Ⅶ 悪人は逃げ道をいくつも持っている

「人間はいないな?」

「いません。」

「確かだな?」

「もう一度やってみますか?」

 銀ぎつねは物探しの術の陣を手で描きながら尋ねた。マクベスはうなずいた。

「もう一度やれ。いや、二回やれ。」

「いないようです。塔の中には。」

「尋ねる条件を、『この塔の中にいる人間』としたか?嘘はつくな。」

「『この塔の中及び近くにいて中に入ってくる可能性のある生きている人間』と尋ねました。光が出てきません。」

「よし。一応警告を飛ばせ。」

 マクベスは銀ぎつねがテレパスで近くの人全員に警告を送るのを待ってから、火の龍をすべて出して、魔法使いの塔を焼き崩した。

「これで出てこなかったら、いないという事だ。」

 マクベスは潜んでいる建物のなかから、しばらく様子を見て首をひねった。兵隊がつぎつぎと寄ってくるだけで、中から出てくるものは誰もいない。

「隠れる場所は他にあるか?」

 銀ぎつねの知るところではなかった。オオカミ人間は危険がある時はできるだけ遠くに逃げた。

「もう避難してしまった後かもしれません。自分だけ瞬間移動で。」

「どうかな?女は城の中に立てこもりたがるものだ。どこかに安全な部屋がある。」

「もう安全なお城とは言えません。傾いてます。」

「そうだな。手掛かりを探して王族の住まいをあたるか。地図でも落ちているかもしれない。」

 マクベスは王族の居住区に向かいかけて気を変えた。

「ちょっと考える。探し回るのは性に合わない。おびき出す方法をひねり出せ。」

「火をつけるとかですか?」

「人間に危害を加えない方法だ。足軽にヴィラの性格を詳しく聞いておけばよかったな。」

「塔を焼くだけで十分ではありませんか?魔法使いの塔を焼き払ったら、魔法使いは出てくると思いますが。ここにいるならですが。」

「復讐に燃えてわしらを殺しに来るか?」マクベスは笑った。それから急に『ここで押し包まれたら死ぬ』という事を思い出した。追うのに夢中で深入りしすぎた。「こんなところで囲まれたら洒落にならん。わしらの方が見つけて、人数の少ないところを狙わなければならん。…そろそろ足軽を回収して帰るか。」マクベスはそわそわして、瞬間移動のできるバルコニーに向かった。

 銀ぎつねは何かを聞きつけて立ち止まった。しゅーっと言う音が聞こえた。確かに聞こえた。黒魔の気配を探ったが、敵の気配はない。しかししゅーっと言う音は確かにする。何かの機械が気体漏れを起こしているのかもしれないが、それにしては間隔が短かったり長かったりして、生物的である。

 銀ぎつねは危険を感じた。彼女の勘が大事かもしれない、見過ごしてはいけないと告げている。銀ぎつねはマクベスの服をつかんで止めた。

「何だ?」

「分かりません。ただ何か…います。」

「黒魔の気配はないぞ。」

「音が…します。」

「何かいるならなおさら急いで帰る。」

「マスター、臭いがしませんか?」

「するが早く帰る。」

「それにさっきより薄暗くなったような…。何かの気配が…。」

 マクベスも銀ぎつねの感覚の鋭さを軽視するつもりはなかった。

「よし。お前が先に行け。」

 彼は危ない目に合うなら弟子だと結論を出して、容赦なく言った。

「それより別の出口から出ましょう。」

 銀ぎつねは近くの部屋のドアののぞき窓からのぞくアーチ形の大窓を指差した。

「バルコニーの方はなんだか危ない感じが…。」

 銀ぎつねの言葉は途中で途切れ、冗談かと思うほど大きな蛇の頭が、銀ぎつねがちょうど指差したドアの一つ先にあるドアからL字型を描いて出てきた。大蛇は銀ぎつねに食らいつき、噛みちぎろうとして振り回し、マクベスが後ろ向きに跳びはねて避けると、銀ぎつねをくわえたまま、扉の中へ引っ込んだ。蛇は頭だけでドアにつっかえそうな大きさがあった。

「うわばみか…?」

 マクベスは半ばぼうぜん、半ば感嘆してつぶやくと、どう行動するかを考えた。

 ①銀ぎつねはどうせ命に別状はないのでほっておいて足軽を回収し、逃げる。②銀ぎつねを助けに行き、うわばみと戦う。ただしこの場合は殺される可能性もある。あのドアの中に入れば、うわばみと殺すか殺されるかの死闘を演じなければならないし、うわばみと戦っている間に兵士たちに囲まれる可能性もある。

(①だな。)

 彼は結論を出して別のルートを取ろうとしたが、足が動かなかった。気が進まないのだ。という事は自然と②を選択することになる。

(ここはヒットアンドランで。さっと助けて逃げる。時間がかかるようなら①に戻ればいい。)

 彼は待ち伏せされているのが確実な扉を避けて、壁に火の龍でちいさな穴を開け、くぐって中に入った。人間を助けていないし、黒魔も退治していないので、魔力を全く回収できていない。減る一方なのに、金の龍を無駄撃ちはできない。

うわばみはくわえた人質を見せつけながらとぐろをまき、マクベスを待っていた。銀ぎつねは頭が口の中に入れられたまま牙のすきまでもがいていた。護りの術があっても逃げられないようだ。

こんな状況でも大蛇の太さにマクベスは感嘆した。ため息が出そうだった。

(これを使っている魔法使いは大したやつだ。ぜひやり方を知りたいものだ。)



 大蛇は、新しく来た魔法使いがくわえている獲物にテレパスを送るのを感じた。

―何も持っていません。

 捕まえた獲物はひどく未熟な魔法使いらしく、テレパスが大蛇にも聞こえた。大蛇は捕まえたおばあさんを大いに軽蔑した。こんな未熟な状態で戦場に出てくるとは、本人だけでなく一緒にいる魔法使いを殺すようなものだ。事実危険にさらしている。

 その間も大蛇は敵の魔法使いから目を放さなかった。子供の姿をして入るが、ひどく戦い慣れしているようで、相当の年齢だと思われる。年寄りの魔法使いとは、すなわち、それだけ長く生き延びたという事であるから、強くて油断もならない。

 新しい魔法使いは何匹もの火の龍を繰り出した。大蛇はおばあさん魔女を盾にしてよけたが、よけきれない。炎を隠れ蓑にして、マクベスが浮遊術で送った杖が、銀ぎつねの手に渡ったが、その事にも気づかなかった。

 こんな骨ばったのをそれも服の着いたままで飲み込みたくないが、殺しておかなければ厄介だ。人質としての価値もないらしい。大蛇は仕方なく人質を飲み込んで、唯一使える手足である口を自由にした。炎の中で、大蛇は口の先で陣を描き、細い二股の舌で呪文を唱えた。魔法使いは大砲並みの強力な発破術をくらって壁にのめり込んだ。

(どうよ…へっへっへ。)

 大蛇は心の中であざ笑った。とすぐに、胸に強力な痛みを感じて床に頭を伏せた。じっと耐えるが、また痛みがする。

(何だろ。早く元の姿に戻って、宮廷医に診てもらわないと…。)

 大蛇は壁にめり込ませた魔法使いの方をうかがった。弱っているようなら、あとは兵士に任せて自分は安全なところに避難しよう。体の調子が悪いので、王族と一緒に夏の避暑用宮殿に行くのがいいだろう。

 魔法使いはそれほど弱っていなかった。やはり戦い慣れているのだ。直前にシールドか何かの術で、攻撃力を弱めたのだ。子供の姿はちゃんとした肉の体ですらなかったらしく、へこんだ体はすぐに再生した。

 痛みをこらえて、大蛇は体をくねらせ、魔法使いに向かって突進した。

「銀ぎつね。聞こえるか?つついてやれ。」

 魔法使いが大声で言った。すると鋭い痛みが何度も起こり、大蛇の攻撃は標的からそれた。追い打ちをかけて、炎が美しい緑のうろこを焦がして大蛇の肌をまるだしにした。

「お前がさっき飲み込んだ弟子が腹の中でお前を攻撃している。体の中ではどうすることもできまい?さあ、死ぬ前にお前の主について何か知っていることがあれば言え。お前が魔法使いなのは分かっている。呪文を唱えたからな。苦しんで死にたくなかったら、言ったほうがいいぞ。苦しませずにあの世へ送ってやる。」

 大蛇の中では銀ぎつねがそれを聞いて早く外に出たいのでやたらと大蛇の腹をつついた。大蛇は腹をぜん動させて銀ぎつねを絞め殺そうとした。周囲の筋肉が縮まり、押しつぶされそうになっても、銀ぎつねの体は固くなり、護りの術で守られていた。しかしそれがこの術の弱点だったが、体の周りについてまではどうすることもできなかった。空気が減って、銀ぎつねは窒息しそうになり、穴を開けようとして腹を突いたが、杖が短いのか、外まで届かない。

(この蛇を殺さないと私が死ぬ。)

 銀ぎつねは焦ってやたらめったら肉壁に穴を開けた。外ではマクベスが炎を起こして援護していた。蛇は苦しんでうねった。せめて銀ぎつねを外に出そうと、体の太さを前送りにして獲物を吐き出そうとしたが、銀ぎつねも杖を突き刺して送られまいと頑張った。

(あと一息。もうすぐこの蛇は死ぬ。そのくらい呼吸はもつ。)

 銀ぎつねは生臭い空間を見つけては、少しずつ酸素を吸い込み、使命感に燃えて頑張った。

(こんな蛇を残しておいたら大勢の人が死ぬ。ここで殺さなければ。)

 外ではマクベスが召喚した恐竜が大暴れしているとは知らずに銀ぎつねは蛇の体の中で奮闘した。

 体の中はつつかれ、外は焼かれて、蛇はのた打ち回り、最後の悪あがきをして長くて強力な尻尾でマクベスを打とうとしていたが、すでにその力は尽きようとしていた。

(急がないと人間の兵士に囲まれる。早く死ね。時間がない。)

 マクベスはもう大蛇に対する未練は捨てて、時々入口に視線を送って追手が来ていないことを確かめながら、炎の手を緩めなかった。彼は大蛇と戦って何分経ったかを思い出そうとした。

(気づかれたのは、発破術をくらって音がした時だとして…いや、大蛇がテレパスでわしたちを発見したと同時に仲間に報告していたと考えるなら、もう5分は経って…。)

 その時に遠くから長い旅をしてきたような、低い波長のテレパスを感じた。

―マァクベス…。

 マクベスはまさかと思って手を止めた。300年もたっているので、記憶があいまいになっていて、師匠の声だと思うが、確信がない。

―すぐに来なさい。…マァクベス。

 今度は確信が持てた。

―すまん。呼び出しがあった。行く。

 マクベスは銀ぎつねにテレパスを送り、部屋から去ってしまった。

 銀ぎつねは自分の聞いたことが聞き間違いかと思った。まさか蛇の腹の中に弟子がいる状態で、師匠が消えるなんてことがありえるだろうか?しかしすでにマクベスはいなかった。

 炎が消えたので、大蛇は全力で腹の中から銀ぎつねを押し出した。消化液でどろどろになった銀ぎつねが吐きだされると、蛇も体をくねらせて戦いのあった部屋から出て行った。

 銀ぎつねは床に倒れていた。蛇がなぜ出て行ったのか知らないが、次の手を打ってくる前に、早くここから出なければならない。しかし動けない。

2日徹夜続きだったせいなのか、魔力が空っぽになるまで大きな術を張ったせいなのか、その後すぐに敵に捕まって天井の下敷きにされた上に拷問部屋につながれていたためなのか、それともその後蛇のおなかの中でひどい緊張状態の中奮闘したせいなのか、ともかく指一本動かせない。消化液まみれでもとにかく空気がある所に出た。敵もいない。安心したとたんにいろんな疲れがいっしょくたになって出た。早く出ていかなければ危ないのに、ひどい眠気を感じる。瞼が重くなる。

(自力で動けないなら浮遊術で…。)

 銀ぎつねは陣を描き呪文を唱えようとしたが、頭の中で考えるばかりで、いっこうに指が動かない。なんだか呪文の記憶もあいまいで、だんだん意識も遠のいていく。

(まずい。このままではまた捕まってしまう。せっかく助かったのに…。あと少しだけでもがんばれば…。)

 しかし頭で考えることとは裏腹に、少しくらい眠ったって大丈夫、誰も来やしない、という悪魔の囁きがどんどん大きくなる。

その時、銀ぎつねにとっては幸運だったが、兵士たちの足音がした。銀ぎつねの意識がむりやり引っ張りあげられ、彼女はマクベスの杖をしっかり握りしめていることに気が付いた。杖があれば、少しの動きで陣を描くことができる。彼女は浮遊術の呪文をたたきつけるように唱えると、瀟洒なアーチ形の窓から飛び出し、魔法の糸を伸ばして空中に輪を作って、その中に縮こまり、浮遊術の陣を解いて素早く瞬間移動の陣を描いた。落下まで一秒もない。行先はウォンシティの城壁の中にしようとぼんやりと考えていたが、直前になって気が変わった。なぜかマークを目的地に設定すると、いつも失敗しない。

(マークの所へ!)

