Ⅵ 敵はまとめて殺さなければ戦禍は長く続く
「上に移動だ。家族のいるやつは先に行け。マーク!」
「あと27分。」
「時間に間に合わなかったやつは置いて行くぞ。」
マクベスは周りを見渡して、家族を呼びに行った人は若干名しかおらず、まだ本気でついてくる気はなくてただどうなるか見ているだけの様子見の人たちであるのを見て取った。
(まあいい。警告は行き渡っただろう。各自隠れていればそれでいい。)
マクベスは立ち上がり、銀ぎつねを転がしてどかし、じゅうたんを片付けた。
「銀ぎつね。そろそろ行け。」
「マスター、まだ回復していません。頭が痛くて…。呪文が唱えられません。」
マクベスは銀ぎつねにかがみこみ、テレパスで言った。
―眼を溶かせ。
「マスター、あれはガードに必要になります。3つしかないし…。」
―構わん。今お前が動けなければ来た意味がない。必要なら3つとも使え。
マクベスは預かっていた銀ぎつねの白の折り紙を周りに見られないように手を握るようにして銀ぎつねの手の中に押し込んだ。
銀ぎつねは1枚だけ受け取り、あとは押し返した。解放の呪文をつぶやくと、軽い風が巻き起こり、銀ぎつねは1か月若返った。彼女は普通に立ち上がった。
「ではマスター。」
「うむ。」
銀ぎつねはほこりの上に円を描くと、しゅっと空気を切り裂いて消えた。
「上へ案内してくれ。」
一行はジーガンのランプに合わせて移動を始めた。
「マクベス…様。僕も避難する人たちと一緒に行くことにするよ。両親はすぐに見つからないことが分かったし。全部終わってから探しに来る。」
マークは言った。
「いや。お前は残れ。」
「何で?」
「必要だ。」
「人間の助けがいるなら、ロングさんかジーガンさんか誰かが残ってくれると思うな。僕が行く方がみんな信用するし…。」
「お前の助けがいるんだ。とにかく残れ。」
「役に立つとは思えないし…。」
「立つ。前にも言ったが役に立つ。現に立っている。…ついてきて手伝うなら、事が済んだ後、両親を探すのを手伝ってやる。」
「でも、危なくなるんでしょ?僕が死ぬことは、父も母も絶対望まないと思う。」
「探すのは魔法があればすぐだぞ。」
マークは気乗りがしなかった。マクベスは声を潜めてマークだけがかろうじて聞き取れる音量で言った。
「ここだけの話、避難までは責任を持つが、そのあと食べ物と住処をどうするかは自分たちで勝手に探してもらわなければならん。黒魔が追ってくるようなら、自力で隠れなければならん。わしと一緒にいる方が安全だぞ。」
「う~ん。」
マークが一番不安なのは、銀ぎつねがどこかに行ってしまったことだ。マクベスと二人だけでいるのは怖かった。マクベスが脅しだけで、実際には何もしないと見て分かっていても、やはり一緒にいるのは落ち着かなかった。
マークも声を潜めた。
「ティアラはちゃんと返すよ…?次の人につけてもらえばいいし。」
マクベスは説得をやめてとりあえず逃げられないようにマークの腕をしっかりつかんで隣を歩かせた。
「ジーガンリーダー。リーダーの話をまだ聞いていませんな。ご職業は?」
「城でコックをしています。緊急事態だと聞いて会いに来ました。が、普段はそこで情報を集めています。私の料理がうまいので、魔法使い達も手放さないんですよ。」
「ヴィラという魔女がいるようですが。」
「彼女はお妃の一人ですな。信じられないことですが、王宮の人たちはほとんど、外で起こっていることを何も知りません。奴隷達がふえるのも出稼ぎに来ているとばかり思っています。街の人たちが消えているのも知らないのです。大臣から給仕の女の子まで、ほとんど外に行くことはないですから。あっても戦争のせいだと思っています。」
「あなたも一緒に避難されますか?」
「いいえ。私は残ります。ロングが皆と一緒に行ってくれるでしょう。私は残って危ないようなら避難しなかったものを守ります。」
ロングは離れた場所からそれを漏れ聞き、ジーガンは自分にリスクを負わせる気だと感じた。ここにいる誰もこの魔術師を信用しきれない。行きたくない。
ジーガンは鉄の柵の付いた階段を照らして、重い柵扉を開け、マクベスを先に通そうとしたが、マクベスは動かなかった。
「先に避難する人たちを通せ。」
ジーガンはしばらく待ったが、マクベスは頑として動かない。
「では、その子を先に通すのはいかがかな?」
「この子はわしのそばを離れない。わしの相棒だ。」
マクベスは無表情でジーガンを見返すと、マークを自分の脇にに引き付け、鉄の柵扉から離れた。
ジーガンはため息をついた。ここは魔法使い用の罠の一つで、先に通すことができれば、上からも鉄の扉を閉めて、二つの鉄扉の間に魔法使いを閉じ込めることができた。扉と扉の間の壁はれんが造りになっていて、魔法使いが石を変形させても抜け出せないようになっていた。
マークを人質に取ろうかと思ったが、それも失敗した。
「では。」
ジーガンは合図して、人々を上に上がらせた。
十分人の密度が濃くなったと思われたころ、マクベスもマークを脇に引き付けたまま人の列に交じった。
ジーガンもすぐ後に続いた。
「ロング!誰も残っていないことを確認して最後君が上がるときに扉の鍵を閉めてくれ。…シンシティの王から派遣されたとおっしゃいましたね。」
「そうだ。」
「この子も?まだ子供だ。」
「わしも子供だぞ。」
「あなたには貫禄があるけど、この子は本当に子供に見えますよ。…いくつですか?」
「14です。…あと17分になったよ。」
「そんな幼いのに?戦いに来るとは感心だ。両親を探しに来たって?勇敢だけれど、どうやって連れてきてくれるように魔法使いを説得したの?」
マークは、二人の魔法使いの間で交わされた会話は全て機密事項で、シンシティの存亡に関わると言われたことを覚えていた。マクベスの方から誘われたことは言っていいのだろうか?銀ぎつねさんが止めたのに、マクベスが強引に押し切ったことも?
マクベスの方を見たが、マクベスは時々背後を注意深く見つめてもくもくと登っているだけだ。
だめっぽいと、マークは判断した。
「魔法使いのおじいさんを倒す手伝いをしたんだ。それで、連れてきてもらえた。」
「いや。若いのにそんなこともできるの。ふうん。感心だ。」
ジーガンは心から感じ入ったという風にマークを見て笑った。マークも笑い返したが、すぐに前を向かなければ後ろを向いていると階段を踏み外しそうだった。
「魔法使いを倒すってさっき持っていた銀のナイフで?君はナイフを扱えるんだな?」
「いや。僕はそのおじいさんの掃除夫だったんだ。えっと…身の回りの世話をする人にしてくれると言ってた。けど、悪人で、マクベスがその人のインチキを暴いた。それで、僕のことを役に立つと思って連れてきてくれた。『正義感がないからいい』って言ってたよ。ね?」
「そうだ。」
「なるほどねえ。」
マークは後ろばかりを向いていられなくて前を見た。次の瞬間には前を歩いていた人が細身のナイフでマクベスの胸を突き刺した。マクベスは隣で崩れ落ちた。マークはびっくりしすぎて声も出せなかった。
もしかしたら今見たものは気のせいかもしれないと思い、マークはそのまま前に進もうとしたが、マクベスが腕をつかんでいたので、一緒になって階段に倒れた。
「魔法使いの上に覆いかぶされ!まだ死んでないかもしれん!」
ジーガンがしわがれ声で号令をかけると、後ろからも前からも、人々の体が覆いかぶさり、マークは押しつぶされて死ぬかもと一瞬思った。
「魔法使いは手と口を封じろ!それで魔法は使えなくなる。大丈夫!そいつは白魔術師だ。口では偉そうなことを言っても、人間に危害は加えられん。…子どもは生きてるのか?人質にする。」
マークは乱暴にひっぱりあげられ、荷物と外套とベルトをはぎ取られたが、幸い帽子は残っていた。
マークは周りを見て、今ではないと判断した。
(人が多すぎる。退路を確保した時だけ使えと、マクベスも言ってたし。)
本音を言うなら、人間相手に使いたくなかった。人が丸こげになるのを見たくなかったし、銀ぎつねの寿命を減らしたくもなかった。
マークはマクベスの方を見たが、人の体に埋もれて服の切れ端も見えなかった。
それに今思ったのだが、このティアラは「その場にいる一番悪い人」を焼き殺すものだと言っていたが、マクベスは「一番悪い人」に入るかどうか微妙ではなかろうか?
やはり使わないほうがよさそうだ。
「ようし。もういいぞ。手と口をしっかり封じて、こちらに連れて来い。…やはり死んでない。」
マークの目には死んでいるように見えた。顔は服でぐるぐる巻きにされて、手も足も動かず、人に動かされるありさまは、操り人形のようだ。
押しつぶされて少しぺったんこになっているようにも見える。
(マクベスが死んだ!)
マークはどれほどこの魔法使いを頼りにしていたのかをまざまざと感じた。
(僕はここでつかまって一生こき使われて死ぬに違いない。…長生きできたらだけど。)
誰かがマクベスに刺さったナイフを引き抜いたが、マクベスはうんともすんとも言わなかった。身動きすらしなかった。銀色を帯びた血が、水の入った袋に穴を開けたように、静かに止まらずに流れ出た。
「念のために殺しますか?」
ナイフを引き抜いた若い男が血の付いたナイフをマクベスののど元にあてがいながらジーガンに尋ねた。
「いや。いい。」
男はナイフの柄をジーガンに差し出し、丁寧にお辞儀した。
ジーガンはマクベスのぐるぐる巻きの顔を見つめて考えていたが、ナイフを構え直してマクベスではなくマークののど元にあてがった。マークは汚い刃が肌の温度で温まるほど近くにあるのを感じた。
マクベスはよい魔法使いなのだと言ってみようか?
マークは考えたがやめにした。たぶん無駄だ。発言を許されそうもない。生かしてもらえないのなら死ぬほかない。
「魔法使い。聞こえているだろ?今すぐ返事をしなければこの子供を殺す。3…2…イ」
1を言い終わる前にくぐもった声が服の下からした。
「よし。両方の手に1人ずつ取り付け。指も手首も動かせないようにしろ。陣を描けなければ魔法は使えない。…さあ、顔の布をほどいてやれ。」
マクベスは確かに生きていた。しかしその生き方は多少変だった。顔も体も死んでいたが、銀色の幽霊のような形が、体の上に重なり、それが動いて表情もあった。
(生きていた!)
マークは手足に温かい血が通うのを感じた。生きていてくれるのならたぶん安心だ。
「生きていたな!」
ジーガンもどこか嬉しげに言った。
「本体が傷ついた。」
「そうか!」ジーガンは勝ち誇った。「そうじゃないかと見当をつけていた。」
「助けにきてやっているのになぜ襲う?」
「魔法使いなど信用できない!それより聞きたいのは、もう一人の魔法使いはどこに行ったのかという事だ。もう一人の魔女はいったい何をしている?」
「『守れ!』」
あれこれ考える前にマークの口が勝手に叫んでいた。
「何だと?」
ジーガンは不穏な響きの声でマークに顔を近づけた。
マークは冷や汗をかいた。何も起きない。マクベスの顔も待ち構えるように見つめている。3秒ほどがたった。
カチンとライターを付けるような音がすると、帽子がはねとび、マークの顔面は炎の中にあった。
正確には、ジーガンの頭がろうそくの中に入ったように燃え上がっていた。
マークはジーガンの腕をすり抜けたが、ジーガンはそれどころではなかった。
ひどい叫び声を上げながら、狭い通路の壁に頭をこすり付け、床にたたきつけ、周りの仲間たちが服で叩いてもみ消そうとしたが、ティアラのはまった頭はすさまじい勢いで燃え上がり続けて、しまいには誰も近づくことができないほどになった。
その間、ジーガンはすさまじい声でわめいている。
マークは心配になった。
(悪い人じゃないんだ。仲間を守ろうとしただけ。魔法使いを警戒するのは当たり前じゃないか?)
