人外の学業;龍についての卒業研究
小柳三毛
第1章 三毛と大学と時々ビール
三毛、汀に難題を課される。
三毛は雪の上を慎重に歩いて行った。企業からの内定ぐらい、すぐに貰える。そんなふうに当時は過信していた。
生協、食堂、図書館、情報棟……。次々と建物の前を通り過ぎながら、三毛は緊張をほぐそうと今後の予定に思い巡らした。
これからゼミの教授の元を訪ねる。長らく連絡を絶っていたことを謝罪し、無事に内定を取ったことを報告。その後、先生に四年間のお礼の品を用意する。……
彼はその予定が大きく覆されることになるとはしらず、目的の研究室がある中央棟へ入っていった。
三毛が師事する
全学生に開かれている授業では、試験のみが成績に関与すると明言し、学ぶ気がない学生を追い払う。
インテリぶったひけらかしと尊大な態度をきらい、直言と自然体を好む。必然、学生に親しく接する一方で容赦なく批判もするので、学生でも好き嫌いがはっきりと出る。
そして、大学に長居しない。授業の前に大学にやってきて、授業を終えるとすぐ帰る。割り当てられた研究室に居着かないのは「用事が増えるから」だ。
「こんなふうに人が来るからねえ」
三毛の来訪に応えた汀教授は、珍しく研究室にいた。三毛から手元は見えなかったが、試験の採点をやっているところだ。一月末から二月初頭までは学期末の試験期間で、今日が最終日だ。
「そんなこと言わないでくださいよ。久しぶりにゼミ生が訪ねたっていうのに」
三毛は挨拶もそこそこに鳥打ち帽を脱ぐ。
「まあ、座りなよ」
不承不承という面持ちで勧められ、長机の椅子に腰掛けた。机の上には週刊誌と新聞のコピー、洋書が散らばっている。
「いっておくけどさ」汀は言う。
「ゼミ研究を前に逃亡した学生には寛大じゃないよ、僕は」
「別にゼミ研究から逃亡したわけじゃありませんよ。現実に立ち向かっただけです」
「だから、就活は早くからやれっつったじゃん。君はいつも取りかかりが遅いんだからさあ」
このままでは説教だと考え、三毛は言葉を継いだ。
「それはそうと、先生に報告がありまして」
「内定でも決まった?」
頷くと「それはよかった」と安堵した様子の汀。しかし、言いかけた言葉は三毛の思いもよらぬ言葉だった。
「君の卒業を待ってくれるといいけどねえ」
一瞬の沈黙。そして、
「え?」という間抜けな声が三毛の口から漏れた。
「敵前逃亡は寛大に扱わないよ。いつも言ってたでしょ?」
「さっきもね」と付け加えて、コーヒーをひとくち飲むと、汀は続けた。
「ゼミの単位、出すわけないでしょ」
「ええ!?」
驚愕のあまり声を荒げる。唾がいくらか飛んだらしく、汀はさっと身を引いた。
「当然だよ。今年の研究発表の原稿、不慣れな学生ばっかでさあ。僕がそうとう手を加えるハメになったからね」
「いつもの書き手がいなかったからさあ」という言葉とともに、じろりと三毛を見る。
汀の政治学のゼミは毎年十二月、ゼミとしてのグループ研究の発表を行うことになっている。三毛はゼミに入ってから一貫して発表原稿を書いてきた。
「いやいや、それは、他のゼミ生が今まで僕を頼りすぎてただけで……」
「でも、今年の研究で、きみ、仕事してないから」
「調べ物はしてますよ」
「最初だけじゃん」
さらに言葉を継ごうとしたが、続かず、
「それは、そうですけど!」と認めるかたちになった。自覚はあるからだ。
「ゼミの単位は研究に参加した学生への対価だから。君に単位は出せません。わかった?」
納得するほかなくなってしまった。
むろん、汀が意地悪や逆恨みでこのようなことをしているのではない。彼はむしろゼミ生には支援を惜しまない教授であり、三毛はそのひととなりを知っていたために慢心していた。三年分の、大目に見てくれるであろう貯金がある、と。しかし、現実は非情なものだった。
だが、だからといって卒業を半年後、もしくは来年に延ばすということまで受け入れられなかった。
「先生。あの、大変、ご迷惑おかけしました」とまず謝罪。そのうえで、
「厚かましいとは思うんですけど、なんとか単位を出していただけませんか?」
先ほどまでとは打って変わって、へりくだった調子で訊ねる。
「相変わらず変わり身はやいなあ」と汀はつぶやくも、笑って、
「僕も鬼じゃないからね。なにか課題を出すよ。それでレポートでも出してくれたら……」
「ありがとうございます!」
汀は苦笑して、
「……ほんっと、気が早いなあ」
汀は机の上を見回す。自身の研究のための論文のコピー、週刊誌の表紙、新聞の切り抜き。点々と転がる文字情報の媒体に目をやりながら、ひとつ、思い立つ。
「きみさあ」と呼びかけながら、英字新聞のコピーに手を伸ばした。彼が興味本位で複写したブックレビュー、そこには『Frying Dragon』という本が紹介されている。
「リュウに興味ない?」
一拍の沈黙ののち、
「は?」
三毛は当惑の声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます