第6話北の大地より
一方その頃、東京――大東京芸能事務所では。
「あー次の舞台の台本なんだけど……どうして咲良は機嫌が悪いのかな?」
人数分の台本数十冊を抱えて事務所に入ってきた春原一朗は、皆が和気藹々している中ぶすっと黙っている咲良を見て心配するように言った。
「何もないです……」
咲良のこういった言葉にあきれた表情の黒田凛がこう言う
「神代涼はんと喧嘩したんやて。家族でもないのに世話焼くなとか言われたらしいで」
「ああ……神代くんの動向で咲良のモチベが下がるのはいけないなあ。今度、彼をここに呼べないものかなあ」
春原が悩んでいると、そこに昼食を摂るため外に出ていた畑中社長が戻ってきてこう言った。
「あいつなら、番組企画の打ち合わせで八月にウチに来るぜ」
一同は驚く。特に驚いたのは咲良であった。
「春原には言ったが、夏休み番組企画で競馬ジョッキーがかつての騎乗馬に再会する企画を練っているんだ。で、グランドスラム馬のシンザフラッシュと鞍上の神代涼が選ばれてな。その打ち合わせだよ」
畑中社長は、それでなあ、と続ける。
「事務所の他のタレントでも良いんだが、せっかくだしな、涼と関係がある虹の彼方の誰かにプレゼンターをやってもらいてえんだ」
でしたら、と茜が前に出る。
「うちの馬ですから、私がプレゼンターを名乗り出ますわ」
確かにシンザの冠名を使う神山製作所の社長の娘である神山茜はもってこいの人選だろう。
春原は成るほど確かにと言って納得した顔をした。
「茜は神代くんと接点があるわけだ」
「ええ、勿論ですわ。お父様の代わりにジャパンカップの表彰式に登壇したのを春原プロデューサーは覚えていますわよね? あの時に神代さんとお話をさせていただきました」
「あーそんなこともあったな。シンザフラッシュ五歳のジャパンカップの時だよな」
それだけは春原も覚えていた。競馬学校以来の再会の涼と茜ががっしりと握手を交わしたのをはっきりと覚えている。といっても、もう四年も前のことである。茜を払いのけて私も、と咲良が声を上げる。
「咲良さんはシンザのお馬と何も関係が無いじゃありませんの」
「でもっ、でもっ、私たち幼なじみです!」
「それは超個人的なことで、世間様はそんなこと知りませんわよ?」
咲良と茜は同い年である。根っからのお嬢様育ちの茜と、一族代々東大出の才媛咲良、育ちは違うが全うに張り合っている。
「おーい咲良ぁ、下心が見える気がすんのは俺の気のせいかぁ?」
畑中が笑いながら茶化した。咲良が真っ赤になって否定する。
「気をつけろよな? マスコミがどこで見てるかも分からねえぜ?」
畑中の懸念はそこであった。いやに神代涼に固執する咲良を見て、普通ではないと思っていた。神代涼に他の女性の気があると感付けばすぐに機嫌が悪くなる質だ。好いているのは火を見るより明らかであるが、ここまで来るとストーカーの域だ。恐らく神代涼は咲良の気持ちに気付いていないか、気付かないフリをしているか、どちらかだろう。どちらにせよ、神代涼は咲良のことをそれ程想っていないとみえる。なお質が悪い。
「よし、んじゃあ、サマーシリーズ始まりの函館スプリントSで賭に勝った奴がプレゼンターだ。勿論、茜と咲良だけじゃねえ、虹の彼方一部を除き全員での賭け勝負だ」
一番高額配当を出した奴が勝者だ、と付け加えた。
一頻り話を聞いていた島田花蓮が「あれ?」と口に出す。
「社長さんよお、なんで函館スプリントSなんだ? 宝塚記念じゃいけないのかい?」
畑中には考えがあるようで、終始にやついている。
アンナ・アディンセルが申し訳なさそうに断りを入れた。
「私も入っているのですか?」
「あたりめえよ」
「私こういったことは初めてでよく分からないのですが……」
「あーあー大丈夫大丈夫。ここには神代競馬に感化されて競馬にハマった奴がえらいこといるからよお。教えてくれるぜ? なんなら馬券買わずに予想して高額当てるのも良いからな」
「はあ、分かりました」
そんな中一人、風城百合佳だけが不満をたれている。
「わたしだけ、参加できないっておかしーい! ふこーへー!」
「百合佳、お前は未成年だからな。予想だけでも世間の風当たりは強いんだよ、分かってくれ」
畑中はそう言って、後事を春原に任せ、その日の仕事の一つ、シンザフラッシュ再会企画の打ち合わせへ向かうのだった。
百合佳は春原に聞く。
「春兄(はるにい)、世間体ってことは、これも番組企画?」
「いやあ、違うんじゃないかな? それこそどこでマスコミが見てるか分からないからな」
春原が一同の様子――特に咲良を見ると、事務所のPCにかじりつき、函館スプリントSの情報を早速集めていた。生暖かい目でそれを見ていたが、咲良が「あっ!」と言って立ち上がって春原に詰め寄ってきた。
「プロデューサー! 函館スプリントS、鞍上神代涼の馬が登録されているんですけど!!」
春原はそれで理解した。なぜ、畑中社長は宝塚記念ではなく函館スプリントSに拘ったのかが。咲良が涼のことを切れるか、あるいは信じられるか見たいのだろう。
///
気分上々で北海道行きの荷造りをする涼。六月二週目の日曜日の事だった。
再三言ったが、今日は乗り鞍は無い。明日、月曜日に函館へ発つのだ。
三週目の日曜日に函館で施行されるサマースプリントシリーズ開幕戦「函館スプリントステークス」にコーセイスピリッツで出る。そして、その翌週の日曜日に同じく函館で新馬戦――レットローズバロンで出走する。
その間は帰省せず函館に宿を取り、遠征中に新冠の親戚の八島ファームへ赴く予定だ。
荷造りが粗方終わった後、ふとスマートフォンに目をやる。藤村師からコールが入っていた。
時間的に本日の最終レースが終わった頃だろうか。
急ぎの用事ではないのだろうか。現時刻午後七時過ぎ。心配になったのでコールバックする。師はワンコールで受電した。
「もしもし? 先生、涼です。電話もらったみたいなんですが、何か用事ですか?」
師は焦ったように息を切らしながらこう言った。
『涼くん……ブライアンズハートの夏の放牧後の事なんだけど……』
ハートはダービー後、休養のため故郷の日進牧場へ放牧に出されることになっていた。
「帰厩後はセントライト記念からですよね? ダービー前の打ち合わせで決めましたよね」
ダービー挑戦前の打ち合わせで、ダービーを獲っても獲れなくても秋は菊花賞に挑戦する――というのが厩舎での方針だった。心田オーナーも了承していた。しかし。
『心田さんが、やはり海外遠征したいと言うんだ。僕もさっき連絡をもらってね……』
自分以外誰もいない部屋で、涼は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
冷静に分析を試みる。
「まさかとは思いますが……フランスのアレですか?」
『もっと驚くよ、ローテーションは英国キングジョージ、フランスから米国へ渡り、最後にジャパンカップだって。不可能ではないだけに……君はどう思う?』