と、思ってはみたが消し方が分からない。
たぶん持ち主の自分なら消せるのだろうが、消し方が分からない。
帽子を拾い上げると、離れることもできず、おろおろと、熱気に押されながらその場にとどまっていた。
「マクベス!マクベス!」
同じように何もできないが離れることもできず、息をのんでリーダーを見つめる人たちの間でマークは叫んだ。
「この火を早く止めて!まだこの人生きてるよ!」
マクベスは騒ぎに乗じて奥の手のほうきに化けて縛めを逃れていた。
マークの居場所が分かったので、浮遊術で釣り上げて、人のいない教会側の入り口まで飛ばした。
「マーク!」マクベスは片手でしっかりとマークを抱きしめた。「お前のおかげで助かったぞ。礼を言う。」
「…」
マークの頭の中で様々なことが去来した。さっきまで死にかけに見えたけどあれは何だったの?早くあの火を消さないとジーガンが死ぬから消し方を教えて。こんな危ないとは知らなかった。なんで連れてきたんだ。荷物が全部取られて武器も何もないよ。外套も取られた。
しかし一番気になるのは、追われている物音がすることだ。
「あっちへ行ったぞ。」「捕まえろ!」「逃げられない。向こうの出口は閉まっているはずだ!」「あの魔法使いを捕まえれば火が消せる。」「子供を人質にすればいいんだ。」
その通りだった。そしてその子供とは、マークのことだ。
「追われてるよ!早く逃げよう!」
「逃げられない。」マクベスは真面目な顔でマークにうなずいた。「出られない。」
マクベスは上げ戸のようになっているが鉄格子でふさがれている階段の出口をあごで指した。それは鉄製で鍵がかかっていた。
「たしか、ロングさんが鍵を閉めてた。入る時はそうだった。」
マークは思い出して言った。
「よし、上から見えない所にいろ。声も出すな。」
マクベスはマークをさがらせると、ぷくっとふくらんで変形した。
凹凸を整えて、しばらくすると、汚れた白のコック服の色が現れ出た。…布袋腹とコック服と、人がよさそうだがどこか信用できない乱暴さのただよう顔立ちは、ジーガンに見えなくもない。しかし相手の意向など知ったことではないという自信にあふれた笑みは、紛れもなくマクベスの表情だった。
この人の近くに長くいるととんでもない目にあいそうだという確かな予感がした。本当になぜ王家のティアラはこの人物を一番の悪人とみなさなかったのかマークは分からなかった。
仕上げにマクベスは金の龍を出して金の炎に全身を取り巻かせた。
「熱い!熱い!おい!ここを開けてくれ!早く開けろ!俺だ!ジーガンだ!」
ひどいわめき声だと、ジーガンの声に聞こえなくもない。
「熱くて死ぬ!」
上げ戸が開いて、鉄製の格子から黒い人影がのぞいた。
「ジーガンさま。鍵は?」
「魔法使いにやられた!鍵を取り出す力がない!早く開けてくれ!あいつが追ってくる!閉じ込めないと!」
「鍵をいただかないと。開けられません。」
「予備のカギをロングが残していないのか!」
追手が見える所まで来た。わめき声が聞こえた。「いたぞ!」「子供から捕まえろ!」「恐れるな!人間に手出しはできないんだ!」
マークはあと5秒もすれば掴みかかられる位置にいたが、言われた通りじっとして声も出さなかった。
「早く!この戸を壊せ!」
マクベスは命じた。
「お下がりください。」
黒い人影は鉄格子に鎖を結び付けた。
マクベスは黒い人影が下がると、すぐに手を伸ばして陣を描き、呪文を呟いた。
追手は止まった。足が急に動かなくなったのだ。
マクベスがもう片方の手を伸ばすと、じゅうたんが現れ出てマークと追手たちの間に立ちはだかった。銀をかぶせたナイフが何本か、じゅうたんに突き刺さった。動けなくなった追手が投げたのだが、柔らかくて分厚いじゅうたんは衝撃を吸収して刃物を通さなかった。
じゅうたんはくるりと裏返り、柄の方をマークに向けた。
マークはナイフを回収して、(銀ぎつねルールでは、投げられたナイフは自分の物にしてよかったので、)ベルトを取り上げられていたので両手に持った。
ガコン。
鉄格子はひっぱられて鍵が壊れた。
マクベスは鍵が壊れると同時に金の龍を突き上げて扉を破った。自身も後から飛び出した。
マークも続こうとした。
「だめだ。誰も入るな。下にいろ。全員だ!」
マクベスは足で鉄格子を閉めてその上に片足をのせた。
マクベスはそれでいいかもしれないが、マークはそれだと非常にまずい。
リーダーを焼かれて怒り狂う解放戦線の戦士たちと閉じ込められることになる。
「僕だけでもそっちに行く。」
マークは鉄格子の下から言ってみた。
「今は話しかけるな。」
マクベスは両手を伸ばして教会の古い木製の扉に魔力を吹き込んだ。
遠距離で魔力を飛ばすとロスが大きいのだが仕方ない。
教会内は黒ずくめの烏兵や黒魔術師でいっぱいだった。巨鳥も何頭か、天井の高い教会内で、体をすくめて落ち着きなく待機している。
マクベスは教会のすべての扉を閉めた。自分の名前を織り込んで封印の呪文をかけた。
「魔術師はお前だけか?」
黒毛皮の帽子に銀の勲章を付けた黒魔術師が進み出た。
他の烏兵、下っ端の黒魔術師、巨鳥どもは、合図を待ってじっと感情のない目でマクベスを見つめている。
「ジーガン様はどうした?」
「殺した。」
「どちらにいらっしゃる?」
「もう死んでる。」
マクベスは子供に言って聞かせるように辛抱強く繰り返した。
銀の勲章を持つ魔術師はマクベスを無関心な目つきで眺めた。
「もう少し言えることがあるだろう?」
「ない。」
「もう一人魔法使いがいたと聞いている。魔女だな?」
「知らん。」
「どこにいる?」
「知らん。」
「いたことは確かだな?」
「お前は同じことを聞きたいようだな。知らん。」
「いたことは確かだ。なら、こいつは命がなくなっても構わん。全員そのつもりで、『かかれ』。」
マークは回収したナイフをすべて鉄格子のすきまからマクベスの足元に並べた。気が付いたかどうかわからないが、合図にマクベスの足を軽くたたくと、急いで退却した。そして、何とか暴力沙汰を避けるため、自分から解放戦線に投降した。巻き込まれないように後ろに下がると、自然と彼らにぶつかるので、そうするしかない。
マクベスの金の龍は細長く伸びて、まっすぐに勲章をつけた魔法使いに向かって行った。が、途中で二つに裂けると、一つ一つが細い金の網になって、その魔法使いの背後にいた2頭の巨鳥を捕まえ、オーブンに入れられる前の七面鳥のように丸っこく縛り上げられた2頭の巨鳥が、マクベスを挟むように着地した。
銀のナイフや魔法や魔術や呪いによる攻撃は、すべてこの2匹の巨鳥が受け止めることになり、爆発や床の溶ける音や呪いのはね返る音、巨鳥のわめき声で、一瞬で教会内は戦場となり、何の施設か分からなくなった。
マクベスは巨鳥の間で無事にいて、マークの置いて行ったナイフを拾い上げた。彼はナイフを体の中に隠した。意外と頼りになるじゅうたんも、地下通路の階段内に置き去りにされていたので、これも鉄格子のすきまから回収して体の中に隠した。
彼は一頭の巨鳥に地下通路を防がせておいて、もう一頭の巨鳥の巨鳥を目立たない色に変えると、天井からふわふわした丸いシャンデリアのようにぶら下げて、自分はその上に身を屈めて、下の様子を眺めた。
混乱が引かないうちに、彼は上から隊長らしき、勲章を付けた魔法使いを見つけ出した。銀のナイフを取り出したところで、疑問が生じた。
(200年も投げてないが、正確に打てるだろうか?)
隊長らしき魔法使いの魔力瓶が頭の中にあることは、構造が密になっているので楽に見当がついた。帽子に防御策が施してあるらしいことも予想がつく。
うまく仕留められたらいいが、外すと厄介である。
(大丈夫だ。こういう事は一度身に付くと忘れないものだ。狙うより、当てるつもりで投げたら当たる。)
彼はナイフを全部取り出して、一番バランスの良いものを選んだ。そして正確に隊長格を倒した。
それだけではない。魔力もかなり回収できた。勲章の魔法使いは勲章をもらうだけの悪事を働いたらしく、黒魔力をかなり貯えていた。
魔力を回復できたので、彼は「白い霧」を発生させた。
指示を出す者がいれば、『黒い霧をだして中和だ』とか、『壁に穴を開けて風を通せ』とか『網を用意して包囲』などと対抗策を立てただろうが、頭がいなくなった今では、回避も対抗もできなかった。マクベスはほくそ笑んだ。
「わしが来たからにはこの国の黒魔は全員命がないものと思え!」
彼はそう叫ぶと、攻撃目標になる巨鳥を残したまま、自分は音のしないようにふんわりと地面に降り立った。
そして視界がきかないまま天井と巨鳥を攻撃する魔法使いの背後からそっとひとりひとりを倒した。
一人倒すごとに大量の魔力が転がり込む。彼はわくわくした。この待ち伏せは敵からの贈り物だ。
マークは両手を上げて追手の中に飛び込んだ。
「すみません。降参します。…もう遅い?」
脚の動く人間がマークの胸ぐらをつかんで足の動かない人の線より内側へと引きずり込んだ。
「魔法使いはどうした?」
マークは後ろを振り返った。なぜか鉄格子のすきまから大きな烏の羽が飛び出している。
「闘っている…みたい。誰も来るなと言ってたよ。絶対行かないほうがいいよ。黒い魔法使いがいっぱいいるみたい。さっき見た感じでは。」
「どけどけどけ!子供を捕まえたのか?よし、あの魔法使いを脅そう。あいつはどこだ?」
ロングが人をかき分けて前に進み出た。
「上で闘ってる。」
誰も進み出ようとしない。出口から巨大な烏の羽が飛び出しているだけで、十分異常事態だ。しかしロングはせかせかと羽根の下に行って、聞き耳を立てた。
ぐらぐらと地下通路が揺れた。天井や壁から漆喰が落ちた。
「早く逃げよう!巻き添えを食うよ!」
マークは足の動かない人に肩を貸そうとしたが、止められた。ロングがまだ聞き耳を立てていたからだ。
聞き耳を立てるまでもなかった。
『わしが来たからにはこの国の黒魔は全員命がないものと思え!』
マクベスの声が誰にも聞こえると、同時に足の動かなかった人たちも動けるようになった。
「一時撤退!地下墓地へ!」
ロングは叫んだ。
「地下墓地はよくないよ!マクベスが、魔法使いが一人でも来たら全員捕まると言った。」
「ここに閉じ込められる方が危ない。ほら、行くぞ。」
ロングは一団を移動させた。マークは心配していたほど乱暴な扱いは受けなかった。ただ逃げられないようにしっかりと腕をつかまれていただけで、それはマクベスがいた時と何ら変わらぬ扱いである。
地下墓地へは4階分くらいのなだらかな階段を下りた。
階段は段が低く、歩きやすかったが、人が二人も並べば他の人は通れない。
そしてその狭い階段の地下3階あたりの踊り場を、燃えるジーガンが占領していた。火はくすぶり程度だったが、まだ燃えていて、触れなかった。ジーガンは真っ黒のままかすかに動いていた。目を背けたくなる光景で、側を通るのは試練だった。
「ほら、君、この火の消し方を本当に知らないのか?今消せば、ジーガンは助かるかもしれないんだ。そうしたら、君だってひどい目にあったりしなくて済むんだぞ。彼にもしものことがあれば…。」
ロングは言いさした。
「えっ?まだ生きてるの?あんなに燃えて真っ黒なのに?」
「生きてる。他人よりも生命力が強いんだ。」
ロングは自分を納得させるように言った。
「おかしいよ!あれで生きてるんなら絶対人間じゃないよ!」
「たぶん生かしたまま焼く魔法なんだろう。とにかく、知ってるなら教えた方が君のためだぞ。ジーガンが死んだら君を生かしておく値打ちはなくなるんだからな。」
「知らない。ほんとに知らない。」どうやらばれていない。マークは自分がかけた魔法だなどと絶対正直に言うつもりはなかった。それに知らないという点は本当だった。
「この魔法は相手を焼き殺すんだ。ここに来る途中で黒い大きな鳥を焼き殺したんだ。」
言いながらマークは思い出した。巨鳥を焼き殺した時には、焼き殺した後でティアラはマークの頭に飛んで返ってきた。まだ返ってきてない。という事は、やはりジーガンは生きているのだ。
「本当か?火を消す方法だけでも知らないのか?水をかけても布で叩いてもあの火が消えないんだ。手当もできない。知っていることがあるなら今言え。痛めつけられる前に。」
ロングはことさら意地悪く言ってマークの腕をつかむ手に力を込めた。彼は本当に子供に手を上げるつもりはなかった。ただ脅しただけだったが、マークは怖くなった。
(もし外したらティアラを取り上げられるかもしれない。でもどんなことをしても生き残れと、マクベスも言ってたし。それに、どこにティアラがあっても分かると、銀ぎつねさんも言ってたし。…僕にしか使えないんだから。)
「何か金属の棒はある?」
「何だ。何に使うんだ?」
「あれ外してみる。」
マークは黒焦げのジーガンの頭にはまる黒い金属の輪っかを指した。
「あれか。」
ロングは銀の杖を取り出した。それはマクベスから取り上げた杖だった。
彼は杖で輪っかをつついたが、チョンと押すだけで炎が巻き起こり、ジーガンが悲しいうめき声をあげた。
「ほんとに生きてる…!」
「全然外れない!」
ロングは怒ってマークをにらみつけた。
「僕にやらせてみて。」マークは手を差し出した。「僕ならできるかも。僕はシンシティの王女の婚約者なんだ。」
マークはこれを言うのが不安だった。あまりつっこまれると、ティアラを飛ばしたのが自分だとばれてしまう。しかし、このことは彼には思ってもみなかった劇的な効果をもたらした。
周りの人たちの眼付が変わった。突き刺さるような冷たい空気を感じていたのに、急に春になったかのような温かさを感じた。ロングも目に見えるほどはっきりと態度が軟化した。
ロングは機嫌を取るような優しい声で尋ねた。
「本当に王女の婚約者なのか?」
「うん。」
「王女の名前を言ってみろ。」
「小鹿王女。小さい女の子。茶色い髪をした。」
「避難民だと言っただろ?ミュゼから来た掃除夫なんじゃないのか?」
「そうだよ。」
「どうして婚約したんだ?」
「マクベスに命令された。」
「ここには?なんだってこんなところに来たんだ?」
「マクベスが来いと言った。それで、僕も来たかったから。両親を探したくて。」
答えるほど、本当だと確信がいくほど、人々の態度は温かくなっていく。
(こんなに親切にしてもらえるなら、ずっと婚約してようかな…?)
マークは一瞬本気で考えた。親方とおかみさんの子供でなかったら、一生そのまま考え続けていただろう。しかし彼は、掃除夫でいる方が幸せだと信じていた。
杖は差し出された。マークがつつくと、ティアラは抵抗なく外れた。マークは誰にも取り上げられないうちにティアラを拾い、とられないように腕に通して抱え込んだ。
「あああ…。」
優しい顔をしたロングが何か言いかけてひきつった顔をした。ロングの周りにいる人たちも、驚いて後ずさった。
マークが急いで振り向くと、黒焦げジーガンが動いていた。
火であぶられなくなったら、動けるようになったらしい。手で這って、マークの方へ手を伸ばし、にじり寄ってくる。
マークは一目見るなり体を翻して全速力で逃げた。そうしてよかった。黒焦げジーガンも、四つん這いとは思えない速さで追ってくる。
マークはもともと身軽だったが、今は荷物も外套も武器を下げたベルトもなかったので、十分に速く走れるはずだった。しかし、引き離したかと思って振り返ると、距離は少しも開いていなかった。むしろ黒焦げミイラの四つん這いスピードは、足が4本あるせいか、マークより早いように思えた。
「助けてえええ!」
マークは全速力で階段を駆け上ったが、肺は詰まったようになるし、足は重くなるし、限界だった。マークは再び叫んだ。
「守れえええ!」
しかしティアラは動かない。頭にはめている時にしか働かないのだが、マークはそのことを知らなかった。考える余裕もない。
その時、シュッという、マークにはすでに聞き慣れた瞬間移動の音がして、突然現れた銀ぎつねの横をマークは通過した。マークはヘアピンカーブで取って返し、銀ぎつねの背中に隠れてぜいぜい息を切らした。
緑色は直っていたが、銀色の光はかすかになって黒に近い。銀ぎつねは不思議そうにマークを見ると、ゆっくり顔を上げて黒焦げのミイラが四つん這いで迫ってくるのを見た。
「ひゃっ!」
銀ぎつねは叫び声をあげて飛びのいた。マークは後ろに隠れたことを後悔し始めた。走っていればよかった。銀ぎつねは何もせずにぼんやりとミイラを見つめているだけだ。呪文も唱えず、陣も描いていない。
幸いミイラも止まって、目のない暗い眼窩を傾げて銀ぎつねをじっと見定めていた。
「マスターは?」
銀ぎつねは弱々しい声で尋ねた。
「上で闘ってる。知らせてこようか?」
「そうしてください。」
マークはミイラを銀ぎつねに任せて再び逃げようとして気が付いた。銀ぎつねはひどく弱々しかった。
どこで何をしていたのか、見当もつかないが、まるで、急ぎの清掃が入り、ごみ屋敷を1昼夜かけてほとんど休みなしに掃除したかのようなよれよれ具合だった。立っているのもやっとの有様で、斜めに傾いていた。
(また呪いを受けたのかも。)
マークは手に持っているティアラを見て、初めて頭にはめれば使えるのではないかと気が付いた。
頭にはめて『守れ』と言おうとして口を開きかけると、再びシュッと言う風切り音がした。
(マクベスか?)
