朔はすっくと立ち上がり、簀子を駆けだした。
「なんだ。そういうことなのね。……ということは、顔を見せないように牛車にこもったまま、舟をながめているだけなのね」
朔の尖った唇を、芙蓉が人差し指で楽しそうにつつく。
「ここは都から遠く離れた田舎ですよ、姫様。都の常識は通じません」
片目を閉じて合図をする芙蓉のたくらみが、しぼんだ朔のよろこびに空気を入れた。
「じゃあ、何も遮るもののない状態で、外を見られるのね!」
目をかがやかせた朔に、芙蓉は深くうなずいた。朔はすっくと立ち上がり、簀子を駆けだした。
年頃になる前に、これからは高貴な姫としての生活をするようにと言われて以来、御簾などを通さずに屋敷の外を見るのは、これが初めてだ。朔の胸はウキウキとしてはじけそうだった。
「ああ、姫様。そのように急いでは――」
「きゃあっ」
芙蓉の注意の声が終わらぬうちに、朔は袴の裾をふんずけて転んでしまった。
◇◇◇
「左大臣、久我久秀様の御姫君であらせられる朔姫様が、この穴多においでになられましたこと、大変ありがたく光栄にぞんじます」
朔の前に、でっぷりとした中年男が座り、深々と頭を下げた。彼がこの地を治める長官、穴多守。彼はいつか中央政権で力を持ちたいと思っており、そのために朔に取り入ろうとしている気配がありありと出ていた。
(まあ、でも。そんな連中はごまんといるしね)
自分に恋文を送ってくる者たちも、みんなそうだと朔は思っていた。朔はウワサに名高い公達からすばらしい恋文をもらっても、心をときめかせるどころか、そんなふうに考える変わった姫だった。自分がチヤホヤされるのも、父親の権力があるからだと朔は思っている。一番上の姉である照姫が、父の出世のために太政大臣の息子と結婚をし、二番目の姉の陽姫が後宮に入ったときに、そう知ったのだ。
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