第15話ジャパンオータムインターナショナル前編
『宝塚記念! シンザヴレイブ! 春古馬三冠達成!! 秋は打倒ブライアンズハート!!』
以外にもあっさりであった。
例年になく快晴の阪神競馬場。梅雨入り宣言されたばかりであったが、空梅雨のようだった。
人気投票1位で出走したシンザヴレイブは、2200mを不安視されたが、大阪杯のような乗り方を踏襲して、涼の作戦勝ちであった。
なにより、勝利の引き金になったのは、人気上位馬の出走回避である。
ローゼンリッター、セタグリーングラスはともにロイヤルアスコット開催へ飛んだ。
注目株の一頭だったナギサボーイは臨戦過程は良かったものの敢闘及ばず2着。
春を皆勤したのは人気1位のシンザヴレイブとアドミラルネイビーだった。
他の出走馬は別路線であったり、春一番の上がり馬だったりと心もとなかった。
その結果がシンザヴレイブの圧勝だ。
競馬ファンは呆れ返った。
やれ、シンザヴレイブから逃げるなだの、春皆勤できないのは情けないだの、どうせ秋は神代はヴレイブを降りるんだから詰まらねえだの、言いたい放題だった。
そんなことはつゆとも知らず、涼は7月末の小倉開催を待ちわびていた。
仕事量をセーブするようになった咲良は、今度の小倉の舞台は初日、中日、千秋楽の幕間で歌の披露がされることが決まっていた。
今度の舞台はオリジナル舞台「夢幻航路」時渡りがテーマの舞台だ。
そのテーマに沿った曲を歌う。もちろんCDも発売される。
ちなみにではあるが、年初のオズの魔法使いで売ったCDは結局オリコン一桁を記録する売上になった。
劇場の物販販売と虹の彼方公式HPでの限定販売のみで今ではプレミアがついている。
劇場限定版にはシリアルナンバーがふられていて、通し番号1番は涼が持つCDである。
さて今度の舞台のCDはテーマが「時間」「時空」。
30日間の舞台で劇中キャストが歌う曲や幕間に咲良が歌うメインテーマ曲などが収録される。
メインテーマ曲はさる有名シンガーソングライターの書き下ろしで、舞台のタイアップ曲である。
公演一ヶ月前になり、メインテーマのワンコーラスがネット配信され、たちまち話題となり舞台チケットは完売となった。
一方、宝塚記念を勝利した涼は、7月に入り実家に勝利の報告をしていた。
しかし和尭は夏の北海道の競り市にアドバイザーとして参加しているため実家にはいなかった。
家にいるのは祖母と母のみであった。
しかしその二人の視線がチクチクと涼に刺さっている。
何を言いたいか大方、想像はつくがあえて自分からは切り出さないと決めている。
「涼、式の日取りはいい加減決まったの?」
そこから切り出すか、と一瞬身構える。
「早くしないとねえ。お義母さん、早く見たいですねえ」
何をだ、と内心でツッコミをいれる。
「そうだねえ。まあ、涼と咲良ちゃんのタイミングで良いんじゃないかねえ」
涼が仏壇に手を合わせている横で、意味ありげに会話をする祖母と母。
曽祖父で名伯楽・久尭の遺影に内心愚痴をこぼす涼。
「お義母さんに頂いた留め袖、出してこないといけませんね」
「そういやそうだねえ。どこに仕舞ったかしら」
言うに尽くせぬプレッシャーが押しかかる。
観念とばかりに、涼が向き直り真一文字に閉じていた口を開いた。
「留め袖なら爺ちゃんの部屋の納戸に仕舞ってあるはずだよ」
「もうしばらく着ていないから忘れてたねぇ。爺さんの紋付きも出しておこうかね」
「久弘さんの着物ってありましたっけ?」
「あの子には着物仕立ててやらなかったのよ。本人いいって言うもんだから」
「父さん似合わなそう」
「あなたも和と言うよりは洋ね。父子そっくり」
凱旋門で着ていたモーニングが思い起こされる。
体格が和服に合っていないから涼に、いや、兄弟に和装のイメージはつかない。
「まあとにかく、私達は待ってるんだから早いとこ決めちゃいなさいね」
「う、うん」
「あと、くれぐれも咲良ちゃんに無理させちゃ駄目よ?」
ああ、この人はもう察しが付いてるんだなと改めて気づく涼。
「それにしても、小倉でやる舞台、見たいわねー。あなたチケットとか融通利かないの?」
「流石に完売している物の融通は無理だよ。でも、転売には手を出すなよな?」
「当たり前よ。そんなの虹の彼方に失礼だわ」
母の趣味の一つ、舞台観劇。そのマナーは熟知している。
特に虹の彼方の舞台には力を入れて観に行っていると聞く。
「というか、小倉まで行くつもりだったのかよ……」
相変わらずの母の行動力に涼は感心した。
その後美浦に戻ってきて、小倉行きの支度に手を付けることにした。
咲良は東京で舞台に向けたトレーニングをしている。美浦には戻らず、東京での舞台稽古をしたあとすぐに小倉へ飛ぶらしい。その間は、間寺本宅に帰省する算段だった。
というのも、美浦に戻ってくると、涼がいちいち心配してきて身が持たないかららしい。
涼にしてみれば、せっかく、同じ小倉行きの予定を作ったのにといったところなのだが。
とにもかくにも、小倉の舞台公演が終わるまで離れて暮らすことになる。
それこそ涼の心配たるや並のものではない。
7月末、福岡県は小倉競馬場。
今日からおよそ一ヶ月間、神代涼はこの地に詰める。
九州に来たついでに、祖父と顔なじみの牧場主と会うことになり、鹿児島へ向かった。
この九州の地でほそぼそと馬産を続けている牧場主は、大昔、祖父和尭の騎乗で自家生産馬を天皇賞馬にさせたらしい。
それからというもの、祖父の引退調教師転身で牧場主は祖父の厩舎に優先して馬を預託していた。
現在は、孫の代になっているらしく、祖父と懇意にしている牧場主は先々代ということになる。
今回会うのは先々代牧場主だ。
「えーっと津山重彦(つやましげひこ)さんの牧場はどこだろう……」
「えーっと、津山牧場、津山牧場っと。あーあそこか」
街の掲示板に載せられている牧場マップを隅々まで見渡して、ようやく目当ての牧場を見つけた。
北海道とは違い、南国九州は暑い。
牧場までハイヤーを用立てて、見渡す限りの牧草地を疾走する。
牛、牛、馬、馬。
鳴き声や、いななきが窓越しに伝わってくる。
「あーのどかだねえ」
都会の喧騒などこの地にはどこにもない。
牧草地に吹く風と、動物たちの鳴き声、川のせせらぎが自然のオーケストラになって聞こえてくるようだ。
暫く行くと、津山牧場という看板が見えた。
ハイヤーは牧場の入り口に止まり、その入口には若い男性が待ち構えていた。
「神代さん! こちらです!」
「あ、どうも。はじめまして。和尭の孫の涼です」
若い男性は、涼の自己紹介を聞いて被っていた牧場のマークが入った帽子を脱いで会釈をした。
「こちらこそ、はじめまして。津山重彦の孫の津山翔太(つやましょうた)です。いやー本物の神代ジョッキーを前にして緊張してます」
「わたしなんてまだまだ一介のジョッキーにすぎませんよ。それより翔太くんは若いのにもう牧場を継いでらっしゃる。凄いなあ」
牧場の事務所で歓待を受けている涼。
津山一家は元は北海道の出だったらしい。
北海道から出た先祖が九州の地で牧場を始めた。
現社長の翔太は、楽隠居した祖父と父親を呼びに行った。
涼は和尭の友人という重彦を初めて目にした。
「ほー君が和尭先生の孫か」