 銀ぎつねは地面に激突する直前に、呪文を正確に唱えて消えた。輪になった魔法の糸だけが残されて、ふわふわと地面にぶつかった。


マクベスは氷山の上に到着すると、確かここだったと思う氷の割れ目から落下し、師匠の方を向いて礼儀正しく膝をついてお辞儀をした。地面を向く視界の先に、氷の床が割れて、海水が波を打っているのが見える。師匠は習慣を少しも変えていないようだ。200年前もあそこに池を作って中にいるのが好みだった。

「マクベスが参上いたしました。」

 池からは何の音さたもなかったが、マクベスは頭を下げたままで動かなかった。

手伝いらしきラッコが二本足で、氷を掃き清めながらマクベスの脇を通り過ぎる。それでもマクベスは姿勢を崩さなかった。ただ「師匠は極寒の地に住む海洋生物の黒魔が好き。見つけたら貢物にすること」と心の中のメモに書きつけた。

やがて隣で瞬間移動の風切り音がして、いつか見た、茶髪で背の高い女性が現れた。ただし今は、お腹を押さえて苦しげに体を曲げていた。多少わざとらしく見えなくもなかった。

「マスター。ヴィラでございます。」

 すると池から鋭い目つきで、日焼けした女性の上半身が現れて、心配そうにヴィラを見やった。

「大丈夫か?」

「はい。マスターのおかげで九死に一生を得ました。」

 ヴィラは心から嬉しそうに言うと、控えめに笑顔を浮かべた。

(偽善者め。お前のせいで国家一つがまるまる人がいなくなっているのにその態度か。師匠はそんなことを許す人ではないぞ。)

 ただ、頼みの師匠を見ると、日焼けした顔に、いかにも愛情のこもった表情を浮かべて、ヴィラの方を見ていた。マクベスは苦々しくその成り行きを見守って師匠から話してよいと言われるまで辛抱して口を閉ざしていた。

 その間、ヴィラはいけしゃあしゃあと、きれいな作り事を話した。事実は切り取り次第でいくらでもきれいに都合よく見えるものだ。マクベスからしたらそうだったが、問題はどう見てもマクベスが悪く見えるという事だった。それにこの敵が妹弟子であることも判明した。

「配下を大勢失い…私も国を守るために闘いましたが、敵の中におかしな術を使う魔法使いがいて、おなかを何度も刺されました。マスターが見ていて下さらなければ、死んでいたと思います。」

 ヴィラは話を締めくくった。彼女はそっとおもむろにマクベスに視線を投げかけたが、マクベスは平静な表情でそれを聞いていた。ヴィラは気に入らなかった。師匠がうなずきながら話を聞いていたのを見たはずだ。今も師匠はマクベスに責める視線を投げかけている。それで平静とは、自分の立場を分かっていない愚か者だ。ヴィラに好意を示すなら、今だ。それなら受け入れてやらなくもないのに、これは気に入らない。

「マクベス。何か言い訳はあるのか?」師匠がマクベスの方を見て強い口調で尋ねた。「おかしな魔法使いとは誰だ?お前の弟子か?」

「その通りでございます。」

「すぐにやめさせなさい。」

 マクベスは悩むふりをした。

「それが…あれはまだ正式な弟子ではないのです。自分の意思で行動しています。嘘ではありません。」

「ならばお前は手を引きなさい。よその国の政治に口を出すことではない。この子はお前の妹弟子だ。争ってはいけない。いや、姉弟子と思いなさい。ヴィラの方が上だ。お前がいない間に、私に魔力を運んできてくれたのだからな。」

 マクベスは初めて肩の力を抜いて息をついた。

「そうしたいのですが、私の意思ではどうにもならないのです。私が手を引いても、この姉妹弟子を襲った魔女が手を引かないでしょう。ウォンシティをひどく恨んでいるシンシティの魔女です。避難民が押し寄せて困っているとかで…。」

 マクベスは言外にいかにヴィラがひどいかという意図を込めたが、師匠はそのわずかな当てこすりだけで眉をひそめた。

「それに私はそのおばあさん魔女と契約を結びました。ウォンシティの黒魔法使いを倒したら、弟子にすると。つまりまだ正式な弟子ではなく、しかも相当な意思を持って攻めているので、私にはどうにもならないのです。」

 ヴィラが重ねて何かを言う前に、マクベスはあぐらをかいて座り、彼の故郷の作法にのっとって両のこぶしを氷の床につけて頭を下げた。

「マスター、ご無沙汰して申し訳ありませんでした。200年間音沙汰がなかったのは、召喚に失敗して死ぬのを避けるために本になってしまっていたからです。復活してすぐにお目にかかるべきところでしたが、すぐにシンシティの魔女に捕まって、ウォンシティを攻める契約を結びました。師匠にお持ちする土産を探すためでもありました。」

 マクベスは隠しから瓶を取り出すと、にじり寄って池のふちに置き、またにじって下がった。師匠は手を伸ばして瓶をあらためた。ふちまでいっぱいになった黒魔の魔力瓶である。

「これは…。どこでこんな黒魔に会った?」

「ウォンシティの黒魔を退治した時にとりました。」

「ひどい魔力の貯まりようだ。100人200人ではきかない。一体何人殺したのか…?」

 マクベスは師匠がこれで正気に返ってくれることを願ったが、願いは空しかった。300年マクベスが仕えない間に、氷山宮殿は入り口の位置も池の位置も何も変わっていなかったのに、師匠は変わってしまっていた。

 もはやマクベスが知っていた師匠ではなかった。完全にヴィラを信頼しきっていた。

「まあとにかく、ありがとう。わたしならこれで800年くらい生きていける。」

「それは私の弟子の魔力瓶です。秘蔵して可愛がっていた子が殺されたのです。」

 ヴィラは声を高めて抗議した。

「ならば瓶だけ返してあげよう。」

「ありがとうございます。死体を取ってあるのです。復活させてやることができます。」

 ヴィラは膝まずいて感激した。マクベスはすぐさま反撃した。

「返してはなりません!その魔力瓶の持ち主は『疫病の呪い』らしき呪いを作っているところでした。復活させたらまた呪いを作ります。」

「そのような呪いは作っておりません。街を警護するための監視虫を作らせていたのです。」

「塔の秘密の部屋の中で、人を遠ざけ、ガラス瓶の中に閉じ込めて、作らせていました。感染の恐れがないのなら、あそこまで隔離するわけがない。」

「特別な能力の持ち主でした。それにまだ子供でした。もしかしたら指示に反して勝手なことをしたかもしれませんが、知っていたらもちろん注意しました。マスター、お願いいたします。まだ子供だったのです。チャンスを上げてください。」

 マクベスは子供のいたずらにしては魔力がたまりすぎていることを指摘しようとした。「その子供とやらは邪悪すぎる一体何人殺したのか」うんぬん。しかし彼はその前に師匠の表情を盗み見て、何を言っても師匠はヴィラを信じるだろうと察知した。理由は?マクベスが200年間いなかったからだ。ご機嫌伺いにも貢物を捧げにも来なかったので、それで師匠は違う人間を信じている。信頼がないのに、今さら何を言っても遠吠えでしかない。師匠はヴィラを信じるだろう。

 それはそれで構わないのだ。ヴィラが勝手なことをして、ウォンシティが周りの都市国家を飲み込んだとして、魔法使いに何の関係があるのか?大きな一つの国家となり、元の国家がなんであったか人々も忘れてしまった頃までに、気長に師匠の信頼を取り戻す。彼にとってこれはありだ。

 しかし銀ぎつねがそれでは納得しない。彼女は今助けたいのだ。おそらくはヴィラを追い続けてやがては殺されてしまう。彼女には護りの術があるが、どんな魔法にも弱点がある。それに彼女にはシンシティに人質になりそうな人間が大勢いるという弱みもある。間違いなく殺されてしまう。彼女と一緒に年を取ろうと思っていたのだが、それもできなくなる。

「ええい。仕方ない。」

 マクベスは池の縁でどすんとあぐらをかくと、人懐っこい笑顔を浮かべて師匠を見た。

「さっきの言葉は何?仕方ないって?」

 師匠は険悪な声で問いただした。

「師匠。200年間不案内で済まないことをいたしました。今日は飲み明かしましょう。」

「そうかい?」

「はい。この件が決着がつくまでとことん飲みましょう。酒を探してきましょうか?」

「あるよ。ラッコ、大甕を取っておいで。一番熟成してあるのだよ。」

 ラッコの姿をした手下は、そのままラッコと言う名前だった。彼は(あるいは彼女)心得て氷の部屋に走って行き、くりぬき穴から飛び込んで海底に置いてある甕を取りに行った。

「姉弟子も一緒に。」マクベスは明るくヴィラに声をかけた。

「それに師匠にもう一つ貢物があるんです。まだ本性をよく見極めていないんですが、いい黒魔を見つけました。若い男です。人間を殺したがらず、むしろ助けていました。見込みがあるようなら、師匠の手下に。」

「ふむ。」

 師匠はマクベスの土産の魔力瓶をグイッと一気に飲み干すと、すっかりハイになり、アザラシのしっぽをはねあげて池の中に潜り、しばらく出てこなかった。出てきたときには下半身も人の姿になっていて、ラッコに服を持ってこさせた。

 彼女は貝殻のたくさんついた帆布をローマ人風に肩から掛けると、マクベスの前にあぐらをかいて座り、濡れた長い髪をかきのけた。すかさずヴィラが櫛を出してその髪を梳かした。

