Ⅲ 魔法使いが二人いると争いが始まる

 螺旋階段を降りるときから、確かに暗かった。足元が見えない。本当にマクベス老人の言うように、すすけすぎて、掃除しなければならないのだ、とマークは考えた。しかし一歩外に出ると、外の光自体が全くなく、黒い煙だらけで、目の前も見えないということが分かった。

 マークはためしにちょっと吸い込んでから塔の中に引っ込んでみたが、せき込んだりはしなかった。

(すすとかじゃないな…。息しても大丈夫だ。)

黒い煙がなんだというのか? 窓磨きをしなければならないのだ。すすでないなら、窓も汚れることはないし、おさまるで窓拭きができないということもないだろう。ミュゼでは白い霧しか見たことないが、これは「黒霧」かなにかで、たぶんここでは珍しくないものなんだろう。

 と、マークは納得してとりあえず黒い霧の中に踏み出した。

 目の前も見えないマークには分からなかったが、後ろからついてきていたほうきがマークの前に大股で歩み出て、1回屈伸運動をしたかと思うと、持ち手の先端に、蛍ほどの小さな明かりを灯した。

 これにはマークも驚いて立ち止まった。いつものように納得のいく答えを思いつこうとしたが、全く思いつかなかった。

 小さな光は不思議なことに黒い霧にも邪魔されることなく、小さい範囲だったが、マークの視界を広げてくれた。つまり、ほうきのふさが足みたいに二股に分かれ、自分の部屋に置いてきたはずのほうきなのに、なぜかそこに自力で立っていて、柄の先っぽは、確かそこは、竹の節になっているはずなのだが、ペンライトみたいに光っていて、変な風に斜めに揺れている。おいでおいでをしているようだ。

(かぐや姫が入ったとか?)

やっとのことで一つ説明を思いついたが、かぐや姫が竹ほうきの柄の中に入ってい

て自由意思で歩き回るとしたらそれはそれで受け入れ難い。マークは思考停止に陥った。

 その時、後ろから突き飛ばされ、マクベス老人の手がほうきに迫った。

 ほうきは光を消して、黒い霧の中に紛れ込んでしまった。

 マクベス老人はほうきのいたあたりを鉤のような手で漁ったが、すでにほうきは遠くに行ってしまったらしく、しばらく空気中や地面をかき回したが、無駄だった。

 マークはほうきを探しに行きたかった。大事な両親の形見なのだ。

 しかしマクベス老人の挙動からして、今見つけても取り上げられてしまいそうだった。マークは暗闇だろうと、敷石を足でなぞれば、そして目が慣れてくれば歩けると思っていたが、大事なほうきを守るためには、探すのは後にすることにした。後でこっそり見つけて、どこかに隠しておけばいいだろう。動き回らないように、塀などにくくりつけておく必要がある。幸いロープはある。

 マクベス老人は鬼の形相で、マークに掴みかかった。

「お前! 魔法が使えることを黙っておったな! あれは魔法のほうきじゃろう!」

マークは急いで否定した。老人は信じなかった。

「わしが人のいいのに付け込んで、スパイじゃな? わしのひみつを探りにきおった。 スパイじゃ!シン市を征服しに来たスパイじゃな? 子供の顔をしおってからに。 人を呼ぶぞ!」

「違いますよ! なんでほうきが動いたのか、僕にもわからないんです。」

マークは必死に訴えた。本当に何も知らない人間の声音が、そこにはあった。年齢から言っても、複雑な嘘をつける年頃ではなかった。

「ではあのほうきはなんじゃ?」

「あれは・・・僕のほうきです。ミュゼから持ってきた。」

「避難民が、なんでほうきなんぞ持ってきた!」

「仕事道具だからですよ!」

「ようし」老人は大事な個所に差し掛かって、唇をなめた。

「よいか。スパイと分ったら、すぐに縛り首じゃ。この黒い霧を見てみろ。お前の仕業か?」マークは首を振った。「しかしわしがお前の仕業じゃというたら、みんなが寄ってたかってお前を吊るすぞ。もう故郷には帰れんぞ。」

マークは内心震え上がった。信じられないことだが、自分が殺されるかどうかの瀬戸際にいることが分かったのだ。明日は来ないかもしれないのだ。

「ではあのほうきを取ってこい。いや、一部始終を話せ。昨日からあったことを全部じゃ。誰かに魔法をかけられなかったか? たとえば、銀服のばあさん魔女とかに。誰が魔法をかけたのか分かれば、お前の命は助かるんじゃぞ。そいつが犯人じゃからな。」

マークは全部話すことにした。こんな時は正直に話すのがよい。なにがじぶんを救ってくれるのか、マークには分からないからだ。

王女付きの家庭教師にあったことから、昨日おかしな夢を見たことまで全部。ついでに、本を「借りた」ことも言わなければならない。マークは本を修繕するために部屋に持ち帰ったと婉曲に言った。