マークは期待して現れた人影を見つめたが、別人だった。まず、背が高く、子供ではなく、焦げ茶色のフードをかぶっていて、顔は見えないが女性らしく、星の付いたタイツに、かかとの高いピンクのヒールを履いていた。
銀ぎつねをうかがうと、彼女はびっくりして顔をひきつらせていた。つまり来たのは悪い魔女だ。
銀ぎつねの左手が陣をきった。
(銀ぎつねさんの反撃だ。)
マークは期待した。しかし違っていた。
何度もマクベスにかけられたので、すっかりお馴染みなった、温かな魔力の通う気配を背中に感じたかと思うと、彼は空中に吊り上げられた。浮遊術だ。
(うそっ。)マークは青ざめた。銀ぎつねの浮遊術は壊滅的に下手だ。逃がそうとしてくれているのだとしたら、壁に激突するのが落ちだ。
「気にしないで!僕は走って…」
言い終わる前に、パンパンパンと破裂音と光が銀ぎつねの体の上で弾けた。銀ぎつねは頭をかばい、しりもちをつきながらもマークを上の階段に飛ばした。心配したほど下手な浮遊でもない。壁に激突することもなさそうだ。
そこでマークは思い出した。
「守れ!」
間に合わないかと思ったが、ティアラはまっすぐに敵に向かって行った。最後に階段のすきまから見えた所では、茶色のフードの魔女はそのままで、黒焦げのジーガンが再び燃え上がってのた打ち回っていた。それでは何の助けにもならない。王家のティアラはよほどジーガンが嫌いなようだ。
―マスター!マークが危ないです!強い黒魔術師が…。
銀ぎつねはまたテレパスをそこらじゅうに発信していた。マークにも何を送っているのかが聞き取れた。そしてテレパスは突然途切れた。マークの浮遊術も弱くなって体が持ち上がらなくなり、床について、浮遊感は消えた。
(銀ぎつねさんが倒された!)マークは全力で走った。
(早くマクベスに知らせないと!)
マークはひたすらそのことを考えた。急がないと銀ぎつねが危ない。
この1分間で3度目に風切り音がして、現れたマクベスとすれ違った。マークは再び反射神経の許す限りのスピードで回転して取って返した。
「何だ。無事じゃないか。」
マクベスはのんびりと串刺しにした焼いた鳥らしきものをかじった。
「銀ぎつねさんが危ない!」
マークはマクベスに飛びつくと、引きずって下の階に連れて行こうとした。しかしマクベスは嫌がった。
「もうあいつらは消えてる。」
その時、忠実な王家のティアラが戻ってきてマークの頭にぱちんとはまった。ジーガンが死んだようだ。マークは帽子をかぶって、貴重な武器を隠しながら怒っていた。こいつが死にかけのジーガンではなく、茶色のフードの方を攻撃してくれていたら、たぶん銀ぎつねさんは無事だったのだ。
「ジーガンは死んだ。でももう一人の魔法使いは生きてる!銀ぎつねさんを攻撃してた。」
「どんなやつだった?」
「茶色いフードをかぶって…女性だった。」
「背の高さは?」
「このくらい。」マークは手で示したが、自分でもあやふやだった。「それ大事?戻ったらたぶん壁のどのあたりだったか正確に言えるよ。」
「茶髪だったか?」
「分からない。フードをかぶっていたから。知ってる人?」
その時、マークを追いかけて解放戦線の人々が階下から上がってきたが、マクベスの姿を一目見るなり引き返した。「来るな。あの魔法使いがいる。」と仲間に引き返すように告げている声がした。
しかしマークはそれどころではなかった。
「瞬間移動できるでしょ?早く助けに行ったげて!」
「ふむ。後でな。」マクベスは言ってのけて、顔をしかめて焼き鳥を丸呑みにすると骨を吐き出し、間に合わせらしい太い串を捨てた。彼はかなりのグルメだったので、せめて山椒が欲しいと思ったが、今は栄養が要るので食べ物を選んでいられなかった。
「あとで…?」
「今はお前に面白いものを見せてやる。」
「いい。今はいい。早く助けに行ったげて!」
「まあ、そう焦るな。一生に一度、見れるかどうかわからない見ものだぞ。」マクベスの顔は興奮と期待につやつやと輝いていた。「特別に見せてやる。お前は人間だから。」
言っても無駄だとマークは感じた。彼は掃除夫だったので、しゃべるよりも黙っている習慣が身に付いていた。彼は最後に一言だけ言った。
「銀ぎつねさんが死ぬかもしれない。」
「だから後で助けに行く。」
マークは諦めてひっぱられていった。
マクベスは上にたどり着くと、物探しの術で銀ぎつねの居場所を探った。城に連れて行かれたようだ。よほど安全策に自信があるようだが、本拠地に連れて行ってくれるとは、こちらには好都合だ。ちょうど攻めたいと思っていた場所だ。
その間マークは廃墟と化した教会の中をおっかなびっくり歩いていた。
最初に来たときは、木のベンチがせまくるしく並び、正面に祭壇とステンドグラスがあったのだが、木のベンチはがれきに埋もれて部分しか見えず、祭壇はステンドグラスの向こう側にあった。しかしそのおかげでまだちゃんと机の状態を保っていた。そしてステンドグラスは当然のごとく割れていた。天井に至るまで例外なく壊れていた。
柔らかいものを踏んだと思って見ると、バッタを踏んづけていた。何気なくよく見ると、そのバッタは頭に針でついたような穴が開いていた。他にも烏やイタチがそこら中に散らばっていた。マクベスはこれを焼いて食べたのだろう。全部集めて持ち歩いたらいい食料になるかもしれない。
「ちょっと離れてろ。片付けるから。」
マクベスは小さな火の熱気をためて一気に放出し、強い渦流を発生させ、がれきの山をどかして中央をきれいにした。
そして、ロングからマークに渡され、マークが逃げる時たまたま手に持っていて、マークからマクベスに返された銀の杖で、石の床の上に光る大きな陣を描き始めた。待ちきれない様子だ。
「これは秘術だぞ。人間じゃなければお前にも見せない所だが…ちょっと小さいか?」
聞かれても分からない。マークはがれきの山に埋もれた動物をどうやって持ち運んだらいいかを考えていてはっとした。銀ぎつねさんが危ないのだった。
マクベスは聞いたわけではなく、ただ独り言を言っただけだった。
「これ以上円は大きくできないし、場所はここがいいしな。間に合うだろう。」
彼は記憶をたどりながらルーン文字で陣を描いていった。
その間、マークは座りやすいがれきに座って銀ぎつねのことを考えた。
親方とおかみさんの居場所が分からない。もし二人が死んでいたら、銀ぎつねさんを頼りにしようと思っていた。マクベスが悪い魔法使いを倒しても、3人とも死んでいたら、自分はどうやって生きていけばいいのだろう?頼りにできそうな人は他にいない。親切にしてくれる人はいるが、頼れる人だとは思えない。
一人で生きていけるとは思えなかった。
ミュゼの掃除組合の鑑札はあるが、14歳でも組合長は親方株を引き継ぐのを認めてくれるだろうか?組合長がどこにいるのかも分からない。
銀ぎつねさんが生きていたら、きっとまともな仕事を紹介するか、自分の下で使ってくれただろう。ミュゼの偉い人に口をきいて、大人になったら親方株を引き継げるようにしてくれたかもしれないのだ。あの人はいつも親身になってくれていた。会ってそれほど長くはないが、それでもマークは信頼していた。
銀ぎつねが死んでも、まだマクベスがいる。なぜかとても気に入ってくれているが、この人について行くと、また「眼をえぐれ」とかなんとか言われかねない。できるだけ速やかに疎遠になりたい。
そのマクベスは、陣を描き終わり、ぐるぐると時計回りに三度回り、反時計回りに二度ゆっくり回った。
マークは何かの儀式だと思ったが、マクベスは陣に間違いがないかを確認していた。
「よし!呼び出すぞ!」
マークはマクベスが長い外国語の歌のような呪文を唱える間、早く終われと思っていた。終わればすぐマクベスをほめたたえ、すぐ銀ぎつねを助けに行ってもらうのだ。
「…召喚ティーレックス!」
最後の一言をマクベスが唱え終わると、衝撃波が陣を中心に大波のように広がって、マークもがれきから転げ落ちそうになった。
(『ティーレックス』っていう恐竜がいたなあ。)
マークはふと恐竜図鑑の絵を思い出した。それは間違いではなかった。
教会の中央には恐竜図鑑で見た頭でっかちのティラノサウルスが立っていた。不気味な冷酷な目で、たしかにマークを見たと思った。長い爪のある小さな手が見える。
「召喚成功だ!うほほーい!」
マクベスの声がした。これが成功なら、成功しなければよかったのではないかとマークは思った。この人に理性はあるのか?
いや、マクベスをほめたたえるのだ。そして銀ぎつねを助けに行ってもらわなければ。
しかしマークは固まって声が出てこなかった。身動きすらできない。自分が食べられる絵ばかりが浮かんでくる。
マクベスは取りのけておいた動物の死骸をティラノサウルスの口の中に放り込んでいる。ティラノサウルスは、信じられないほど大きな口でそれをバリバリ食べた。頑丈な歯がたくさん並んでいるのをマークは見た。
「マーク!」
いつの間にかティラノサウルスの頭の上に陣取ったマクベスがマークを呼んだ。
(逃げなくちゃ。)
マークは考えた。しかし足が動かない。
マクベスは金の糸でマークを吊り下げると、こともあろうにティラノサウルスの頭の上にひっぱりあげてくれた。
「オロシテ…。下ろして…。」
マークはやっとの思いで言った。
「何だ。いい眺めだぞ。」少しやつれた感じのするマクベスが達成感に満ち足りた様子で笑った。「それに今下に下りる方が危ないぞ。」
「下ろして。逃げる…。」
「何だ。銀ぎつねを助けに行くんだぞ。」
「これで?」
「そうだ。知らない敵地に乗り込むのだからこのくらいしなくちゃならない。それに、これくらいすれば向こうから銀ぎつねを出してくるし、殺しはしない。」
ティラノサウルスは食べ終わると行動を開始した。この巨大トカゲは、当然かもしれないが、まずは頭の上の二人の人間を振り落とそうとした。
マクベスが金色の手綱を締めると、体の中に肉と一緒に入ったカギ針が、ティラノサウルスを痛めつけた。
2~3回もすると、肉食竜も学習した。「頭の上に載っているサル2匹はほっておいてよい。目の前に肉がぶら下がっているので、それを食べよう。」
ティラノサウルスはマクベスが目の前に吊り下げる食べ物に向けて前進した。
巨大竜はステンドグラスの穴から街へ出た。
「走れ!」
マクベスは号令をかけながらエサを遠くに伸ばして振った。
「走ったら人間を踏みつぶすかもしれないよ?」
「そうだな。警告しよう。」
―このあたりにいる者全員に告ぐ。今から巨大竜が町を通る。どこに行くかわからないので、速やかに避難せよ。
マクベスはテレパスであたり一帯に警告を発すると、再び号令をかけた。
「よし走れ!」
(なぜかこの人といるといつも乗り物にしがみつくことになるなあ。)
と、マークは考えながら、じゅうたんの時とは比較にならないほど死に物狂いでティラノサウルスの皮にしがみついた。うっかり落ちたら食べられてしまうのは見えている。
マクベスはその姿を横目で見ると、じゅうたんを出してポケットのようにティラノサウルスののどに張り付け、マークが中に入れるポケットを作った。
ティラノサウルスは頭を低くしてしっぽをあげると、道をとっとっと走り出した。
4階建てくらいの高さはあるこの大きな攻撃目標に(町のはずれからでも見えるに違いないとマークは思った。)烏兵と巨大鳥が三方から迫ってくる。
マクベスは立ちあがると、赤い炎の龍をだして、一番近くに迫った巨大鳥を焼いて墜落させた。ティラノサウルスはじたばたする巨大鳥を食べた。
「今度からはお前がやれ。炎を吹けるようにしてやる。竜としては当然そのくらいできなくちゃな。」
マクベスはマークが総毛立つようなことをさらりと言ってのけた。
「今のままで十分恐ろしい!火なんか吹いたらもっと危ない!」と、いう言葉が喉の先まで出かかったがマークは口をぎゅっと閉じて食い止めた。もうこれ以上何か止めてもあまり変わるとも思えない。それにマクベスはすでに何かの呪文を唱えながら食いつかれそうな距離に乗り出して、ティラノサウルスに魔法をかけていた。
ここはいっさい口出ししないことにした。マクベスはいつも正しかったのだから、今回も正しいことを信じるしかない。
敵が大勢寄ってくるので、マクベスはマークが目立たないように、じゅうたんをティラノサウルス色に変化させた。
「名前を付けてやらなくちゃな…。」
マクベスは嬉々として敵に熱風を浴びせるティラノサウルスの上で、独り言をつぶやいた。
ヴィラはジーガンの緊急警報を受け取った。兵隊では間に合わない強敵だ、すぐに来てほしいという合図だ。その時彼女は、元王子、現王と差し向かいでお酒を飲んでいるところだった。即位式までに、王妃にしてもらう必要があったので、彼女は最近元義理の息子、現夫に、ことさら飲ませていた。アル中にすれば、たやすく言いなりになると踏んでのことである。彼女の意思が伝わったのか、この頃王子はお酒を飲むのを嫌がり、一杯飲ませるのにも、お世辞を並べなければならなかった。
そろそろ面倒になってきて、ヴィラは麻薬を使おうかと考え始めていた。しかし、すでに軽い習慣性のある媚薬を飲ませているため、この上薬漬けにすると明日にも死ぬ恐れがあった。自分はかなりの年で、子供が生まれる見込みは薄い。王子の他に王族男子はいない。王位継承者はだいたい殺すか追放してしまった。そのため、この王子には長生きしてもらう必要がある。
ジーガンの警報が届いたのは、そんな風にヴィラがいらいらしているところだった。
彼女は近くの女官に目配せして、自分に耳打ちさせた。
「申し訳ありません。陛下。急な用事が入りましたので、少し失礼いたします。下の者が粗相をしでかしたようです。」
「うん。行って来い。」
とろんとした目で王子は言った。
ヴィラは出ていくときにおびえきった若い女官を横目で見た。他の女に王子の子を産ませて、その子を自分の未来の夫にするという手もある。
しかしヴィラはその考えが気に入らなかった。彼女はハンサムな今の夫が気に入っていた。自分になびかないからと次の夫を用意するのは、プライドが許さない。
彼女は控室に入り、ドアを閉めた。ドアを開けている時でさえ、誰もあえて入ろうとはしない彼女の魔法部屋である。
赤いひもで作られた輪の中に入り、ジーガンの元へ飛んだ。
彼は黒こげになっていて、年寄りの白魔法使いと人間の子供が一人いた。白魔法使いが予想よりも奮闘したために人間の子供は取り逃がした。ジーガンに後を追わせようとしたが、彼は再び火を噴いて使い物にならない。仕方なく白魔法使いだけを捕まえてジーガンとともに城に帰ったが、ジーガンはすでに死んでいた。死んでコウモリの姿になり、床に落ちていた。
ジーガンは最初のメンバーの一人だった。彼と一緒に征服を始めた。
しかしこの頃とみにヴィラに刃向う様子が目立った。対等な関係のつもりだったらしいのだ。最初はそうだったかもしれないが、彼女の王宮の地位なくして今の繁栄はない。
(彼がいないと人間の動向が分からないけど。まあいいわ。いなくなってよかった。もう部下ならいっぱいいるし。)
彼女は足で輪の外に黒焦げのコウモリを押し出し、赤いひもと床がすすで汚れたので顔をしかめた。
ウォンシティに狙いを定めてよかったと思うのは、素晴らしいこの城があるからである。おそらく都市国家連合のどこの城よりも、魔法使い用の設備が整っていた。ウォンシティには世襲制の宮廷魔法使いの家があり、何世代、何百年にもわたり、魔法使いに快適な設備のあれこれを増改築し続けていた。