 師匠はヴィラが髪を梳くままにさせておきながら、空になった魔力瓶を二人に見えるように出して、握力だけで粉々に砕いた。

「これで文句はないね?マクベス、ヴィラ。これほど人間を殺した黒魔を生かしておくわけにいかない。」

 文句があったとしても、ヴィラは言わなかった。彼女は必死で愛想笑いを浮かべてうなずいた。

「あんたと飲むのはいつも楽しみだよ。酒の続く限り飲み比べだ。」

「アイアイ。マスター。」

 マクベスは受けて立ちながら、若干不安を感じていた。

 彼も男は飲むべし・人の上に立つ人間は一番飲むべしという土地柄で育ったので、酒豪と呼べる方なのだが、師匠はどこの出身なのか、底なしのうわばみだったので、最後まで倒れずにいられるかは毎回根性と気力にかかっている。しかし彼は愛想のよい笑顔を浮かべて、ラッコからどぶろくの大徳利を受け取り、片膝をついてシャコガイの貝殻の盃に一杯目をなみなみと注いだ。そして、師匠の盃にはスダチを絞ることも忘れなかった。

 彼は健康を祈りながら、両手で師匠に杯を捧げ、ヴィラにも渡した。

 三人は同時に杯を上げて二人が同時に飲み終わった。ヴィラは途中で飲むのをやめて、笑顔を浮かべた。

「すみません。ちょっと傷口が痛むようで…。こんな強いお酒よく飲めますね!」

 師匠が目もくれず、注がれる酒の方ばかり見ているので、ヴィラはさらに笑顔を浮かべて、席を立った。

「私、お料理見てきますね。」

「ああ。」

 師匠はおざなりに返事をしてマクベスが自分の分を継ぎ終わるのを待っていた。ヴィラは氷の洞窟に引っ込むと、指のない前足でトングを持ち、ホタテガイを焼いていたラッコを腹いせに叩きのめした。ラッコはヴィラの貢物で、ヴィラに不利なことは言えないように契約を交わしているので、何をしてもばれる心配はなかった。そもそもラッコの舌ではしゃべれない。

 マクベスもまた、ヴィラを黙殺して、杯に集中していた。彼は分かっていた。まだ宴は始まったばかりだ。



 そのころ足軽と言う名前に改名されてしまったカルビンは、木立の中に隠れていた。塔が燃えて、追手が少なくなったのをきっかけに、うまく巻いて、木の中に隠れたのだった。木登りなど、もう何年ぶりぐらいだろう。動いてはいけない。気づかれてはいけない。人が来たら注意しなければならない。つまりは緊張しながら何もしてはいけない。

(昔は鳥もちを付けて小鳥を取ったっけな。)

 死が迫っているせいで心が現実逃避をするのか、カルビンは太い枝を見つめて懐かしく子供の頃のことを思い出した。子供のころ、彼は料理人や厩番の子たちと遊んだ。今は会っていないが、あの子たちも料理人や厩番になっていることだろう。あのころは黒魔法使いになるかもしれないなどと考えもしなかった。自分は近衛兵になるのだと思っていたし、現になったのだが。よく知らない魔法使いの手下になる契約を結んだ5分後、その魔法使いに最初に命じられた仕事でおとりになり、追手がうろうろする中、命からがら隠れることになるとはさすがに予想もしていなかった。見つかれば殺される。牢屋の壁がしきりに恋しい。

(しっかりしろ。戦場の最前線に出たって一度も死んだことはなかったぞ。)

 彼は自分を元気づけた。くよくよするなど何の役にも立たない。そっと手の甲をつねって気合を入れ直した。

 彼は城の塀の外をうかがった。木立は塀に沿って並んでいるから、人のいない時を見計らって、このまま外に出て市街地に紛れ込むのがいいだろう。しかし、気になるのは、魔法使いの二人組が何をしているのかだ。塔が燃えたのだから、何かしているのは間違いない。彼らの仕事をできれば助けたいし、合流したい。そうでなければ何のために牢屋から出てきたかわからない。

(よし。)

 彼は腹を決めた。自分も潜入する。運よく機会があれば、殺されることも覚悟の上でヴィラの命をもらう。銀のナイフも持っている。

 城の裏庭を遊び場にして育った者なら知っているが、木立と城が一番近づく場所が一か所ある。ハンガーを結び付けたロープでもあれば、木立からバルコニーへ飛び移り、使用人部屋に続く廊下に出ることができる。少なくとも子供の頃はそうだった。一度見つかってむち打ちの罰を受けたことがある。その時の痛みは忘れ難いものだった。

(つまり地面に下りるにしたって、あそこから城に行くのが一番渡る幅が狭い。)

 軍人としての訓練に従うなら、木立の陰をつたって歩くべきだが、黒魔に見つかるのは人間に追われることとは違う。見つかれば瞬間移動で逃げても必ず追いつかれることを意味する。

一旦塀の外に出るのが一番安全だが、警報装置がある。塀の上を歩くのがいいだろう。城の庭からも見えにくい。上を歩いただけでは警報は鳴らないことを彼は知っていた。

 彼は猫のようにしなやかに音もなく、四つ足で枝から塀へと飛び移り、そのまま四つ足でさらさらと移動を始めた。音もしないし、スピードもなかなかある。四つ足ならうっかり落っこちる心配も少ない。自分でも感心するほど見事な隠密行動ぶりである。彼は自分でほれぼれした。

(どうだ?この不測の事態にも対応する臨機応変ぶり!)

しかしこういう慢心の時こそ、あまりうまく行っていないもので、彼は姿は隠れていたかもしれないが、黒魔の気配は隠せていなかった。じっとしている時は他に紛れて分かりにくかったものの、移動し始めると「塀の上」というおかしな位置が周囲の黒魔の注意を引いた。

 カルビンはあっという間に4人の黒魔に囲まれて、つかまえられた。カルビンは絶対に抵抗せず、大人しく引ったてられていった。そのおかげか、殺されることはなかった。しかし、地下牢に拷問部屋があることを知っているカルビンとしては、命が長引いたことをあまり手放しで喜べなかった。

 引っ張られていった先は、サル顔の黒魔だった。黒いフードをかぶり、王族の部屋を荒らしている。本や調度品やドレスが、部屋中に散らかっていた。サルの顔は醜悪だった。頬に大きな傷があり、斜めに切れ込みが入っていた。しかし傷のあるサルだから醜悪なのではなく、目つきと顔つきが、いかにも恨みがましく自分勝手な悪人の人相に見えて、信用してはいけないと思わせる。悪人っぽいサルは二本足で立って、毛だらけの腕で本をばらばらとめくって、投げ捨てた。

(王族の隠し財産でも探しているのだろうか…。)

 兵士の習性で、つい相手の意図を探ってしまう。本をめくって探しているとなると、宝石やお金ではない。文書か何かだろうか?

「カルビンか。」

 サルはちらりとカルビンの方を向いて家捜しを続けた。

 カルビンは目が丸くなった。その声に聞き覚えがある。

「ジーガン!」

 言ってはいけないと思いながらついつぶやきが漏れ、肩の力が抜けた。

(これで助かった。)

「そいつは何も知らない。」

 カルビンがジーガンと思っているサルは言った。なぜサルなのかはわからないが、声は同じだ。地下牢では、薄暗くてそこまで分からなかった。相手もフードを取らなかった。そういえば、手の先まで袖で隠していたが、それはサルだったから。単に恥ずかしかっただけなのだ。

(とにかく、これで助かった。ジーガンは俺を牢にぶち込むふりでもして、あとで助けてくれるだろう。)

「何も知らないから、殺していいぞ。魔力は少ないだろうが、捕まえた者たちの間で平等に分けてよい。いや、待て。俺が分配する。瓶だけ取れ。」

 おかしい。カルビンは疑いを抱いた。魔力瓶を取られるという事は、死ぬという事だ。ジーガンは本気か?それとも何かのポーズなのか? カルビンは次の言葉を待ち受けたが、次の言葉はなかった。ジーガンは本を投げ捨てて、腹立たしそうに地団太を踏み、すでに壊れて落ちていた置物の人形を蹴っ飛ばすと、ジャンプしてシャンデリアにぶら下がり、キーッと言った。しかしカルビンを助けよという命令は一向に出てこない。今やカルビンは服を脱がされ、(おそらくは血で汚さないために。服を再利用するためだ。)胸に刃を当てられて、4人の黒魔はどこにナイフを入れるかで、(おそらく瓶を傷つけずに取り出すためだ。)冷静に話し合いを進めている。

「待て。」

 ジーガンがシャンデリアをゆする手を止めて、黒魔を制止した。

(ああやっぱり!そう来ると思った!)

 カルビンは心から感謝した。

「カルビン。お前人間を連れていただろう。人間達はどこへやった?」

「城の外に逃がした。」

「どこにいるか言ったら、命は助けてやるぞ。」

「バラバラに逃げたから分からない。」

「白魔には会えたのか?」

「会えた。子供の姿をした、マクベスという魔法使いだ。強いようだ。城の塔をすでに破壊した。城の見取り図は伝えてある。」

「ヴィラを殺したのは彼か?」

「殺したかどうか知らない。途中ではぐれたんだ。しかし彼もヴィラを追っていた。別れた時、探すと言っていた。殺したかもしれない。」

「ヴィラが消えていなくなった。本当に死んだのかどうか知りたいが、じゃあ知らないな?」

「知らない。」

 この言葉はカルビンの死刑宣告も同然だった。

「分かった。殺していいぞ。どいつもこいつも心臓の真上に魔力瓶を入れている。だから、このあたりを切ってみろ。」

 ベンソンは足でちょんとカルビンの胸を突くと、壁をたたき始めた。探し物は見つからないようだ。今やカルビンにもこの男が見た目通り信用できないことは分かった。

「探し物があるのか?俺はこの城で育った。何を探しているのか教えてくれたら、役に立てるかもしれないぞ!」

 ベンソンの手下は遠慮して手を控えたが、ベンソンは見向きもしなかった。彼もこの城での暮らしは長いのだ。それも囚人たちのたわごとを多く聞いているせいで、城で育ったくらいの人間よりももっと多くの噂話を知っていた。必要なのは王族に近しくて、王家の魔法の仕掛けの秘密を知る重要人物だ。下っ端の近衛兵ごときはお呼びではない。

 ベンソンは鼻を鳴らして、家捜しを続けた。ナイフが迫ってくる前に、カルビンは急いで言い足した。

「俺はマクベスという強い魔法使いの手下になった。ヴィラを殺すほどの奴なら、俺を生かしておいた方が保険になるんじゃないのか?」

「手下か?弟子ではなくて?」

 ベンソンは家捜しを続けながら聞いた。今や一寸刻みに壁を蹴っ飛ばして、ストレス解消と空洞を探すことを兼ねていた。

「弟子と手下の区別は俺には分からない。とにかく、下について命令どおりにするという契約を結んだ。」

「ふーむ。」

 ベンソンは考えた。ベンソンが考えている間は、ナイフも迫ってこない。カルビンは次の手を考えたが、これ以上持ち弾がない。4人の黒魔に手足を押さえられて、+サルの黒魔がいるのでは、どう気を逸らしても逃げることはできない。

(使える術は発破術だけか。いっそのこと、最後の一滴まで魔力を使い切って死ぬか…。)

 片手さえ自由になれば、陣が描ける。そのくらいはできそうだ。彼は頭の中でその時に備えてイメージトレーニングを繰り返した。

 この時ベンソンが考えていることが分かったら、彼は時間稼ぎなどしなかっただろう。ベンソンは三流の牢番だった。ただ厳重に縛めれば足りる時でも、不必要な暴力をふるった。しかもそれを指摘して牢番を変えるだけの良識を持った者はだいたい殺されていた。

(こいつは殺すのがいいだろうな。うまく立ち回る小狡さがなさそうだ。スパイとして使えない。)

 見下ろしているうちに、ベンソンはじゅうたんの下に探し物があるかもしれないと思いついた。こちらの方が大事だ。彼はカルビンのことを一時忘れた。

「じゅうたんを上げろ。全員床を踏み鳴らせ。」

 彼はヴィラの魔力瓶金庫を探していた。そこに彼の魔力瓶もあるはずだ。取り戻せば人間の姿に戻れるし、他に魔力瓶を人質にとられている黒魔を、思うように操ることができるのだ。

 手下の黒魔達は、一人がカルビンを捕まえ、後の三人がじゅうたんをくるくると巻いて盛大に床を踏み鳴らし、踊り狂った。

 チャンス! カルビンは一人に捕まえられているだけだった。入り口からも窓からも遠い。けれども最後に闘って死ぬことはできる。

 彼は後ろ向きに頭突きを食らわし、渾身の力を一方向に向かうように腕を引き、右腕の自由を取り戻した。早口で呪文を唱え、発破術の陣をきり始めると、手下の黒魔達の手も一斉に陣をきった。

(望むところだ。それを待っていたんだ。)

 カルビンは一思いに苦しまずに死ねることを喜んだ。そして、何の陣も描く様子のなかったベンソンの方を全く注意を払っていなかった。ベンソンは魔法に頼らない習慣があったので、どの黒魔も陣を描き終わらないうちに、ポケットから手を出して、棒手裏剣を二本、カルビンの利き手に突き立てた。カルビンは痛みのあまり陣を描ききれないまま崩れ落ちた。

「必要ない。」

 ベンソンは魔法を使おうとする手下たちを止めた。

「両手首を焼き切れ。そいつはもっている魔力が少ないから、傷口をしっかり焼いて、血を出すな。出すぎたら長くはもたない。一応口にも布を詰め込んでおけ。絶対に魔法を使わせるな。殺すなよ。行け。処理が終わったら持ってこい。」

 言われた手下はカルビンの口に、カルビンの服を詰め込み始め、ベンソンは家捜しに戻った。

(ここにはないのか…?ここが一番可能性がある。ヴィラがいつもいる部屋だ。それとも何かの魔法の仕掛けで、魔力瓶を小さくして持ち歩いているとか?あり得るな。…誰か知っているやつがいるなら、拷問して聞き出すんだが…。ヴィラが誰かに教えるわけがない。)

 ベンソンが考えあぐね、手下が跳びはねて床板の音の違いを探している時、カルビンを任された手下が、震える声で、ベンソンを呼んだ。

「ご主人様…。」

 邪魔されて怒ったベンソンは返事もしなかった。

「奴が消えました。」

 ベンソンは「逃げただけだろう!」と手下を問い詰めるために、やっと目線を家捜しから外したが、確かにカルビンは瞬間移動したかのように影も形もなく消えていた。

 



 カルビンは突然視界から城の優美な装飾が消えて、真っ白な冷たい世界にいたので、天国に来たかと思った。

「いよっ、ご主人様。見事な術です。いやあ、見事の一言に尽きます。」

 マクベスが何故かべろんべろんに酔っぱらって拍手している。天国じゃない。カルビンはすぐに確信した。マクベスがいるなら、地獄だろう。

 周りを見回すと、ひどく鼻高々な日焼けした、40歳くらいの女性が、ぼろ布(少なくともちゃんとした服ではない)を体に巻きつけて、カルビンを嬉しげに眺めていた。

「この子かい?なかなかいいじゃないか。」

 カルビンは自分が女性受けする顔をしていることを思い出して、汚れていてもまだウェーブの残っている長めの髪を手で撫でつけて、軽くお辞儀した。

「ここはどこでしょうか?」

「お師匠様のお城だ。お前の話をしたら興味を持たれてな。水晶玉をのぞいてみたら危なかったから、助けて下さったのだ。ほら、お礼を言え。はいつくばって言え。お前のために、大変な魔力を使ってくださった。」

 カルビンはその通りにした。

「助かりました。ありがとうございます。」

「師匠、どうですか?こいつなら。」

「そうだねえ。」

「もちろんまだ日が浅いので、もう少し鍛えてから差し上げるべきですが。」

 今自分は奴隷のように手から手へ渡されそうになっているのか?カルビンは一連のやり取りを心の中で復習してみて、やはり貢物にされかけていると思った。そうなると、女性受けすると言うのも、別の意味を持って我が身に迫ってくる。カルビンは青くなった。

 さらに追い打ちをかけるのは、すでに「どんな命令でも従います」と契約を交わしてしまっていることだった。期限を切っているのが不幸中の幸いだが、それは銀ぎつねが言ったからだ。さらに言うなら、彼女はやんわりと契約を止めようとしていた。

(止めるならもっと真剣に止めてくれ!)

 カルビンは心の中で銀ぎつねを本気で責めた。

「ぐるっと回ってごらん。」

 ぼろ布を巻いた魔女がカルビンをじっくり眺めながら言った。

「回れ。」

 マクベスが険悪な顔で命じた。

(それはロバを買う前に体を確認するみたいなものか?)

 カルビンはぞっとしたが、回らざるを得ない。そして何とか残っている尊厳と正気を集めて、敬礼した。

「ウォンシティ近衛隊第2隊所属、メルビン・カルビンであります。」

「本名です。とりあえず足軽とよんでおります。もちろん師匠が命名なさるまでの仮の名です。」

 マクベスが付け加えた。

「しばらくの間使ってみて、その上でどうするか決めよう。私の命令に全面的に従うという契約を結んだうえで、ラッコの下につける。」

(来た!)

 カルビンは思った。この契約は絶対してはいけない。もう二度とさっきと同じ轍は踏むつもりはない。

「申し訳ありませんが、それはできかねます。マクベス様とは契約しましたが、あなた様のことをよく存じ上げません。しばらく下について働かせていただいて、その上で契約していただくのはどうでしょうか?」

 魔女はカルビンの眼をじっとのぞきこんだ。カルビンは耐えた。絶対契約するわけにいかない。

「いいわけないだろう!」

「もちろんあなた様には命の借りがあります。この借りは必ずお返しするつもりです。粉骨砕身、仕えさせていただきます。」

 カルビンはかつて酒場で居並ぶ女性みんなを夢中にさせたスマイルを浮かべたが、頬が強ばって、自分でもさぞいびつな笑みになっているだろうと思った。

「ふん。魔法使いになって日が浅いね。いつ魔法使いになった?」

「ひと月前です。上からの命令で、近衛兵全員が魔法使いになりました。」

「全員?何人?」

 カルビンは頭の中で計算した。12人の小隊が、15隊。それって何人か?計算が苦手でわからなかった。

「200人ほどです。」

 いつの間にか、魔女は顔を近づけて、カルビンの顔をのぞきこんだ。カルビンは精いっぱい人の良い表情で見返した。魔女が考えこみながら顔を放すと、すかさずマクベスが耳を引っ張った。

「お前!自分が何をしたか分かってるのか?黒魔になってこの人の下につくよりいいことはないぞ!この世で唯一のまともな魔法使いだ。」

「お言葉を返すようですが!さきほど軽率に契約を交わして後悔いたしました!同じことを繰り返すわけにはいきません!」

「軽率だと?わしの下につくのでなかったら殺していたわ!黒魔をみすみす生かして見逃すと思うのか!」

 マクベスはイラついていた。

「いや、今師匠の下につかないのなら、そうと決まった瞬間に殺してやる!生殺与奪の権利はもらっているのだからな。」

 カルビンはそれでもいいやと思った。さきほど黒魔やサル黒魔に殺されかけた。あの残酷な表情に比べるなら、マクベスは一思いにやってくれそうだ。

「経験が足らず、馬鹿なことを言っているでしょう。でも、契約はしません!」

 師匠が手で制したので、マクベスは言葉を飲み込んで静かになった。

「嘘を言っているように見えないが、本当に200人もの人間が黒魔になったのか?上からの命令で?」

「はいそうです。」

「その200人は城の警護についたのだな?」

「戦争に駆り出されました。自分は命令不服従で、投獄されていたので、ここ2週間のことは知りませんが、2週間前には、自分の小隊は、ちりぢりになっていました。敵も魔法使いを立てていたので、激しい戦闘で、自分の小隊では、3人中2人が死にました。3人目が自分です。」

「他に黒魔になった者はいないだろう?城の近衛兵だけだな?」

「自分には分かりかねます。城の従者たちは黒魔になった者もいましたが、人間のままの者もいました。城の外には出る機会がなかったので、国の状況は分かりませんが、他国に関しては、人間のまま捕虜にしていたようです。」

「捕虜?」

「はい。魔法使い部隊の管轄だったので、詳しくは分かりませんが、人間の捕虜を運ぶ警護についたことがあります。」

 魔女は顔を手で押さえて考え込んだ。これがいいしるしなのか悪いしるしなのか、カルビンはハラハラしながら見守った。隣でマクベスが同じくハラハラしながら見守っているのが感じられた。

「ラッコ!盃を持っておいで。とりあえず飲みながら考えよう。飲めるだろうね?」

「はい。ありがとうございます。」

「その前に契約を結んでもらうよ。宴の前の契約だ。大したものじゃない。お互いに宴が終わるまで、相手を殺そうとしないという契約だ。魔法使い同士が飲むなら必須だ。」

「やれ!」

 マクベスが、声を押さえて、刃のような冷たさで短く命じた。

「分かりました。不慣れなもので、ご迷惑をおかけいたします。」

「ラッコ!」

 師匠は再び呼んだが、ラッコは現れなかった。しばらくたってから、師匠が海との出入口に使っている池から、顔だけ出して、シャコガイの盃と大徳利を置いた。

「どうしたね?ラッコ?」

 師匠はわざわざ近づいてラッコの様子を確かめに行った。ラッコは爪で氷の床に字を書いた。

『腰を痛めて歩けない。』

 そして、書いた文字を前足でなでて床の傷を消した。

「何で腰を痛めたの?」

 ヴィラの契約には穴があった。ラッコはヴィラに不利なことは言えなかったが、書くことはできた。ラッコはそのことを知っていたが、機会を待っていた。師匠はヴィラを完全に信頼しているので、下手に腐せば、逆にラッコの命がない。

(しかしあの男の言葉を、この魔女さんは信じたようだからのう。追い打ちをかけるなら今じゃろうて。もっといい機会があるかもしれないが、ないかもしれない。ならここで乗っておくのがいいじゃろうて。)

 ラッコは考えて書いた。

『ヴィラが蹴った。』

「ヴィラ!」

 師匠は叫ぶと、大きな歩幅で氷部屋に向かった。そこで寝ているはずだ。

 マクベスはその後ろ姿を見送って、カルビンの手裏剣の突き刺さった手を取ると、氷の浮かぶ海水につけた。

「ハンカチか何か持ってないのか?」

 カルビンは囚人生活で汚れきった布を渡した。マクベスはそれを海水でゆすぐと、手裏剣を抜いて、傷口を結わえた。氷点下の潮水につけられて、完全に血は止まっていたが、マクベスはきつく結んでおいて、手裏剣をあらためた。ウォンシティの鍛冶屋のマークが入っている。

「ついて来い。それからもし今度師匠からありがたくも、手下になれというお言葉があったら、契約しろ。いいえと言った瞬間に打ち殺すからな。」

マクベスは氷部屋に向かった。カルビンは一歩後ろをついて歩いた。

「一つお尋ねしたいのですが…。」

「手短にな。」

「ヴィラと敵対しておられる?」

「そうだ。」

「ウォンシティから彼女を追い出したらどうなさるのですか?」

「わしはシンシティから避難民を追い出すために来ている。後のことはシンシティの王が決める。ここからはわしの予想で約束ではないぞ。陛下は野心が少ないから、征服はするまい。そのことを心配しているのならな。せいぜい有利な同盟を結ぶくらいだろう。地理的にも遠い。」