 魔法に関係していて自分を救ってくれそうなことなら、そして老人の関心をほうきからそらしてくれるなら、何でもしゃべった。

 大事なほうきを取りあげられるわけにいかなかった。ほうきが歩こうと歩くまいと。命が助かるかどうかの瀬戸際にあろうと。その他のことなら、何でも話して構わない。銀ぎつねと呼ばれる魔女さんに会ったこと、(たぶんあったことをはなしても、彼女は自分の身を守れるだろう。母屋に住んでいるし偉い人のようだったし、とマークは考えた。)「借りた」本に「後継者にする」と書かれていたことも。夢から覚めたら風邪薬がポケットに入っていたことも。

 老人の関心はとたんにほうきから本へ移った。

 マークはほっとした。喜んで老人に言われるまま部屋に戻り、本を渡した。



 吹き飛ばされた王女の部屋は、真っ暗であったが、粉々に壊された銀ぎつねの石像のかけらがぼんやりと銀色に光っていた。かけらは、ゆっくりと銀ぎつねの左手を中心に、集まりだしていた。その動きは、重たいものを、遠心力で、弱い力の子供が動かそうとするのに似ていた。最初こそゆっくりだったが、徐々に渦を巻いて力強く、左手のもとに集まりだした。

 しかしいかんせん、粉々に砕けていたので、また、吹き飛ばされていたので、すべてのかけらが集まるには、まだ何日もかかりそうだった。

 ほうきは、壁の大穴から2本足のふさを引きずりながら入ってきて、目がないので、柄をぐるりと部屋の中を回転させて、魔法の気配を感じ取った。

 大きな渦を巻く引力を感じる。壁際のところにもやたら強力な術を感じる。中に生きている人間が一人いる。しかし解放の呪文を唱える口がない。

 ほうきは渦と引力の中心である魔女の左手のところに来て、柄を曲げて左手をつついた。

 カチカチいう音から、石らしいことを推測し、輪郭から人体の一部らしきことを推測し、魔法使いが石にされて、それもバラバラにされて、今再生の真っ最中であることを推察した。魔力の気配からして、黒魔術師ではない。白魔術師だ。

 ほうきは自分のふさを使って大きなかけらを寄せ集め、再生を速めた。

 大きなかけらは速やかにお互いの断面をきっちりと合わせて、5分程度で、銀ぎつねは再生した。

 魔女は起きてすぐに王女を閉じ込めた壁を探した。

 部屋が爆破されているのを見て、血の気を失ったが、壁が無事なのを見て、心から安心のため息をついた。

 視線の間にほうきが割り込んだが、銀ぎつねの目には入らなかった。

 ほうきは、『share me magic force』との銀色の字を浮かべたが、銀ぎつねは戦闘能力のない、へまをした白魔術師と判断して、無視した。

 ほうきは、ほうきのふさをわっかにして、銀ぎつねの足をで引っ掛けて、銀ぎつねをおでこから着地させた。

 手でかばう暇もないほど、不意に引っ掛けたはずだったが、銀ぎつねはがれきの角にしたたか額をぶつけても、無傷で立ち上がり片腕を挙げただけで報復した。

そして、呪文を解除し、おびえ切った王女を助けることができた。

「何があったの?」

「たぶんウォンシティの刺客が来たのです。王女様もすぐに逃げなければ。」

魔女は忙しく頭を働かせた。

王女の父母と兄、王と王妃と皇太子は地下城に閉じこもって安全にしている。

王女もそこに送れば安全だが、そうすると、名代がいなくなる。

王不在の王国ということになる。この危機に際して。

やはり名代が必要だ。統治は首長がやるとしても、印璽を押したり、王族はここにあり、逃げていないということを示すのは、王族の義務ではないか。これほど多くの避難民がこの都市を頼ってきているのだから。

となると、遠くには逃げられない。

(自分がいつもそばについて、四六時中、寝る時もトイレに行く時も、ご飯を食べる時もずっと近くにいて、王女がこのティアラを絶対に手放さなければ、王女は安全なのだ。逃げなくても大丈夫なのだ。)