例えばこの控室には、壁に鉄製の飾りが4つ並んでいて、それぞれが城のあちこちにつながっていた。鉄は本来魔力を通しにくいものだが、この物質の研究に生涯をささげて精通するに至った変わり者が一人いたらしく、この鉄製の飾りは、魔力をある一定方向にだけよく通した。そのため、わずかな魔力を通すだけで、鉄の先にある部屋にベルを鳴らすことも、声を送ることもできた。要は召使いを呼び出す呼び鈴になっていた。ごく普通の、鈴につながるひもかあるいは声を通すパイプでもよさそうなものだが、値がつけられないほど貴重なうえ、これを使えるのは魔法使いだけという所が、大変面白い装飾品なのである。使うたびにプライドがくすぐられる。
彼女は苦痛のあまりに猛省する人間の顔に指を触れた。言うまでもなく、地下牢の牢番へつながる呼び鈴である。
「はい。ヴィラさま。」
牢番は王妃と呼ぶべきか、皇太子妃と呼ぶべきか、ありのままに皇太子側室様と呼ぶべきか、いつも迷っていたが、下手な言い方をして逆鱗に触れたくないので、いつも一番無難な呼び方を選んだ。これならヴィラ個人に忠誠を誓っているのだと言いぬけることができる。
「一人捕虜が増えたわ。特別な捕虜だから、例の薄切りにしている魔法使いと同じ部屋に入れてくれる?」
「かしこまりました。新しい者も薄切りにいたしますか?」
「任せるわ。知っていることは何でも吐かせてちょうだい。全部よ。」
「承知いたしました。」
「私が自分で運ぶ。準備しておいて。最初の間立ち会うわ。」
「承知いたしました。」
「以上よ。」
それからヴィラは古風なシルクハット風デザインの帽子をかぶった近衛兵の顔に手を触れた。
「私よ。都市によそ者の魔法使いが入り込んでいる。至急近隣から兵を集めて。市中兵は歯が立たない。近くにいる兵力はすべて引き揚げて集中攻撃するのよ。」
「承知いたしました。」
「今はカトリック教会の中にいる。見張りを付けなさい。」
「お任せください。至急取り掛かります。」
「お願い。」
いつもながら近衛隊の隊長の返事はきびきびしている。ヴィラは軽く微笑んでその後、頭巾をかぶった大人しい女の子の顔に人差し指で触った。
「部屋が汚れたから片付けに来てくれる?私はしばらく留守にするので、帰ってくるまでにきれいにしておいて。」
「承知いたしました。」
女中頭の緊張した声がした。
ヴィラは鏡を見て、フードのかぶり方を直し、嫌そうな顔で地下でついたほこりを払うと、銀ぎつねとともに拷問部屋に移動した。
ヴィラはフードをはねあげて笑顔で牢番のベンソンに挨拶した。
少しでも気に障ることがあればすぐに苦痛を与えるのがヴィラのやり方であるが、ぱちんと指を鳴らして拷問係に、つまりベンソンに合図を送るまで、部下は自分を心から慕ってほしいという、ベンソンからしたらあり得ないことをヴィラが望んでいることを、ベンソンは知っていた。
なので彼は、卑屈さの中に喜ばしい気持ちを精いっぱいあらわして挨拶を返した。演技はやりすぎず、足りなさすぎず、完璧だった。だから彼は殺されることなく牢番をやっているのである。彼はまずヴィラのために花柄のクッションの付いた椅子を運んできた。
それから捕虜を探したが、白いコンクリートの大きな塊しか見当たらない。いや、よく見ると足がつきだしている。上半身はコンクリートに押しつぶされていた。
その足が銀色に輝いているのをベンソンは見て取った。
「魔法使いですか?」
「そうよ。私を襲ったの。拷問にかけて、使える白魔術の秘密を全部聞き出してちょうだい。昨日から魔法使いの襲撃が多いから、指示しているのが誰かもね。」
「口がつぶれていては話もできません。」
「書かせなさい。」
「脳がつぶれていると、苦痛も感じにくいのです。再生を待った方が良いですね。」
「弱い奴だから、再生できるか分からないわ。でも扱いには気を付けなさい。鉄で縛ってから、この石をどかしなさい。」
ベンソンは承知して、浮遊術をかけて魔女を拷問台に乗せた。これはベンソンの体勢が楽なように傾きや高さを調節できるようになっている、ベンソンにとっては便利な、囚人にとっては呪うべき拷問台だった。この特別室の拷問台は、特に魔法使い仕様になっていて、五本指ごとに小さな筒型の手錠をはめ、陣を描けなくしていた。
それからコンクリート塊をどかすと、驚くことに、魔女は無傷だった。顔はかすり傷一つなく、顔は丸顔で、どこもつぶれていない。
コンクリートで窒息していたせいで、気絶はしていたが、拷問部屋には気絶した囚人が速やかに意識を取り戻せるように、気付け薬が常備してあった。
銀ぎつねは目を覚ました。ベンソンを見つめ、ヴィラを見つめた。そして縛られていること、魔法が使えないことに気が付いた。
総合すると、捕まって尋問(主に拷問による)を受ける所という事になる。
彼女は考え込んで目をつぶった。
「まずは名前を聞かせていただこうか。」
ベンソンは肉切り包丁を研ぎながら言った。銀ぎつねは返事をしなかった。
ベンソンは刃を触って切れ味を確かめた。それから、魔法使いにとって一番大事な、陣を描く指に取り掛かった。が、刃物は指の表面にカツンと当たって跳ね返った。
ヴィラが見ているので、ベンソンはさりげなく長い針に持ち代えると、爪の間に差し込もうとしたが、爪と指とが一体化した大理石でできているかのように一ミリも通らなかった。
ベンソンは金槌も試した。が、結果は同じだった。
「驚いた。こいつは刃物を受け付けません。金槌も、針もです。たぶん石につぶされて大丈夫だったのも、それが理由です。見たこともない強力な術で守られています。」
「ぜひ知りたいわ。銀製の刃物を試して。それがだめなら、人間を連れてくるのね。とにかく何でもやって。私はもう帰るわ。王がお待ちだから。方法を見つけたらすぐに知らせなさい。」
ヴィラは最後の言葉に特に意味を持たせて、不気味な目つきでベンソンを見た。抜け駆けは許さないという意味である。
「かしこまりました。」
ベンソンは床にまでつくようなうやうやしいお辞儀をした。そしてヴィラが消えると、見られても「歩いているだけです」と言い訳ができるような軽いダンスのステップを踏んだ。
「あんたいったい誰だ?」
ベンソンは銀ぎつねをのぞきこんだ。そして、銀の針を手に持った。
「こんな強力な術は俺もぜひ知りたい。」
銀の針は銀ぎつねに突き刺さった。しかし肌が石化するだけで、特に苦痛のようなものは感じないらしい。
ベンソンは髪をくしゃくしゃにした。
「弱ったな。」
こんな変則的な囚人が来ると、つくづく師匠がいたらと思わずにはいられないのだが、師匠はヴィラを怒らせて殺されてしまった。理由は出したお茶がまずかったからというものだったが、ベンソンが後からいくら考えても、お茶に悪いところがあったとは思えなかった。師匠は特に注意して自分で淹れたのだし、毒的な混ぜ物も入っていなかった。強いて言うなら、その時ヴィラは機嫌が悪かったのと、師匠は普段から愛想がなくてご機嫌取りがうまくなかったというだけの話だ。ヴィラが消したいと思う時に理由など必要ない。ヴィラが言えば何でもそれがまかり通る。しかし、相手の口を割らせたり、罠にはめたり、そんなことにかけては師匠は一流で、教わりたいことがまだまだたくさんあったのに。
兄弟子でもいてくれたら心強いのだが、兄弟子もいなくなっていた。さっそうとしていて口もうまく、ヴィラに気に入られていたのだけれど、ヴィラに意見するという過ちを犯した。人間を殺すべきではない、たくさん殺せば目について、長くいられなくなるから、過ちのある罪人だけを標的にすべきであると言ったのである。正しい意見だったかもしれないが、やはりヴィラに殺されてしまっていた。そしてベンソンが牢番となった。
ただしこのまま方法を見つけられなければ自分も師匠や兄弟子と同じ道をたどることになりそうだ。
こういう時には、同じ白魔の意見を求めるのがいいだろう。
ベンソンは針を持ったまま壁際の机の上に置いてある生首をつかんだ。
生首は新入りが入ってきたからしばらく自分は安全だと思い、まどろんでいた。
「おい。」
針でつつくと油断していた生首は起きた。そして針を見るとおびえた。
「やめてください。もうやめてください。知っていることは何でも話したじゃありませんか。知りたいことがあるなら聞いてください。何でも言います。」
「こいつにかけられた術を解く方法を知りたい。」
「近くで見せてください。」
ベンソンは生首を近づけた。そんなものが近づいてきた銀ぎつねの方がおびえていた。
「知らない術です。いや、待ってください。シールドかな。聞いたことはあるんですが。それが全身にかかっているのかもしれません。」
「普通に触る分には柔らかいんだが、刃物でつつくと固くなる。それでもシールドか?」
ベンソンは銀ぎつねの頬を指でつついた。頬はへこんだ。
「おかしいな。いえ待ってください。待ってください。たぶん護りの術的なものがかかっているのだと思います。きっとそうです。」
「何の役にも立たないな。」
ベンソンは生首に針を突き刺した。針は生首の頬に突き通り、涙がぽろぽろとこぼれた。
銀ぎつねは見ないで済むようにきつく目をつぶったが、叫び声は耳にわんわん響いて無視しようと思っても難しかった。
「何でこんなひどい事するんですか。僕は魔法使いですよ。苦痛を与えても何の得にもならないのに。」
「そうだな。」ベンソンはふとヴィラの言葉を思い出した。「そうだ。目の前で人間を拷問してみよう。少しはこたえるかもしれん。」
「そうです。それがいいです。」
生首となった白魔術師も熱心に賛同した。
(絶対に何があってもしゃべるわけにはいかない。)
銀ぎつねは自分に確認した。たとえ目の前で人間が殺されても。もっと大勢の命がかかっているのだからしゃべれない。とはいうものの、それほど自信はなかった。
(でももしどうしてもしゃべる必要がでてきたら、何をしゃべったらいいだろう。何なら影響は少ないだろう?)
人間の囚人は少なくなっていたので、ベンソンはすぐには戻ってこなかった。
生首は再びまどろんでいる。
「あの。あなたは白魔術師ですか?私の名前は銀ぎつねです。あなたは?」
銀ぎつねは話しかけた。渡しても構わない情報なら、まずは同胞に渡してやるのがいいだろう。そうすればこの生首がその情報を牢番に渡して、少しは拷問を免れることができる。
「フルト。あんたいい術を持っているな。どうやるんだ?」
その情報は渡してやるわけにいかない。
「あなたも捕まったんですか?どちらの?私はシンシティから来ました。」
「僕はミュゼ。あんたの術を教えてほしい。引き換えに僕の術を三つ教える。そうしたら僕も痛い思いをしなくて済む。」
「この術は私がかけた物ではないのです。」
「ではいい師匠を持っているのだな。」
「そうでしょうか?」
「そうだとも。僕の師匠は…。」
フルトは言いさして恐怖を顔に浮かべた。痛めつけられていたときとは別種類の恐怖である。怖い人らしい。
「私の師匠も怖い人ですよ。」
「現在形か?では、今もいるのだな。誰だ?何という名前?」
それを言ってもいいのだろうか?銀ぎつねは考えた。
「あなたの師匠を教えて下さるなら私もお教えしましょう。嘘はつかないでください。」
「つかない。今の望みは早く死にたい。死んでこの苦痛を終わらせたい。あんた僕を殺す方法を知らないか?…そうか。僕の師匠はマクベスと言う。もう死んだ。」
「私の師匠もマクベスですよ。」
「そうか?僕の師匠は子供の姿でふちに竜の刺繍の入った赤いマントを着ている。金の鹿の角のついた帽子をかぶっていることもある。それにとても強い。」
「私の師匠もそうです。」
生首フルトは疑わしげに銀ぎつねを見た。
「あんた僕の言ったことを繰り返しているだけじゃないだろうな?」
「いえ。私の師匠もマクベスと言います。黒髪に黒い目で肌は白いです。10歳くらいの子供の姿をしていて、とても強いです。服装は違います。濃紺のローブを着ています。星がきらきら光る…。この国に来ていますから、嘘かどうかすぐに分かるでしょう。」
生首は物思いにふけっていて答えない。銀ぎつねは話題を変えた。
「ミュゼに魔法使いがいたとは知りませんでした。ミュゼの陥落と一緒に捕まったんですね。」
生首はずっと黙っている。
「マクベスですが、同じ名前の違う人かもしれませんよ。年が似ているのは、真似しているだけかもしれません。」銀ぎつねは嬉しくて黙っているのか怖がっているのか判別がつかないまま慰め顔に言った。「先ほど死にたいとおっしゃいましたが、あなたの魔力はもう長くもたないでしょう。魔力が尽きれば死ねるでしょう?」
生首は答えずに唐突に言い出した。
「あんたの魔力を分けてくれ。」
銀ぎつねに異存はない。大技を使った後で魔力はほとんど底を尽きかけていたが、さきほどマークがジーガンを倒した時に、ティアラは銀ぎつねのかけた魔法だったので銀ぎつねに魔力が大量に補充されて、人に分けられるくらいは残っていた。
「しかし魔力を補充したら、長生きしてしまうのでは?」
「僕の一番の術を教える。誓う。」
生首に魔法使いの誓いを立てる魔力は残っていないようだった。魔力をさしのばして誓いを立てるそぶりはなかった。
しかし銀ぎつねは構わなかった。足から銀色の魔力を伸ばすと、生首の口の中に入れた。
「それから私とマスターに危害を加えないと約束してください。」
「分かった。誓う。」
「この誓いは神聖ですよ。」
「分かったよ。もう少し…もう少し…」
生首は魔力を大量に食い尽くすと、銀色の手を首から伸ばして陣を描き、自分を壁と同じ色に変え、ふわふわと通路を浮かんで飛び去って行った。
銀ぎつねは一番の敵が消えてほっとしていた。あの生首は痛みを避けるために、銀ぎつねをどんな罠にも落としかねなかったからだ。
それに大事なことをいくつか教えてくれた。
まず、瞬間移動は使えない。マクベスの弟子なら瞬間移動を知っているはずだが、たぶんこの牢屋の壁の石には鉄がたくさん含まれているのだ。
次に、手足を縛められていても魔力の手を伸ばすことができれば術は使えるという事だ。
(あの幽体離脱のようなことはマスターがじゅうたんの間でやっていたのと同じだ。魔力を形にするだけなら…。)
銀ぎつねはやってみた。
ベンソンがなるべく憐れみを誘う捕虜を2人見つくろって戻ってきたときには、生首は消えていて、銀ぎつねが横たわっているだけだった。銀ぎつねは深い眠りについていて、ベンソンが何をやっても起こす方法が見つからなかった。
気付けをかがせても、人間に悲鳴をあげさせてみても、大きな音をガンガン鳴らしても深い眠りについているのを見たとき、彼は絶望を感じた。生首の白魔をうっかり拘束を怠って逃がし、護りの術を使う白魔から目を放して眠らせてしまった責任を取らされる。お茶を淹れ損ねただけでも殺されるのにこれで助かるわけない。
しかし伊達にこれまで生き残ったわけではなかった。彼はすぐに立ち直り、背筋をしゃんと伸ばした。
ベンソンは捕虜を元の房に放りこみ、決然と自分の部屋に行くと、服を脱いで手持ちの現金を全部と、引出しの裏に張り付けて隠しておいた、師匠と兄弟子と一緒に移っている写真をさらしで腹に巻いた。いざという時に持っていかなければならない物といったらこれだけだ。お金はなくしてもいいが、写真は手放せない。そして、替えの下着を持ち歩く代わりに3枚重ねて着た。
ベンソンはちびちびと大切に飲んでいたモルトウイスキーをあおり、落ち着いてヴィラを殺させる知恵を絞った。ヴィラが早めに死なない限り、自分の命はない。折よく攻めてきている魔法使いが多い。彼らをどう手助けしたら、ヴィラを殺してもらえるだろう?それもヴィラに気付かれることなく?