涼は更に驚いた。ということは。
「海外遠征ってことは、おれ鞍上から降ろされるんですか?」
『これがまた凄いことに、神代涼に全てを託す、と』
もう追加登録は済ませてある、と心田オーナーは藤村師に伝えたらしい。
「というか、ちょっと待ってください! キングジョージってもう来月末ですよ!? それこそ放牧は1~2週間になってしまいますよ?!」
『ハートはダービー終わってすぐ放牧に出しただろう? 帰厩は七月初週、出立は四日後、これで5週放牧だ。キングジョージまで中約三週……終わったらフランスへ渡って秋はニエル賞ステップ、そして――』
「凱旋門……」
静寂。
「ブリランテみたいなローテ……使いすぎではないですかね……」
酷使し続けると、サイレンススズカやライスシャワーの悲劇のようになりかねない。競走馬生も短くなるかもしれない、と涼は思っていた。
『曰く、距離が長すぎる菊に行くより適正距離の2400で戦いたいとのことだ。正直に言おう、荒唐無稽な話だが僕も心田さんに賛成だ』
「ではおれも正直言うととってもワクワクしてます」
ははっと藤村師は笑って、では、と続ける。
『これはチーム・ブライアンズハートの秘密だ。七月まで黙っていようね』
それではと言って電話を切る。涼は浮かれ気分で荷造りを済ませ、スケジュール手帳とにらめっこを始めるのだった。こうして……史上希に見る世界横断強行軍の日程が組まれたのであった。
翌朝、北海道へ出立の日である。
意気揚々と玄関を出て、階下へ行こうとする。その時、背後から名前を呼ばれた気がしたので振り返る。涼の名前を呼んだのは咲良だった。
「あの……涼くん、まだ機嫌悪いですか?」
変な質問だと涼は思った。
「いや別に……むしろ良い方だけど。どうかしたか?」
それを聞いた咲良は安心して二の句を言う。
「何でもないです! いえ、この前喧嘩したままだったから謝れたらなあって思ってて……」
「喧嘩? したっけそんなの?」
二人は顔を見合わせる。涼は本当になんだそれと言った顔だ。咲良は面食らう。あれこれと説明されて漸く事の本質を涼は理解した。
「あー……安田記念のお祝いがどーのだっけ。ごめん、おれ、あの時別のこと考えてたから滅茶苦茶機嫌悪かったよ。今度、今度な」
「今度って、函館スプリントSのあとですか?」
「まーあ、咲良も耳が早いね。でもおれは今月一杯こっちには帰らないから、七月……も駄目か」
七月は大事な海外遠征が始まる。ブライアンズハートと共に日本を発ち、外国で追い切りをこなすのだ。その間帰国はすれども暇は無い。しかしそのことを幼なじみと言えども他人、しかも芸能界に身を置く咲良に言うことはできなかった。
「ほんとごめん、ここ数ヶ月は本業が立て込んでるんだ。八月! 八月は大丈夫、ちょうど用事でそっちの事務所行くから。虹の彼方みんなでお祝いしようぜ」
涼の中ではサマーシリーズが上手く行くことと、直近のキングジョージを勝てれば考える話しだった。
一方、咲良の見解はサマーシリーズだけの結果で考えていた。
涼が小指を立てて咲良の前に出す。
「約束」
「っはい!」
咲良は喜んで自分の小指も出して指切りげんまんした。
「あっ、引き留めちゃってごめんなさい。北海道に行くんですよね。行ってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」
///
「はーるばる来たぜーっと」
函館ではないが、北海道の地に降り立った神代涼は、ある人物を探していた。その人物は涼にとってとても縁のある知人であった。
「あっいたいた! 神代くーん! こっちだよー」
「英輔(ひですけ)さーん、お久しぶりです!」
新千歳空港のロビーで日進牧場の現・社長である「日進英輔(にっしんひですけ)」と待ち合わせをしていた。
新千歳から新冠までは約104キロ、車移動の時間にしておよそ三時間の旅である。英輔は牧場所有の軽バンで新千歳まで来た。安田記念の日に北海道の新冠は日進牧場へ放牧のため運ばれたブライアンズハートの様子を見に行くため、そして涼が八島ファームへ行くため新冠の牧場関係者の中から日進英輔社長が選ばれたのだった。
「どうです? その後の具合は」
涼は先頃輸送されたブライアンズハートの様子を聞いた。管理する英輔は胸を張ってこう言う。
「まあなんて回復の早い馬だろうね。怪我に悩まされたナリタブライアンの血統とは思えないよ」
「元から怪我してないじゃないですか」
「そう言うことじゃなくて、ハートはもう次のレースに向けて準備が整っているって事だよ。ダービーの疲労がそれほど無いんだね」
「次のレースか……」
英輔は軽バンを走らせながら、物思いに耽る涼を労る。生産者である英輔にも既にブライアンズハートの海外遠征の話が及んでいるのだ。英輔はこの遠征を無謀だと思っていた、内心三冠を夢見ていただけに菊花賞を出ないのは一生産者として悔いが残る。しかし誰も為しえていないキングジョージ六世&QESから凱旋門、BCターフ、ジャパンカップのローテーションは完遂させてみたいとも思っている。二律背反であった。
「でも神代くん、よく海外遠征が決まったよなあ。まだ中山と阪神のグランプリにはトラウマがあるそうなのに、一気に海外に行くなんて……。まあなあ、曲がりなりにもグランドスラムジョッキーだからかな」
英輔は歯に衣着せぬ物言いで通っている、それは涼も分かっていた。だから笑って返せるのだ。
「逆に右も左も分からない海外だからそれ程重圧を感じないですね」
「ますます君が分からないよ。海外G1制覇は日本のホースマンの夢なのにねえ」
「おれも何でまだ宝塚と有馬に苦手意識を持っているのか分からないですからね」
「それ多分PTSDってやつだよ」
はははっと笑って受け流す。確かに、日本の全ホースマンが目指す凱旋門賞になんの重圧も感じずに出られる涼がおかしいのだ。
しばらく車を飛ばし、車窓の風景を楽しむ。どこまでも続く緑の草原だ。関東では見られない貴重な風景であり、幼い時分に連れてきてもらった北海道の地そのものだ。新冠にて待つブライアンズハートに想いを寄せて、一つ眠りにつく。英輔は眠ってしまった涼を横目に見て、微笑みながら車を運転した。
新冠町の役場では――。
神代涼騎手の歓迎パーティの準備が行われていた。日高生産の馬を皐月とダービーに連れて行ってくれた騎手であるから、その扱いは特別なものになる。
「んだあ、おいっこの垂れ幕、字が間違ってるじゃねえか! これじゃ”陣“代涼だぞ!」
「ええっ陣幕の陣じゃねえのけ? 神の方だったのか!」
役場に集まった中小牧場の代表がどんちゃん騒ぎながら涼の到着を待っている。辺りが夕暮れにさしかかったところで、英輔の車が新冠町役場に到着する。
「神代くん、着いたよ」
ゆすり動かされて、ハッと目が覚める涼。
「ふぁああ……すいません、英輔さん一人で運転させてしまって……」