「サー、感謝します。」

 200年のブランクがあろうとも、ヴィラがうなぎのようにぬるぬると言い抜けしようとも、うまく立ち回れば引き分けに持っていけるだろう。マクベスは呼吸を整えると、氷部屋の戸口をくぐった。





 銀ぎつねがワープした時、マークは誰か大人と言い争っていた。

「違う!僕はスパイじゃない!王女の婚約者になったのは嘘じゃない。でもここには両親を探しに来たんだ。そうじゃなかったら、戻ってくるわけない。」

「スパイでなかったら、戻ってくるわけない。なんでわざわざ殺されかけた人間の所に帰ってくる?そんな奴いるものか?」

「そうだよ!俺もおかしいと思ったんだ。」

「それは!銀ぎつねさんが城で捕まっているから!助ける手伝いをしてくれるかと思ったんだ!でももういいよ。」

「待て。行くんじゃない。お前は人質になる。魔法使いが戻ってくるかもしれん。」

「そうとも。人質になるよ。俺が血を吸ったら、動けなくてちょうどいい人質になるよ。でも俺は血を吸わない契約をしているから吸えないんだ。」

 最後のいかにも善人ぶった声はすぐに分かった。吸血鬼だ。銀ぎつねはなぜか誰にも見られていなかったので、そっと壁に魔力を通し始めた。マクベスが送り込んだ刺客の一人だが、自分はどうしても賛成できない。特に今のこの状況は吸血鬼が人間をあおっているとしか思えない。これは攻撃してもいい状況だろう。マクベスにも言い訳できる。

 しかしながら、吸血鬼は白魔力の気配にすぐに感付いて、跳ねながら逃げ出したので、とらえ損なった。銀ぎつねは思わず舌打ちした。

 舌打ちの音で、何人かが振り返り、どろどろした物体から距離を取った。銀ぎつねは疲れていて、その場にへたりこんだ。

「みなさん。私は白魔法使いです。みなさんに危害を加えることはいたしません。」

 彼女は立ち上がることもできないまま言った。

「銀ぎつねさん!助かったんだ!」

 マークも助かったとばかりに駆け寄ったが、銀ぎつねはどろどろに汚れていて、抱きつくのはためらわれた。全身が蛇の臭い消化液まみれになっているうえに、地下墓地の白いほこりをかぶっていて、ちょうど雨が吹き込んでは上からほこりが積もることを繰り返して、汚れの落ちにくくなった空き家のような状態になっていた。ぱっと見は、地下墓地からよみがえった、腐って乾いた死体に見えた。

 さっきは緑だった。そしてそれが銀色に直ったと思ったら、今度はちょっとハンカチでぬぐったり水をかけたくらいではきれいにしようがないゾンビの姿である。この人を頼っても大丈夫だろうか?と、マークはふと思った。

「蛇にやられました。」

 銀ぎつねは大蛇を思い出して身震いした。

「白魔法使いだ。全員でとびかかれば取り押さえられるぞ!」

 誰かが言ったが、誰もとびかからなかった。蛇の消化液でひどい悪臭がしたので、誰も最初にとびかかりたがらず、結果二の足を踏んだ。

「私はみなさんを助けに来ました。ここを出られなくてお困りかと思って。」

 単にマークを目印に来たらたまたま地下墓地に閉じ込められている解放戦線の人々の所に来たというだけだったが、銀ぎつねは相手に受け入れられるように話す習慣が身に付いていた。

「出ないほうがいいよ。外には恐竜がいる。」

 マークが言った。銀ぎつねは、マークが笑わせてくれようとしているのだと思い、そのいじらしさに微笑んだ。

「あはは。恐竜。」

「うん。ティラノサウルス。」

 話が具体的だ。銀ぎつねは不安をおさえつけて無理して笑った。

「面白い冗談です。」

「いや。本当にいるんだ。マクベスが呼び出した。銀ぎつねさんを助けるのに必要だって言ってた。でもちゃんと助け出せたんだ。嬉しいな。」

 彼が私を助けられたのは、偶然に偶然が重なったからで、恐竜を呼び出すなど非常識なことは全く必要ではなかった!と、銀ぎつねは叫びたかったが、師の悪口を言うわけにいかなかった。

「それでも出なければなりません。」

「吸血鬼や黒魔がうろうろしてるよ。ここの方がいいよ。ちょうど入口もふさがっていて、一人しか抜けられないんだ。」

「それでも出なければならないです。黒魔はますます増えます。ここにいたら危険です。しかもこんなに固まっているなんて。人間が少ないから、上では鵜の目鷹の目で人間を探しています。早く逃げないと。私も手伝います。」

 解放戦線の人々は、魔法使いは目の敵にしていたが、魔法使いの力は畏怖のこもった眼で見ていた。ので、この人はもしかしたらそんなに悪くない魔法使いかもしれないと思い始めた。

「それじゃあ、俺たちを瞬間移動で隣町まで運んでくれるのか?」

「いえ、瞬間移動は人間には使えないのです。使えば死んでしまいます。」

「それなら、バリアか何かで、守ってくれるな?」

「シールドは使えません。あいにく。それに言っておかねばならないと思うので言いますが、私は攻撃系の魔法はあまり得意ではないのです。だから、誰かに襲ってこられたらとても全員はかばいきれないと思います。」

「なら、透明にして、運んでくれ。」

「…もしかしたらできるかもしれないのですが…。」

「やめたほうがいいよ。色を変える魔法でしょ?この前銀ぎつねさんは緑になって戻らなかった。」

 マークが助言した。

「じゃああんたいったい何ができるんだ?」

 あきれ返って一人が言った。

「マクベスはどこ?」

 マークが言った。

「彼はどこかに行きました。急用とかで。」

 銀ぎつねは怒りに震える声で言った。

「私を助けてくれた後ですが。…そう、避難の方法ですが、みなさんを浮遊術で飛ばすことができます。」

 銀ぎつねの浮遊術は壊滅的に下手だが、マークはこの状況でそれを指摘するのはやめにした。浮遊術しか使えるものがないのだ。なら使うしかない。地面に墜落しかけることになったとしても。

「ただし魔力を通せる大きな物が必要です。古くて手織りの大きなじゅうたんとかがあれば、最適です。」

「うん。僕らもじゅうたんで来たんだ。空を飛んで。」

「魔力を通せるものでなければなりません。素晴らしい工芸品のような何かありませんか?大勢が一度に乗れるような。何回にも分けて運ぶのは危険です。一度飛べば、目立って黒魔に見張られることになります。何かありませんか?」

「上の教会にタペストリーがあるぞ!」「そうだ。あれは古い。」「そうだな。」

「あの…。タペストリーもうないと思う。」

 マークが言った。

「上の教会は、マクベスが戦った時に、その…、たくさん壊れたから。」

「それにあれでは小さくて全員運べない。」

「待って。ここ教会の地下ですか?」

「そうだよ。」

「その教会古いんですか?ひょっとし天然石を壁に使ったりしていませんか?大きなのなら、使えるかもしれません。」



 銀ぎつねは、崩壊した階段の中にあっさりとアーチ形の入り口を作って、全員を楽に地下から教会へと上げた。

「あの入口狭いままでよかったのに。その方が敵も入り込みにくいし…。」

 誰かが文句を言った。

「できますよ。」

 銀ぎつねは魔法を使って、がれきの山を誰も通れないような石積みの壁にして、さっさと先頭に立った。手首の通る穴もない。

「いや、一人くらい通るすき間を開けてほしいんだが…。」

「分かりました。どなたか武器を持っている方、先頭に立ってください。吸血鬼がまだうろうろしているといけません。」

「なんだ。吸血鬼なら、大丈夫だ。」

 しかし黒魔が来ているといけないので、銀のナイフを手にした男が、銀ぎつねと入れ替わりに先頭に立った。マークは誰か逃げたりしないか不安で、自分から最後尾を買って出ていたので、穴を開けに来た銀ぎつねと会えた。彼はほっとした。

「マーク、他の人を気遣って戻るなんて、感心です。」

 銀ぎつねはマークに声をかけて、べとべとした指先で、そっとマークの頭に触った。

 マークは全身が温かくなるのを感じた。魔法かと思ったがちがっていた。この感じは、ミュゼにいた時はいつも感じていた。そして、ミュゼを出てからは一度も感じなかったために、すっかり体が冷え切っていることを、今感じた。

 そうか。マークは気が付いた。僕が取り戻したかったのは、家族なんだ。それで、今は銀ぎつねさんが、家族の代わりをしてくれているんだ。もちろん、親方とおかみさんが生きていたら、二人の元に戻るけど、そうでなかったら、銀ぎつねさんの家族にしてもらいたいんだ。僕がこんなところまで来たのは、それが理由だったんだ。

 銀ぎつねは自分が何を負うことになったのか全く気付かないまま、キラキラした目で自分を見つめるマークに微笑み返し、すぐに心中の心配ごとに返った。

(このまま戦場に置いておけば、さっきみたいに危ない目に合う。でもこの子を避難させるには、マスターの許可がいる。

 それだけじゃない。避難民をどのルートで避難させる?どこが最適だろう?追われたらどう撃退したらいいのか、何色に変えたら、見つからないのか?…ああ!考えることがありすぎる。)

 銀ぎつねは人の力を借りることにした。このあたりの地理には、ここの人が詳しいはずだ。

「あの、このあたりでは、どこの町が一番避難に適していると思いますか?」

「ミュゼ!」

 マークはすぐに叫んだ。

「ミュゼが近いよ!それに小さい町だから、きっと探しに来ることはないよ。」

 ミュゼは廃墟だった。マークが知れば気落ちするだろう。

「ミュゼは近すぎます。もう少し遠いところがいいわ。」

「あんた。どこに避難するかも決めてないのに、避難避難って言ってるのか?」

 解放軍の人々が冷たい視線を向けたが、銀ぎつねは平気だった。ただ、マークの肩をつかんで、自分の陰に持って行ったので、マークの服には再びべとべとがついた。

「ノーザシティが適当かと思います。ですが避難なさるのはあなた方です。ご意見を聞いた方がいいと思いました。」

「どこも近いところは魔法使いの軍が駐留している。街中は危険だ。」

「ふうむ。」

「シンシティに連れて行ってくれるんじゃないのか?」

「あそこはもう一杯です。」

「いっぱいでも、魔法使いはいないんだろう?あんたたち以外は。」

「この子は魔法使いではありません。」

「ほら、もう一人の小さい子供の姿の魔法使いのことだ。」

 教会に着いた。銀ぎつねは顔をしかめた。地下にいたときはわからなかったが、黒い瘴気が顔を打つ。彼女は視線を壁に走らせて、大きな石を物色した。あれなら天然石だ。大きさは小さいが、いくつか組み合わせれば簡単に薄い石壁のシェルターを作れる。それなら、大勢をまとめて運べるし、銃弾程度は弾き返してくれるだろう。

 マークは肩を寄せ合って話し合う解放軍の人々を警戒していた。中にさりげなく吸血鬼が交じっている。親切ごかしの表情で、何か話している。そして解放軍の人々はそれに耳を傾けている。