「肉竜悪食(あくじき)、その調子だ。しばらく休んでいいぞ。あいつらが来るまでしばらくかかるからな。」
マクベスは恐竜の頭に乗って、銀ぎつねの「眼」をとりだした。銀ぎつねがシンシティの見張りのため、国中にばらまいていた折り紙である。闘いに備えて全て回収させ、銀ぎつねの若返りに使わせた。手持ちは後二つだけだ。
彼はマントに胸ポケットを作り、そこに挿した。
(生き残っていろよ。銀ぎつね。見ていたら、わしが活躍して闘っているのは分かるだろう?しばらくかかりそうだが、持ちこたえろよ。)
マクベスは心の中で考えて、ポケットをたたき、次々と集まってくる怪獣に備えて気持ちを引き締めた。相手は続々強い敵を繰り出している。こんなに早く用意できるとは思えない。大蜘蛛や大蜥蜴や大烏、いずれも彼の好みではないが、とにかく周辺の街から軍隊をかき集めてくれているとしたら思惑通りだ。それに3メートルの巨大怪獣は、13メートルのティラノサウルスの餌でしかない。
「マーク。もう少しかかる。」
マークは目も耳もふさいでティラノサウルスののど元、歯のすぐ下にいるという事実を考えないようにしていた。よって、マクベスが何を言っても気づかなかった。
マクベスは顔をあげて敵に備えようとした瞬間、生首が近くに出現した。
新手の敵か、と、マクベスはコンマ一秒で炎を繰り出そうとしたが、生首はそれを予想していて、現れた瞬間に叫んでいた。
「マスタ―――!僕です。フルトです。マスター!」
マクベスは罠かと疑った。
「合言葉を言ってみろ。」
200年もたったら、どんな合言葉だって忘れるのが普通だとフルトは思うが、それをこの師匠に言ったら間違いなくその場で殺されるだろうという事は、200年たっても鮮明に覚えていた。
「僕はあなたに火の精霊をお渡しした弟子です。弟は空気の精霊をお渡ししました。12歳であなたの弟子となり、弟は2年後に死にました。本名は蝉丸です。弟はエルン。」
「合言葉は?」
「マスター。僕です。信じられないんですか?」
「首の言うことなど信じられん。わしが復活した時になぜ真っ先にはせ参じなかった?」
生首は聞こえないようにため息をついた。生首になっている時点で分かりそうなものだ。
「敵に捕まっていて、逃げられませんでした。」
「わしの情報を漏らしたか?」
「いいえ。死んでいると言いました。師匠のお名前だけです。マクベスという。」
「ふむ。フルトなら火の精を召喚しろ。わしが攻撃する。」
マクベスは近づきつつある怪物どもをにらみつけた。生首は苦笑いした。それでは黒魔法使いを倒すのは師匠という事になって、フルトには魔力が入らない。
「何だ?頭を切り開いて魔力瓶につけたわしの花押を確認してほしいのか?」
冗談ではなかった。また痛い思いをするなど、考えるだけでも耐えきれなかった。
「いいえ!とんでもない!このあたりは火の気がないと思っただけです。」
「呼んでみろ。」
召喚にいつも使っていた横笛はなかった。ここ百年も持ち歩いていなかった。その必要がなかったのだ。争いなど起こらない。平和そのものだった。そもそも体がないのに横笛を持っているわけがない。
しかし生まれながらに身に付いていた召喚術だ。フルトは子供のころ、高い杉の木の林で、弟と二人で精霊を呼び出したことを思い出した。生木は燃えにくいのでフルトは木に登った。弟は空気の精に言って燃えやすい杉の葉を道から掃きだした。
まだ横笛はうまくなかったが、あのころは口笛で何とかなっていた。夕焼けの美しいころは、火の精が好む時間帯だから、そんな簡単な呼び出しで、火の精が応えてくれた。それともあのころは純粋な子供だったから来てくれたのだろうか?
ともかくやるしかない。
フルトは調子の良い『聖者の行進』を口笛で吹いた。音の聞こえる範囲で火の精がざわめきだすのをフルトは感じた。いけそうだ。
たちまち小さい火の玉が二、三集まってきた。これ以上は集まりそうもないとみると、フルトは落ち着いた『夕焼け小焼け』に曲を変えた。
火の玉は生首を中心に、蛇のように細長くなり、ぐるぐると周りだした。
手持ちの火の精が増えたとみると、マクベスはフルトの髪をつかんでマークの入っているポケットに放り込み、攻撃を開始した。マークの叫び声は燃え盛る轟音にかき消された。
マークは即座にこのごみを捨てようとした。
「待った待った!僕はマクベス師匠の弟子だ!名前はフルト!」
フルトは怪物のうろつく修羅場に捨てられないため、全力で叫んだ。
マークはしばらく考えてから聞き間違いだと判断し、やはり捨てようとした。
「待って!マクベス師匠が僕がここにいるように言ったんだ!君名前は?人間だな?」
「…マーク。」
「マークか、齢は?」
「14。外に捨てていい?ここにいると血だらけになるから。」
「だめだ。」生首はきっぱりと拒否した。「外に出たら大蜘蛛か大蜥蜴か大恐竜に食い殺されるよ。14か。迷子?」
「両親を探しに来た。」
「マスターに誘われて?」
「うん。」
年下の、弟を思わせる少年はいつでもフルトの弱点だった。特にこの少年は弟を思い出させるような気がした。誰のことも傷つけず、誰に対しても優しかった。弟の指の動きに合わせて踊る空気の精は、長いスカートでくるくる回って夢見るように優雅だった。何百年たってももう一度あの空気の精を見たいと思うのは、あれほど美しく心を打つものを他に見つけられないからだ。
しかし戦闘能力はほとんどなかった。そのせいでマスターに冷たい仕打ちを受けていた。
(マスターはこの子を魔法使いにするつもりだろうか?そのつもりで連れ回しているのだろうか…?)
本当はこの少年の頼みをいろいろ聞いてやって、喜ばせてやり、魔力を回収するつもりだったが、フルトはその計画をやめた。
「君、ひょっとして魔法使いになるように勧められてきたのか?」
「フルトさん、なんで首だけなのにしゃべるの?」
「魔法使いだから。魔力が尽きてしまうまでは生きているんだ。脳があれば、考えることもできる。
君、魔法使いになりたいのか?」
「それでご飯はどうやって食べるの?どこで消化する?いや、それより魔法使いってなれるもの?生まれつきじゃなくて?」
「なれるけど、なっちゃいけない。魔法使いは人間以下の生き物だよ。黒魔術師はさらに下だ。だからなっちゃいけない。親も兄弟も友人もなくしてしまうぞ。自分だって危ない。僕の弟は魔法使いになってすぐに死んでしまった。」
「大丈夫。」マークにそんなつもりはなかった。もともとないが、この首を見た後ではさらにない。危ないことはよく実感された。「銀ぎつねさんが無事に助けられたらこの国から出ていくよ。」
「銀ぎつねっておばあさんの魔女?銀色の髪の?」
「そうだよ。」
「牢屋で会ったな。シンシティから来たと言っていた。マスターの弟子だと。言うの忘れていた。」
マークはすぐにじゅうたんから顔を出した。ティラノサウルスと大蜘蛛の間に挟まれることになったが構わなかった。ティラノサウルスが大蜘蛛を牙で切り裂き切り裂きするので、ポケットは上下に激しく揺れたがマークはしっかり掴まりできるだけ伸びあがって口を外に出した。彼は足の先で引っ掛けて生首も意向を聞かずに外にひっぱり出した。
「マクベス!銀ぎつねさんが牢屋にいるって!この首の人が会ったって!」
「牢屋はどこにある?警備は?」
「城の地下です。警備は牢屋の周囲にたくさんいますが、牢屋の中は普段は牢番のベンソンが一人いるだけです。」ベンソンの名前を言うだけで、フルトの声は震えた。「牢屋は鉄を含む石でできています。外からの瞬間移動は不可能です。出入り口は分かりません。牢屋の窓から出入りするしかありませんが、鉄の格子がはまっていて、首だけにでもならない限り出入りは無理です。」
「うーむ。」
マクベスはうなった。城の地下とは本丸も同然だ。瞬間移動で銀ぎつねの近くまで行くこともできるが、地下にいるのでは簡単に退路を防がれてしまう。あの城の石は鉄が交じっていたりいなかったり変則的で、何が仕掛けられているか不透明だ。やはり敵を倒すまで銀ぎつねを探すのは難しい。
その時に城の上で爆破が起こった。パンパンパンと連続音がして、城の一角ががらがらと崩れ始めた。
ベンソンは台所の外に忍び出て、ガスボンベを取り外した。食事時ではないが念のため一個は残しておいた。魔法を使うたびにヴィラに言い訳しなければならないというのは、不自由かもしれないが、いいこともある。ベンソンは魔法使いが知ろうとしない知識や知恵をたくさん知っていた。例えば、彼は滑らないようにゴムイボの付いた軍手と、階段も上り下りできる台車を持ってきていて、それでガスボンベを楽に地下まで運んだ。
何度目かにふと立ち止まって城の外を見やると、なんと恐竜がいた。ヴィラの家来の怪物どもと戦っているので敵だろう。ベンソンはじっと見て考えたが、利用するすべが思い浮かばず、人目につかないように再び地下に潜った。
ベンソンはフードをかぶり直し、人間の閉じ込められている地下牢の廊下を通った。人間はまだ何人か生きている。そっとのぞき穴からのぞいている者もいたが、あまり長生きはしないだろう。地下牢はひどいにおいがした。血や汚物や、そんな人間が苦痛とともに吐き出したものは、掃除係が丁寧に掃除してなくしているはずなのだが、壁に染みついた苦しみの残響が、いるだけで嫌な重苦しい気分にしていた。
使う人間は検討済みだった。一番突き当りの男である。殺さないように命令されている囚人で、そのうちにジーガンが助けて手駒として使うという話だった。一度も顔を見られていない。それに罪状だって、魔法使いに逆らったからだ。ベンソンは咳払いをして作り声の準備をした。
ジーガンには何度も会った。黒魔術師は魔力がなければ生きていけない。ジーガンは自分の魔力を補充するために時々囚人を自分の手で痛めつけに地下牢に来た。禿げ上がり、低い声で話す。フードとしわがれ声でごまかせるだろう。
「おい、おい…。生きているのか?聞こえるか?」
ベンソンは除き窓に横顔だけをのぞかせて言った。暗いから顔は見えない。動く気配がすると、ベンソンは房の鍵を開けて牢屋の鍵束を投げ入れた。
「ほかの連中も全員助けてやれ。俺はここを爆破する。あと何分かしかないぞ。入り口の場所は出て左手を右に折れて奥まで進んで5番目の通路をさらに右に折れる。突き当りにドアがあるが、それは行くな。右手に小さな屈めないと通れないドアがあるから、それを抜けて階段を登れば台所に出る。覚えたか?」
ベンソンはいらいらしながら返事を待ったが、やがて這いずる音がしてのぞき窓のそばまで呼吸音が近づいてきた。かなり弱っている。そういえば食事を最後にいつ与えたか覚えていない。掃除係が情けのあるやつなので、危険を顧みず食べ物を運んでいるだろうと期待して、何も与えていない気がする。水くらいはやっているような気がしたが、それも掃除係任せだった。丈夫なやつだからとあてにして、あまり細目に確認しなかった。
弱りすぎていて使えないだろうか?
「右・右5番目・右小さいドア。」
弱っていたがしっかりした頭を持っているらしく、男は復唱した。と同時にドアを開いて外に出た。
「頼んだぞ。他の奴らも助けろよ。」
ベンソンは顔を覚えられないようにすぐに通路を駆け出した。
「あんたは?」
「ジーガン。俺は牢番を殺しに行くから、あんたは他の人間を助けてくれ。」
男は追ってきた。これは計算外だ。
「あんたの所属は?軍人か?」
「違う。料理人だ。」
「なんで俺たちを助けてくれる?」
「ウォン市奴隷解放戦線市民地下組織の一員だからだ。」
ベンソンは面倒になってきて、この長い名前を出した。大抵の相手はこれを聞くと恐れ入る。尋問係だったのでこの手の名前はスラスラと言えた。
「俺も一緒に行く。」
「それより他の人間を助けてくれ!」
「俺は役に立つぞ。」男は手のひらで小さな爆発を起こした。「ほら。俺は魔法使いだ。それに軍人だ。」
これは重ね重ね計算外だが、役に立つかもしれない。ベンソンは魔法を使えない。魔力瓶をヴィラに取り上げられているので、魔力を消費すればすぐにばれてしまう。だからこそ、ガスボンベで爆発を起こさなければならないし、だからこそ人間を救出しなければならないのだ。人間がベンソンの爆発に巻き込まれて死ぬと魔力が増えて、ヴィラに爆発を起こしたのは彼だとすぐにばれてしまう。ヴィラは恐ろしいほどベンソンの魔力を細かくチェックしていた。
「黒魔術師か?」
「そうだ。自分の意思とかかわりなくこうなった。でも軍人の本分は忘れてはいない。」
男は人のいる房に鍵を次々にさして合う鍵を探した。その間、ベンソンは計画を練り直した。
最初の計画では、この男をスケープゴートにして、責任をすべて押し付けるつもりだった。自分は敵の急襲を防ぎきれず、背中を刺されたことにして、爆発に巻き込まれて生き埋めになったふりをする予定だった。すでにナイフも血も用意してある。
けれどこの男は反逆心にあふれていて、この危急の時に際して、逃げるよりも戦いたいらしい。それに落ち着いている。「使える」と、ベンソンは感じた。どこか兄弟子や師匠に通じるところもある。うまく行けば弟子にもできる。
「あんた名前は?」
「カルビン。近衛兵だった。」
ベンソンは計画ができたので、カルビンの鍵を持つ手を押さえた。ここに中年の女性が入れられている。この女性には顔も声も覚えられている。房を開ける時には消えていなくてはならない。
(ひょっとして罠かもしれない。ヴィラが俺を見張るために牢屋にスパイを張り込ませていたのかもしれないぞ?)
