「本気で姫に惚れているのなら、守ってやれ」
「柳原家は新興の家柄だ。柳原公忠は古くからの名門の血を、妙に意識している所がある。自分の姫を後宮に送るため、息子を名門の姫に通わせ婚姻を結んでいる。自分たちの一族の血に、家格の高い家柄の血を混ぜようとしているらしい。名族である久我家は、邪魔なんだろう。それだけではなく、柳原公忠は左大臣様……いや、今は無官になられた久我久秀様の北の方を想い、久我様を憎んでおられるとの話がある」
「なんだと」
「若いころに恋文を幾度も送り、熱心に想いを伝えていたらしいのだが、結局、一通の返事も無いままだったそうだ。当時は久秀様と公忠様は同じほどに明晰であらせられ、誰が言うでもなく友であり敵であると比べられていたらしい。そんな二人が同じ姫を争い、片方は一通の返事もなく、もう一方は姫の心を射止めた。公忠様の嘆きようは、ひどかったらしい。寝付いてしまわれるぐらいに、落ち込まれたそうだ」
「だが、それならば……それならば、なおさらだ。人の妻となったとしても、想い続けている相手なんだろう。だとしたら、その人が苦しむようなことをしないのではないのか」
「恋しさが募るあまりに、鬼になる場合もある」
実篤が瞳に「知らないか?」と疑問を記し、真夏は目をそらした。そういうことがあるというのは、知っている。目にしたことは無いが、そんな話を聞いたことがある。
遠い場所での出来事だと思っていたそれが、自分にかかわりのある所で起こるとは。
「対岸の火事だと思っていたものが、真横で起こるというのは、よくあることさ」
真夏の心を察し、実篤が言った。年のころはそう変わらないはずなのに、実篤は妙に世慣れした顔をしている。務めに出るということは、そういうことなのだろう。
(俺は、世情に疎い)
真夏は自分を歯がゆく、悔しく思った。
「お水を、お持ちしました」
庭から声がかかり、真夏は無言で下男から水を受け取り、実篤に渡した。礼を言った実篤はそれを飲み干し、ひと心地ついたように息を吐いた。
「真夏」
「うん?」
「本気で姫に惚れているのなら、守ってやれ」
強い瞳で、実篤は言う。
「俺は、守れなかった」
「え」
「俺は、心の底から想いあった姫を、この手から逃してしまった」
さみしげに、実篤が笑った。
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