「親父、この子はそりゃあもう凄いジョッキーなんだぞ」
津山祖父と津山父が口々に涼のことを褒め称えている。
孫の翔太は涼に苦笑しながらすみませんと謝った。この二人は神代家と聞けば目の色が変わるという。
「ええ、祖父の人脈は凄いと思います。ぼくも期待に応えられるような騎手でいたいです」
長々と話をする。
涼は今年の2歳で津山牧場の1番馬を聞いた。
「サイレントハンターの孫……ですか。とすると逃げ先行で押し切る形かなあ」
サンデーサイレンス産駒のサイレントハンターは新潟大賞典などを勝ったきっての逃げ馬である。
その現役時代は、同じ父、同じ脚質なのも相まってサイレンススズカの影に隠れていた。
あの98年の天皇賞秋では、あの悲劇の影で2番手で逃げて4着に粘った。
引退後は九州で種牡馬となり、産駒を残した。
あまり良い成績とは言えなかった。
結局2014年に召され、津山牧場で生産した産駒が地方10勝でプライベート種牡馬になっただけである。
今年の津山牧場の1番馬がその種牡馬の産駒だ。
涼は立ち姿の写真を見せてもらった。
平凡な鹿毛色の馬体にサンデー似の流星。
左後一白が目を引いた。
しかし2歳にしてはよく出来た馬体に見えた。
「どこの厩舎ですか?」
「コーセイのオーナーさんが庭先で買っていかれて、クラシックディスタンスで使うから美浦藤村厩舎に預託するそうです」
「藤村先生か……津山さん、ぼくが乗っても良いですか? 先生にお願いしたいのですが」
「私達としてはこれ以上無い言葉ですけど、まあ藤村先生次第ですかね」
「絶対乗りますよ。勝ちますよ。九州産馬楽しみです」
コーセイのオーナー春間光成はスプリンターの馬を中心に持つオーナーブリーダーだが、こうして生産牧場から庭先で購買もしている。
大体そういう時はクラシックを狙う時だ。
鹿児島で用事を済ませた涼は、名残惜しく見送る津山家の人々に別れを告げ、小倉に戻っていった。
小倉で借りているビジネスホテルの自室で腰を落ち着ける。
そのままベッドに倒れ込み、スマートフォンで藤村調教師に電話を入れる。
コーセイの期待馬。
藤村師が曰く、とんでもない逸材とのことで尚更乗りたくなった涼である。
何度も頼み込み漸く了承をとった。
馬名テイクミーハイヤー。牡馬。
預託されたばかりで、いつデビューするかは現時点では未定とのこと。
この分だと年末あたりに使って、上手く行けば年明け若駒Sを使いたい、所謂ディープインパクトローテだ。
冠名も無く期待のほどが伺える。
藤村師との電話が終わったあと、ピコンっと通知が来た。
咲良からであった。
ショートメッセージに咲良から、今日の舞台初日が跳ねたとのこと。
どうやら盛況だったようだ。
次の通知で画像が送られてきた。
虹の彼方のメンバーが写っている。
楽屋だろうか、差し入れのお菓子をつまんでいる者が多い。
なんと美味しそうな写真だろうか。
小倉名産物もあるではないか。
涼の腹部がグーッと鳴る。
ハッと起き上がって、労いのメッセージを送った後、ホテルのレストランに赴いた。
8月に入り、虹の彼方の舞台も中日になった。
咲良の登場日は特に盛況でチケットは売り切れ続出。
小倉競馬はというと、涼が連日連対をやらかし、小倉のリーディング争い単独トップに立つまでになっていた。
舞台の中日が終わった後、咲良が涼の居るビジネスホテルに現れた。
もちろんプライベートで変装もしている。
この夏、神代涼と間寺咲良の二人は小倉で追っかけが出現するほどの有名人になっている。
日本全国、この二人の関係を知らない者はいないので、セットで追っかけられる。
身重なため、涼は出来る限り咲良を労った。
「へえ、そんな凄い二歳馬がいるんだあ」
「うん。血統は地味だけど馬体見たら一目惚れしちゃってさ」
「3年連続有力馬なんて初めてじゃないですか。トゥザスターズ、ちゃんとクラシック締められたらいいですね」
「そうだなー、あと一つだけかあ。去年どうしても乗りたかった菊花賞に、今年こんな縁で乗ることになるなんて」
涼も春が無冠に終わったことを悔いていた。
しかし菊花賞にチャンスがあると諭されて、一転やる気を取り戻したのだ。
トゥザスターズの秋はセントライト記念からスタートする。
これも涼が去年乗っていないレースだ。
「ブライアンズハートは毎日王冠でしたっけ? シンザのオーナーさんにはどう説明付けたんですか?」
「土下座かましてね。そしたらヴレイブは式先輩で行くって」
春古馬三冠を達成し秋古馬も照準に入れるシンザヴレイブの新しいパートナーは式豊一郎が推されているという。
「怒ってはいなかったな。ヴレイブとハート共に良いレースをしようって」
「まあ言ってしまえばブライアンズハートは先約みたいなものですしね」
「この馬だけは大切に乗っていきたいと思う」
夢のために。
「ハートを無事に牧場に返して、その子孫で今度こそクラシック三冠を獲る。それがおれたちの夢、だろ?」
涼は手に持っていたグラスを傾けて中の麦茶を流し込んだ。
咲良は涼の決意を聞いて少し安心した。
「それに、お腹の子に三冠馬を見せてあげたいから、おれは頑張る」
咲良のお腹を優しく撫でる。
まだまだ目立たないお腹を見て一つの不安を口にする。
「本当に菊花賞の後で良いのか?」
「その頃から安定期ですし、お腹も目立ってくると思うし、それに……」
「それに?」
「菊花賞の祝勝会で言いたいから」
「なるほど、じゃあいっその事、式を菊花賞の週明け火曜日の祝日にしよう。全部ひっくるめてお祝いしよう」
「そのためには、残りの小倉開催頑張ってね」
「任されよう」
///
夏の小倉開催は大盛況のうちに終幕した。
単純な売上は前年比200%だったという。
とんでもない売上だ。
9月3日に美浦に戻ってきて、件のテイクミーハイヤーの様子を真っ先に聞いた。
藤村師曰く、いい塩梅、予定を前倒して11月に出ても大丈夫なくらいとのこと。
でも予定通り12月の有馬記念当週にデビューするそうだ。
初めて間近でテイクミーハイヤーを垣間見て息が漏れた。
なんていい馬だろう。
「2代父サイレントハンターだし逃げかなあ、先行かなあ」
とニヤニヤしながら早速作戦を考える涼。
涼の有力2歳馬はこの馬だけではない。
エージェントのマックスが次々と新馬戦を持ってくる。
小倉開催中も小倉の新馬戦で涼を見ない日はなかった。
その中でも涼が一番惚れ込んでいるのがテイクミーハイヤーなのだ。
「そうそう、國村先生がアドミラルエヴォルを頼みたいんだそうだ」
「え? エヴォル? どこ使うんですか?」
昨年の秋天馬アドミラルエヴォルは今春香港からロイヤルアスコットを転戦していたそうだ。
しかしどうも戦績は良くなかったようで、秋は国内に戻ってくる。
「富士SからマイルCSだって」
「あからさまにおれの使い分けなローテだ」
「本当は都築くんに話が行くはずだったそうだけど、先約がいるそうでね。挨拶に行ってくるといいよ」
都築、その名を聞いて、涼は一目散に國村厩舎へ急いだ。
「先生っ、アドミラルエヴォル乗ります! 乗せてください!!」
秋の期待馬が続々と厩舎に戻ってきている。
一足先に入厩していたエヴォルは富士Sに向けて軽く追い切りを始めていた。
