言いかけた真夏は息を呑んだ。

「無位無官の者が、誰の文も読まぬ姫に懸想をしていたとすれば、別荘に行く同道者を選んでいるという知らせを聞いて、どうすると思う?」


 真実と現状をからめた真夏の言葉に、なるほどと実篤は息を吐いた。


「おまえは笛が得手と聞いた。その笛の上手で、どなたかの師範役にもなれるだろうに。その運に恵まれなかったのか」


「俺の笛など……。それより、そちらはどうして私的な使者を?」


「俺は、久我様に世話になっているからな。そのご恩返しさ」


 どういう事情かはわからないが、彼は朔の父によほど感謝をしているらしい。でなければ、これほどの状態になるまで、都からこちらまで駆けては来ないだろう。


「すまないが、水をもらえるか」


「水だな。わかった」


 真夏はすぐに立ち、庭先に下男の老人がいるのを見つけた。彼は不安そうに真夏を見上げる。自分たちの様子を気にかけている者が一人でもいたことに、真夏は微笑んだ。


「すまないが、水を持ってきてはくれないか」


 下男は頭を下げ、すぐに去った。その背を見送り、真夏は実篤の傍に戻った。


「姫の父君が失脚なされたと言っていたが、どういうことだ」


 真夏の問いに、実篤は苦々しげに鼻にしわを寄せた。


「右大臣の姫が、帝の御寵愛を一身に受けていることは、知っているだろう」


 真夏はうなずく。朔の姉が後宮に入った後に、柳原家の姫も入内した。その姫を帝がいたく気に入り、大切にしているという話は知っている。


「それがどうし……」


 言いかけた真夏は息を呑んだ。たしかその姫は、懐妊をしていたのではなかったか。帝は、柳原の姫を後宮の誰よりも愛している。その姫と帝の間に子が生まれれば、その祖父となる右大臣を取り巻く環境が一変する。今まで権勢を誇っていた左大臣のまわりにいた、利に聡い人間が久我家ではなく柳原家に鞍替えをしたとすれば、どうなるか。


 絶句した真夏の思考を読んだのか、その通りだと示すように、重々しく実篤が首を縦に動かした。


「だが、それで失脚というのは、あまりにも……」

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