ベンソンはしばらくカルビンの手を押さえたまま疑いを抱いてためらった。しかしカルビンの口調を思い出して最終的にその疑いを捨てることにした。スパイがいるとしたら、それはここにいる全員だ。彼は牢番として駆け出しだが、それでも最終的にしゃべらない人間を見たことがない。
(誰かの力を借りるとしたら、思い切って信じなくちゃな。)
「こっちに来てくれ。」
ベンソンはカルビンの腕を引いて銀ぎつねを吊るしてあるところに案内した。彼は頭に血がたまれば目が覚めるのではないかと期待して、銀ぎつねを逆さづりにしておいたのだが、普通なら頭が赤く膨れ上がっているはずなのに、銀ぎつねは白い肌のまま安らかに眠っていた。ベンソンは少し失望したが、カルビンは当然のことながら老女が逆さづりにされていることにかなりぎょっとした。
「房の鍵は房の番号と同じ鍵を選ぶ。番号は、扉の左下隅に、ひっかき傷みたいなローマ数字で書いてある。だけどこの老人の手錠の鍵は特殊で、その鍵束のキーホルダーで開く。」
ベンソンは淡々と説明した。カルビンが角がたくさんつきだしたオブジェのようなキーホルダーを見ると、確かに角の先が一つ一つ、少しずつ違っていた。足環の鍵穴はハートとクローバを合わせたような形をしていた。同じ形の角をはめ込んで回すと、足環が外れて銀ぎつねは落ちた。ベンソンはカルビン一人の指紋を付けるために、一切手を貸さなかった。カルビンは弱った体で苦労して銀ぎつねの半身を起こした。そして、銀ぎつねのポケットに棗の実が入っているのを見つけて、一口で全部食べてしまった。これで少しは元気が出る。
「何で手伝わないんだ?」
「それは魔法使いだ。」
「何だって?じゃあ助ける必要ないじゃないか。」
「いい魔法使いなんだ。白魔法使いだ。今そいつの同類が城のすぐ近くまで来ている。恐竜に乗っているからすぐに分かる。この魔法使いを手土産にしたら、あんたを仲間にして、一緒にこの国を乗っ取った魔法使いを退治するのに力を貸してくれるだろう。国を救う大きな手柄になるだろう。あんたの魔法もそうだが、あんたの城についての知識が、あいつらの役に立つはずだ。
もし何も持たずに行ったら、あんたは黒魔法使いだから、問答無用で殺されてしまう。しかし、こいつを連れて行けば、話くらいは聞いてくれるし、最悪でも逃げる時に見逃してもらえるだろう。」
「ジーガンは行かないのか?」
「行かない。俺には別の任務がある。逃げる黒魔術師にくっついて、どこに逃げるか確認しないとな。…俺はもう行くが、5分、いや、15分したらここを爆破するからな。早く人間達を連れて逃げろよ。」
「一人では無理だ。あんたも来てくれ。」
「動けるやつもいるだろう。力を合わせれば何とかなるはずだ。急げよ。」
「こいつは起きないのか?荷物が増えるだけだ。本当に必要なのか?」
ベンソンはすでに暗闇に消えようとしていた。拷問部屋はいくつも通路が伸びていて、明かりもなかった。カルビンには今来たところ以外とても行く気にはなれなかった。
「おい、ジーガン!」
ベンソンの姿は消えてしまった。爆破の準備があったし、人間の囚人に姿を見られてはいけなかった。
彼は牢番だったので、どの柱がぜい弱なのか知っていたし、地下牢が陥没すれば上の城が自重で傾くことも分かっていた。補強工事を監督して報告書を書いたのは彼である。城が傾いたら、しばらくの間ヴィラは牢番の責任を問うどころではないだろう。運が良ければベンソンの魔力瓶を壊すことも忘れてくれるだろうし、もっとうまく行けば、混乱の中で敵に殺されてくれるかもしれない。
カルビンは仕方なく銀ぎつねの体を肩に担いで、心の中で数を数えた。
(1,2,3…。 15分と言ったら、何秒だ?)
計算できるほど頭は働いていないが、10分を目安とするなら、600秒しかない。カルビンは急いで囚われている人々の方に向かった。
マクベスは敵の城が崩壊していくのを見つめながら顔をしかめて考えていた。
(行くべきか、行かざるべきか…? 下手に飛び込んだら殺されてしまう。しばらく待ってから行くべきだが、銀ぎつねがあそこにいる。銀ぎつねは生きているうちに回収する必要がある。)
根本原因は状況が分からないことだ。誰があの騒ぎを起こしたのか、知るだけでも行くか行かないか決められる。つまり様子を見に行く必要がある。
「フルト。しばらく後を任せる。マークを死なせないように。」
マクベスは恐竜の頭の上に円を描いてシュッと消えた。
その指示はつぶやき程度だったが、フルトはポケットから飛び出して、口で手綱をとった。
「僕もそっちに行った方がいい?」
行きたくはなかったのだが、首だけでは不自由だろうと思い、マークは一応聞いてみた。
「フンガ、フンガ、フンガ。」
「あ、別に大丈夫?うん。」
―来てくれ!
テレパスが、マークの頭に響いた。メッセージも間違えようがない。
マークは仕方なく首だけ出して外の様子をうかがってみた。先ほどからティラノサウルスは全く動かない。地面にしゃがみ込んでじっとしている。
(たくさん食べてお腹いっぱいなんだろうけど、急に目を覚ますだろうか?)
ティラノサウルスの眼を見たが、つぶっている。目が開いてから試すより今の方がいいだろうと思い、マークは首に足をかけた。背中側に回れば食べられにくいだろう。頭の上から、魔法の糸が下りてきたので、マークはそれを頼りによじ登った。
生首は手綱をマークに預けた。
「しばらく頼むね。」
「ねえ、この手綱本当に役に立つの?このひもと関係なしに敵を襲っていたのを見たと思うんだけど。」
生首は聞いていなかった。せわしなく口笛を吹いて火の精を呼んだ。しかしマクベスに急き立てられているのでなかったら真剣さが足りないのか、それともここにいる火の精を先ほど呼びつくしたのか、一匹も出てきてくれない。
つばがなくなり、口笛がかすれても、顔を真っ赤にして口笛を吹き続ける生首を見て、マークは少し気の毒になった。彼は靴下に隠しておいたビーフジャーキーを出して包みを破いた。銀ぎつねに会ったときに上げようと思い、ずっととっておいたのだ。
「少し上げる。何か食べれば、吹けるようになるよ。」
「大丈夫だ。」
フルトはビーフジャーキーを一瞥して眼をそらし、口笛を吹き続けた。要らないというのに無理してあげるほど上げたいわけではない。マークはビーフジャーキーを元通り靴下にしまった。そして、座りがよくなるようにあぐらをかき、手綱が外れないように何重にも手に絡めた。ついでに浮かび続ける生首が楽になるようにつかまえて膝に乗せた。
とうとう生首の口笛は枯れてしまった。スウスウいう息の音しか出てこなくなり、ついにフルトもあきらめた。しばらく休んで再開しよう。
―周りを見てくれ。何か襲ってこないか?
「何にもいないよ。」
―これだけ目立つから、何か襲いかかって来ない方がおかしい。地面に何か隠れたりしてないか?
「それは分からない。でも見張る。」
マークはビルのすきまに目を凝らした。
―場所を移動しよう。ここは火の精がいない。他の火の気のあるところに行く方がいい。
「恐竜を動かすってこと?」
マークの考えでは、せっかく寝ている恐竜は起こさないのがよいのではないかと思った。
「マクベスが帰ってくるまで、恐竜を動かさないほうがいいんじゃない?」
―マスターが帰ってくる前に、必ず黒魔が襲ってくる。その時に火が使えなきゃ危ない。
生首は強く言った。
「今はなにもいないし、じっとしてれば気づかれないよ。」
―絶対気づかれる。この街のどのビルより高いんだぞ。
「今はしゃがんでるから影になって見えないし。…僕が口笛吹いてみようか?」
―とにかく移動する。
「待った。火がいるんだね。」マッチ類はリュックの中だった。マークは考えた。「浮遊術か何かで火を持ってこられないの?」
生首ははっとした。負うた子供に教えられるとはこのことだ。
―呼び寄せ呪文があるが、近くにイメージのできるマッチがないとダメだ。
「僕のリュックが近くにある。マッチも入ってる。イメージするよ。」
―よし。いいぞ。
「念のために聞くけど、その呪文ってものの大きさや重さでかかる魔力って変わってくる?」
―それは変わるよ。
マークはコートとベルトもついでに呼び寄せてもらう事をあきらめた。
「多少重たくなっても問題はない?」
―問題ない。多少がどのくらいにもよるよ。
「リュックサック全部取られたから、リュック丸ごと持ってこられたらありがたいけど。中に食べ物や着替えが入っているし。」
―リュック一個程度なら問題ない。イメージしてくれ。呼んであげよう。
「アプレ」
フルトは銀色の手をマークの顔に伸ばし、かすれた声で呼んだ。
ヴォークトの頑丈なリュックが飛んで戻ってきた。マッチも入っていた。
マークはすぐに鮮やかにマッチを擦った。フルトがその火に向かってかすれた口笛を吹くと、火は細長く燃え上がり、マッチの軸棒から外れて、フルトの頬に体をすり寄せた。
細い蛇のような火の精を見つめる生首のフルトの目の玉に、初めて攻撃性が宿った。
「よし移動だ!黒魔を探す!」
「ああ…やっぱり?必要?」
マクベスもそうだが、弟子も移動が好きなようだ。結局恐竜は起こさなければならないのだった。それほど機敏に反応してくれなくてもいいのに、少し手綱を引いただけで、ティラノサウルスはとび起きた。
マクベスは城の中でも銀ぎつねのいると思しき方角に降り立った。先ほどは地面だったはずだが、見事に崩れていて倒れかかった建物の上に着地した。今も崩壊中だった。
(危なくてうかつに中には入れない…仕方ない。位置を特定するか。黒魔が襲ってくるだろうが…。)
マクベスは物探しの術で銀ぎつねのいる方角を探した。案外近くにいるらしい。城の塀の側にある植木の茂みの向こうを金色の光線は指した。
(あんな人の隠れやすい場所にいるのか?これは罠か?)
人の隠れられる木立を城の中に作る時点で、攻撃に備えた城とは言い難い。そんな城を征服したら、自分なら木をすべて切り倒すか、それを罠に使うだろう、とマクベスは考えた。彼は疑り深く色を変えると、離れた茂みの中に潜んだ。
「見張りはいなかった。急いで。こっちです。…動ける人は、動けない人を運んで。」
一目で黒魔と分かるが、駆け出しなのか、今にも魔力の尽きそうな汚れきった軍服の男が、よろめきながら必死に逃げる人たちを先導していた。必死すぎて、誰も倒れた人を顧みようとしない。自分が少しでも先に逃げることに必死で、足のきかない者は置いてきぼりにされかけていた。それを黒魔が注意していた。
汚れた軍服の黒魔はすでに老女を肩に担いでいて、自分で運ぶことはできなかった。その肩に乗せている老女が、まぎれもなく銀ぎつねだった。寝ているようだ。自分に眠りの術をかけたのだろう。
「だめです。協力し合って!誰かを置いていけば、その人を手掛かりに後を追われることになるんですよ。」
軍服のカルビンはひそひそ声で言いながら近くにいる人をひっつかまえて、動けない人に肩を貸すまで見張っていた。見張りながらときどき市街地を見やって、ベンソンに教えてもらった恐竜を探したが、見えなかった。カルビンの焦りは募った。正直に言えば全員を置いてきぼりにして、自分だけ走って行きたい気持ちだった。しかし無傷のままで残っている良心が邪魔してどうしてもできないのだった。
(ある程度安全な所まで案内したら、あとはばらけたらいい。そうしたら、俺だって見つかりにくくなるんだ。)
彼は自分に言い聞かせて何とか義務を果たし、同時に自分はまだ人間であるという気持ちを保っていた。
マクベスは再び罠を疑った。人質を助けに来たら逃げ出しているところだなんて安易すぎた。それも黒魔が先導しているとは、ますます信じがたい。黒魔が人間を助けた所で、少しも魔力にならない。
(くだらない猿芝居だ。しかしあいつが離れないと銀ぎつねを助けにくい。気を逸らすものがいる。)
とはいえ、これ以上白魔術を使えば、敵の本拠地で囲まれることにもなりかねない。疑いに疑いを重ねて、マクベスはとりあえず今回は見送って帰ることにしかけた。
そのとき、生臭いそよ風が、木々の間からマクベスの顔をかすめた。大きな風が遠くで起こり、誰かが瞬間移動したことをマクベスは感じた。
(おっと今は動くな。)
マクベスは魔法を使うのをやめてじっと息を殺し、目をせわしなく動かして相手を探した。
いた。同じように木立から黒フードの人物がのぞいている。服装も気配も紛れもなく黒魔術師である。人助けをする怪しい黒魔をじっとうかがっている。
そのうちにふたたび消えた。
(今の奴は偵察で、たぶん次には軍団を引き連れてくるな。)
そうなるとぞろぞろと群れをつくって逃げているこの人間達が危ないが、下手に手を出せば自分がまきこまれる。
マクベスは一計を案じた。自分が危険を冒すのには断固反対だが、銀ぎつねが危険になる分には何の問題もない。もうすでに捕まっているのだから、また捕まっても一緒だ。彼は銀ぎつねの本名を織り込んで呪文を唱え、遠くから銀ぎつねにかかっている眠りの術を解いた。
術が解けても、2日もろくに寝ていなかったので、銀ぎつねは起きなかった。
―早く起きろ! 人間達が危ないぞ!