ブライアンズハートは毎日王冠を一ヶ月後に控え、徐々に乗り運動を開始しているそうだ。
何しろ怪我明けである。
屈腱炎明けで初戦どこまで走ることが出来るか。
毎日王冠を選んだのは、1800が丁度よい距離だと判断されたためだ。
他にオールカマーが考られたが、難しい中山より鞍上も適正がある府中に、とそんな感じでトントンと決まった。
それ以上にシンザヴレイブが京都大賞典に出ることから厩舎の使い分けで毎日王冠だそうだ。
「牡馬は整ってるけど、牝馬路線貧弱だな」
涼のスケジュールを眺めていた潤が漏らす。
「だったらハイウェイスターかディライトスター回してくれよ」
「それは別問題。その2頭、海老原さんだから」
「じゃあレディブラックは?」
「吉川さん」
「ロサ……はもう無理か」
「それも今じゃ吉川さん」
潤の容赦ない返答に涼は縮こまる。
と、そこへ息せき切ったマックスがやってきた。
「このマンション階段キツすぎ!! クール! セタブルーコートの全姉がエリ女に出るって! クールの名前出してきたよ!!」
「セタブルーコートが秋華賞勝ったらどうするつもりなんだ」
この秋の牝馬路線はセタブルーコートしか乗り馬がいないが、セタブルーコートが秋華賞を勝つ可能性は十二分にあるため、路線が被らないか心配である。
「ブルーコートは秋華賞走ったら、香港!」
「で、なんて名前の馬なの?」
「セタデュアルビート。5歳牝馬。G1勝ち無し」
「ふーん、準オープン馬か。この賞金でエリ女通るか?」
潤が訝しげにマックスを見やる。
「除外対象になると思うけど……クールの強運で乗り切る!}
「おれ自身も怪我明けなんだがな」
「小倉リーディングジョッキーがまだ怪我を言い訳にするの?」
小倉リーディングどころか全国リーディングでも1位2位を行ったり来たりしている。
リーディングジョッキー圏内である。
「あとね、今年の秋G1は少し状況が違うみたい」
「ん? 何も聞いてないけど……」
「ジャパン・オータムインターナショナル対象レースに例年以上に外国馬が参戦するんだって」
ジャパン・オータムインターナショナル対象レースはエリザベス女王杯、マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップ、チャンピオンズカップの4レースだ。
国際招待レースであり、特にジャパンカップは外国馬誘致に力を入れている。
しかし、近年、外国馬の参戦は目に見えて減っており、最早国際招待レースの体を成していなかった。
中央が力を入れて、賞金増額、有力スポンサー契約、外国馬優先出走権付与などを行っている。
今年は凱旋門賞と英国ダービー、キングジョージ、ケンタッキーダービー等の世界的レース優勝馬に優先出走権を付与した。
去年、英国ダービー馬にして凱旋門賞馬ロビンソンのジャパンカップ優勝で、今年国外からの参戦表明が増えたそうだ。
そしてケンタッキーダービー馬もチャンピオンズカップに出走表明している。
当馬はブリーダーズカップクラシックを出走したあとに来日するらしい。
「これ、おれ全部勝たないと示しがつかないな。外国馬には悪いけど。凱旋門の借りを返さないと」
「もちろん、クールには全部勝ってもらって、僕の名声も上がる! 望くんのエージェントにもなりたい」
「望の今のエージェントは敏腕とは言い難いからなあ」
それでもG1を複数勝っている望も大概である。
「そういや、望、北海道遠征どうだったのかな」
「連絡無いな。WASJはいい線いったけど。七海に会いに行ったんだよな」
今年は望が北海道の八島ファームに行った。
望は七海のことを慕っているから、涼はわざと望が行くように仕向けた事になっている。
神代兄弟が北と南で無双していたようだった。
次男潤は担当馬が八面六臂の活躍を見せていたようだ。
この夏、神代父、久弘は望の活躍も有ってか関西リーディング調教師でいい位置にランクインしていた。
とにかく神代家が活躍した夏であった。
「まあとりあえずアニキはセントライト頑張れや。トゥザの試金石だぞ」
「こういう追い詰められていく感覚嫌いじゃないな。どんどん追い詰めてくれ」
そうして週末の土曜日。
牝馬三冠レース最後の関門秋華賞への優先出走権を巡るトライアルレース紫苑Sがやってきた。
春にオークスを勝ったセタブルーコートは関西馬ながらここに登録した。
桜花賞馬三頭は揃ってローズSを選んだ。
この紫苑Sに出る有力馬は最早セタブルーコートだけだ。
中山競馬場でのこのレース、涼は3度優勝している。
涼本人はこのレースのリピーターでも、その後秋華賞には乗ることが出来ておらず、馬自体は秋華賞で好走している。
今年初めて有力馬で秋華賞に臨むことができそうだ。
今頃ネットではこう言われているだろう。
セタブルーコートは3月デビューのしかもダートで更に芝のオークスを圧勝した変態と。
セタブルーコートの父はシンボリクリスエスである。母馬は芝の中距離馬であった。
娘のセタブルーコートはダートも芝もいける二刀流だそうだ。
紫苑S、1番人気セタブルーコート。
危なげなく、優勝。秋華賞獲り2冠に向けて視界良好。
翌日のスポーツ欄見出しであった。
さて今週末は3日開催である。
涼のメインとも言えるレースは月曜日祝日のセントライト記念だ。
週中頃の、最終追い切りを終えて、今までの追い切りの時計を見比べてみる。
春までは11秒を出したことがなかった。
シーザスターズ産駒であるというより、重い欧州血統はでは日本の軽い馬場には合わないのか時計の裏付けが出ない。
しかし秋口、入厩してからというもの、11秒台を連発するようになっていた。
追い切りの日に、小雨が頻発したというのもあるが、全体的に馬体が成長している。
中長距離の馬体に進化したと言うべきか。
最終追い切りは12秒台に収めたが、臨戦過程で、セントライト出走メンツの中で一番の調教時計を持つに至った。
このレース、相手役はダービー馬スバル。
しかしスバルは菊には行かないと明言されている。
秋は天皇賞だそうだ。
ダービー馬の秋初戦ということもあり、スバルは1番人気に推された。
その下2番人気にトゥザスターズ。
その下は、春目立たたなかったクラシック出走馬たち、そして夏の上り馬たちが犇めいている。
スバルには再び望が乗る。
朝日杯から考えて、一度ダービーで逆転されているがここは負けられない。
菊花賞路線を行くものとして優先出走権はもとより勝ちに行くしかない。
今度は追い込みを封じる。完璧なラップを刻んで最後突き放す。菊花賞の予行演習だと頭に言いつける。
やがて時間になり、パドックで周回していた馬たちが、それぞれ騎手を乗せてゆく。
涼はパドック周回中、一頭の馬に目をやった。
サトミシーファイア。
長距離実績があるシーファイア産駒。
春のクラシックは良いところがなかった。
鞍上は主戦の天照歩稀。
トゥザスターズと同じ逃げ馬。
どちらが主張するか。涼にはもとより作戦があった。
番手をとる。大逃げを見て、次の馬群を番手で引っ張る。
最後は逃げ馬を捕まえて突き放す。
そう、逃げだけに囚われていたところからの脱却だ。
キレないから逃げる、ではなく、長い脚を使って消耗戦に持ち込む。
