三毛、仲間たちに計画を相談する。

 自分たちの祖先が「ニンゲン」になったのは150年ほど前のこと。只野白猫ただのしろねこは父からそう聞いている。

 それまでは弘前の港町を根城にする化け猫として、時折、松前や小樽にヒトの振りをしてやってきては、現地のニンゲンからサケを頂戴した(白猫はこれを「ちょろまかした」の意味と受け取った)。そんな商人紛いをやっていたころのこと、時世の変化に疎かった祖先は出先の小樽で官憲たちにサーベルを突きつけられてむりやりに「定住」させられたという。

 白猫はこの話を聞いて、幼いながらに「なんとマヌケな」と呆れたものだった。彼はこの頃から世を斜に構えてみることを覚え、一介のニヒリストになった。

 札幌文化大学には大小様々な公認サークルがあるが、そのどれもが部室として十畳程度の部屋を与えられている。使い方はサークルによって違い、物置のように使うサークルもあれば、ロッカー室同然に使うサークルもある。小サークル「郷土史研究会」にとって部室は、もっぱら談話室兼ゲーム部屋であった。

 半地下の一階階段前に配された部屋の前に、只野白猫は立っていた。ドアノブを回し、人がいることを確かめてから、


「お疲れーっす」


 ぶらりとだらけた調子で部室に入った。


「お疲れさまです」


「あっ! どうも、お疲れさま……。ああっ!」


 部室では二回生の木場中きばあたると一回生の鈴川美樹すずかわみきがスーパーファミコンでパズルゲームを遊んでいた。

 画面にはちょうど木場の操作する1P側に「WIN!」が出て、画面中央でかわいらしい女性キャラが喜びを表すように飛び跳ねている。一方の鈴川は画面上のキャラと同じく這いつくばっていた。

 3Dゲームが主流の昨今ではもはや懐古趣味になってしまうが、このサークルには過去の部員が持ち込んだゲームハードとソフトがたんまりと残っている。自然、手を付けてしまうものなのだ。


「タイミング悪かったかな?」


 木場と鈴川のパズルゲームの対戦は長丁場になりやすい。只野が入ってきたことに気をとられて鈴川は負けてしまった。

「いえ。遅かれ早かれ、僕が勝ってました」と木場は涼しい顔で答える。彼は柔らかい物腰の反面、物言いに容赦がない。只野としては好感を持つところだ。


「そうか。なら、よかった」


「ひどい!」と非難の声を上げる鈴川。

郷土史研究会の紅一点であるという立ち位置のわりに、なにかと手厳しい先輩たちには不満があった。


「木場にパズルゲーでかなうわけないだろ。こいつ、これだけはめちゃくちゃ強いからな」


「後輩をなぐさめながら別の後輩を莫迦にするの、やめてもらえます?」


「すまん、すまん」と謝罪もそこそこに、白猫はリュックを下ろし椅子に腰掛ける。


「それにしても珍しいですね。白猫さんがこの時期にやってくるなんて」


 白猫は大学を卒業して二年経つサークルのOBだ。しかし、定職どころかバイトすらやっていない彼はもっぱら家にいることのほうが多い。まして、用もなく卒業した大学にやってきて部室を訪ねるなど稀なことだ。