騎手になってしばらくして普通自動車運転免許と自動二輪の免許をとったが車を買う暇も無かった涼はペーパードライバーと言えよう。そんな者に北海道の大平原の車道を走らせることは出来ない。諸々を察していた英輔が敢えて、涼の負担を軽減させるように寝かせていたのだ。
車から降りてまず目に入ったのは、ブライアンズハートの皐月賞と日本ダービー優勝の垂れ幕だった。七海の言った通りだと思った。
役場に入ると、一斉にパパンッとクラッカーが弾けた音がした。役場の職員や町の牧場経営者たちが涼を出迎えた。
「ややっ! 今年のダービージョッキーのご登場だ!」
「日高の星!」
何やら話がスライドしている。日高の星は涼ではなくブライアンズハートの方だったはずだ。
そんな中、場を制するように割って入った年老いた男がいた。
「やめねえか、奴さん今週末にレースがあるんだからよ」
「八島の」
その老人男性を見た涼は、あっと言って、微睡んでいた頭の中から一気に現実に戻ってきた。
「逸樹大叔父さん!」
その男性こそ、神代家と姻戚関係を結ぶ、八島ファーム代表八島逸樹翁であった。
「レースって言や、八島、おめえ、神代と親戚だからって素質馬のレットローズバロンを藤村んとこに優先的に預託しただろう!?」
「さあ何のことやら? それに俺はバロンの馬主じゃねーぜ。一介の生産者だ。バロンの預託を決めたのは心田さんだ」
今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気である。
中小牧場経営者の集まりで、この中では日進英輔は若い方である。中々に口出しが出来ないのだ。涼は英輔に耳打ちする。
「相変わらず、大叔父さんは血の気が多いですね……」
「仕様が無いよ、跡継ぎの活樹(かつき)君が逃げ出したんだからね」
「ええっ! 活樹おじさんが逃げ出した?!」
八島活樹は逸樹の一人息子で嫁持ち二人の娘持ちだったが、逸樹が八島ファームの代表を継がせようとした日に雲隠れした。それ以降、逸樹翁は老体に鞭打って働いている。孫の七海や遥乃の手助けもあり、なんとかやっているのだ。
ちなみに活樹と英輔は幼なじみの腐れ縁で実の兄弟のように育ってきた仲であるから、英輔は人一倍活樹のことが心配らしい。
「知らなかった……うちの爺ちゃんや婆ちゃんに話とか行ってなかったのかな」
なんせ活樹は涼の祖母・珠樹の甥っ子である。話くらいは行ってようものである。が、涼はそんな話は聞いていなかった。先日、上京した七海も言っていなかった。
「いつ頃ですか?」
「えーっと、ブライアンズハートが産まれる一年前くらいかな。丁度種付けシーズン真っ只中だったよ。逸樹さんが――活樹はどこに行った!? って町中探したんだけど遂に見つからなかったんだ」
あの乾坤一擲の種付けの裏にそんな事件があったとは、と感慨に耽る涼であった。
「捜索願とかは出したんですか?」
「八島の名前が汚れるから出すなって、活樹君の奥さんに念を押してたよ」
一連の話を聞いて涼は自分の父親を思い出した。父・久弘もまた逃げ出した人物だった。どこも二代目は重圧があるのだろうかと他人事のように思う涼。神代家に限って言えば久弘は二代目どころではなく明治から数えて五代目にあたるのだが……。それはともかく。
「よお、涼。元気そうだな」
他の牧場主たちをかき分けて、逸樹が涼のもとへやってきた。涼の体を上から下まで見て安心したようにそう言った。
「大叔父さんも。元気そうで何よりです」
「姉さんと義兄さんは元気か?」
北海道から遙か東京へ嫁いだ姉を心配しない日は無いと、逸樹は言っていた。
和尭と珠樹は恋愛結婚だった。姉をとられて和尭に嫉妬した時もあったが、和尭が珠樹を大切にしていると知った日には、そんな想いはどこへやら――以降、神代家と八島家の付き合いは長く続いている。
「和尭じいちゃんも珠樹ばあちゃんも元気ですよ。ばあちゃんは逸樹大叔父さんに会いたがってました」
「そうか。なら良かった。姉さんとはもう五年も会ってねえなあ」
和尭とは競馬業界で近年顔を合わせているらしい。
「そういや涼……海外遠征の話、英輔から聞いたぞ。英輔んとこのブライアンズハートで行くんだってな」
海外G1獲っちまったら日高が祭りになるぞ、と逸樹。
「いつか八島の馬でも海外に連れて行ってやってくれ」
「大叔父さん、レースを決めるのは大抵はオーナーさんか調教師の先生ですよ? おれが次走提言なんて恐れ多くて出来ません」
「じゃあ早く一廉の騎手になるこったな」
しばらく役場にて歓迎を受けたあと、英輔の車に乗って八島ファームまで送ってもらった。英輔と別れた後、同乗していた逸樹とともに八島の門を潜る。
インターホンを逸樹が鳴らしたら、間もなく女性の声と共に玄関が開かれた。
二人を出迎えたのは、逸樹の義娘にして失踪息子活樹の妻「八島遥海(やつしまはるみ)」だった。
「お義父さん、お帰りなさい。涼くんもいらっしゃい。久しぶりね」
「こちらこそ、遥海さんお久しぶりです」
遥海に導かれ八島ファミリーが集う居間へ通された。牧場のすぐ隣に建てられている母屋は、最近建て直したのか、きれいな白い二階家となっていた。広い草原に建っている白い家はなかなか絵になる光景だ。
辺りに牧草の香りが漂っている。田舎の香水はご愛敬である。
「おーい涼ちゃん、いらっしゃい!」
「やあ七ちゃん。早速出来上がってるね……」
八島の親戚が多く招かれていて、既に酒盛りが始まっていた。八島の人間は大酒飲みで通っている。七海も多分に漏れず一升瓶を一人で空にする力を持っている。涼はよく深酒するが、酒量はそれほどでもない。しかし八島の人間は飲酒量も底なしで二日酔い知らずである。嫁である遥海ですら大吟醸を好む。寒い地方の人間は酒に強いという話を昔、祖父から聞いた涼はこれらを見て納得した。
この酒宴の席にある人物がいないことを認めた。遥乃がいない。
「七ちゃん、遥乃ちゃんは?」
七海に頼まれて遥乃に会いに来たのも目的の一つだ。
「あれ? さっきまで、親戚連中にお酌して回ってたのに」
今一度言うが、遥乃は十八、九の少女で勿論未成年である。酒はNGだ。
「遥乃なら、あと三十分くらいで獣医さんが受胎確認しに来るからって馬房に行ったよ」
八島の親戚筋のオヤジがほろ酔いながら、ファームの馬房を指さした。
「じゃあおれが見てきます。八島の当歳馬も見たいですし」
そう言って涼は八島ファームの馬房へ向かった。
///
「……アーズローヴァー、今年も付いてくれると良いなあ」
少女が一頭の繁殖牝馬の前で佇んでいた。繁殖牝馬アーズローヴァーの馬房にはまだ乳離れしていない当歳馬が母馬に寄り添うように立っている。
「大丈夫……あなたのお兄さんは絶対に涼兄さんが勝たせるから……」
この当歳馬の半兄はレットローズバロン。今月末に函館でデビューを飾る。
「競馬に絶対は無いよ」
一人だと思っていた少女は、いきなり背後から聞こえた声にびくりと驚いた。そして更に驚くこととなる。
「っ!! りょ、りょう……にいさん……」