この逃げ馬サトミシーファイアが菊路線だから考えられた戦法だ。
各馬が続々と馬場に入ってゆく。
気合のノリが良いのかトゥザスターズは勢いよくウォームアップする。明らかに春より状態が良い。
中山競馬場芝2200m朝日杯セントライト記念G2、菊花賞トライアルレース。
フルゲート18頭。
正直、涼は1番人気スバルは眼中に無かった。見据えるのはターゲットにしているサトミシーファイアだ。
ゲート前まできてトゥザスターズは一転落ち着きを払っている。
「よしよし……」
コーナー4つだが皐月賞よりも1ハロン長い。奥まったところがスタート地点である。
「朝日杯セントライト記念G2、体制整いました。今ゲートが開いてスタートっ!」
トゥザスターズはロケットスタートを決めるが出たなりで、そこまで押さず3番手につけた。
「先頭はサトミシーファイア。3馬身開きましてファイターソウル。少し離れてトゥザスターズはこの位置。ダービー馬スバルは最後方といった形で、先団は第1コーナーを回ってゆきます」
「先頭サトミシーファイア、1000mの通過は59秒5。淀みないペースで逃げています。5馬身後方にファイターソウル変わらず後ろにトゥザスターズ。半馬身後ろにグランドフリート。外目をついてファランクス。残り800m! スバルはまだ後方!」
涼は8のハロン棒の通過を見て、手綱を緩めた。ゴーサインである。
トゥザスターズはペースをどんどん上げていく。
サトミシーファイアのセーフティーリードが無くなってきたところで、残り200m。
トゥザスターズが馬体を併せる。
「トゥザスターズ! トゥザスターズ! 更に大外からダービー馬スバルが追ってくる! あと100m! トゥザスターズ持ったままだ! スバル届かない!! トゥザスターズ、ゴーーーーールインッ!」
よし、と内心ガッツポーズをする。
思った通りの結果になった、試行錯誤の騎乗で漸く道が開けた気がした。
見事、菊花賞の優先出走権を手にした、トゥザスターズ陣営は、予定通り菊花賞に向けての抱負を語った。
翌日の火曜日。
國村厩舎のダービー出走馬マジカルフレアが神戸新聞杯に出走するので、主戦のアルスは当馬に乗りに行っていた。その追い切りに付き合わされたのが涼だった。
「そういえばさあ、アクアオーラってどの路線に行くんだ?」
ふと思い出し、アルスに聞いた。
今年ダービーに出走した牝馬、アクアオーラはこの秋の予定がまだ発表されていなかった。
「あの馬は秋華賞からJCだヨ。秋華賞はともかくJCは僕じゃないケドネ」
「そうかあ、秋華賞は桜花賞馬とオークス馬とダービー2着馬の戦いかあ」
「ただでさえ桜花賞3頭同着が前代未聞なのに、その中からダービー2着馬が出てくるなんて凄いヨネ」
「ん? 秋華賞乗って、ジャパンは乗らない? じゃあアクアオーラは誰が……」
「僕も詳しくは分からないケド、短期免許の人らしいネ」
今年の秋競馬は大きいイベントになると言われていた。
遠征してくる馬も一流なら短期免許で来日する騎手も一流なのだろう。
涼はまだ知らなかった。
この秋再び、あの外国人騎手と相まみえるとは。
9月最終の日曜日。
中山競馬場ではスプリンターズSが行われ、人気の通りコーセイスピリッツが勝利しこのレース連覇、春秋スプリント連覇となった。
スピリッツを勝利に導いた騎手、都築未來はインタビューでこう言った。
「今年の秋はライバルと決着をつける舞台があると思います。まずこの1戦いいスタートを切れてよかったと思います」
神代涼への宣戦布告だった。
レットローズバロンは菊花賞へ行き、古馬セタグリーングラスは秋古馬王道を行く。
トゥザスターズとの決着、そして古馬王道の決着をつける時が来たのだ。
///
10月6日、日曜日、東京競馬場。
この日の観客の入りは満員。何故かと言うと、この日の府中のメインレース「毎日王冠」は二冠馬ブライアンズハートの復帰レースだった。
1番人気ではあるが、以前のような圧倒的な支持率ではなく2倍台に落ついている。
対するは同期の菊花賞馬ローゼンリッターとアドミラルネイビー、一つ上のシンザクロイツ、マジシャンズナイト、牝馬からエンシンブレスとエンシンローズの2頭出し。
とんでもなく好メンバーで、いかにもスーパーG2であった。
そんな毎日王冠の一週前追いきりの話題はやはりというかブライアンズハートで持ち切りだった。
というより、帰厩した週からマスコミが張り付いていた。
8月3週に藤村厩舎に帰厩したブライアンズハートは、脚に負担をかけないように入念に調整された。
結局、鞍上は涼に落ち着いたが、マックスがこの話を持って来るまでは、次走鞍上が都築未來か天照歩稀になる予定だったという。
で、未來は先約にセタグリーングラスがいるし歩稀にはローゼンリッターやシンザクロイツがいるので端からこの2人になる可能性は無かった訳だが。
肝心の1週前と当週の追い切りだが、陣営からすると十分の時計。しかし、マスコミからしてみたら全盛期の時計にはとても見えなく、競馬新聞紙面にはブライアンズハート早熟の文字が踊った。
そのどちらの追い切りに乗った涼が太鼓判を押しているので単勝1番人気に推移するに至っている。
東京のメインレース、11R毎日王冠。
1800mの重賞はブライアンズハートにとって初めての挑戦だった。
いままで走ってきた距離は2000だったり2400だったり1600だったり、種牡馬として有用な距離を使われている。
天皇賞秋に向けての重要な前哨戦で早くも有力どころが激突することになり前述した通りとんでもない客入りだった。
スタート地点で周回するブライアンズハートの背に乗りながら、物思いに耽る。
この場に立てるのはハートに関わった全ての人のおかげであり、自分がまたハートに乗ることが出来たのは偏に心田オーナーの信頼とマックスの人力があってのこと。
感謝してもしきれない程、胸にこみ上げてくる物がある。しかしそれはゴールしてからぶちまけることにしようと心に誓う涼。
やがてファンファーレが鳴る。
イレ込んでいない。
発汗もない。
しかし、ハートは怪我のあと脚元を少し気にするようになり陣営はシャドーロールの装着を決めた。
よってこの毎日王冠からはシャドーロール着用となる。
シャドーロールの効果か、脚元を気にすることなく落ち着き払ってゲートインした。
このことについて涼は少し気分が高揚した。
シャドーロールの怪物の孫がシャドーロールを。
勝負服と同じ模様のメンコに白いシャドーロールが映えている。
ゲートの中で深呼吸をする。2枠3番。
奇数番の先入れなので少し時間がある。
軸を意識して姿勢を正す。
大外が枠入りして体制完了となる。
『今この場にいる全員が待っていたことでしょう。二冠馬ブライアンズハートが再び府中の舞台に立ちます。それを受けて立つ歴戦の勇士たち。体制完了! スタートしました。エンシンローズ好スタートから先手を伺います。ブライアンズハートはスッと後方に下げます。注目の一角ローゼンリッターは中段で構えています。そしてドバイターフ馬マジシャンズナイトは2番手につけました』
『そういった感じで先頭は1000mを通過59秒2。エンシンローズ軽快に飛ばしています。各馬第3コーナー大けやきを回って第4コーナーに差し掛かります』