 マークは銀ぎつねの側から離れないようにしながら、吸血鬼から目を放さなかった。

「吸血鬼がいるよ。」

「え?」

 銀ぎつねは石に魔力を通しながら、振り返って、姿を確かめた。そしてスピードを上げて、あっという間に巨大な石の箱を仕上げた。丁寧にも、ベンチもついていた。

「さあ、急いで。皆さんお入りください。」

「待ってくれ。まだあんたと行くとは言っていない。」

「ぐずぐずしていると、黒魔が来てしまいます。」

「話し合ってからだ。」

 解放軍の人々は、吸血鬼を中心にして話し合いの体勢に戻った。銀ぎつねはしばらく黙って見ていたが、マークをしっかりと背中の後ろに押し込むと、周りに魔法の糸を円形に巡らせてその端を手に握った。

「あなた方に判断力があるとは思えません。」

「何だと?今何て言った?」

「先ほどは邪悪な黒魔を仲間だと思い、今は吸血鬼を信じて、無実の子供をスパイだと疑った。賭けてもいいですが、その吸血鬼は悪企みしています。血を飲むことしか考えていません。

 強い者を信じて、弱いものを疑っているようにしか見えません。」

 銀ぎつねは、その言葉で、信じかけていた人たちまで敵に回した。彼らはもう反論しなかった。武器を抜いて、静かに歩み寄ってきた。もうすぐ魔法の糸を踏む。簡単に魔力を通すことができる。銀ぎつねは糸を見ないようにしたが、汗が顔をつたうのを感じた。

「囲め。こいつも魔法使いだ。やはり信じるな。」

 低い声で、リーダーらしき男が命じた。ロングはリーダーを下されたらしく、別人だった。銀ぎつねは続けた。

「あなた方に信じていただけるように話しましょう。私は強いです。『警告します。私を攻撃したら全員を眠らせて、その結果どうなろうとも関知しません。』」

「もっと近づいて攻撃しろ。人間は攻撃できないんだ。できたら子供と引き離せ。あいつが弱点だ。人質にすれば従うはずだ。」

 マークは慌てて銀ぎつねの背中で縮こまった。銀ぎつねはばさりとコートを持ち上げると、コートの中にマークを入れた。マークは、もし銀ぎつねが若い女性ならためらう所だが、おばあさんなので安心して、背中にしっかりとしがみついた。

 しがみついて5秒もしないうちに、外は静まり返り、足音もしなくなった。

「もう出てもいい?」

「いいです。はやく石の部屋に入って下さい。あなたも一時避難です。そのうち連れ戻し行くかもしれません…。マスター次第です。もしもマスターが、あなたがいなくてもいいと言ったら、そこでそのまま避難民として行動してください。その方が絶対安全です。」

「えっ?銀ぎつねさんは来ないの?」

「やることがあります。」

 銀ぎつねは倒れている人間達を、両手を上げて空中に持ち上げた。もう浮遊術はうまくなっているようだ。次から次へと、解放軍の人たちは、石の部屋に積まれていく。市場で一皿いくらで売っている、山盛りにされた魚のようだ。

「さあ早く。あなたも。この人たちは5分もすれば目を覚まします。」

 マークは銀ぎつねが「連れ戻しに行くかもしれない」と言ったことが引っ掛かっていた。それは、来ないかもしれないという事だ。マークは銀ぎつねとはぐれたなりになるのは絶対に嫌だった。

(僕は結構すばしっこい。ティアラもあるし、役に立つはずだ。人間が必要になると、マクベスも言ってた。危なくなったら、さっきみたいに、銀ぎつねさんにしがみついて行動すればいいんだ。それなら安全だ。)

 彼は銀ぎつねが見ている前で、石の部屋に入るふりをして、目を離したすきに、さっと陰に隠れた。みんなが送り出された後で、「やっぱり残ることにした。」と言えばいい。

 銀ぎつねはさっと見回して、人間の残りがいないかどうかを確認して、岩を閉じた。そしてシェイプを大岩的な丸みを帯びた感じにした。不自然だが、見た半数は、「何だ、ただの大岩か。」と、見過ごしてくれるかもしれない。そして、マークがその岩の陰に隠れていることは見逃した。

 彼女は魔力を強力に込めると、屋根を突き破って大岩を垂直に上空へ飛ばした。見えない高さまで上がったら、ノーザシティは北の方なので、そちらへ飛ばす。大体の位置まで送りだしたら、そこでそっとおろせばいい。方角に関する魔法はうまくないので、たぶんうまくノーザシティに下せることはないだろうが、街と街との間の荒野に着陸することになっても、間違えて野犬の群れの中に下りたとしても、ここにいるよりは安全だろう。武器を持っている男たちがいるのだし、自分で何とかするだろう。それよりも黒魔の気配がする。

 彼女は、岩のあった場所で、一番愛想のいい笑顔で手を振るマークには気づかずに、自分に浮遊術をかけて、大岩が開けた天井の穴から、教会の屋根に降り立った。

 思った通りだった。黒魔の気配がたくさんする。近づいている。これが吸血鬼の狙いだったのだと始めて分かった。時間を稼ぎ、黒魔を呼び寄せて、人間を生贄にするつもりだったのだ。自分は契約に縛られて直接人間を殺せないから、人間から魔力を十分に吸収した黒魔達を、自分の獲物にして、間接的に利益を得るつもりだった。あるいは、死体から血を飲むつもりだったのか。

(とにかく、ある程度の黒魔はここで片を付けておきましょ。)

 彼女は、手を振って名前を呼ぶマークには気づかず、まずは屋根の上からテレパスを送って、黒魔達を挑発した。

―私を襲うものは殺す!ここには近づくな!

 黒魔達は、白魔術師がいることがはっきりわかったので、当然近づいてきた。銀ぎつねは、近づくものを片っ端から浮遊術をかけて教会の中にたたき込んだ。一度は自分も一緒に落ちなければならなかったが、石の床に杭打ちにして再び浮かび上がって迎え撃った。マークは黒魔がバタバタ降ってきたことに驚いて賢くも壊れた説教壇の中にうまく隠れたので、銀ぎつねは3度目も気づかなかった。

 次に、そろそろ目につく黒魔はいなくなったので、銀ぎつねは教会ごと封じた。暗くなってくることに気がついて、マークは焦ったが、声を立てれば見つかってしまう。しかしマークは窓穴も扉の穴も、するすると閉じられていくことに気が付いた。

今見つからなくても閉じ込められたらいずれ見つかってしまう。マークは直前で叫んだ。

「銀ぎつねさん!僕ここにいる!」

 銀ぎつねはマークのことが心配のあまり、空耳が聞こえるようになったと思って頭を振った。マークは岩の中に入れて送り出したのだから、安全だ。今頃解放軍の人に、親切にされているか、いじめられているかのどちらかだろう。でもマークならうまくやっている。こうして彼女は再々度マークを助ける機会を逃した。

 マークは机の中から出た。浮遊術の縛りが解け始めた黒魔達が顔を動かして人間か、それとも黒魔が叫んだのかと怪しんでいる。しかしほとんどの黒魔は閉じられていく穴を見て焦っている。

(暗いから、大丈夫だ。気づかれない。別の場所に隠れよう。そのうちに、マクベスか銀ぎつねさんが気が付いてくれる。)

 マークは抜き足差し足で、そろそろと移動した。暗がりに隠れていた彼は、暗さに目が慣れていて、他の黒魔達よりも早く動けた。

(今のうちだ。)

 彼は抜き足差し足で移動を始めたが、途中で何かがつきだされた。鋭くて重い何かだ。かすめただけだが、刺さったら死ぬ感じがした。

「待て。お前の魔力を寄越せ。」

「守れ!」

 第2撃が来る前にマークはすかさず叫んだ。そして言ってからマクベスに言われたことを思い出さずにはいられなかった。

『逃げ道が確保できていて、追手が少ないときにだけ使え。』

(この状況真逆じゃん!)

 燃え上がる黒魔を見ながら、マークは思った。明るい炎に照らされて、子供がいることが、黒魔達にも見えた。

 さすがに今度は銀ぎつねにも分かった。銀ぎつねは全身に電撃を浴びせられたような嫌な気持ちがした。もう間に合わない。息をつめてマークが殺されるのを見ているしかないのだ。彼が死ぬのはあっという間だ。一撃をくらえば、たとえ息があってももう助からない。

 マークは上をちらりと見上げて、銀ぎつねが蒼白な顔で屋根に開いた穴からのぞいているのを見た。間違いなく、マークに気が付いている。見ている。心配している。そして、どうしたらいいか分かっていないようだ。マークはどうしたらいいか分かっていた。

「僕に近づくものは焼き殺す!」

 マークは叫んだ。黒魔達は半信半疑ながら、仲間が一体燃えているので、マークを遠巻きにした。

「人間だろうか。」「人間だ。」「魔法を使うぞ。」「でも気配がない。やっぱり人間だ。」

「銀ぎつねさん!僕を持ち上げて!」

 マークは銀ぎつねに指示を飛ばした。銀ぎつねははっと我に返り、魔力のロスは大きいが、離れた所からマークに魔力を送り込み、浮遊術をかけた。

 マークは背中に温かいものが流れ落ちるような、馴染みになった感覚を感じた。

同時にティアラが戻ってきた。

「守れ!」

 マークが叫ぶと、ティアラは再び、自分の好きな獲物を選んで、パッと人間松明のように燃え上がらせ、その間にマークは安全に屋根の上に上がることができた。

 銀ぎつねは信じられないという表情で、生きているマークをまじまじと見ていた。

「早く!銀ぎつねさん!この穴塞いで!」

「でも塞いだらティアラが戻ってこないです!」

「ティアラが通るくらいだけ開けておけばいいよ!」

 マークは正しかった。小さな穴に、ガツンガツンと武器や発破が当たる中、ティアラだけが戻ってきた。



 銀ぎつねはマークを抱えると、地面すれすれを滑るように浮かんで動いた。その間、一言も口を利かなかった。マークは自分からしゃべってみた。

「お城の方に向かうの?フルトさんそれはするなと言ってたよ。」

 しばらく待ってみたが返事はない。

「魔法使ったら見つかるって言ってなかった?いいの?」

「誰かの陰謀で残されたのですか?誰か目が覚めた解放戦線の人に、突き飛ばされたのですか?」

 銀ぎつねはようやく言った。

「違う。僕が残った。…だって銀ぎつねさんの役に立つと思ったんだ。実際僕役に立ってるでしょ。」

嘘をついている。両親の事が気になって残ったのだ。と、銀ぎつねは思い込んだ。彼女は建物の陰で止まると、あたりに人影も気配もないことを確認してから、じっとマークを見つめた。その目には涙がにじんでいた。マークはひょっとしたら喜んでくれているんじゃないかと期待したが、もちろん銀ぎつねは怒っていた。

「あなたは絶対に避難しなくてはいけません。理由は言えないけど、次の便で避難するんです。私では守りきれません。このあたりにさっき囚人の人たちが逃げてきたはずなので、その人たちを分かる範囲で助けます。あなたと一緒に送り出します。」

「僕役に立ってなかった?」

 銀ぎつねは眉をひそめた。

「役に立っています。でも私が頼りにならないのは、もう分かっているでしょう?私と一緒にいたら、あなたは死にます。」

 銀ぎつねはきっぱりと自分があてにならないことを認めて続けた。

「いいですか。私も避難民だったのです。だからこれから生きていくのが大変なことは知っています。それでも、手足がそろっていれば、まだ希望があります。それにあなたは賢くて心根がまっすぐで、働き者です。だから大丈夫。」