「まあな。ヤーシャが久しぶりに大学に来るって連絡してきてな。メシに誘われたんだよ」


 白猫は三毛を名前にちなんだあだ名で呼んでいた。このサークルに彼を勧誘したのは白猫で、その親交は長い。


「えっ! 三毛先輩、来てるんですか!」


 悲しみに暮れていた鈴川が一転して嬉しそうに声を上げる。「慕われてんナア」という感想は心中に秘めつつ、白猫は、


「らしいぞ。ゼミの先生に会ってくるって言ってた」


「ああ……」と鈴川の顔がたちまち曇る。

 不思議がる木場と白猫に、

「汀先生、結構怒ってたんですよ」と打ち明けた。

 三毛がこの郷土史研究会に所属している縁で、鈴川は汀教授のゼミに参加していた。そのため、昨秋からの三毛の長期欠席に対する評価の下がりようを知っていたのだ。

「いやいや。それでもゼミだからな」と白猫。


「まさか単位を出さない、みたいな話にはなるめえよ。だってあいつ、内定取ったんだぜ? 職に就く気がさらさらなかった俺だって単位もらって卒業したんだし……」


「どうでしょうね。汀ゼミは真面目にやらないとダメだって、もっぱらのウワサですから」


 木場の言を首肯して鈴川はいう。


「いや、ほんと。あそこはガチですよ。一年でも調べ物と文章書きはすっごいやりました!」


 木場と白猫はそれぞれに目を細めて、


「まだお客様気分だったり?」


「そもそも君が調べたうち、どれくらい採用されたんですかねえ、それは……」


 迂闊にもみずからに話題が及び、鈴川は慌てて言い継いだ。


「最初ですから! しょうがないんです! おまけにベテランエディターの三毛さんがいませんでしたし」


 三毛がエディターを任されていたのも、毎年、秋の学祭で研究発表を行う「郷土史研究会」という研究サークルに所属していたことが理由だった。


「あいつ、去年もエディターだったのか」


「その予定でした」


「あー……。それは怒りますね」


 木場と白猫がようやく納得したころ。部室のドアが唐突に開いた。


「お疲れさまです……」


 溜息とともに挨拶をしたのは、件の逃亡学生、三毛だった。


「おう、お疲れ」


「お疲れさまです」


「お疲れさまでーす。……大丈夫ですか?」


 三毛は白猫の隣に腰掛けた。背もたれに体を預けると力なく首を横に振り、

「こたえるわ」とのみ返す。

 どうにも茶化すことが出来ない様子の三毛に、鈴川はなんと声を掛けたらいいかと思案顔になり、木場は先輩二人にお茶を用意しようと急須を洗いに出ていった。

 白猫は少し間を置いて、

「甘くみてたんだな」といささか笑いを含んで言った。


「甘くみてました。出てくる課題の難易度を」


「は?」白猫は要領を得ない答えに思わず聞き返す。鈴川はなお困惑する。給湯室から戻ってきた木場がお茶の用意を始める。


「ゼミ単位が貰える条件はレポートの提出になりました。期限は今月末、テーマは『龍についての歴史的考察』」


 また一拍の静寂。


「龍って、ドラゴンってことか? つか歴史的って……。文化学的な考察じゃなくて?」


「そう、ドラゴンです。文化じゃないっす、そっちは専門外。実際の龍の話を書けってお達しでした」


「出来るんですか?」と木場はお茶請けを探しながら言う。


「たぶん。じゃないと、課題にならない。……一般に公にできる内容にはならないだろうけど」


「なにか手がかりがあるんですか?」と鈴川。

「あるよ。参考テキストを教えて貰った」と返したものの、「英語だけどな」という声には気落ちを隠せなかった。


「英語の本をこれから手に入れて読むとか辛すぎ……」


 郷土史研究会の部室で、ああ、という誰ともつかない感嘆がおこった。実際的な龍のことだの、公に発表できないだのといった返答は、当然のこととして受け取られていた。

 白猫に限らず、ここにいる誰もが厳密な「ヒト」ではないのだから当然である。

 木場からすすめられたお茶を一口飲んで、白猫はおずおずと三毛に尋ねた。


「お前それ、一人で出来んの?」


「わかんねえっす……」


 レポートという形にするまで、どれくらい時間がかかるのか。それが三毛にとっての懸念だった。

 三毛のレポートの構想は以下の通りだった。

 龍が人類の歴史でどのように扱われてきたか、どのような存在だったかを古代、中世、近代の区分で一章ずつ。これに概説と結論を付ける。


「あと三週間でできる量じゃねえだろ」


 構想を聞いた白猫はそう評した。


「ここで手を抜くわけにもいかんですよ」


「形になんなきゃダメだろ」


「先生から評価を下げられたまま、卒業はしたくないです!」


「お、おう……」


 白猫は「いまさらじゃね?」とは返さなかった。木場も「だったら、単位ぐらいちゃんと取りましょうよ」という小言を飲み込んだ。鈴川だけが、

(やっぱり三毛先輩は汀先生が好きなんだ!)という見当違いなことを考えていた。


「でもなあ」


 白猫は言う。

「古代と中世の章はその参考テキストと……あといくつか使えばいけるかもしれんべ? でも、現代の話。ここが問題だろ。どうするよ、取材先のアテとかあんの?」

「考えちゃあいますよ」と三毛。

「ツテは使っていいって言われてますから、過去の話は、文化学の河合かわい先生と須川すがわ先生に当たります」


「やっぱり文化じゃねえか」


 今度は口に出して指摘する。


「どっちもフィールドワークやるタイプの研究者ですから。おおっぴらに出せない話の一つや二つ、あるでしょう」


「その信頼は……まあ、あるわな。で、現代は?」


「気が進まないんですけど」と断りを入れて、

「天狗をアテにします」と返した。

「まじか……」と白猫は呆然と口にする。


「天狗に貸しなんて作ったら、残りの人生まで持っていかれるぞ!」


「その辺は、交渉ですね」


 鈴川がそっと木場に訊く。


「天狗って誰ですか?」


 ためらいがちに、

「もしかして、本物の天狗のことなんですか。それとも悪魔?」と続けた。

「たぶん、前者」と木場も小声で応じる。


「僕も実際に会ったことないけど、白猫さんと三毛さんの知り合いにいるらしい」


「わたし、初めて知りました」


「そりゃそうだろ」白猫が後輩達の話に割ってはいる。


「未成年に悪い影響しか与えないヤツだ」


三毛は頷いて、

「過激ですからね」と応じる。


「……そんな人と、どこで知り合ったんですか?」


 鈴川の問いに、

「三毛の行きつけのビアバー」と白猫。

 そういえば先輩はビールに一家言あるひとだった、と鈴川は思い出す。未成年の彼女は、いまだに酒を嗜む趣味に理解がない。


「最近は行ってないので、もう常連とは言えないんですけど」と三毛は述べるが、木場に、

「月に二回も飲みに行ってたのに、なに言ってるんですか」と咎められて、二の句を告げようとするが、すぐに口を閉じた。普段から酒を飲まない木場を一度連れていって、大いに酔わせた事があったからだった。


「時間と手間が足りなくなったら、言うんだぞ?」


 白猫は続ける。


「俺らだって、お前のツテだろ」


「それは、そうですけど」と三毛。


「やってみないことには、先がわかりませんし。なにより、これは僕の課題ですから」


「ほんっと、変なところでマジメだよなあ」


 白猫は少し笑って、


「まあいいや。メシ食いに行こうぜ」


「ですね。なにから手を付けるにしても、ご飯のあとで……」


 白猫と三毛は席を立つ。そこに鈴川が、


「私も付いていっていいですか?」と声を掛ける。

「僕も行きたいです」と木場。


「ああ。ひさしぶりだしな」


「おごってやるよ。学食だけど」


 三毛はコートのポケットから取り出した学食のクーポンをちらつかせた。

「先輩、太っ腹ですねー」と喜ぶ鈴川を尻目に、木場は、

「クーポンを使い切りたいんでしょう?」と苦笑。


「卒業するってのに、持ってても仕方がないからな」


 部室の戸締まりを終えて、四人は連れたって外に出る。

 こうやって歩くのも、もう最後か。口には出さず、ただ感慨を胸のうちに三毛は歩いた。

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