まだだ。
まだ行かない
『先頭直線に入ります! 残り500m、府中の坂です! ブライアンズハートはまだ来ない。ローゼンリッター追い出しにかかります。と、ここでブライアンズハート神代涼が動いた! 内を突いて上がってきた! 前とは5馬身! 4馬身! ローゼンリッターも続く! ブライアン! リッター並んだ! 二頭の追い比べ! どちらも譲らない! 並んだままゴールイン!』
内のブライアンズハート、外のローゼンリッター。全く並んでいるが。
「先輩っ!」
歩稀がリッターをクールダウンさせながら近づいてきた。
「天照くん、君のほうが勢いがあったかな」
「いえ、先輩も脚色は同じだったかと」
ともかく、検量室に行かねばならない。
府中の地下馬道を通って指定エリアに戻ってくる。
ローゼンリッターが1着エリアに入り、同陣営は勝利を確信している。
一方ブライアンズハートは2着エリアに入りつつも勝利を信じて写真判定を待っていた。
判定は意外にも早期に決着した。
ハナ差、優勝はブライアンズハート。
写真にはブライアンズハートの鼻面がほんの少しだけ決勝線を越えていた。
スタンドは大歓声が巻き起こった。
馬券の勝ち負けに関係なく、二冠馬が戻ってきたことが観客の感動を誘った。
「久しぶりですがよく折り合って走れたと思います。反応も良くて流石だな、と。まだ、前哨戦なんで、本番でどうなるか分かりません。でもブライアンズハートは戻ってきました、秋は全て勝つつもりでいきます。応援よろしくおねがいします。ありがとうございました」
歓喜の勝利ジョッキーインタビューに卒なく答える涼。
インタビューを終えて、心田オーナーが涼に声をかけた。
「流石だな。安全運転だったが、いい内容だったよ。おめでとう。天皇賞も頼むよ。主戦ジョッキー神代涼」
それだけ告げてクール去っていった。
口取り式では凛々しい姿で登壇し、自分の所有馬を讃えた。
明けて月曜日。
「凱旋門賞ロビンソン連覇ですね」
咲良が朝食の準備をしながら涼に話しかけた。
昨晩は凱旋門賞がフランス・パリで行われた。結果は4歳牡馬ロビンソンが連覇という形になった。
「ジャパンカップに来るかな?」
ロビンソンは去年、ジャパンカップに招待されて優勝までしている。
咲良がいろいろと思いを巡らせている。
あれから1年経ったのだ。
幸いにして涼もブライアンズハートも無事に生活している。あの日を糧にして今を生きている。
「来るといいな。ロビンソンとは決着をつけたいし」
ロビンソンとブライアンズハートの対戦成績はG1に限ると1勝1敗の五分。
英国キングジョージ、仏国凱旋門ときて決着をつける舞台は東京のジャパンカップになるだろうと涼は思っていた。
「今年の秋って一大イベントなんですよね。アディントンさんやマックスウェルさんが短期免許で来日したり」
「中央も力入れたよな。凱旋門賞馬にケンタッキーダービー馬が来日なんて、近年じゃ信じられないよ」
ロビンソンの主戦騎手アーサー・アディントンと今年のKYダービー馬の主戦ビリー・マックスウェルが短期免許を取得したというのを秋口に聞いた。
再び相まみえる、国を超えた名手の集い。
アーサーは取材の中でこう言ったという。
「決着をつけるために日本に行く。グランプリ・アリマまで日本にいる予定だ」
ブライアンズハートに立ちはだかる最後の壁としてライバルが君臨する。
予定としたら、ロビンソンはジャパンカップに出走するだけで、アーサーはジャパンカップ後も滞在するそうだ。
もしかしたら、古馬王道で意外な馬を任されるかもしれない。
欧州の星、アーサー・アディントン。
スナイパーキッド、ビリー・マックスウェル。
そして東方の光、リョウ・ジンダイ。
海外の競馬専門紙ではそう並び称されるまでになっていた。
「いずれにせよ、10月のレースは勝ちきらないとな」
「そうですよー。式は再来週に迫ってるんですから」
咲良の左手の薬指にはプラチナの指輪が光っていた。
少しづつ、お腹も目立ってきただろうか。
菊花賞が終わったら全てを発表して休養生活に入ることが決まっている。
ファンの間では公然の秘密となっているが、不思議と週刊誌などには報じられた形跡がない。
虹の彼方の民度は高い。
「秋華賞、菊花賞、3歳戦も終わりだなあ」
「あっという間でしたね。トゥザスターズなんてついこの前まで2歳だと思ってたのに」
「ブライアンズハートのデビューが2年前だなんて考えられないな……時間の流れは早い」
今年の2歳戦でさえ折り返し地点なのだ。
競馬界の1年は長いようで短い。
式と言えば先月中ごろ、二人は東京で式の衣装合わせに行っていた。
咲良のドレス姿を見た父陣一は感極まって泣き崩れた。弟の流真はそっぽを向きながらも咲良の姿を褒め称えた。
陣一も警察庁次長を勇退して、悠々自適な生活を送っていた。
そんな中でようやく、長女の晴れ姿を見ることができるのだ。苦労して育て上げた愛娘である。本当なら、嫁にやりたくないだろう。
涼とでさえ、最初は猛反対していたのだ。
しかし娘の幸せを考えて、結局折れた。
咲良の母菜々子曰く、陣一は素直ではないけれど二人を祝福している、涼のことを実の息子のように思っている……そう涼に耳打ちした。
衣装合わせを済ませ、家族と別れた二人はなんの気なしに東京の街を散策した。
変装も程々に気づかれないように休日の一般人となった。
「久しぶりだなあ……あなたとこうやって街歩きするなんて」
「ん? そうだっけ?」
秋の陽気の良さから気分も上向き加減だ。照れ隠しもあるだろうが、素っ頓狂な声を上げる涼に咲良は少し膨れ面になる。
仕返しに意地悪なことを咲良は考えつく。
「衣装、どうでした?」
「似合ってたよ。多分」
「多分? 見てなかったんですか?」
「まさか、しっかりと目に焼き付けたいところだったけど、当日まで楽しみはとっておこうかと思って」
「変なところで口がお上手ですね」
「まあ、それなりにインタビューこなしてるからな」
ここのところ、勝利ジョッキーインタビューで神代涼騎手を見ない日はなかったくらいだ。
言うべきことも尽きそうで、涼の語彙力が試されるほどになっている。
秋華賞予想オッズで一番人気に君臨しているセタブルーコートが勝ったら何と言うのか密かに予想されている。
もはや、秋華賞は消化試合染みてきたと感じる涼。
春の二冠が濃密過ぎたのだ。
桜は史上初の三頭同時入線。
樫は最年少キャリア2ヶ月での∨にしてデビューがダート戦の馬が勝つという珍事。
「あ、咲良、ちょっと」
「? どうしたの?」
「いや、そこのCDショップ、虹の彼方のコーナーが店先にあるなって」
「あっホントだ。私のベスト盤もありますね」
「咲良の歌聴いて育つ子は贅沢だな」
「なにいきなり言ってるんですか……」
咲良が何か言い返そうとした時、すでに涼はショップの中へ入っていってしまった。
涼の手には「SAKURA・THE・BEST」というCDが委ねられていた。
「どうするんですか? それ」
少し照れながら、咲良は涼に問う。
涼はさも当たり前にこういう。
「これ持ってないし。騎手の仲間に布教しようかと思って」
