(恋などしないと、誓ったはずなのに)

 彼と共に奏でた笛の音が、耳奥に蘇る。


「笛の音は、遠く空の果てまで届くと申します。姫様のお心を、笛に乗せて神々に祈られてみては、いかがでしょう」


 遠く空の果てまで笛の音が届くというのなら、真夏の元へも届くだろうか。あの時のように、朔の頼りなく心細い笛の音を、真夏の笛が支えてくれるだろうか。


「そうね」


 そっと笛を取り出し、朔は唇を当てた。


 静かに、様子を伺うような音が笛からこぼれ出る。やがてそれは太さを増して、朔の思いと呼応し、高く響いて天へと向かう。


(真夏、真夏。聞こえている? 今、どこにいるの)


 真夏の笑みを思い出し、たくましい腕を思い出し、朔は笛に想いを吹き込む。


(ああ、真夏。ひと目、姿を見せて。どうして去ってしまったの。私を守ると言ってくれたのに)


 心の叫びが笛の音となり、響き渡る。


(あの時、すぐに牛車に乗る事を決めず、あなたに相談をしていたら、違う道があったのかしら。――共に過ごせる日々が、あったのかもしれない)


 気負いすぎていた自分を、朔は恨んだ。自分が主なのだから、みんなをしっかり支えていかなければ。養う手立てを持たなければと、思い込みすぎていたがゆえに相談をしなかった。


 不安にさせたくないとの思いから、反対意見が出るだろうと承知の上で、決断をした。あの時は、それが最良の判断だと思った。


 けれど今は、後悔をしている。真夏のいない日々が、朔に後悔をさせた。


(恋などしないと、誓ったはずなのに)


 姉達のように引き裂かれ、苦しむ事があるのなら、はじめから恋などしなければいいと遠ざけていた。それなのに、身が引き裂かれそうなほど狂おしく、愛おしいと思う人が現れた。


 恋に落ちる、という言葉は本当にその通りだと、朔は真夏への想いを笛に託す。あっと気付いたときにはもう、恋という底の無い穴のふちで足を滑らせていた。


 なすすべもなく真夏に向かい、心はどんどん落ちていく。ぐんぐん速度を上げて、真夏に惹かれていく。


(真夏)


 想いの丈を、朔は笛に注ぎつむいだ。高らかに力強く、けれどさみしげな音が響く。


 それに、からむ音が現れた。


 幻聴ではないかと疑いつつ、笛に注ぐ息に力を込める。それに追随するように、からみ付く音がある。


(違う)


 朔は笛から唇を離した。


 これは、真夏の音ではない。

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