「やっ久しぶり。遥乃ちゃん。何年ぶりだろうねえ……七ちゃんとは電話で話したりするんだけどなあ」
「えっえっとえっと……」
遥乃は赤面して俯いてしまった。
「へえー、バロンの母馬ってこの馬なのかあ。バロンにそっくりだね、流星とかさ」
「この仔の流星はかっこいいから……」
精一杯言葉を紡ぎ出す。レットローズバロンが一番仔のアーズローヴァーは今年、四番仔を受胎確認中であるそうだ。傍らにいる当歳馬も母馬アーズローヴァーに似た青鹿毛と美しい流星が輝いている。涼は息をのんだ。バロンは芦毛だが流星は美しいから、この母馬の遺伝力は凄いと思った。
「今年は何を付けたの?」
「……クールアイバー」
「ごめん分からないや」
「……大井とか地方で鳴らした馬なの。あ……あとミスターシービーの最後の産駒としても有名」
涼は仰天してしまった。現代にミスターシービーの名を聞くとは思わなかったのだ。勿論、当馬は三冠馬で一般人気著しい馬だったのだが、目立った産駒がいない、種牡馬をやっていた時期が悪かったためリーディングも一ケタの経験はない等々の理由により、現代ではあまり名前を聞かなくなった。TTGで鳴らしたシービーの父トウショウボーイですら過去の馬になっている。しかし涼は嬉しくなった。三冠馬の名前をまた聞くことが出来てしかも産駒がこうして後継を遺すための仕事をしているのだ。何の因果だろうか、目の前の母馬アーズローヴァーから生まれたレットローズバロンはパーソロンの直系であるギンザグリングラスの直仔だ。パーソロンといえばメジロ三代の始祖であったり、何よりミスターシービーと一年違いの三冠馬シンボリルドルフの父であるのだ。ルドルフの系統も後継と目されていたトウカイテイオーの急死により断絶の危機にある。もしかしたらもう断絶しているのかもしれない。この時涼はまだ知らなかった、トウカイテイオー産駒の夢ある血統の馬が種牡馬入りしていることを。
このアーズローヴァーからミスターシービーの直系とシンボリルドルフに由来があるパーソロンの直系、もっと言うとメジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーン・ギンザグリングラスと続いている芦毛の馬の直系が世に生まれ出でていることに感動を隠せなかった。それも半兄弟馬としてである。
「あ、まだクールアイバーの仔は生まれてねーや」
自己完結しようとしたが、何かを察した遥乃が制止する。
「この当歳馬もクールアイバーの直仔だよ……」
母の乳を飲む当歳馬。涼と遥乃、二人は自然と笑みがこぼれる。
そんな二人の背後から、すみません、と声が聞こえた。
「あ、村上先生」
アーズローヴァーの受胎確認に来た獣医師の村上重吾(むらかみじゅうご)医師だった。
「なんか、仲が良さそうだったんで、入れなくってねえ。君が関東リーディングトップの神代涼ジョッキー?」
「は、はいっ! 神代涼です」
村上獣医師は頭からつま先まで涼を舐めるように見た。そして納得したようにこう言う。
「そのしっかりとした体、君の財産だ。大切に使いなよ」
「は、はあ……」
ニコリと笑った村上獣医師は、荷物をアーズローヴァーの馬房の脇へ置いた。
「いやあ、参った参った、八島さんちが今シーズンラストだよ」
受胎確認が本日、八島ファームの繁殖牝馬で最後だという。
黙々と牝馬たちを診ていく村上獣医師。最後のアーズローヴァーまで診終わって、遥乃に向き直る。
「遥(はる)ちゃん、全員大丈夫。今年はみんなクールアイバーだっけか? 無事に産まれんと良いな」
それを聞いた遥乃は安堵した表情を見せる。初めて見た受胎確認の現場に涼は、なんとなく神聖な気分になった。母馬の胎内にある命の光は来春、希望の光として生まれてくることだろう。幸いにして、八島ファームの繁殖牝馬三頭は皆、仔出しが良く流産死産も無い。
「こっから生まれた仔らが将来、神代ジョッキーに乗ってもらうこともあるんだなあ……俺は君の爺さんの代から獣医師をやってるが、君の一族の含めて競馬の血の大河を見ている気分だよ」
「それに……」と村上獣医師は続ける。
「このアーズローヴァーの二代前の母の父は、神代和尭ジョッキーが主戦で騎乗して菊花賞を勝ったんだ。面白い話だが、八島珠樹さんとの出会いのきっかけがこのアーズローヴァーの一族なんだよ」
「へえ、祖父も祖母もそんなこと教えてくれませんでしたよ。どんな出会いだったんですか?」
「聞きたいかい?」
「興味はあります。祖父母は滅茶苦茶仲が良いので……」
三人は馬房の近くにある椅子に腰掛け、村上獣医師は昔話を言い聞かせるように語り出した。
「元はと言えばアーズローヴァーの二代前の母、その父馬が神代家と関わりがあったんだ――」
――アーズローヴァーから見たら母母父に当たるのだが、その父馬が現役時代に所属していた厩舎が先代の関東神代厩舎。和尭さんのお父さんの厩舎だ。
馬の名前はなんと言ったかな、確か「ヒノホマレ」だったかな。
「曾祖父の名前は――神代久尭(ひさたか)。話に聞いただけですが名門厩舎だったそうですね」
「ああ、私も獣医師として駆け出しの頃、世話になったもんだ――」
――そのヒノホマレは久尭先生が管理して、主戦として乗っていたのが和尭さんだ。強かったよ彼は。まだグレード制が導入されていなくて、歴史あるレースと言えば八大競争くらいのものだった。八大競争といえば桜花賞・皐月賞・優駿牝馬・東京優駿・菊花賞のクラシックと古馬の天皇賞春と秋、そしてグランプリ有馬記念がそれに相当する。グレード制が八十四年に導入されるまで、日本の重賞レース中最も格が高いレースだった。ヒノホマレはあの三冠馬シンザンが三冠を制した翌年一九六五年に八島ファームで生まれた牡馬で、父馬はセントオー……初代三冠馬セントライトの直仔だね、そして母馬は……いわゆるシラオキ系の牝馬だ。ヒノホマレはこの血統背景から活躍を期待された。結果的に、神代久尭厩舎で神代和尭ジョッキーの導きで菊花賞、有馬記念、創設されて新しい宝塚記念を勝った。そして八島ファームに帰ってきて種牡馬入りだ。初年度産駒こそ振るわなかったが、何年か経ってアーズローヴァーの母の母を出した。名前はナノハナ。この馬も神代厩舎に入ったんだがあまり結果が出せずに繁殖入り、その何番目の子供かは失念したが、何年か後生まれたのがアーズローヴァーの母だ。この馬はデビューからオークス一本狙いで、本番まで無敗、府中の2400をその年のダービーよりも速い時計で勝ったんだ。その時の担当調教師が代替わりした神代和尭厩舎だね。。
面白い話だが、ヒノホマレ産駒の中に二冠馬カゼキリがいる。そして和尭さんが初めて天皇盾を戴いた馬はナノハナの三番仔ハヤテだ。ヒノホマレからつながった関係がカゼキリとハヤテで結実したんだよ。
それでカゼキリが菊花賞を勝った数日後に、和尭さんが八島ファームにやってきて、こう言ったのさ。――カゼキリの菊花賞をあなたに捧げます、結婚してください。私は競馬しか能が無い男だけれど、あなたを幸せにしてみせます。そして八島ファーム産の馬を天皇賞馬にしてみせます――とね。そしてハヤテが春の天皇賞を制した。
