(きっと、私に愛想をつかしてしまったんだわ)

 別荘での暮らしを思い起こしながら、朔は本気でそう思っていた。高級な着物も、贅沢な食事も、窮屈な暮らしの中でしか得られないのならば、そんなものは必要ない。のびのびと過ごした日々と、今の軟禁状態の暮らしとを比べ、ひしひしとそう感じていた。


(真夏は、本当にどこで何をしているのかしら)


 父や兄、姉への文は遠慮なく出せばいいと言われ、文を託し届ける役は、朔と共に柳原邸に来た者に託す事をゆるされた。その文に真夏の事を書いてみようかとも思ったが、久我家の者が人探しをしているとウワサになれば、迷惑をかける事になるだろうと控えた。


 彼の苗字を聞かなかったことを、朔はくやんだ。どこの家の者かがわかれば、文を託した者に頼み、その流れをたどり行方を探すこともできただろう。


(いいえ。今の私では、それすらも叶わないわね)


 何をするにもすべて、公忠の意見を仰がなければならない。庭を散策するのでさえ、自由にさせてはもらえない。人を探すなど、許されるはずは無い。知られたら、どんな事になるかわかったものではない。


 けれどせめて苗字を知っていたのなら、いつか何かの折に連絡を取れるかもしれない。風のウワサで、どこそこの屋敷に雇われたという話を耳にして、所在を知ることができるかもしれない。


(きっと、私に愛想をつかしてしまったんだわ)


 朔は近頃、そう思うようになっていた。だから真夏は姿を消したのだ。自分のあの言葉が、彼を傷つけたに違いない。芙蓉や真夏だけでなく、別荘で朔の世話をしていた者たち全員を路頭に迷わせない方法として、柳原家の半ば強制的な保護の申し出に従った。


 それが、間違いだったのだろうか。


(お姉様たちも、こんな気持ちだったのかしら)


 心を通わせていた相手と引き裂かれ、父の出世のための婚姻をした。それが世の常とはいえ、なんとむごいことかと、あの時よりもずっと強く、実感を伴って父の仕儀を思う。


(私だけが、逃れるわけにはいかない)


 父の武器となる姫は、もう自分しか残っていない。そう幾度も言い聞かせ、この宴で公忠が発表をする婚姻の話を受け入れなければと、朔は衣を強くにぎりしめた。なのに真夏の姿がちらついて、決心を固めさせてはくれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る