「まだおかみさんたちは生きているかもしれない。死んだみたいに言わないでよ。」

「そうでした。きっと生きています。」

「見つけてくれる約束だよね。」

「そうです。」

「今やって。物探しの呪文使えるんでしょ。」

彼は強いまなざしで銀ぎつねを見つめた。

「…。」

「今その魔法使って。魔法使うと目立つって言ってたから、頼まなかったけど、今使ってるじゃない。目立っても一緒でしょ。生きていたら、今助けたいんだ。そしたら、間に合うかもしれないじゃない。今探してくれなかったら僕どこにも行かない。おかみさんも親方も働き者なんだ。きっと生きてる。」

 銀ぎつねの眼に強い同情が浮かんだ。一瞬そうしようかと考えたのも見えた。しかし、険しい顔つきに戻った。やめにしたのも見ていてすぐに分かった。マークは怒った。

「何でだめなの!」

「大きな声を出してはいけません。」

「銀ぎつねさんが魔法で探してくれるまで、大きな声出してやる!黒魔が来るよ!」

「シッ。静かに。静かにしたら話します。」

「静かにしたよ。話して。」

「あなたと一緒の間はだめです。魔法を使うのは、教会からできるだけ遠く逃げるのに必要だから。今使わないのは、見つかった時、あなたを危険にさらすからです。分かりましたか?さあ、大分離れたから、ここからは歩いて移動です。色を変えますよ。」

 銀ぎつねは右手を軽やかに降って陣を描いた。マークは見事に白くなり、壁の漆喰に同化した。

「じゃあ、僕が避難したら、すぐに魔法を使って探してくれる?」

「…。」

 銀ぎつねはためらった。もし両親が死んでいたら、この子は深い絶望に叩き落される。もし生きていても、城の中や助けるのに時間のかかるところ、遠い所や危険な所にいたら助けられない。人間を連れているとは瞬間移動ができない。連れて逃げるには、戦いに長けた魔法使いでなければだめなのだ。それに、マークの両親を助けることは、優先事項ではなかった。生きていると分かっていて助けられなければ、今よりももっと苦しいだろう。

 もちろんマークにとっては、最優先事項なのだ。

「それを頼むのはマスターの方がいいでしょう。彼ならきっと…キャアッ。」

 銀ぎつねは言いさして途中で悲鳴を上げて、その場にしゃがみ込んだ。

「どうしたの?誰かに攻撃された?何?何なの?」

「瓶が傷ついた…。」

 誰かが私の魔法のせいで死にかけている。そんなことした覚えはないのに。銀ぎつねは素早く思いを巡らせて、教会の地下墓地から出る時に、解放戦線のリーダーが、地下墓地への階段をふさぐなとこだわったことを思い出した。さらに、自分たちを全く信用しておらず、もともと避難する気などなかったことも思い出した。

(誰かを地下墓地に残していたんだ。子供か女性か、戦闘に向かない人を。それなのに私は、黒魔を教会に閉じ込めてしまった。地下墓地への入り口を開けたまま。)

 銀ぎつねの魔法が人間を殺すことになれば、魔力瓶は汚染されてその瞬間に黒魔になってしまう。銀ぎつねは体の芯が冷たくなった。

(今すぐ行けば間に合う。まともな黒魔なら長く苦しめようとするはずだ。まだ死んでない。)

「行かないと…。あなたは隠れていて。絶対に隠れていて。」

 銀ぎつねは息も絶え絶えになりながら、いびつな円を描いた。マークは手伝おうとしたが、手で制された。

「離れていなさい。」

 そして銀ぎつねは消えた。マークは漆喰色のまま取り残されて、さきほど蛇のおなかの中に置いたままにされた銀ぎつねと似たような置き去り感を味わった。

 さて、置き去りにされはしたが行動の自由を手に入れた。すぐにマークは囚人を探す決心をした。さきほど銀ぎつねが、逃げた囚人がいると話した時から、その中に両親がいるかもしれないと思っていた。

(隠れていろって言われたけど、いいや。どうせこの色じゃ、建物の中だと目立つし。)

 リュックを背負い直して、決意を固め、歩き出したが、3歩も歩かないうちに、目の前にマクベスとカルビンが現れ出た。魔法使い抜きで行動するのは無理なのだろうか。しかも出てきたのはマクベスだ。プラスまた知らない魔法使いだ。喜んでいいのか警戒すべきなのか分からない。

 マクベスはよろめいて壁に手をついた。

「水だ。足軽、水を探して来い。一升ぐらい持って来い。」

「アイアイサ。」

 カルビンはさっと近くの建物に消えて、マクベスはうめきながら地面にしゃがみ込んだ。

「あああ。とにかく意識は失わずに済んだぞ。銀ぎつねは来なかったのか?」

「来たけどまた行っちゃった。」

 銀ぎつねが蛇の腹から無事に脱出できたことが確かめられたので、マクベスは二日酔いとの格闘に専念した。

マークは銀ぎつねに、『両親を探したければマクベスに頼んだらいい』と言われたことを思い出し、急いでリュックから水の残りを出した。銀ぎつねに飲ませようと思ってとっておいたが、銀ぎつねがゾンビ状態で現れたショックで頭から抜け落ちていた。

「水あるよ。」

 マクベスは掴み取って、一気飲みした。それでもまだ元気にならないようだ。

「もうないのか?」

 マークは最後の小さな一本も差し出した。マクベスはそれも一気に飲み干すと、当然かもしれなかったが、トイレを探して、建物の中に入った。

「久しぶりに飲んだせいで余計にきつかった。水をたくさん飲んでおけば悪酔いも防げるのに、向こうは潮水しかないから、気軽に水を頼めない。」

 マクベスが意味不明なことを言ったが、マークは無視した。

「僕の両親を探してほしいんだけど。」

「後でな。」

「最初に約束してくれたよね?」

「今は敵を倒すことが先決だ。今日中に仕留めるぞ。終わったらいの一番に探してやる。…家族が危ないのはお前だけじゃないんだぞ。」

 マクベスはマークの不満顔を見て最後の文句を付け足した。そして、用を足し終わると、銀ぎつねの不在の意味に気が付いて顔をしかめた。

「銀ぎつねはお前を一人にして消えたのか?」

「うん。なんだか急に苦しみだして、慌ててどこかに行ったよ。それに、銀ぎつねさんがいなくなってすぐにマクベス様たちが来たし、…」

 マークは銀ぎつねをかばおうとして弁護材料を探した。

「『ビンが傷ついた』って言ってた。誰かの名前かもしれない。重要な人の。」

「瓶が?苦しみだしてから『瓶が傷ついた』と言ったのか?」

「うん。」

 マクベスは両眉がつながるほど眉間にしわを寄せた。よほど深刻な事態らしいとマークは見当をつけた。

「わしも行く。離れていろ。」

 こうしてマクベスもまたマークを置き去りにした。

 マークはしばらく哀愁に浸っていたが、水の入った鍋を持ったカルビンがばたばたと息せき切って現れた。

「マスターが、マークを守れと言ってきたが…。君がマークか?」

「うん。」

「シンシティの王女の婚約者?」

「うん。」

 マークは鍋を受け取って、空のペットボトルに詰めた。

「命に代えてもお守りいたします。」

「ありがとう。一緒に囚人たちを探してくれる?」

「命に代えても守れと言われております。あまり移動はなさらないようにお願いいたします。」

 この低姿勢ぶりにむしろマークは空恐ろしくなった。この人は強そうでプライドもかなり高そうに見える。シンシティに帰って、王女との婚約が白紙に返り、元の掃除夫に戻ったら、この人は何と言うのだろう?怒り狂うのではないかという気がする。かと言ってこの状況で正直に掃除夫ですと言って、見捨てられる危険も冒したくはない。

「あの…敬語使わないで。僕はただの…市民だから。あっ王女の婚約者なのは本当だよ。今のところ。でも、帰ったら…あー…また変わるかもしれないから。お名前を教えてください。僕はマーク。」

「カルビンです。あまりちょろちょろしないでください。守りきれない。」

「僕の両親がいるかもしれないんだ。囚人の中に。銀ぎつねさんが、帰ってきたら皆を避難させると言ってたから、集めておくのがいいと思う。」

 マークは水を補充し終わって重たくなったリュックを背負った。

「囚人の人たちってどこから逃げたんだろう。」

「城の南からです。」

 カルビンはその辺の事情に明るかった。彼が逃がしたからだ。

「どこに逃げる?」

「それは近くの建物の中でしょうな。見つかりにくい。理性があれば散らばって逃げるでしょう。だが遠くには行けないでしょう。歩くのもやっとでしたから。」

「うーん。手分けして探す?」

「絶対に離れないでください。…ところで何で真っ白なんですか?部屋の中にいたら目立ってしょうがない。」

「銀ぎつねさんがやった。」

「まったくあの魔女は役に立つことをしないな。」




 マクベスは教会の中に瞬間移動したが、銀ぎつねの姿が見当たらなかった。壁のすぐ近くにワープして、よく見るとその壁が盛り上がっているから、中に閉じ込められているらしい。開いてやろうとしたが、見知らぬ黒魔が術をかけているために、マクベスには開けられなかった。

手のひらを当てて集中すると、魔力は2層になっていた。外側には銀ぎつねが荒く網目状に魔力を張っていて、内側には見知らぬ黒魔の粗雑な魔力が密にかかっている。

 マクベスは銀ぎつねの名前の織り込んである外側の壁を動かしてみた。中にいる銀ぎつねは空気が不足しているだろう。しかし銀ぎつねを取り巻く石の壁は薄くなっただけで、穴の開いた気配がしない。

マクベスは教会の中に向き直った。銀ぎつねの閉鎖術のために教会は点一つの光もない。しかしマクベスは目に頼らずに物を見るので、何の不自由もなかった。

(黒魔が大勢。20人じゃきかない。壁はひどく変形している。黒魔を閉じ込めたら、うっかり人間も一緒に閉じ込めていて、慌てて駆けつけて応戦したが人質を取られているから壁に閉じ込められたという所か?人質は何人かもどこにいるのかも分からん。ふうむ。…急ぐ時にとんでもないへまをしてくれる!)

 マクベスは腹を立てて、銀ぎつねの妻の順位を最下位にしてやろうとさえ思った。

―銀ぎつね。返事はするな。お前そこにいるのか?