競馬界的には隠れた世代で次の七十年代に入るとTTGが出てくるんだが、あの時代は楽しかったなあ。
「――どうだい? 面白かったかい?」
涼は一頻り話を聞いて、ため息をついた。
「神代家の血統の裏に、八島ファームの馬の血統在りきですね。大河ロマンを聞かされた気分です」
「遥ちゃんはどうだった?」
「素敵です……神代の大伯父様……私も言われてみたいです」
プロポーズの場面を思い浮かべているのか、恍惚とした表情の遥乃。
一方、涼は、あの爺さんにそんな過去があったなんてと、現代とのギャップに苦しんでいた。
「そうか……アーズローヴァーの16に君が乗るのか。それもまたロマンだね。どうだいよぉ、遥ちゃん、神代涼くんに嫁にもらっていただくのは」
涼はギョッとする。
「へええ!! わっ、私なんか……涼兄さんと釣り合わないです……」
「そうかな、和尭さんは喜ぶと思うけどなあ」
村上獣医師がそんなことを言っていると、馬房に何者かが入ってきてこう言った。
「重吾、俺の孫はまだ結婚は早いぜ。まあ相手が涼なら文句ないがな」
「逸樹の旦那、冗談だって」
逸樹翁はパイプ椅子にドカッと座って、話の輪に入る。
「んで、義兄さんの話をしてたのか?」
「おうよ。和尭さんの若い頃は競馬も面白かったなあって」
「今だって面白いだろう。ブライアンズハートのようなメジャー血統ではない馬が走ってるんだからな」
改めてブライアンズハートの血統構成を涼は思い出した。ブライアンズタイム――ナリタブライアン――キングオブハート(ブライアンズハートの父)というロベルト系の父系。キングオブハートの母はサドラーズウェルズの牝馬、この時点でノーザンダンサーとヘイルトゥリーズンのクロスがそれぞれ起きている。ファミリーラインはこれもまたサドラーズウェルズの牝馬がいる。その牝馬にトニービンをつけて生まれた牝馬にサンデーサイレンスをつけた結果生まれたのが、ブライアンズハートの母アイオブユアハートである。キングオブハートもアイオブユアハートも心田オーナーの馬であるから、この血統は心田血統と馬産地で呼ばれている。ここまでのインブリードはサドラーズウェルズ、ヘイルトゥリーズン、(ノーザンダンサーの多重クロス)だ。
血が重すぎるにも程があると涼は思った。
「日進のとこのアイオブユアハート、今年はキングカメハメハを付けたようだな。受胎してたか?」
「ああ、バッチリだよ。面白い血統だよなあ」
「というか、サンデー牝馬に付けるのにキンカメは相性が良すぎるんだよ」
逸樹翁と村上獣医師の話は続く。
「逸樹の旦那んとこのアーズローヴァーの仔とどっちが面白いことになるかな」
「普通に言や、日進のアイオブユアハートの仔だろうな」
「それにしたって、旦那がクールアイバーをまた選ぶとは思わなかったよ。あの当歳馬も順調だしいよいよミスターシービーの時代かね」
「そう簡単にいかねえのが競馬よ」
「そりゃそうだ」
老人の会話にいまいち入っていけない涼と遥乃は、その老人二人の会話を勉強がてらに聞くことにした。涼の知らない昭和の競馬。それを知る八島逸樹と村上重吾獣医師。
それからしばらく過ぎ、時間はすでに一八時をまわった。夏が近づき、日の入りが遅くなっている。辺りはまだ仄かに明るい。時間を確認した村上獣医師は「いけねえ」と言って帰ってしまった。残された涼、遥乃、逸樹翁は宴会の席へ戻り、そして涼は八島家総出で歓待を受けた。
風呂の時間を告げられ、姉妹と鉢合わせてはならないと、そそくさと入浴する。八島家の風呂は釜風呂であった。釜の番をしているのは先に入浴を済ませた七海である。涼は、湯冷めするから番はかまわないと言ったが、夏なので大丈夫と返された。
「それで、どうだった?」
壁越しに屋内外で会話をする。
「なにがー?」
「遥乃のこと」
「あー……七ちゃん以上に馬に真剣だね」
「でしょー! あの子、涼ちゃんに会えて良かったって言ってたよ」
「それはなにより」
「それでね……しばらく美浦で遥乃の面倒をみてくれないかな?」
ズルッと湯船の中で転ける涼。
「なにそれ、どういうこと?」
涼の問いかけに、釜に薪を投げ入れながら七海は言った。
「本人の望みでもあるんだけど、このまま実家の牧場手伝っててもしょうがないでしょ? だから中央で何か仕事がしたいんだって。それで、涼ちゃんの伝で美浦トレセンで研修とかできないかなって」
「いや、だって、中央競馬は基本的に競馬学校出てないと厩務員とかにはなれないよ。おれも一家の伝で競馬学校に入れたけど、さすがに神代家の伝で八島の人間を入れるとか無理だと思うよ?」
基本的に縁故の世界の競馬界で新参者が入り込むのは難しい。いくら生産牧場の家の子供だからと言っても、直接、中央に縁故がないと入ることは難しいと涼は説いた。縁故と言ったが、世襲の世界でもある。神代久尭曾祖父の二代前が、御維新の後に「陸軍騎兵の神代総本家」から分かれ近代競馬の世界に入った。この流れが中央競馬界に燦然と輝く血を持つ「競馬の神代家」である。この「競馬の神代家」という流れは本来分家筋であるのだが、軍が解体され職を失いかけた総本家に代わるように表に出てきたため、こちらの家の方が知名度は高い。総本家は現在、皇宮護衛官家として皇宮警察騎馬隊を務めているが、現在涼の一家とはほぼ行き来がない。と、まあ神代家は明治の昔より中央競馬に縁がある故に涼もこうして騎手として務められているのだ。
「姻戚関係の間柄で、おれとは又従兄妹同士……んー、おれがいる厩舎の先生に言ってはみるけど期待しないでね」
しばらく考え込む涼。会話が止まりなにか居心地が悪くなった七海がしびれを切らして話しかける。
「えっと! ブライアンのこと、私も聞いたよ。海外行くんだね」
「え、ああ、うん。意外かな?」
ブライアンズハート陣営と日進牧場の人員、そしてその隣の牧場の人間――神代の身内が知るのみの海外遠征。
「ううん。全然意外じゃないよ。この前、心田オーナーが新冠に来て話してくれたもの。ブライアンズハートは重いダービーの馬場でフォトンインパクトが逃げてハイペースになったのにも関わらず上がり最速三十三秒の脚を使った、疲れもなくて、欧州適正はピカイチなんじゃないかって」
ああそういえば、と、ブライアンズハートの12Fのラップを思い出すのであった。あのレースは確かに他馬をちぎっていた。それもロングスパートからの上がり最速だ。力のいる馬場で到底予想もつかないような勝ち方する馬――ひょっとするともしかするのかもしれない。そう思う反面、三冠レース最後の菊花賞を逃して良いのだろうか、世間が許すのだろうか、思い悩むところであった。菊花賞は単純に「強い馬が勝つレース」である。スピードの皐月賞、運のダービーとはまるっきり違うレースだ。
たまたまスピードのある馬がブライアンズハートだった。
