(真夏は、私のことを――)

 自分もどうなるのかわからないというのに、朔の身を案じ、都から離れたこの場所に留まろうとしてくれた者がいる。


 いまだに残り、朔のために働いてくれている者がいる。


 里の者たちは朔の窮状を知り、食べるものを差し入れてくれた。それは、どんな恋文や豪華な贈り物よりもありがたく、あたたかでうれしかった。


 芙蓉はずっと傍にいて、どうすればいいのかを考えてくれている。さまざまなことの差配をしてくれている。


 そして――


(真夏)


 彼の姿は、朝のあの時から見ていない。けれど彼は誘いがあっても、ここに留まってくれているだろう。


(彼はきっと、ここにいてくれる)


 朔の傍にいて、支えてくれる。


 そんな確信が、朔にはあった。


 暁闇の中、真夏の腕に包まれていたときに、彼が自分に顔を寄せた事を思い出す。とっさに彼の腕から逃れたのは、真夏が唇をよせようとしていると感じたからだ。


(真夏は、私のことを――)


 勘違いだったのかもしれない。けれど、きっとそうだと強く胸に響くものがあった。


 半分は自分の望みであると気付いている。


 彼に、傍にいて欲しい。


 そう願っている自分がいる。


 朔はもう認めていた。自分が恋に落ちてしまっていることを。


 あれほど恋はすまいと気をつけていたというのに、あっけなく心は真夏へと転がり落ちてしまった。


 恋文を読まないように、気をつけていたというのに。


 そのような誘いはすべて、断ってきたのに。


 それなのに、恋をしてしまった。


 今朝のあれが勘違いではなく、彼も自分を憎からず思ってくれているのなら。


 そう思いかけた自分を打ち消すために、朔は笛に注ぐ息に力を込めた。


(彼はきっと、父に恩のある者に違いない)


 でなければ、新しく雇われたばかりの彼が、朔にこれほど親切にする理由が思いつかない。久我家に雇われる者は、たとえ下働きの者であっても、素性のはっきりとした者ばかりだ。家人や女房となる者は、下位ではあっても公家の者。真夏の姓を聞いてはいないが、父と縁のある誰かの子息だろうと、朔は考えた。


 でなければ、父が別荘への同行を許可しないだろう。

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