マクベスは大音量のテレパスを銀ぎつねの頭に送り込み、銀ぎつねは頭を抱えてカルビンの背中から落ちた。
「今何か感じたぞ。」
テレパスがかすめるのを感じたカルビンは発破術をかける用意をしながらあたりをうかがった。背後では銀ぎつねが倒れていた。
「マスター…分かりました。」
老女は無理やり自分を起こして、状況を確認しようとあたりを見回した。
―もうすぐ黒魔達が来る。早く人間を助けてやれ。
寝ぼけている銀ぎつねは、とりあえず近くにいる黒魔術師=カルビンに魔力を送り込み、浮遊術で吹っ飛ばした。それこそまさにマクベスの望んでいることだった。マクベスは姿を現して、頼りにしていた軍人が吹っ飛ばされた上に子供だがあまりにも顔つきが険悪な魔法使いが現れて悲鳴を上げる人間達を、構わず魔力のひもで十把ひとからげにした。
「銀ぎつね。この塀に穴だ。」
「イエスマスター」
塀はコンクリート製だったが、火山灰で作られた天然のコンクリートでしかも歳月が経過して一体化し、わずかに構造が生まれていた。銀ぎつねが魔力を通すと、塀に大きな穴が開いた。まずマクベスが穴を通って周囲をうかがったが、誰もいない。
「よし早く逃げろ。」
「だめだ!扉から出るんだ!扉以外から出れば警報が出される!」
マクベスは叫ぶカルビンを見やり、その可能性もあると思った。しかし彼は人間達を無理に押し出して逃げられるように縛めを解いた。最初に侵入した時に比べて、敵の反応が遅い。前は塔に侵入して数秒で数体の黒魔が瞬間移動で現れたが、今度はなぜかもたついている。逃げ切れるだろう。
「早く散らばって逃げろ。…銀ぎつね。穴を閉じろ。」
考える力のない銀ぎつねは言われた通りにした。カルビンは怒った。
「警報が出されると言っただろ!」
「ならお前が追手を防げ。」
マクベスは自分と銀ぎつねの周りに素早く円を描いた。それが瞬間移動の準備であることはカルビンも知っていた。
「待った!自分も連れて行ってください。そのおばあさんを助けたのは自分です。あなたは白魔法使いですよね?この国に攻めてきた?自分はここの近衛兵です。城の中を詳しく知っています。」
マクベスは円を描くのを止めてカルビンの方を見た。方を見ただけで、見たのはカルビンではなかった。カルビンも銀ぎつねも視線の先を振り向くと、2-3人のやせた老兵がばらばらと重たげに走ってくるところだった。痩せていて老兵と言えども、黒魔であることは黒いオーラに覆われているので分かった。
マクベスはじっと考えていたが、やがて悪魔的な顔が裂けそうなにたり笑いを浮かべた。
「そうか。王族や家臣は逃亡中か!」
彼はすぐさま自分を浮遊術にかけると、城の全景が見渡せる高さにまで飛び上がった。そして、北門から出ていく馬車や馬の列を見つけた。石炭車も走っている。荷物を運ぶ人たちが、まだ城からせわしなく出たり入ったりしている。
「大将の首はわしがもらった!」
マクベスは逃亡者の耳にも入るような大音声で叫ぶと、そのまま飛んで行ってしまった。取り残されたカルビンと銀ぎつねはどうしていいか分からないまま、飛んで行くマクベスを見送った。
カルビンは気を取り直して残されたおばあさん魔女に話を続けた。こちらの方が子供の魔法使いより立場が下のようであるが、優しげで話が通じそうである。
「すみません。自分はカルビンと言います。」
銀ぎつねは聞こえないかのように眠たげに眼をこすっていたが、やがて塀の穴を開けた箇所へ走って行き、よじ登って見えなくなった。
カルビンはしみじみと、「黒魔だから姿を見た瞬間に問答無用で殺される」とジーガンに教えられたことを噛みしめた。自分は今でも人間のつもりで、だからこそ人も助けたのに、何にも報われていない。おばあさん魔女も、牢屋にいた人間達も、何も感謝してくれない。力のありそうな魔法使いに会ったが、まともに顔も見てもらえない。結局何にもならなかった。いや、とりあえず牢屋からは出たが、自由の身が何になるだろう。自分の魔力はあと二日もすれば尽きる。黒魔の魔力は人間を苦しめれば得られるが、そんな魔力を得るのは、人間の矜持を失う事だ。こんな風に人から蔑まれる命を何日か長らえさせて何になるのか?
(牢屋にいた時の方がましだった。あのときはこんなに空しい気持ちにならなかった。)
カルビンはどうしていいか分からず、立ち尽くした。
「手をあげろ!お前か?囚人を逃した奴は?」
カルビンは兵士3人に囲まれて両手を挙げた。こういう状況ならどうしていいか分かる。
「分かった。降参だ。ほら、連れて行ってくれ。」
「お前か?囚人を逃したのは?」
囚人を逃した黒魔を殺せという指示を受けていた兵士は言った。カルビンはそれを見抜いた。
「いや。それは俺じゃない。ほら、後ろだ。」
うかつな兵士は3人とも後ろを見た。隣の兵士が頭突きをくらって槍を奪われ、もう一人がその槍で胸を貫かれた。
もう一人がまごまごしているうちに、カルビンは背中を向けて逃げ出した。しかし残る1人が追いかけるべきか、発破術を使うべきかで迷っているわずかの間に、カルビンは後ろ向きのまま発破術をかけて最後の一人の胸を吹っ飛ばした。
最後の一人はうまく魔力瓶にあたったらしく、みるみるうちにカメムシに変わっていった。一度見たことはあるし、頭ではよく理解していたのだが、自分もこうなるのかという思いは避けられなかった。
哀愁を感じて数秒カメムシを見ているうちに、急に喉の渇きを感じた。めまいがするほどで、抑えられない。いますぐ何かを飲みたい。その何かは、カメムシ人間の流した血だった。割れた魔力瓶から流れ出した黒魔力が混じっているのだ。
(これを飲めばまた数日生きていける!)
こんな方法もあったのか!という思いがした。敵が近づいていないことを確認してカルビンは地面に流れる血を舐めた。吸血鬼か下等動物になった気がするが、魔力が得られるほど気力と体力が沸いてくるのを感じる。まるで大きな塊肉とお酒をいっぺんに味わった後のようだ。疲れが消え去っていく。それと同時に希望のようなものも湧いてきた。
(こういう生き方もあるかもしれない。攻めてくる黒魔を倒して、この国を守るのもいいかもな。あまりかっこいいとは言えないにしても。)
カルビンは優秀な兵士だったので、数秒ごとに顔をあげて周囲に誰も近づいていないことを確認した。
何度目かに顔をあげた時、銀ぎつねがあたふたと走ってくるのが見えた。
(あれは問題ない。)
カルビンは血を舐め続けた。どうせ素通りするのだろう。しかし銀ぎつねは血を舐めるカルビンの前で止まった。
「あなた。一緒に来たいと言いましたね?」
「ええ。」
今さら何を言う?と、カルビンは思いながら、口の周りの血をぬぐった。
「城の中に詳しいと言ったのは本当ですか?では一緒に来てください。そこの死体も一緒です。円の中に入れて。」
銀ぎつねは大きめの円を描くと、どうぞ方角が逸れてくれるなと念じてマクベスの元へ瞬間移動した。
銀ぎつねの気持ちを反映してか、4人と1匹はマクベスから見えにくい場所に瞬間移動した。銀ぎつねは黒魔は寝かせておき、カルビンを連れてマクベスの元に参上すると同時に鉄拳制裁をくらった。
「わしが向かったら後をついてくるのが当然だろう。何してた!」
「逃げ遅れた人を運んでいました。」
「わしをほっておいてか!次は許さん。それにそいつは何だ!」
「置いて来たら人間の後を追うかもしれないと思いました。」
「わしよりも知らない人間を優先させたわけだな。わしをなめてるな?お前のその甘い考えは、護りの術のせいだろう。今すぐその術を解け!痛い目を見たら分かるはずだ。」
「大叔父がかけたので私には…」
「わしに嘘をついても無駄だ!知ってることは全て話してもらうぞ。」
銀ぎつねの顔に影が差したが、妻にしてやると言われた時ほどではなかった。
「承知いたしました。弟子になりましたら。」
マクベスも、銀ぎつねがその秘密は弟子にでもならない限り明かさないだろうと分かっていたので、その件はもう触れなかった。そして少し優しく付け加えた。
「心配しなくてもわしは身内には優しいぞ。妻子に手を上げることはしない。」
銀ぎつねは気持ちを顔に出さないように無表情になった。
「それで、あの黒魔達はお前が倒したのか?」
「いえ、この黒魔がやったようです。」
この一連のやり取りを見ながら、カルビンは新兵の頃の鬼教官を思い出していた。このおばあさん魔女は怒鳴られるたびに固くなっているが、自分は大丈夫だ。笑顔を忘れず、きびきびと返事をしなければいけない。仕事外でも常に付き従い、可愛がってもらう事だ。鬼教官は態度は厳しかったが、その実人一倍部下思いで、部下の面倒をよく見てくれた。むしろこの人とならうまくやっていけるかもしれないという自信がむくむくと湧いてきた。
マクベスが目線を向けると、カルビンはすばやく最敬礼をとった。閲兵式で王族に向かって行うように、かかとをかちりと合わせて、マクベスの方を向いて直立不動をとった。
「近衛隊第2隊所属、メルビン・カルビンであります。」
マクベスの方は、カルビンの笑顔を見て、生家にいた足軽を思い出した。主人の言う事を何でも聞く身分の低い家来である。どれだけ手柄を立てても、一生大将になることはない。
「いつ黒魔になった。」
「4週間になります。黒魔にしてくれた師匠は死にました。」
マクベスは目を細めて考えながらカルビンを見ていた。悪いことを考えているのではないかと、カルビンは感じた。事実、マクベスは殺そうかどうしようか考えていた。
「この黒魔達は何で殺した?」
「自分を襲ってきたからです。」
「何で人間を連れて逃げていた?」
「牢屋から逃げる時に、一緒に逃げました。国民の命を守るのは、近衛兵の義務であります。」
カルビンはきびきびと答えた。返事の仕方は素早くて簡明で嘘がなさそうだと、マクベスも感じた。もしくはとても嘘がうまい間諜かのどちらかである。
「近衛兵なら、強いのか?」
カルビンはにやっとした。
「お試しください。隊の中では体術も剣術も一番でした。」
「城に詳しいと言ったな。」
「はい。どの建物も知っています。見回りの任務に就いていました。」
「今すぐ手下にしてやる。契約しよう。魔力を出せ。」
魔力を出すとはどのようにするのか分からなかったので、カルビンはあいまいな笑顔を浮かべた。それをマクベスは、契約を危ぶんでいるのだととった。
「わしはウォンシティのヴィラという魔女を倒してやる。それに、この国に巣食った黒魔法使いを一人残らず退治してやる。その代りお前は、わしの命令に従う。これが契約だ。どうだ?納得したか?」
契約してはいけない。銀ぎつねは思った。
魔法使いの契約は死んでも破れない。だから何日も、時には何年も考えて、それでも思い直して契約しないのが、正しいのだ。
「します。契約します。」
銀ぎつねは表情を読まれないようにじっと地面を見つめた。
カルビンは黒魔だから、完全に配下に置くか、すぐに殺すのが正しいのだ。たとえ黒魔法使いを一人残らず倒すという契約は、すでに銀ぎつねと結んだ契約だから、何もしなくてもマクベスはそれを履行するとしても、たとえ「わしの命令に従う」という短すぎる文が、期限を限定していないために、カルビンが死ぬまでマクベスの手下として命令に従い続けなくてはならなくなるとしても、たとえこの契約があまりにもマクベスに有利で、マクベスには弟子に対するように魔法を教える義務もなく、衣食住を保証する義務さえない物だとしても、たとえカルビンが本当はよい人間で、よい意図しか持っていない黒魔だとしても、やはりこうするのが正しい。
銀ぎつねは目をつぶった。口をしっかり押えて口出ししないように気を付けた。
丸顔で、正直者の目をした、若いカルビンが、魔力のだし方をマクベスに習っているが、カルビンの残りの魔力があまりにも少ないために何も出てこなかった。
「ここで待っていろ。」
マクベスは下で倒れている2人の黒魔を見やって、バルコニーから飛び降りた。マクベスは斜めになった城の、おそらく魔法使いの瞬間移動用バルコニーの中高の壁の内側に潜んでいた。そして、銀ぎつねたちがバルコニーから見えない下側に瞬間移動したために、カルビンの倒した2人とカメムシ1匹の黒魔達も、まだ重傷を負ったままそこに倒れていた。
マクベスはまずカメムシをふみつぶした。そして特別鋭敏な目を使って魔力瓶の位置を見抜くと、杖の鋭い切っ先で、残り二人の魔力瓶をえぐりだした。瓶が取り出されると、黒魔達はコオロギやカエルに変わって、ぴょんぴょんと逃亡を試みた。カエルの時だけマクベスは手を止めたが、小さな青ガエルだったので、杖を深く刺して息の根を止めた。小さすぎて食べがいがない。もっと大きいカエルなら、地面にたたきつけて皮をむいてしょうゆをかけながら焼けばおいしいのだが。
マクベスがいない間、銀ぎつねは我慢しきれなくなって、カルビンに忠告した。
「あなた、契約するときはもっと考えた方がいいですよ。」
「えっ?」
カルビンは老女をなだめるように笑顔を作った。彼にとってみれば、国を救うために兵士が一身を投げ出すことは、少しもおかしなことではなかった。ウォンシティは彼の祖国なのだ。それに頭を使う事は嫌いだった。直感で行動する方が好きである。それでも兵士として今まで何の問題もなかった。
「大丈夫ですよ。」
「魔法使いの契約は人間の契約とは違います。もっとよく考えてから…」
言いさしているところへ、マクベスが瓶を持って帰ってきた。
「銀ぎつね。余計なことは言うな。」
マクベスは笑いながら軽く言ったが、言っている内容と状況からして、怒らせたことは間違いがない。銀ぎつねは自分の差し出口を悔やんだ。聞かれてしまったところが特にまずかった。
「さあ、ぐいっと飲め。一本飲んだら契約だ。」
マクベスは血だらけの瓶を一本差し出した。
コップから飲むみたいに飲めるのか! これならカッコ悪くない。カルビンは喜んで瓶から黒魔力を飲み干し、力で体内が満たされるのを感じた。量は少しだった。十分とは言えない。カルビンは次の一本を待ち受けた。
「もう魔力は出せるな。契約だ。終わったら残りの1本もやる。」
カルビンは契約の前に銀ぎつねをうかがったが、銀ぎつねは明後日の方を向いてカルビンを見るまいとしていた。
「給料は出るんですか?」
カルビンは肝心なところを確認しておくことにした。マクベスは苦々しい表情を浮かべた。
「わしらにとってお金はあまり意味がないからな。その代り、黒魔をうまく倒したらその魔力を分けてやる。何か収入があれば、分け前をやる。」
魔力があれば何も食べなくても生きていけそうだが、それだけでは生活できない。お酒を飲んだり、服を買ったり、部屋を借りたり、お金は必要だ。
「何だ?契約をやめるのか?」
マクベスはやめるのなら即座に殺してやるつもりで聞いた。
「契約しなさい。ただし期限を切りなさい。」
マクベスの声の調子を聞いて、銀ぎつねは思い切って口をはさんだ。そして横目でマクベスににらまれながら、これで助けてもらった借りは返したと思った。牢獄の拷問部屋から助けだしてもらったのだから、マクベスの怒りを買うくらいのことはしなければなるまい。