たまたま運のある馬がブライアンズハートだった。
純粋に力が求められる菊花賞を回避したとあっては、世間からは「逃げた」と揶揄されないものか。
では、世間をひっくり返すには、海外で結果を出さなければいけない。
キングジョージ六世&クイーンエリザベスステークスというレースは歴史ある欧州のレースの一つだ。英ダービー、そしてフランスの凱旋門賞と並び称されている。
どのレースも欧州中、いや、世界中の有力馬が挙って参戦する。
このレースに勝つことができれば、菊花賞制覇の勇名どころか世界制覇にも近い勇名を得ることができる。それこそ世界のホースマンが目指す頂だ。
「心田オーナーが言ってたよ――私が目指すのはスピードシンボリの夢の続きだ――って」
スピードシンボリ――無敗の三冠馬「皇帝シンボリルドルフ」の母の父として有名だが、現役時代は日本調教馬として初めて凱旋門賞に挑戦した馬だ。 その夢の続きと言うことは――。
「ブライアンズハートには、日本中の期待が寄せられるだろうなあ……」
それは無敗の三冠馬「英雄ディープインパクト」の比ではないだろう。
菊を捨ててまで行くのだから、相当の自信がなければいけない。世間はそう解釈するだろう。故に、期待は青天井で上がっていくと見る。
「涼ちゃんはグランドスラムジョッキーだから、皆、もしもを想像するよ」
「ジョッキー如何で世界が獲れるものだろうか」
「だから、競馬に”もしも”は禁句なんだよね」
競馬に絶対はない、競馬にもしもは禁句、しかし――もしも。
「あ、ごめん、お湯熱くなってない? ねえ、涼ちゃん?」
暗転。
///
明けて火曜日。
「……大丈夫?」
七海が不安げに涼を見やる。
「湯あたりが治らないのね」
四十度超のお湯に長く浸かっていた所為で、逆上せてしまい昨晩から伏せっていた涼。
「も、もう大丈夫……。虹の向こうが見えた気がしたよ」
「それいつも涼ちゃん言ってるけど、虹の向こうって動物が行くって言うアレでしょ? 変な冗談は止してよね」
八島家の縁側から、涼と七海は牧場の馬たちを眺めていた。
春に生まれたばかりの当歳馬たちや、入厩前の一歳馬たちが牧草地を駆け回っている。それを見守る母馬らはすでに来年の子供を受胎している身だ。
「来月のセールに出すんだろ? あの仔たち」
「うん、特にアーズローヴァーの18は注目株だよ」
「だよな。おれでも分かるもの。クールアイバー産駒の青鹿毛……今月函館デビューのレットローズバロンの半弟。誰が馬主になるのかなあ……」
レットローズバロンは冠名こそ「ハート」が入っていないが歴とした心田大志オーナーの持ち馬だ。八島の馬は毎年できが良く、有名なオーナーやクラブに買い取られる事が多い。繁殖の質は高く、どこから見つけてきたのやら、良血の牝馬を所有していて先述したアーズローヴァー以外は全て血統のどこかに三冠馬がいる。つまり生まれてくる子供は悉く三冠馬の血が入っているということだ。――アーズローヴァー以外は。
皮肉なことに、毎年一番高値が付く仔馬の母馬は決まってアーズローヴァーだったりするのだが、当馬はまだ三頭しか仔を産んでいなくサンプルが少ない。
そもそもまだ産駒がデビューしていないので遺伝力がどれ程のものかも分からない。
アーズローヴァーの仔の今後は月末にデビューする一番仔レットローズバロンにかかっている。
「お姉ちゃん、日進さんが涼兄さんを呼んでいるんだけど……」
二人が牧場を眺めていたとき、母屋の玄関から遥乃が入ってきて、七海と涼にこう言った。日進英輔が涼を呼んでいるらしい。
「英輔さんが? 分かった、今行くよ」
よっこらせと立ち上がって、玄関へ赴く。
「遥乃、あなたも行ってきたら?」
七海が妹に変な気でも遣っているのだろうか、涼と共に日進牧場へ行くように勧めた。
「え、えっと……私は……」
「ハートの事だと思うけど、一緒に行く?」
何とはなしに誘ってみた涼だったが、遥乃はそれを聞くや否や、即返事をした。
そしてやってきた日進牧場。規模は八島ファームよりもでかく、繋養している繁殖牝馬は九頭、更に日進牧場持ちの種牡馬が一〇頭、一歳馬と当歳馬は繁殖牝馬の数だけそれぞれいる。大体、八島ファームの倍の規模と言うことになる。その分、放牧地の面積も倍であった。
隣同士とはいっても、広い北海道の牧場である。とにかく地味に遠い。
歩いて一キロ程先に日進牧場の看板を見つけたとき、やっと着いたかと思った涼であった。
牧場の入り口にいた青年に声をかける涼。
「そこの人、日進さんの人? 自分、ここの代表に呼ばれて来たんですけど……」
青年は涼を見るや否や、目を丸くして固まってしまった。
涼の問いに応える事も無く立ち尽くしている。涼は青年の顔の前で手を振ってみたが反応がない。
横で見ていた遥乃が慌てて、事情を説明すると共にこの青年を紹介した。
「涼兄さんっ……この人、兄さんのファンなの……だから固まってるんだと思う……」
「おれのファン?」
遥乃が青年を現実に戻そうとする。
「公(こう)ちゃん……目を覚ましてっ……」
「はっ!! 俺は何を見たんだ?! とんでもなく凄いものを見た気がするが……遥(はる)?」
現実に戻ってきた青年――名を日進公輔(にっしんこうすけ)。英輔の次男であり、遥乃とは同級生だ。
「あああっ!! あなたは!! 神代涼ジョッキー!! 遥っ、お前本当に神代涼ジョッキーと親戚だったんだな!!」
遥乃は少し胸を張った。
公輔は涼に向き直り握手とサインを求めた。
「あ、あのっ、仕事着にサインください!! 俺、涼ジョッキーのファンなんです!!」
「えーと……おれサインはしないんだよね。ごめん。握手はするよ」
そう言って手を差し出すと、公輔は両手ががしっと掴み、ありがたがるように、また、神にでも出会ったかのようにしっかりと握手をした。
それを見ていた遥乃は涼に疑問を持つ。
「……兄さんはなんでサインをしないの?」
その疑問に、涼はさも当たり前のようにこう言った。
「別にたいした理由じゃないんだけど、単におれがサインをするような凄い人じゃないってだけだよ」
「凄い!! 噂に違わぬ謙虚さ! 競馬中継で見たとおりだ!!」
リアクションが大きい公輔に、涼は小さな声で「凄くないよ……」と呟く。
牧場の入り口でそんなやりとりをしていたら、事務所建て屋から二人の人物がやってきて、公輔に悪態吐く。
「おい、公輔、なーにサボってんだ。早く飼葉の仕入れ行ってこい!」
「客を入り口で塞き止めてんじゃねーよ」
「洋輔(ようすけ)兄ちゃん、父ちゃん! 俺にも言っててくれよ! 神代涼ジョッキーが来るなんて知らなかった!!」
二人の人物とは、英輔と公輔の長兄・洋輔だった。二人はなかなかやって来ない涼の様子を見に行こうとしていたところだったらしい。そして公輔は軽トラで飼葉を仕入れに行く途中だったとのこと。
「英輔さん、おれをここに呼んだって事は、ハートのことですよね?」