購入した咲良のベスト盤は、店のキレイなショッパーに入れられて、涼の手に下げられた。
「いやあ、週末の調整ルームが楽しみだなあ」
「私の身にもなってください。恥ずかしい……」
「さて、そろそろお昼かな」
「どこ行きます?」
「知り合いが都内で喫茶店やってるんだ。そこに行こう」
涼の知り合い、と一寸考えて誰だろうと悩む咲良。
喫茶店は文京区の学生街にひっそりと立っており、マスターは若い男性だった。
喫茶店に入った涼と咲良は、マスターにその姿を認められると、ものすごい勢いで特等席に通された。
「やあやあ、久しぶり。神代、今年も調子いいみたいだな」
マスターは懐かしい人物と話しているかのような口ぶりで涼らを迎えた。
涼はマスターの佇まいを眺めて目を細めた。
「まあね。そっちも盛況のようでなにより。何年ぶりかな?」
「学校生以来だから七年ぶりくらいか?」
「そっか、君が退学してからか」
「ああ。と、そちら様は噂の方かな?」
マスターは咲良の方を向いて会釈をし、白湯を差し出した。
「ええっと、お知り合いなんですね。間寺咲良です」
「はじめまして。僕はこいつの元競馬学校同級生、井手秀作(いでしゅうさく)です」
競馬学校と聞いてようやく咲良は納得した。
よく見れば喫茶店のあちらこちらに競馬の飾りがあった。
「秀作は3年生中頃まで競馬学校にいたんだけど、家庭の事情で自主退学したんだ」
「卒業したかったけれど、まあしょうがないね。この喫茶店は元々両親が経営していたんだけど、いろいろあって僕がやっているんだ」
涼から以前、同期の話は聞いていた。
高坂颯斗騎手と涼が美浦に、栗東にあと二人いる。この井手秀作は自らを騎手のなり損ないと自称していた。今では馬術に励んでいるらしい。
「今でもみんなと交流してるんだ。この喫茶店を介してね。栗東の二人が東京に来たときはよく週明けに集まるんだよ。涼とハヤトは何故か来ないけど」
マスター秀作は注文を受けたビーフシチューを皿に盛ってゆきながら話す。
「涼もハヤトも出世したからなかな。忙しくて来られないのか」
秀作は店内に飾ってある涼の日本ダービーの写真と、颯斗の中山大障害の写真を見つめながら呟いた。
「ごめんよ。文京区ってなかなか脚が向かないところで」
「謝るなよ。僕は君たちが活躍している姿を見るのが好きなんだからな。来ないのはむしろ元気な証拠」
そう言ってビーフシチュー2皿を差し出した。
とても美味しそうな出来栄えに、咲良は唾を飲んだ。
「騎手免許の代わりに調理師免許をとった奴だからな」
涼は冗談交じりにそういう。
「当店の1番人気メニューでございますがオッズ推移は穴馬的人気ですよ」
「元返しレベルのオッズだろ」
「元返しったら、払った分しか戻らないだろうが。僕の料理は払った分以上に満足してもらわないと」
と、軽口を叩き合いながら涼らは昼食をとった。
ビーフシチューを味わったあとの、当店自慢の野菜ジュースに舌鼓を打ちながら話題はこの秋の競馬に変わっていった。
秀作は心配していた。
「ブライアンズハートの復帰みたぜ? あれ大丈夫か? ローゼンリッターに結構詰められてたよな」
割と辛勝だった毎日王冠を振り返る。
「手応えは良かったよ。実際問題、3歳の時もこのくらいの実力差だったし。少なくとも2500くらいまではこっちが上だと思う」
「ちょうど有馬で逆転しそうってことか。これから12月まで3レース。特に最後の有馬は注意だな」
「敵はローゼンリッターだけじゃないしな。ロビンソン、セタグリーングラス、そしてシンザヴレイブ」
「そういや、セタグリの京都大賞典は強い内容だったな。シンヴレを抑えての勝利はなかなか評価のしがいがある」
「君の評価は当たるから怖い」
秀作のセタグリーングラス評を聞いて竦み上がる涼。咲良は何食わぬ顔で言葉を返す。
「井手さんって相馬眼あるんですね」
涼はそれを聞いて、大きくため息を吐いた。
「有るなんてもんじゃない。秀作は毎年、セールに駆り出されるほどお得意様のオーナーがいるんだ」
アドバイザーもやっているらしく、大手のオーナーと懇意にしている。
秀作の実家はもともと群馬の大手牧場の厩務員家庭だったらしく、現在はそこから離れているが馬を見抜く眼は幼少期から培われたものだ。
「伊達に三冠馬をみせてもらってないな」
群馬の大手牧場に連なる三冠馬。黒鹿毛のミスターサラブレット。
「だからさあ、いつか君も三冠馬の騎手になってくれよ? そしたらこの店で自慢してやるから。僕の夢は同期が三冠馬の騎手になってこの店でパーティを開くことだ」
それを聞いた涼は、うん、と一つ頷いてコーヒーを口にした。
「で、咲良さんとの式は決まったのか?」
「ん? あれ、秀作んとこにも招待状送ったけど? 来てないか?」
「まじか、ちょっと見てくる」
秀作は涼に店番を頼み、奥の部屋に入っていった。
やれやれとため息を吐きながら残っていたコーヒーを飲み干す。
終始、二人のやり取りを見ていた咲良が、どこか羨ましそうな顔をしている。
「どしたの?」
「同期っていいですね。あー私も同期ほしいなあ」
「虹の彼方じゃ、凛さんと茜さんが同期だろ」
「凛は同期って言うより半期ズレてるし、茜さんは年上だし……。なんというか同じ釜のご飯を食べた仲間が欲しいなって」
「あったあった。これだろう? 招待状。菊花賞の次の日なんてヤバイい日にしたもんだ」
秀作がバックから戻ってきて件の招待状を二人に見せた。
「月曜日に予定つく人いたのか? 僕は行くけどさあ」
「まあ招待状送ったのは虹の彼方関係の人と競馬関係の人だから、平日でも来るさ。出席のはがきちゃんともらってるし」
「涼の意気込みはすごいな。こりゃあ菊花賞のマークを変えないといけないな」
秀作は来週の菊花賞のマークを涼に見せびらかした。
トゥザスターズに▲印。レットローズバロンに◎。スバルに△。
本命レットローズバロンの一週前追い切りの時計について秀作は、とてもいい出来、本番が楽しみと見ていた。
バロンにしろトゥザにしろ関東馬の菊花賞はあまり良くない。
輸送の面を加味して関西馬でダービー馬のスバルが秀作のイチオシ馬だった。
「君はノッてくるとグランドスラムとかやらかすから、秋のG1とんでもないことになるかも。トゥザスターズも要注意っと」
こうして昼中喫茶店にて昼食がてら旧友との談笑をし、涼は咲良とともに美浦へ帰っていった。
帰宅の途、秀作から特製の栄養ジュースと激励の言葉をもらい、一つ約束を交わした。
「僕の予想を覆してくれよ?」
「まかしてくれ」
今週末の秋華賞。最後の追い切りに涼は乗った。
栗東まで飛んでいき、久弘の言葉通りに追いきった。
「涼、最大のマークはアクアオーラだぞ」
「でしょうね。ダービー2着馬だし」
「アクアオーラのダービーの時計とセタブルーコートのオークスの時計は互角だ。京都2000m、今度は中段で差し切るつもりでいけ」
「後方一気から好位差しに? 簡単に行くかな?」
「それはお前の腕次第だ。これでも俺はお前を信用しているんだが」
「そう……頑張るよ」
秋華賞の共同記者会見では、久弘が珍しく強気のコメントを残した。
桜花賞馬、ダービー2着馬、オークス馬、そして夏の上がり馬、18頭の牝馬が集まり秋華賞の準備が全て整った。