 石の壁の向こうで、生卵を揺らした時にかすかに黄身が揺れる程度の振動があった。

 マクベスは猛烈に怒り狂いながら教会の外にワープした。銀ぎつねのいる場所はすぐに分かったが、石の壁を銀のナイフでトントンやっている時間はない。

 マクベスは炎の龍を全部出すと、石の壁を焼いた。中の銀ぎつねは石焼きにされて遠赤外線であぶられているだろうが、護りの術があるから死なないだろう。熱疲労で壁が弱ってきたところで、マクベスは空気を巻き上げて、壁を冷やし、最後に杖でとんと突くと、卵の殻を破るように石の壁が割れて銀ぎつねが出てきた。

 ひどい汗みずくで、ぜいぜい息を切らして酸素を吸い込んでいる。マクベスは構わず話しかけた。

「人質を取られているのか?教会をお前が閉じたせいで人が死にかけて、魔力瓶が傷ついているのか?」

 銀ぎつねは必死にうなずいた。

「ならばとるべき手段は1つだ。教会を開け。閉鎖術を解けば、人間が死んでもお前の術のせいではなくなる。逃げない人間が悪いことになる。今すぐ解け。」

 銀ぎつねは手を動かして必死に何かを訴えた。手を地面より少し上あたりでスライドさせるのは、子供がいるという意味らしい。

「うるさい。早く術を解け。わしが解いてもいいが、そうすると人間が死んだときにお前の瓶が汚染されるかもしれんぞ。今すぐ、二人で、ヴィラを、殺しに行く。助けたいなら、ヴィラを殺した後で戻ってきてやれ。」

 銀ぎつねは諦めて、手を壁につけた。最後にマクベスを訴える目で見た。マクベスは眉がつながるほど顔をしかめて見返した。

 銀ぎつねが呪文を唱えると、教会の壁が一斉に開いて、中が丸見えになった。と同時に、マクベスはほうきに変身して、銀ぎつねを上空へとすくい上げた。



 銀ぎつねは上空の清潔で冷たい風に吹かれると、不快さを一時忘れて、少し元気を取り戻した。

「『物探し』だ。ヴィラはどこにいる?…おい銀ぎつね。」

 銀ぎつねはぶつぶつと小声で何かつぶやいていたが、我に返った。

「私はヴィラを見たことがありません。」

「わしはある。わしの意識を投影しろ。」

 銀ぎつねは不快さを忘れると同時に、呪文の細かいところも忘れていた。蛇にのみこまれたり、人間に裏切られたり、黒魔に痛めつけられたり、人間を見殺しにしてひどく気が咎めていたり、一日でいろいろとありすぎた。特に一分前には体の芯まで火が通りかけた。あれが一番大変だった。

 ここ半日を振り返っても、忘れるのも無理はないと銀ぎつねはつくづく感じた。彼女はこっそり緑のメモを肌着の隠しポケットから取り出した。暗号で呪文や注意を書き留めてあるのだが、残念なことに汗でびっしょり濡れて字が読めない。肌身離さず身につけていたことが災いしたようだ。それもただの汗ではなく、蛇の粘液がたっぷり含まれていたせいで、前の方のページに書いてあるインクの文字はにじんだ上に完全に消化されてきれいに消え失せていた。

「どうした。わしを恨んでいるのか?」

「とんでもない、マスター。呪文を思い出そうとしているだけです。」

 銀ぎつねは一生懸命目を凝らして、消えかけた鉛筆の文字を解読しようとしながら言った。

「今は小事を捨てろ。ヴィラが守りを固める前に、殺さねばならんのだ。それにマスターの気が変わる前にな。…恨んでないな?」

「マスター。恨んでおりません。さっきは子供たちの冥福を祈っていただけです。苦しんで死ぬのでしょうが、死ねば苦しみも終わるでしょう。…私が避難させる人間を一人残しておくのでした。医者が適当でした。けが人が出たら治してもらえたし、教会の中に子供と女性が残っていることを、教えてくれたでしょうに。あの中には医者がいたことを知っていたのに。…次があれば、次は必ず医者を残します。」

 銀ぎつねはやっと呪文を思い出して、緑のメモを元通り下着におさめてから、念入りに陣を描いた。

「お前は知に勝ちすぎてるな、銀ぎつね。ここは涙を落とすところだ。」

ほうきマクベスは言いながら、嬉しくてにやりと笑った。

 賢しくて従順で若くて、願わくば美しい魔女を従えて、これからの人生を生きていくことができるのだ。味気ない魔法使いの人生が、これでどれだけ明るくなることか。ただし、ほうきだったので、表情は外に出てこなかった。

「従順に従う限り、泣かなくても咎めたりははせん。わしは度量は広い方だ。しかしこの失敗は痛いぞ。お前の妻の順位は9番目にする。白魔が魔法を使う時に人間を巻き込まないように注意するなど、基礎の基礎だ。こんなへまをした以上、仕方ないと思え。しっかり妻の務めを果たせば、態度次第で順位は上げてやる。」

 ほうきマクベスはずらずらと述べ立てた。銀ぎつねは妻の座がまだ用意されたままであることに内心がっかりした。

「マスター。準備整いました。ヴィラのことを思い浮かべてください。…北です。」

「見えた。森の中だな。光を消せ。」 

 マクベスは光の線がさした方をしっかりと記憶におさめ、銀ぎつねは陣を消した。昼間だったから光の線は、それほど目立たなかったに違いないと、マクベスは考え、一直線にヴィラのひそむ森へ飛んだ。


 

 一方シンシティの囲みを担当していたウーズ司令官は、ウォンシティの特別アイテム「共鳴音叉」から『全員を即刻城へ送りかえせ。』という指令を受けて、絶句していた。

反論などしてはいけないことは知っている。シンシティの人には恨みもなければ恩もない。最後の時が先延ばしになってよかったなと、肩をたたいて軽く言ってやりたい程度の感情しかない。

しかしこの『即刻』という言葉が気にかかる。これは、全軍全速で戻れという意味だろうか?それとも全員を瞬間移動で送り返せという意味だろうか?ウーズが迷っているうちに、次の指令が来た。

「一人残らず瞬間移動で送り返せ。」

「しかしヴィラさま。瞬間移動を使えるものはこの隊に3人しかおりません。」

「いるのなら、できるではないか。大きな円を描いて全員を送り返せばよいのだ。城は崩壊しているから、全員を城に送っても問題はない。すでに平地だ。」

 ウーズは故郷の城が崩壊しているということにはもちろんかなりの衝撃を受けたが、それよりも差し迫った問題が、消費魔力をどうするかだ。ヴィラがかかった魔力を補てんしてくれるとはとても思えない。そうすると、仲間を「食う」しかない。

少しずつ瞬間移動をしてみて、必要量をはからなければならない。共に戦った仲間を何人殺さなければならないだろうか?誰から「食う」のがいいだろう?それを決めるのも、自分がやらなければならないのだ。

「ヴィラさま。少し大仕事になりそうです。」

「30分以内に。」

 通信は切れた。「共鳴音叉」は震えるのをやめてただの音叉に戻った。

 時間が迫っているので、ウーズは考える前に立ち上がり、全員すみやかに中央テント前に集合するようにと、広範囲にわたるテレパスを送った。

 ウーズはどやどやと集まってくる部下たちを陰鬱な気持ちで眺めた。

「一体何事ですか?」

「全員集まったか?」

「森に隠れている人間を狩りに行っている者がまだ戻っていません。」

 よし、そいつらを「食おう」。と、ウーズは少し明るい気持ちになった。弱っている人間を追い詰めて殺すような輩は、殺しても胸が痛まないし、魔力も貯め込んでいることだろう。足りなければ今返事をした者を殺すのがいいだろう。ちょっと前まで自分も人間だったくせに、「人間を狩る」などと平然と言う奴も、死んでいい魔法使いのカテゴリーに入るんじゃないか、とウーズは思った。

「そいつらはどこにいる?」

 彼はことさらいかめしく尋ねた。

「この近辺にいるはずです。」

「分かった。念のために後でもう一度テレパスを送る。…いいか、ヴィラさまから指令だ。今すぐウォンシティに戻れとの仰せだ。なので全員を城へ送り返す。全員即刻出発の準備にかかれ。」

「何かあったんですか?」

「分からない。状況は不明だが、ヴィラ様直々のご命令だ。」

 そう答えながら、ウーズは初めて思い至った。そうだ、何かあったに違いない。ヴィラは窮地に立たされているのかもしれない。ここは反逆のしどころだろうか?前から何度も考えてはいるのだが、結局命が惜しくて実行していない。

「ヘッケル、マーグリス、お前達から先に行け。後から送り込む者たちを統率するように。」

 ウーズは腹心の部下をまず送り出した。そしてその消費魔力をもとに、必要な魔力の大体の目安を付けた。そして、人間達を追い詰めては殺している最低ランクの部下たちが戻ってくるのを待った。戻り次第物陰に引っ張り込み、人知れず殺して、魔力を調達しなければならない。

 待ちながら、反逆をするかしないかでぐるぐると思いは廻った。

 しようかと思うと、次にはうまくいかないかもしれないと思うし、やめようかと思えば、これが最大のチャンスかもしれないと思い直す。

(師匠がいてくれればなあ。)

 師匠がいたころは、内心バカにしていたのだけれど、今は口癖だった「長いものには巻かれろ」という文句を聞くだけで、すべての物思いを忘れて無心になれそうだ。

(ああ、あのバカな老人が恋しくなるとはなあ。あの人にもいいところがあったよ。一体どこに連れてかれたんだろ。)

 


ほうきマクベスは、森に着くまでの間に、手短にいきさつを話した。

師匠に呼ばれて行ってみたら、ヴィラが妹弟子であったこと。相当可愛がられているので、かえって自分の方が殺されそうで危なかったこと。とことんお酒に付き合えば何とかなると思ったが、それほどうまく行かなかった。ヴィラへの信頼は相当なものだった。

ところが、マスターが追いつかっていた従僕ラッコが、思いのほか可愛がられていて、ラッコを殴ったヴィラが窮地に立たされたこと。その隙に乗じてあることないこと言いまくり、何とかヴィラと正々堂々の勝負まで持ち込めたこと。

「とはいえ、数では向こうの方が圧倒的に有利だ。それに師匠の気がいつ変わるかもわからん。これは急げばこちらに利が向き、長引けばこちらが不利になるぞ。分かったか。」

「了解しました。マスター。ところですみません。マスター。」

「何だ。」

「申し訳ないのですがもうとても動けません。ここにしばらく置いていってください。」

 疲れ切った銀ぎつねは座った体勢すら保っていられず、ほうきから落ちかけた。落ちるつもりだった。

「しっかりしろ!根性出せ!」

「もうとても無理です…。」

ほうきマクベスは房をはねあげると、柄の先に銀ぎつねを引っかけて、盾にしながら移動することにした。彼はこの方法にいたく満足した。

「これなら近づいてもわしは安全だ。」

 銀ぎつねは抗議したかったが、体をまっすぐにしていなくていいのを幸い、全身の力を抜いて半分寝ていた。

「見つけた。人間だ。銀ぎつね、起きろ。」

 銀ぎつねの頭はぐらぐらと揺さぶられた。

 宙づりになった白銀の魔女ルックのおばあさんを見かけた使用人は、水汲みのバケツを放り出して、慌てて駆けて行った。

 マクベスはほうきのまま顔をしかめると、去って行った方角を見極めてさっと上空に舞い上がった。彼は銀ぎつねを揺さぶり起こしていても無駄なことは分かっていたので、最初から炎の龍を出して火傷させた。

「銀ぎつね。起きろ。この土地を丸ごと封じてしまえ。ここから北の10キロ四方を壁で囲め。」

 寝ぼけた銀ぎつねがその言葉を理解するまでにしばらくかかった。

「しかしマスター。」

「早くやれ。」

「教会の二の舞になりませんか?また人間と黒魔を一緒に閉じ込めたら…。」

「壁に扉を開けてやれ。そうすれば少しずつ出てくるだろうし、人数も把握しやすい。攻撃もしやすい。扉があるからには、閉じ込めた事にならない。魔法使いのルールは適用されない。念のため警告を送れ。」

 銀ぎつねはふにゃふにゃ言いながら魔法を準備した。ほうきマクベスは銀ぎつねの折り紙を取り出した。

「お前の『眼』を一つ飛ばすぞ。中にヴィラがいたら分かるようにな。」

「アイアイサ。」

 銀ぎつねは閉鎖術を発動させた。大きな石のドームが、森全体を覆った。鳥が飛び立ったが、石の天井に阻まれて墜落した。鳥の中に浮遊術で飛び出した黒魔が交じっていても同じだっただろう。

 銀ぎつねはドームの中に紛れ込ませた『眼』を動かして、くまなく調べた。

「何が見える?」

「真っ暗で何も見えませんが、黒魔の気配はあまり感じません。人間しかいないようです。」

「サーチしろ。ヴィラは逃げた。次の場所に追う。」

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