「ああ、心田さんも来てるし藤村厩舎ともビデオ通話で繋がってる。ちょっと今後のミーティングだな」
洋輔が涼を事務所へと導く。
「神代さんも大変ですね。弟も含めて日高にはたくさんの神代家ファンがいるんですよ。弟程じゃないですが僕もですから」
洋輔は夏生まれの二三歳である。涼の二つ下だから故か、敬語だった。
日進牧場のマーク付き作業着は、日進牧場で働く従業員全員に支給される。中でも日進家の人間が着る作業着は他と区別するために、かつてオーナー牧場として使っていた勝負服風の模様が薄らとプリントされている。一般従業員はトレードマークのプリントのみとなっている。
洋輔は勝負服風作業着の上着を腰で巻き、チーム日進のTシャツを露わにしていた。
「ここいらの牧場は美浦の厩舎とパイプがあるから、特に藤村厩舎の騎手は神聖視しているんだよ」
英輔が補足する。
「さて事務所に着いた。人払いも済ませたし、さあどうぞ」
涼と遥乃はイソイソと事務所へ入った。
事務所内にはプロジェクターに映し出されたビデオ通話越しの藤村師と、応接椅子に座りお茶をすする心田オーナーがいた。いかにも作戦会議といった雰囲気だった。
「おや、八島さんのところの娘さんも来たのか。ようこそ、ようこそ」
『では始めましょうか。涼くん、北海道はどうだい?』
何気ない会話から作戦会議は始まった。
『英輔さんから聞いたが、ブライアンズハートの調子は凄ぶる良いみたいだね』
「そのようですね。自分もまだ見てませんけど」
「藤村さん、やはりブライアンズハートは凄いですよ。ダービーの疲れが微塵も見られない。あれだけ重い馬場を走ったのに……」
ああ、やはり、パワーのいる馬場だったのにあれだけの時計は凄いのかと改めて涼は思った。
『予定ですと、涼くんが北海道を離れるのと同じ頃にハートも美浦に戻ることになりますが、世間への公表はいつ頃にしますか?』
流石に無断で海外へ発つことはできない。三冠を望む声がほとんどなのだから、いつかは海外遠征を公にするしかない。それが、何時かだ。予定では帰厩したら直ぐに、だったはずだが。
「それこそ、神代くんの函館新馬が終わってからでも良いと思うけどね」
乗り変わることなく、全て涼が手綱を取るように予定を調整して下さい、と心田。無理な願いかもしれないが、過去、全て同じ騎手で生涯を終えた馬がいるだけに可能性は無きにしも非ず。まず、涼は自分で出るレースを選んでいない。エージェントがいるわけではなく、判断を全て藤村師か弟の潤に任せているのだ。
良いタイミングで涼のお手馬は空席だった。國村厩舎のマジシャンズナイトは主戦であったが、現在は降りている。どうやら國村厩舎の騎手が手綱を取って宝塚記念に出ると聞くが、果たして――。
「もう輸送機の準備は出来ているから、藤村さんも神代くんも心配しないで下さいね」
「滞在牧場の件ですが、僕の知り合いの伝で、大手牧場の海外資本が手助けしてくれるそうです」
心田と英輔が各々意見を言った。
『キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスは七月最終開催、アスコット競馬場だ。涼くんアスコットがどんな所か知っているかい?』
「いえ……馬場の名前だけですね」
『ふむ、アスコット競馬場は英国王室の所有物で、メイントラックはほぼ三角形の右回り……。つまり四コーナーが無いんだね。三角形最後の直線に繋がるストレートは1600mもある……これは関係ないけれど。僕らが出るキングジョージが行われる12Fコースはスウィンリー・コースと呼ばれている。スウィンリー・ボトムと言われる最低地点からゴール地点までの高低差は実に22m……府中の八倍だね』
藤村師の説明の後、あの坂を駆け上がってくる様は実に映えると心田が言った。
『仕掛けどころは最終コーナーの途中残り600mのところ。ハートの適正を考えるに、もう少し早い段階でスパートしても良いかもしれない。心田オーナー如何ですか?』
「ハートがゴールまでの坂を耐えられれば行けると思うよ。元々、スタミナはあるみたいだからね」
『ですね。あの仔の坂路調教はミホノブルボン並ですから』
いや、スタミナならライスシャワーでは……と思う涼であったが、菊花賞に適性が無いのでライスではないのだろうと思い直した。
「ミホノブルボンって……無敗の二冠馬だけど、菊花賞以来走ってない……」
遥乃がぼそりと言った。縁起が悪いと言いたいのだろうか。
ミホノブルボンは坂路の申し子と呼ばれ、ダービーまで無敗で通して、満を持して出走した菊花賞で稀代のステイヤー・ライスシャワーに負け二着。
関東馬のブライアンズハート陣営的にはライスを応援したい所と涼は思っていたが、現在の立場的にはミホノブルボンがぴったりである。
美浦に出来て新しい坂路はブライアンズハートの庭と言ってもよかった。
基本的に、坂路で調教をする藤村厩舎の馬の中で、ハートは格別の時計を出す。これが芝で併せ調教をすると、一馬身後ろからピタリと付いて、最後に突き放し先着という併せとは何かといった結果を出す。根っからの追い込み馬、差し馬である。スピードとパワーがある事は確実なのだが、果たして菊花賞の京都3000を最先着できるというビジョンが湧かないとされたため、心田は菊花賞を回避し海外へ行くことを決めた。差し詰め、菊花賞に行かない、海外遠征するミホノブルボンと言ったところか。
「でも割とミホノブルボンと近いと思うな、私は。秋以降も勝つブルボンだ」
『まあそれはともかく、キングジョージの作戦は出走予定馬から考えて、シンガリからは駄目ですね。少なくとも中段より前でしょうか……。何せキングジョージには”怪物“が出走表明していますから』
「怪物?」
涼と遥乃は揃って声を出した。
「ウイリアム・バートン厩舎のロビンソンだね」
心田は心に刻みつけるように呟いた。彼は知っているようだった。
「ロビンソン?」
日本では聞かない馬名だと涼は思ったが、心田オーナーの次の言葉に戦慄した。
「今月初めのエプソム競馬場で開催されたエプソムダービー(英ダービー)で一〇馬身ちぎって勝った英国の三歳牡馬だよ。日本でもちょっとしたニュースになったんだけど、まあこっちではブライアンズハートの無敗二冠の方が扱いが大きかったね」
今日日G1で一〇馬身もつけて勝つのはただごとではない。実際、英国のブックメーカーは早々と凱旋門賞のオッズもつけていて、他馬を圧倒していた。出走登録しているブライアンズハートのオッズはロビンソンより五つ下の六番人気だ。その怪物ロビンソンが凱旋門賞前に自国のレースで英国馬に決着を着けてしまおうとしているのだ。
「そこに穴を開けようというのが我々だ」
『穴馬の扱いにかけては涼くんの右に出るものはいないからね』
少し不服な顔の涼である。ブライアンズハートはデビューからずっと一番人気だったのだから。
ブックメーカーのオッズを見せて下さい、と涼。
心田から手渡されたタブレットに移っている大手ブックメーカーのサイト――その凱旋門賞のページ。涼と遥乃は食い入るように見た。