契約が済むと同時に、マクベスは銀ぎつねにとびかかり、首を絞めた。
「二回目だぞ。それもさっき注意したばかりだ。お前、その術があるからってわしが何もできないと思っているのか?」
マクベスは炎を呼び出す手つきをした。
「あの人に借りがありました。助けてもらったのでマスターの元に無事に帰れました。この借りを返さなければならなかったんです!」
銀ぎつねは必死に言い訳した。
「だから生かしておけるようにしたのが分からんのか。契約が切れた時にはお前があの男を殺せ。」
「イエッサー。マスターがその時に思われるようにいたします。」
マクベスはカルビンに聞かせなければならないことは言ったので、銀ぎつねを放して、カルビンを指差した。
「そしてお前。これから本名は名乗るな。名前を付けてやる。とりあえず『足軽』と呼ぶ。」
あまりありがたくない名前だった。響きが軽い。これを聞けばだれでもカルビンのことを雑魚だと思うだろう。しかしカルビンは冗談まじりで抗議するような可愛い真似をしなかった。首を絞められている銀ぎつねを見てそれなりに学ぶところがあった。
もしかすると直感に従ったのはまちがいだったかもしれない。と、今さらながら考えた。もしかするとのこのこついてこずに、彼らの姿を見たらすぐに回れ右をして逃げるべきだったかもしれない。それに今、自分を殺す相談がなされていたような気がする。しかしもう遅い。もう遅いので、カルビンは考えるのをやめにした。
「イエッサ―。」
「足軽、城の見取り図を描け。」
「イエッサー。」
カルビンはペンと紙を探したが、30分前まで牢屋にいた身で、見つかるものではない。彼は魔力瓶についていた血を小指の先につけて、床のタイルに見取り図を描いた。
マクベスは書かれている見取り図をのぞきこんだ。
「北門から皆が避難しているのはどうしてだ?」
「北の森の中に王族の避暑地があるので、そこに向かったのでしょう。」
「逃げているやつらの中に強い魔法使いがいない。城のどこかに潜んでいるのだろうが、どこだ?」
「分かりません。魔法使いは勝手に移動できますから、先に避暑地に向かったのかもしれません。…王族の住まいはこことここの最上階で、ここが召使い居住区、魔法使いの塔はここです。ここは謁見の間のあるところです。門は東と北に正門がありますが、通用門が何か所かあるので、実質どこの方角からも出られます。ただし塀を乗り越えると警報が鳴る仕組みになっています。昔の魔法使いがかけた魔法で。」
「ふむ。おまえは使えるやつだな。」
「ありがとうございます。警備については、魔法使いが増えてから随分と体制が変わったので、指揮系統も規模も自分には不明です。近衛隊長も殺されましたし、誰が指揮をとっているのかも分かりません。」
「安全な隠れ家のような場所はないのか?門を通らない抜け道は?この状況でこの城に残るのはかなり肝の座ったやつだ。」
「ふーむ。」カルビンは考えた。「自分なら地下通路で逃げます。噂では城の外に続く秘密の地下通路があって、近衛兵の中でも王様の側近しか入り口の場所を知らないそうです。本当にそんなものがあるのかも不確かで、眉唾物です。」
「城壁の外へ出るという事か?今の状況で城壁の外に出ても安全とは言えん。わしなら北の避暑地に向かう方を選ぶ。外からの兵と呼応してわしを挟み撃ちにできるからな。他にないのか?」
その時、ドンと言う鈍い地響きが響いた。ドンドンドンと、続けざまに床が揺れるのは、銀ぎつねが動かせるものは家具でも柱でも何でも浮かべて、入り口を塞ごうとしているからだった。
「マスター!兵士が来ました。」銀ぎつねは叫んだ。
「どんな服着てた?」カルビンが聞いた。
「黒に白の線の入った…」
「フードか?ジャケットか?」
「ジャケットです。どちらかと言えば。」
「近衛兵です。最近黒魔になったやつばかりです。できるやつはみんなヴィラの親衛隊に引き抜かれました。」カルビンはマクベスに説明した。「何人いた?」
「見ただけでは4人くらい。後ろにもっといました。」
「最大警報が出されています。5人以上組になって動くのは、警戒レベルがマックスの時です。」カルビンはきびきびと説明した。「たぶん窓の外からも。」マクベスは外を眺めてすぐに体を沈めた。
「たしかに5人単位で2組いる。まだ集まりそうだな。厄介だ。人間がいる。黒魔は先頭の奴だけだ。」
「警報は呼子でやり取りするはずですが、聞こえませんでした。たぶん包囲されます。どうしますか?」カルビンは一応指示を仰いだが、内心では魔法使いは戦術には素人だろうと思った。しかしマクベスは玄人だった。それも必要なら兵士を使い捨てにできる玄人だった。
「足軽。お前はここに残って奴らの注意をひきつけておけ。お前は黒魔だから人間の相手をできる。殺すなよ。先頭の黒魔はお前にやる。殺しても構わん。魔力瓶はどちらも胸に入っている。」
マクベスは自分と銀ぎつねの周りに円を描き始めた。カルビンは手下になって5分もたってないのに置いてきぼりにされるうえに早くも命が終わりそうで、言いたいことがいっぱいあった。
「しかし武器がありません。」
カルビンはかろうじて言った。マクベスは血にまみれた銀のナイフを何本も懐から取り出してカルビンの足元に投げた。
「あとで返せ。銀がかぶせてある。黒魔にも効く。」
カルビンが何か言う前にマクベスと銀ぎつねは消えた。
カルビンは諦めた。じっとしていては包囲されるのを待つだけなので、ナイフをかっさらい、バルコニーから飛び降りた。そして発破術で囲みを突っ切って追われながら全力で逃げた。
一方そのころ、恐竜に乗ったマークとフルトは、黒魔を探してうろつき、見つけてはフルトが仕留めていたが、なんだか黒魔の出現の仕方が早くなっているのに気が付いていた。
「ねえ。なんだか黒魔の数が多くなってない?」
「大漁だ!」
フルトは魔力の補充に浮かれてあまり気が付いていなかった。体は胸のあたりまで銀色の体が再生し、生首ではなくなっていたし、腕もついていて恐竜の手綱を握っていた。
「ほら、さっき2匹しかいなかったのに、今は6匹見えるよ。遠くにいる。」
「いいぞ。もっと来い。」
「あんまり来たら困ることはない?逃げた方がよくない?」
「お前のティアラもあるし、大丈夫だ。マーク。」
それでもフルトは周りをさっと見回した。そして、マークには見えない遠くまで感じることができるので、ピタッと動くのをやめた。
「本当だたくさんいる。…マスターはまだ帰ってこないのか?様子見に行くって言ったのに。」
「森の中に逃げたらどうだろ。北の方にあるよ。」
「そんな数じゃない。大軍が集まってきてる。どっかの軍隊をこっちに回したんじゃないか?」
「それって助かるよね?」
「うーむ。マスターはどこ行ったんだろ?」
どうやら自力で助かるのは難しいらしい。
「どうかここを無事に切り抜けられますように。おかみさんや親方と暖炉の前で食事しながらこのことを笑いながら話せますように…。」
マークは小声で祈った。
「今何て言った?」
「何でもない。」
「笑いながら話せるとも。」フルトはちゃんと聞こえていて、にこっと笑った。「城の方へ向かうのは危ない。本丸に向かうから、敵が襲いかかってくるんだ。森になんか行ったら見つかるまで草の根分けてでも探されるよ。後ろへ向かう。城壁の外へ逃げる。」
「荒野だよ。隠れる場所がないよ。集団で襲ってこられたら…。」
「そうだなあ…。」
いざとなったらフルトは瞬間移動で逃げられる。しかし恐竜とマークは逃げられない。マークは死なせたくないし、恐竜は絶対死なせるわけにはいかない。これは明らかにマクベス師匠の好みにぴったり適ったペットだ。前足一本ちぎれただけでもフルトは命がないであろう。
「とにかく逃げる。いざとなったら全員浮遊術で飛ばしてやる。とりあえずポケットに隠れていなさい。それに、逃げていく相手を敵も大勢で襲ってはこないだろうから、やりようが…。」
言いさしたところで、すでに斜めになっている城に火の手が上がった。火の龍が塔をぐるぐる巻きにし、目の前で塔がバラバラと崩れていくのをフルトは口を開けてぼんやりと眺めた。ティラノサウルスは城の近くにいる。この状況ではフルトは城を焼いた張本人に見える。そして青ざめた。
「本気で襲われる。絶対逃してもらえない。早く!ポケットに隠れて! 肉竜悪食!面舵いっぱい全速前進。ほら、急げ!しっぽを焦がすぞ!」
マークは急いでティラノサウルスののど元のポケットに入ろうとした。しかし、フルトが見ていないすきに、ティラノサウルスの巨大な体の死角に隠れていた黒い人影がマークののど元に食らいつき、フルトの気づかないうちに近くの建てものに連れ去った。そしてフルトと恐竜はどすどすと城から遠ざかって行った。その周りを甘いものにたかる蠅のように、次々と瞬間移動で出現した黒魔が襲いかかっていた。
マークはのど元を押さえられて、フルトに助けてと叫ぶこともできなかった。同様に、「守れ」という唯一の持ち呪文を唱えることもできなかった。ティアラは帽子の下にしっかりとかぶっていたのだが、取り押さえられてもがいているうちにずれて、ティアラがむき出しになりそうだった。
マークは上半身まで再生したフルトが火の龍をむちのように操って襲い来る黒魔を撃退しながら遠ざかって行くのを目の端で見送った。
そうしながら、背後から自分を捕まえている謎の人物がもしかしたら味方で助けてくれたのかもしれないと言う淡い期待をかけていた。
謎の人物はマークののどをグイッとそらせて口を近づけた。
「いただきまーす。」
絶対味方ではない。その時にマークの帽子が落ちた。謎の人物は口を近づけるのをやめた。恐竜のような鋭い牙が見える。人には見えないけど、犬歯が鋭めの人なのだろうか?そうであってほしい。
不気味な謎の人物はでティアラを指で何度もなぞった。
「紋章…。君、シンシティの人?違うよね?違うと言って!」
どう答えたら安全だろうか? これまでの経験から考えてマークは答えた。
「シンシティの人間です。王女の婚約者です。」
賽の目はどう出るか?謎の人物はのどを放してくれたが、未練たっぷりの目つきでマークから目を放さなかった。マークも目を放さなかった。彼は逃げたかったが我慢した。あのスピードでは、どうせ追いつかれてしまう。
「僕は王女の婚約者です。」
「それはさっき聞いた。」
「行ってもいいでしょうか?」
謎の人物は諦めきれない顔つきでひとしきり黙っていて、やがて言った。
「血を分けてくれないかな? 3年半も絶食していて、おなかペコペコなんだ。何人かの血を飲んだけど、黒魔の血っておいしくないんだ。少年の血がおいしい。」
どうやら吸血鬼らしい。実在するとは知らなかったが、獲物にされているので全く喜べない。
「シンシティの人間だろ?僕はシンシティの魔法使いに協力しているんだ。人間は殺さないと誓ったから、飲みすぎることはない。どう?」
シンシティの魔法使いとは、マクベスの事だろうか?きっとそうに違いない。マクベスが吸血鬼をウォンシティに送り込み、その吸血鬼がマークを襲う。十分にあり得る話だ。吸血鬼はやせ細っていて、今にもマークを食べそうだったが、やせ細っているのはマークも同じだ。血を抜かれたら死ぬかもしれない。
「力が出れば、また黒魔をたくさん殺せるよ。少年の血が飲みたくてたまらないんだ。ウォンシティの少年を探してるんだけど、人間があまり見つからなくて。」
「教会のあたりにいますよ。」
マークは解放戦線の人々を差し出した。彼らはマークを捕まえて新しい外套とベルトを取り上げたので、少しくらい血をとられてもいいだろう。
「少年いる?」
「いや、少年はいません。」
マークは自分のしたことを少し後悔し始めながら言った。解放戦線の人たちは、マクベスが現れるまでは親切にもしてくれた。マクベスが現れてからも脅かしはしたが手を上げたことはなかった。
「シンシティのびっこの少年は自分から僕に血をくれたよ。国のためだって。」
吸血鬼は恨めし気にマークを見た。血を差し出したびっこの少年とは、朝見かけなかった友達の給仕のことだろうか?それもマクベスならあり得る話だ。銀ぎつねさんは止めたんだろうけど。
「じゃあさ、代わりに何かしてほしいことない?城壁の外まで無事に送り届けるとか。…頼むよ。血って僕らはそれしか飲めないんだ。それしかご飯がないんだよ。君だって3年半も何も食べなかったら、たくさん食べなくちゃいけないだろ?ひどかったんだよ。壁の中に閉じ込められて。身動きもできなかった。ああ、長かった!」
どうやら閉じ込めたのは銀ぎつねさんのようだ。大正解の処置だ。恐竜とか吸血鬼はそうするのが正しい。
「銀ぎつねさんを助けてほしい。」
マークの口をついて言葉が勝手に出てきた。マークもびっくりするほどすらすらと出てきた。吸血鬼は嫌な顔をした。
「何だって?」
「銀ぎつねさんを助けてほしいんだ。今お城でつかまってる。」
「ふん。いい気味だ。あいつが僕を閉じ込めて出さなかったんだ。」
「飲んでいいよ。少しなら。」
マークは腕まくりして左腕を差し出した。
「それにお城なら、人間がいると思う。人間が奴隷にされて閉じ込められているって聞いたよ。」
「でも城は危険だ。近づかないほうが身のためだ。」
吸血鬼は後ずさりした。今にも姿を消してしまいそうだ。
その時マークの脳裏に、わけもなく親方の口癖が浮かんだ。
『①でだめなら②、②でだめなら③だ。』
玉つきのように、一つ目のボールが二つ目のボールを突く作戦を思いついた。
「待った!なら、僕を教会まで送って行って。そして解放戦線の人たちを助けてほしい。がれきの中に閉じ込められているかもしれないから。それをやってくれたら、血を上げるよ。
それに解放戦線の人たちは何か頼みごとがあるかもしれないよ。もしかしたら、お城を攻めて奴隷を解放してほしいって言うかもしれないけど。それで血をくれるかもしれない。大勢いるから、少しずつでもたくさん飲めるよ。」
「それ、ウォンシティの人?」
「うん。」
吸血鬼の顔に、欲深い笑みがゆっくりと広がった。
「ウォンシティの人からは、血を取ってもいいんだ。」
まずいこと言ったかもしれないとマークは冷や汗が出た。
「ウォンシティの人もいるけど、ほとんど違う都市から来た人たちばかりだよ。連れて行ってくれる?」
「いいとも!」吸血鬼は張り切って言うと、おぶさるようにと背中を向けた。「血は仕事が終わってからもらうよ。君は血を飲んだら気絶しそうだ。」
気絶するまで飲むつもりか!何か「少し」の考え方が違う!マークは背筋が冷たくなるのを感じたが、とにかくおぶさった。死ぬと思ったらティアラに焼き殺してもらおう。それに、少なくとも吸血鬼と一緒に行けば、解放戦線の人たちも外套とベルトを返してくれるだろう。
一方吸血鬼はだまされやすい子供を見つけられて喜んでいた。人間のいる所まで案内してもらったら、その場にいる全員の血をもらおう。
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