セタブルーコートは1枠2番に配された。目下ライバル視しているアクアオーラは1枠1番と同枠隣同士となった。
秋の京都競馬場には、世代戦の最終戦秋華賞・菊花賞というビッグレース、そして3歳馬を交えた古馬牝馬の頂上決戦エリザベス女王杯、秋のマイル王決定戦マイルチャンピオンシップと目が離せない番組が続く。
その第一弾とも言うべき秋華賞は京都の内回り2000mで行われる。
3歳牝馬の三冠最終レースだがクラシック競争ではなく、8大競争でもない。
その歴史は浅く、1996年に「秋華賞」として世代限定戦に入れられた。
元はと言えば3歳限定戦だったエリザベス女王杯を古馬に開放するために、新たに3歳牝馬三冠の最終レースとして創設されたという経緯を持つ。
施行距離は創設時から変わっておらず、勝ち馬の血統は幅が広い。
よって父シンボリクリスエスの秋華賞勝利も現実的に考えて無くはない状況だ。
特に今年の秋華賞は有力なサンデー系がいない。桜花賞馬もサンデーの血が有るにしろ異系血統である。
他陣営のいろいろな思惑が入り乱れて、秋華賞の週末を迎えた。
タモノハイボール陣営――ヤネである藍沢岬は自信満々に調整ルームで新聞を見ながら相手探しをしていた。岬個人の見解では、タモノハイボールはマイルの馬とのことだ。オークスでの惨敗10着は距離によるものと考えていた。
アクアオーラ陣営――アルスローマン騎手は、相手をセタブルーコートではなくゴールドファイアと考えている。なぜかというとせたブルーコートは京都競馬場のコースを走ったことが1度たりとも無いからであり、対してゴールドファイアは、関西遠征を2歳の時点でこなしている。
距離的にも絶好であり、不安要素は見当たらない。
夏の上がり馬が1頭注目馬として紹介されている、3歳牝馬にして夏の函館記念を勝利したブラックタイド産駒コーラルリーフ、鞍上はデビューから都築未來。栗東式知秀厩舎の管理馬。
涼はこのコーラルリーフとアクアオーラを相手役にと考えていた。
なんと言ってもコーラルリーフの一週前追いきりが凄まじかった。その日の栗東の一番時計だった。この時計を見たトラックマンたちはコーラルリーフのマークを重いものとした。
同じ栗東のセタブルーコートは坂路で猛時計を出していたが、コーラルリーフの雨が降ったCWでの3頭併せ、外側での最先入一番時計はみなが度肝を抜かれた。
函館記念のタイムも稍重馬場ながらレコードに近いものだったそうだ。
「アクアオーラとコーラルリーフかなあ」
涼は調整ルームの個室でブリッジの体制をとりながらうんうん唸っていた。
ダービー2着馬に、怖い上がり馬、オークス馬として恥じない競馬をしなくてはいけない。今度は挑戦者を迎えうつ立場だ。
ブリッジ体制のまま考え込んでいると、個室のドアがノックされる。都築未來の声が聞こえた。
「開けるぞ。……なんだ、その体制は……」
「都築、何か用か?」
未來は気を取り直してある話を持ちかけた。
「神代、この秋、個人的に勝負をしないか? 今年のジャパンオータムインターナショナルは過去最大級の行事になるそうだ。その舞台で秋華賞から有馬記念までのG1勝利数を競う。どうだ?」
未來の突然の申し出に、涼はその場に正座で座りながら、深く頷いた。
「その勝負、受けよう。君とはいつか決着をつけなくてはと思ってたんだ。因縁つけられたままじゃどうにもいかないからな」
それだけを告げて、未來は自分の個室に戻っていった。
この時、改めて、涼は都築未來のことをライバルだと再認識した。
翌土曜日の京都の全12レースで涼と未來はそれぞれ3勝2連対を果たし、メインレースをどちらもが掲示板外に飛んだ。
そして日曜日。秋華賞当日を迎えた。
アクアオーラ、タモノハイボール、ゴールドファイア――3頭の桜花賞馬に、1頭のオークス馬セタブルーコートが人気を分け合っていた。
涼が注目するコーラルリーフは6番人気だったが、複勝人気では3番人気だった。
三連系の馬券はセタブルーコートを軸にした馬券が売れているらしい。
パドックでの周回風景は、アクアオーラが一際目立って毛艶がよく完成された馬体に見えた。
毛艶でいえば青鹿毛のセタブルーコートは毛色だけでとても立派に見える。
見栄えが良いシンボリクリスエス、ロベルト系だ。
ロベルト系の母を持つタモノハイボールも夏を越して成長した馬体を見せていた。
上位馬のなかで唯一サンデー系のゴールドファイアは、尾花栗毛が輝いているだけで馬体自体はとても貧相だった。馬体重自体は増えているようだが、アクアオーラらと比べるととても小さく見える。
そういえば、パドックの柵にはファンが作った横断幕が張られている。勝負服を模した横断幕や騎手に当てた横断幕など大小様々な横断幕が所狭しと張ってある。
一つに目をやると、神代最強、と書かれた横断幕があった。
この横断幕を張った人物は大昔から神代家の人間を追い続けている追っかけファンであり、涼もよく知っていた。
その涼への応援の横断幕の隣には「大井魂」と書かれた横断幕があった。
おそらく未來へのものだろう。
セタの勝負服は青地に黄色の山形二本輪、袖は白の無地。
この勝負服の印象が強いのは涼よりも未來の方であろう。
なんと言っても、中央に殴り込んできた南関三冠馬セタグリーングラスの服である。
今年に限って言えば、オークスを中央デビューで勝利したセタブルーコート、つまり今日、秋華賞で走る涼の愛馬が連想される。
京都11レース、秋華賞のパドック周回が終わり、やがて本馬場入場の時間がやってくる。
ブルーコートを曳いて歩いていた神代厩舎の厩務員にアシストしてもらい騎乗する。
力強い足取りで、ブルーコートはターフへ放たれた。明らかに、気持ちが変わったのが分かる。
馬が走る気を起こしたのを感じ取ったのはもしかしたらこれが初めてかもしれない。
ブライアンズハートでさえ、こういった感覚になったことはない。
入れ込んでいると言うわけではない。ただ最高のデキであるということが、最後に久弘と話したときから感じ取れることはある。
青鹿毛、ブライアンズハートの黒鹿毛よりも黒い馬体はピカピカに仕上がっていて、いつでも準備万端、出走待機で京都のターフに現れたセタブルーコートを見た観衆は誰もが息を呑んだ。
返し馬の手応えは明らかに良く、京都の2000m戦に照準を合わせた仕上がりだ。
東京の2400mを勝ち抜いたセタブルーコートにとって2000mは容易く見えるかもしれないが、そこは京都競馬場。コース形態そのものが違う中で、どれだけ適応するか。
15時40分――。
消防音楽隊の関西G1ファンファーレが鳴り響く。
京都に秋の訪れを告げる、第一声のファンファーレだ。
スタンドのボルテージは最高潮に達し、それでいてスタート前の静けさがやってくる。
1枠2番、セタブルーコートがゲートインする。
馬が成長したのか、春に見せた子供らしさはなくなっている。
最後に大外18番にブラックタイド産駒コーラルリーフが入って体制完了となる。
『乙女たちの世代戦最終関門、秋華賞、全馬体制完了です。っスタートしました。気合をつけて出ていったのはゴールドファイア桜花賞馬。続いてコーラルリーフ2馬身後ろ。その後ろにタモノハイボール少しかかり気味か。その後ろ、3頭並んで内側に海外より参戦プリンセスエンゲージ、外側にアマクニ、真ん中ついてソライロ』