一番人気1・5倍でロビンソン。
六番人気10・3倍でブライアンズハート。
しかし、驚いたのは二番人気であった。
「二番人気……1・7倍、ムーンライトセレナーデ……三歳牝馬……」
「牝馬に人気で負けてるのか……」
涼は落胆した。が、三歳牝馬が人気するのも最近では普通である。
「怪物牝馬トレヴ、同じく怪物牝馬エネイブル……共に三歳で凱旋門賞を勝っている。エネイブルに至ってはキングジョージまで勝っている」
怪物の特売セールかと、ため息を吐いた。
『これは凱旋門での話だが、マークすべきはロビンソンとムーンライトセレナーデだけで良いと思う。もっとも、彼女がキングジョージにまで出てきたら対策は講じるべきだとは思うが』
「そもそも、ムーンライトセレナーデの勝ち鞍ってなんですか? ロビンソンの次点にくるに相応しい戦績なんですよね?」
「1000ギニーと英オークスの二冠だね。オークスはダービーと一日違いなんだが、二日続けてそのレースはレコード決着だったんだ」
心田はそのレースを見た時、まざまざと日本とのレベルの違いを痛感したらしいが、逆にブライアンズハートで鼻を明かしてやりたいとも思った。
「この二頭の脚質はロビンソンが逃げ先行、ムーンライトセレナーデが後方一気――つまりその間にいるのがハートということだ」
『言っては難だけど、キングジョージも凱旋門もハートは当日ノーマークだと思うんだ。付け入る隙はそこだけだ』
しばらくキングジョージと凱旋門の作戦会議が続いた。
全て終わったのは昼過ぎのことだった。
涼はハートの様子を見てから遥乃と共に、日進牧場が営んでいる客用カフェテラスで昼食を摂った。
「兄さんは、これからのこと全部勝つ気でいるの……?」
遥乃の質問に涼はあっけらかんとしてこう言った。
「勿論。分からない世界は当たって砕けろで今まで生きてきたからね。たとえ相手が怪物だの化け物だろうと、おれはただハートと一緒に走るだけだよ」
ハートと共に在る。
ハートがくれたクラシックレースの勝利。では今度は自分が穴馬のハートを勝利に導いてやろう、そういった気概でいた。
「でも今は目の前の函館スプリントSと函館開催の新馬戦だよ」
北海道に来た一大目的である。
そんなこんなで函館スプリントステークスの週末を迎えた。
函館で合流した藤村師と涼は、真っ先にコーセイスピリッツの様子を見た。
がれていなく、馬体にハリが見える。流石の仕上げであった。
「輸送の疲れもなさそうですね。じゃあおれは準備してきます」
午後三時を迎えた。パドックでのコーセイスピリッツはやる気満々といったところで、つまり入れ込んでいる。こう言った場合、発汗したりするのだが、スピリッツのその兆候は見られなかった。
そういったところで本馬場入場の刻になった。
『今年もやって参りましたサマーシリーズ。その初戦函館スプリントS本馬場入場です』
『今年は一六頭、古馬も三歳も入り乱れての決戦です』
『赤の帽子五番――コーセイスピリッツ、鞍上に今春好調の神代涼を迎えて挑みます』
『黄色の帽子、九番ブルーウォーター。一番人気。去年の優勝馬です』
涼は隣で返し馬を行っているブルーウォーターをチラリと見た。
牝馬である。嫌でもムーンライトセレナーデのことが思い起こされる。
(ロビンソンが速いペースで逃げれば最後方の彼女はとどかないのでは……)
いや、今は考えるな、と念じた。
時刻は一五時二五分。発走時刻に至った。
函館の重賞ファンファーレが鳴り響く。
『さあ第二五回函館スプリントステークスG3、間もなくスタートです!!』
実況のボルテージは高い。
『各馬体制完了……スタートしました! 全馬揃った良いスタート! さて何が行きますでしょうか。ああ、やはり逃げ馬コーセイスピリッツが前に行った!』
(1200、逃げ切れるっ!!)
コーセイスピリッツは持ったまま先頭大逃げで三コーナーを回る。六ハロン棒をすぎて残り600m。後ろからの足音はまだ聞こえない。
『逃げる逃げるコーセイスピリッツ!! 後方から凄い脚でブルーウォーターがやってきます!! コーセイスピリッツ少し苦しいか!! ブルーウォーター鞭一発っ! 再加速! コーセイスピリッツに並んだ並んだ!! ブルーウォーター交した! 交してゴールイン!! ブルーウォーター人気に応えました!!』
コーセイスピリッツはブルーウォーターの一馬身後ろの二着のようだった。
ブルーウォーターの騎手は――。
「天照くん、おめでとう!」
涼がスピリッツをブルーウォーターに寄せて、鞍上の天照歩稀を労った。
「神代さんもお疲れ様です」
普段の涼にこういった余裕は無いのだが、今回は満足げに引き揚げていく。
何故かというと、優勝必敗の競馬の世界で、サマーシリーズは二着で負けてもポイントが加算されるため、次のレースにつなげることが出来る。言ってしまえば一度も一着にならなくてもポイントさえ加算されればシリーズ優勝もできてしまうのだ。まあもっとも、一度は最高ポイント加算の一着を獲れば、ほぼ優勝は確実なのだが……。今回の場合、涼のコーセイスピリッツは二着でレース格付けはG3なので五ポイント入る。サマースプリントの次走は七月第一週の中京開催CBC賞だが、函館からはローテーションの間隔から藤村師は出走しないとした。よって、コーセイスピリッツの次走は七月末の新潟開催アイビスサマーダッシュである。日程的にキングジョージの翌日になる――。
二着で函館スプリントSを終えて、検量室に戻ってきた。
それを出迎えたのは藤村師と馬主の春間オーナーだった。
「いやあ! ブルーウォーターとスピリッツの馬連おいしかったよ! ポイントも入ったし上々の滑り出しだね」
春間オーナーは上機嫌だ。
「本当は勝ちたかったが、これが今のスピリッツの能力だね」
藤村師はうんうんと首を縦に振って納得したように、今レースの分析をした。
着順指定エリアの一着枠には当然ブルーウォーターと天照歩稀が入った。あちらの陣営は栗東神代厩舎だ。もちろん調教師の神代久弘もいる。心なしかほっとしているように見えた。
どんな会話をしてるのかそば耳を立ててみる涼。
「先生、どんな感じでしたか?」
天照が騎乗結果の分析を願った。
「うん、良い追い方だったよ。スタートはコーセイに先んじられたけど、それを捕らえられたのが良かった。思ったほどコーセイが粘らなかったからかな」
久弘はわざと隣にいる息子に聞こえるように言ったのか、それを感じ取った涼は何かカチンときた。
「涼くん、検量室」
着順枠に突っ立っていた涼を現実に戻すように藤村師が声をかけた。
「あ、はいっ」
釈然としないまま検量し、このまま帰り支度をするのであった。
来週末はいよいよレットローズバロンのデビュー戦だ。涼は勝利ビジョンを頭の中で何度も繰り返し反芻した。
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