 なお、この時の三毛は知らなかったが、旭の注文した“ラスプーチン”は度数が高く味が濃いビールで、酒に強くない彼はベロベロに酔っ払わされることになる。

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