『馬群は第1コーナーを回って第2コーナー、向こう流しに入ります。依然として先頭はゴールドファイア。中段にコーラルリーフ、最後方にセタブルーコートとなっています。1000mの通過は59秒1。淀みのない流れで先頭はもう第3コーナーを回って第4コーナー、さあ! 最後の直線です。ゴールドファイアまだ粘る! コーラルリーフが内をついて上がってきている! 更に大外からセタブルーコート、直線一気! コーラルリーフここで交わして先頭に出る! セタブルーコート迫る! やはりこの2頭の一騎打ち! コーラルリーフ! セタブルーコート! 並んでゴ――ルインっ!』
『わずかに! わずかに、コーラルリーフ体制有利!』
「まずは一勝、もらったぜ」
「何も言わない、いいレースだった。それだけだよ。オークス馬らしいレースをした」
涼は心のなかで京都内回りはやはり合わないか、と呟いた。
正直な話、その後の1週間は考え込んで寝られない日が続いた。
高柳調教師、トゥザスターズ最後の一手、逆襲の菊花賞。そんな文字が1週間に渡って紙面に踊っていた。
皐月賞はレットローズバロン、ダービーはスバル。スバルは天皇賞秋へ向かうとされている。
トゥザスターズにとって最後の敵はレットローズバロンになりそうであった。
金曜日の前売り段階で、神戸新聞杯を制したバロン、セントライト記念を制したトゥザ、それぞれに多額の票が投じられた。結果、1番人気レットローズバロンで2・5倍。2番人気トゥザスターズで2・8倍。その下は7倍台の人気になっていた。
土曜日になっても、当日の日曜日になっても支持率が上下することはなかった。
先週、秋華賞で敗れた涼は、ここ一番の騎乗のために、京都コースに慣れるようエージェントであるマックスに無理を言って今週の京都での騎乗依頼を持ってこさせた。
その甲斐あって本日のレースは9レース終わって3勝2連対を成し遂げていた。
10レースで勝利を上げその数字を4とし、11レース菊花賞を迎えた。
淀の3000m戦。
近年では天皇賞春と同じくスタミナよりスピードと瞬発力を試される。
本日の馬場状態は芝ダートともに良。天候は晴れ。爽やかな秋晴れ。緑のターフが秋の風に揺らいでいる。
五芒星のマークがあしらわれたメンコ。そしてスターナイトレーシングの勝負服。
対して芦毛が目立つ馬体に、ハートフルカンパニーの勝負服。
もしかしたら逆の立場だったかもしれない涼と未來。
相手がたとえメジロマックイーン直系のステイヤー血統だったとしても、トゥザスターズは父のために日本のクラシックを勝たねばならない。
父シーザスターズのために。
///
京都競馬場。午後3時40分。3000mスタート地点。
(まーあ、なんとか問題なく、この場に立てたな。先週は負けたけれど、今週このレースだけは負けられない。約束守らないとな……)
『2016年に生を受けた7000余頭の中の精鋭18頭は今日、2019年クラシック最終戦菊花賞、淀の長丁場に挑みます』
『捲土重来を期す7枠14番トゥザスターズ、迎え撃つは7枠15番皐月賞馬レットローズバロン。この2頭の一騎打ちになるのか、はたまた新星が現れるのでしょうか。第80回節目の菊花賞、スタートです』
スターターがスタート台に登って旗を振った。それを確認した自衛隊音楽隊の指揮者はハッと腕を動かす。
自衛隊の一糸乱れぬ演奏を遥か向こう正面で聴きながら、気分を上げてゆく。
『最後に大外のマジカルフレアが入りまして、体制完了。――スタートしました。トゥザスターズ、見事なスタートを切りましたが、行きません、抑えます。ハナを切りましたのは12番ウイニングボール。そのすぐ後ろに1番インターセプター。差がなく3番手にトゥザスターズ、前をガッチリマークしています。最初の坂を登って、今先頭は下りに入りました』
『先団は正面スタンド前を通過します。最初の1000mは1分2秒。かなりゆったりとしたペースでウイニングボールが逃げています。2馬身後ろ変わらずインターセプター、半馬身後ろにトゥザスターズ。切れまして3馬身後ろにホークスアイ。差がなく5番手の位置にサトミサフィール。1馬身後ろゴールドシンディー。中段馬群に15番レットローズバロン1番人気ここにいました』
『第1コーナー、第2コーナーを回りまして、二周目に入ります。おおっとインターセプター、ウイニングボールを交わして上がってゆきます。連れて、ホークスアイも上がってゆく!』
『トゥザスターズとレットローズバロンは動かない! 先頭インターセプターは2周目の坂の頂上で今坂を下ります。トゥザスターズ坂の下りで動いた! 馬群は固まって第4コーナー、最後の直線! トゥザスターズ伸びる伸びる! インターセプターを捉えた! これは強い! その差3馬身! 4馬身! 5馬身離してゴールインっ! 2着にはインターセプター、3着はレットローズバロン!』
『渡せなかった最後の一冠、栄冠はトゥザスターズに輝きました』
『神代ジョッキー、大きくガッツポーズをとります。ウイニングランのトゥザスターズと神代ジョッキーに割れんばかりの拍手が送られます』
検量室に戻ってきて、高柳師と包容を交わす。そしてスターナイトレーシングの代表に挨拶をした。スターナイトにとってみれば初めてのクラシック勝利だった。
それもわざわざ欧州にまで繁殖牝馬をやってシーザスターズの種を持ってきた、執念の馬での勝利だ。
代表は言った。
「この馬を起点にして新たな日本競馬が始まる!」
「その時は今度はトゥザスターズの子供でまたG1を勝ちますよ」
涼は胸を張って言う。代表はバシンバシンと涼の背中を叩いて健闘を讃えた。
その日の夜のニュースで、神代涼結婚というニュースが報じられた。
約束を果たしたのだ。
といっても、これは公然の秘密だったので、それ自体は競馬ファンのみならず大概の一般人は事実を知っていた。
しかしそれでも涼と咲良は祝福された。
自宅に帰ってきて涼はいの一番に咲良に勝利の報告をした。
「咲良っ! おれ、おれ……」
「分かってます。見てましたよ。トゥザスターズも貴方もかっこよかったあ」
「これで気兼ねなく予定通りに式ができるな。あー良かった」
京都からとんぼ返りしてきて、咲良を優しく抱きとめる。
「これからは“3人”で頑張っていこう。おれが、家族を守るから」
翌日、神代家と間寺家の結婚式が執り行われた。
その後すぐ披露宴が行われ、各階の著名人が二人への祝福の言葉を寄せた。
馬主代表としてハートフルカンパニーの心田大志が挨拶を行った。
これまでのこと。これからのこと。そして――11月から始まる一大イベント、ジャパンオータムインターナショナルの抱負と激励。天皇賞春秋連覇挑戦について。
涼は改めて、ブライアンズハートで秋古馬三冠に挑むのだと認識した。精神を正してハートを今度こそ頂点へ。
ロビンソンとの再戦がやってくる。
秋が深まる。
天皇賞秋が週末に迫った月曜日の夜のことだった。
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