**4 後ろ向きの町**

 集会所は足の踏み場もないほどに詰まっていた。

 10人が奥の部屋で寝込んでいて、手前の部屋には2人。そこに、他の子たちとフローラが座ったり仮眠を取ったりしている。

 寝込んだうちの5人が重篤で、僕はそのうちの一人につききりになっていた。


「とりあえず、できるだけのことはした……」


「なあタクト、どういうことなんだ?」

「……チック。医者は呼べたのか?」

「ああ、そのうち来る。いつものヤブ医者だけどな……それより」


 周囲に聞こえるのを気遣ったのか、チックは声を潜めた。


「『井戸の水を飲むな』って、どういうことだよ?」

「……食事がいつもと変わらないなら、水が怪しいと思っただけだ」

「怪しい?」


 僕は目だけで、チックに合図した。チックはため息をつくと、外へ出ていく。もう今の僕にできることはないと判断して、僕も集会所を出た。



「あれはたぶん、毒だ」

「毒……?!」


 チックが顔色を変えた。


「まだ危険な状態なのには変わりない。できるだけ体内に入らないようにする処置はとったけど、僕らだけじゃ限界がある。最悪のことも覚悟しておいてくれ」


 僕は暗い顔で続けた。


「それから……最悪、ここを離れなきゃいけないかもしれない」

「どういうことだよ?」


「考えてみろ。ここの井戸が使えなくなるだけならまだいいけど、井戸に毒が入ってるなんて、勝手に起きるわけないだろ。あの井戸の近くには毒草どころか木一本生えてない。そもそもヒ素なんて入手すら難しい。間違って混入したなんてありえないんだ」


「……じゃあ、誰かが悪意で入れたっていうのか?!」

「分からないけど、もしそうなら、あの井戸をどうにかしたところで終わらない。今度はもっと酷いことが起こるかもしれない」

「クソッ。もしかして役人の奴らか? この土地を巻き上げようとしたことあったよな」

 チックはどこか頭に血が上ってしまった様子で、クソッ、と繰り返した。


「……とりあえず、医者が来るまで様子を見よう」

 僕はチックの肩を叩いて、無理に連れ戻した。……なぜ毒の種類が分かったのか、と思いついて、僕を問い詰める暇を奪うために。



「……高くつくぞ」

 開口一番、医者は言った。

 無口のモスという男(たぶん偽名)で、町のはずれに住んではいつも怪しげな研究をしていると噂されている。それでいて、僕らから買っていくのはフローライトとか、毒にも薬にもならなさそうなものばかりだ。

「……絶対にお返しします」

 僕は頭を下げた。

「お前なら簡単に返せそうだがな」

「……」

 僕は目をそむけた。

「まあ、代金さえ払ってくれりゃ文句はない」

 何か言いたげな目のまま、モスは荷物を古びた袋から取り出した。



「……あのヤブ医者、本当に治せるのか?」

「……分からない。でも、今一番最善を尽くせるのはあの人しかいないと思う。ここには街医者も来てくれないし……」

 あの医者によれば、僕らにできることは何もないらしい。集会所から追い出されて、二人なんとなく鉱石樹畑を歩いていた。

「街に行く余裕もなければ、吹っ掛けられる金も出せないしな」



 そのとき、木陰から物音がした。


「……誰、だ?」

 僕は少し柔らかい声で呼びかけていた。

 ついこの間にも体験したことと、よく似ていた。姿を見る前から、なんとなく彼女のような気がしていた。

 それなのに……出てきた姿を見て、僕はまた、驚いた。


 小さいころに見た絵画の女神か天使が、舞い降りているように見えた。

 神聖な近寄りがたい雰囲気に満ちている。どこか……輝いてすらいるように、見えた。

 本当に数日前にも見たばかりのドールなのかと、疑いたくなるくらいだった。


「……あ、れ」

 チックも言葉を失っている。

 僕はその横で、ぎゅっと拳を握りしめた。


「ソウ」


 呼びかけると、ソウは顔をこちらへ向けた。

 その顔が無表情でも笑顔でもないことに、少し安堵する。同時に、その表情を見て、僕は確信した。

 この少女が、何をもたらしたのか、分かってしまった。


「ソウ、答えてくれ。君はアルセノライトのミネオールなのか?」


「おい、アルセノライトってなんだよ? そんな石育てたことないぞ」

 チックが戸惑い気味に聞いてくる。僕は、息を普段より多めに吸い込んだ。




「アルセノライトは、ヒ素……いや、方華ヒ素の鉱石だ」




「ヒ素はそのままでは毒性が低いけど、方華ヒ素になると毒性が最も増す」

 僕はソウを見つめたまま言った。

「そして、方華ヒ素の別名は、砒礵ひそう。……君の名前は、ソウなんだろ?」





「あなたは、ヒ素の樹を知ってる?」


 しばらく黙っていたソウは、急に質問を投げかけた。


「ヒ素の樹は栽培が厳しく制限されてる。知識として、知ってはいる」

 僕は慎重に言葉を選んで言った。


「……純粋なヒ素の生る樹は、なかなかない。どうしても結晶に硫黄が混じってしまうから」


 ソウはゆっくり喋り出した。僕は小声で付け足した。


「ヒ素の樹を育てるのには硫黄分を加えないといけないけど、そうするとどうしても樹が少し硫黄を実に取りこんでしまう。だから、純粋なヒ素の結晶は育てられない」


 ソウが目だけで頷くと、言葉を続ける。


「毒の入った料理に銀食器をつけると黒く染まる、というのは、よく言われているけど、純粋なヒ素は銀に触れても黒くならない。わずかに含まれる硫黄が反応するから黒くなるの。……だけど」


 なぜいきなり、こんな話を始めたんだろうか。僕とチックが立ち尽くす横で、ソウは話し続けた。


「ご主人様……わたしを育てたご主人様は、独自に研究した結果、混じりけのないヒ素の樹を作った人なの」




** - To Be Continued - **

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