銀ぎつねは王女を抱きしめて背中をなでながら、自分の不安感を押し殺そうとした。

「マークが危ないの?」

王女がつぶやいた。

(もちろん、ここにいる人は王女と私以外は全員危ない。料理人も、給仕も、女中たちも。)銀ぎつねは心の中でつぶやき返した。

「どうしてそんなことを言うのですか?」

「あそこに書いてある。」

銀ぎつねが先ほど、怪しいほうき白魔術師をとじこめた、がれき山のすきまから、銀色の文字が浮かんでいた。

『まーくがあぶない』

銀ぎつねはしばらく考えた。そして、それがたかが一人の避難民のことであっても、見捨てるわけにはいかない、危なくても正体不明の魔法使いとかかわるべきだと判断した。

彼女は王女にティアラをつかんで身構えるように諭すと、ほうきを解放した。

「話を聞きましょう。」

『magic force,first』

「お話が嘘でなければ、魔力をお分けしましょう。」

銀ぎつねは古ほうきを凝視したが、古いほうきで、いくつか呪文を知っている魔法使いみたいだというほか、何も分からなかった。

『magic force, first. まーくがあぶない』

ほうきは頑固に文字を出し続けた。ほうきと魔女は冷ややかににらみ合った。

ほうきは2度屈伸したかと思うと、トンボを切った。

きらきらした星のたくさん縫いつけられた、鮮やかな青いビロードの服を着た、王子のような少年が現れた。黒髪に、幼い丸顔、低い背、いきいきした目、腕白盛りの元気な少年だった。

まっすぐに小鹿王女のもとへ歩み寄ると、膝まずき、手にキスをして忠誠を示した。蹴飛ばそうとした魔女を、小鹿王女はしかめっ面で止めた。

「待って。話を聞いてやりましょう。」

魔女は王女の判断力を疑った。

ちょうど王女と同じくらいの年齢の少年なのだ。かっこいい同い年の男の子に、ひざまずかれたら、信じるに違いない。悪人でも。

やはり魔女は元ほうき・今王子風少年を床に倒れるまで踏みつけようとした。間髪を入れずに床石の中に閉じ込めてやるつもりである。たとえ変化の術そのほか銀ぎつねの使えない魔法が使えるとしても、相手は弱っているようなので、チャンスだ。

ほうき少年はまっすぐに、王女を見つめて心をとらえた。

「私は以前シンシティの宮廷付き魔術師でした。また戻ってきて、あなた様のお役にたてるとは、感激の至り。」

「大儀である。」

王女は、偉そうにした。

(教育上絶対よろしくない。こんな幼いうちから偉ぶるなんて。)

銀ぎつねはいまいましく思ったが、魔力をほとんど失っているらしい元ほうきの白魔術師が、魔力を召喚する時間だけ待ってやった。自分の再生を早めてくれた借りを返さねばならない。

「マークの話を聞かせてもらいましょう。」

銀ぎつねは王女と元ほうきの間に割り込んだ。

2人の目線は再びバチバチとぶつかった。

『魔力をもらっていない』『今王女様から取ったはずです。それが報酬です。』無言のうちに駆け引きがなされた。

「マークは塔の老人につかまっているぞ。大魔法使いの本を読んだために。老人はそれを自分の手柄にするつもりで、マークを使って一芝居打つつもりだ。早く助けにいかないと、どんどん厳重に囲い込まれて、そのうち、いるのかどうかも分からなくなるぞ。あのじいさんは、そういう奴だ。」

元ほうきの少年はざっくばらんに腕組みをしてしかめっ面になった。先ほどまでの礼儀正しい姿は片鱗もない。

「名前を聞いてないわ。」

王女は何とかがっかりした様子を見せずに強気な態度で言った。

「わしの名前は大魔法使いマクベス。まさにこの国を救うために出てきたのだ。早くあの老人を追い出して、正式にわしを宮廷付き魔法使いに任命するのだ。」

さっきまでの敬語はどうした。うさんくさいぞ、と銀ぎつねは疑いの目をほうき少年に注ぎ、王女は信じた。

「じゃあ、マークを助けに行ってちょうだい。」

「危ないのはマークだけではありません。離宮にいる全員を助ける方法を考えるのが先です。」

「まずはこの生意気な魔女よりも高い位置につけてください。ぜひ私めを宮廷魔術師にお戻しください。王女様。このマクベス、身命に代えても、王女様とこの国をお守りいたします。」

 ほうき少年は王女の靴の前に這いつくばり、スカートの裾をうやうやしく少し持ち上げた。王女は約束した。

「身元も不確かな者を…」

「黙れ銀ぎつね。私はこの者を信じる。」

王女は威厳を見せて一喝した。

(だからその信じ方が怪しいと言っているんです。何を以って信に足るとしたんですか!)

と、銀ぎつねは言いたかったが、王女が自分をあだ名で呼ばないほどこの初対面の少年に入れ込んでいるのを見て、王女が冷めた後で機会を待つことにした。

 王女が父王に依頼の手紙を書いている間、近衛兵たちがやってきて、王女を取り囲んだ。一人がその手紙を魔法の伝書鳩で父王のもとに届けるために持って行った。

 その間、二人の魔法使いは、無言で視線のバトルを繰り返した。

 銀ぎつねには、相手が老獪で、甲羅を経た経験豊かな魔法使いであるように思えた。

ほうき少年は自分の魔力が残り少ないことを完全に相手に知られていることを察して音の出ない舌打ちを繰り返した。しかも強力な護りの術に守られていて、毛筋ほどのダメージを与えることも難しいようだ。

 二人は無言のうちに同じ結論に達した。

 王女を安全なところに避難させたらすぐに二人でマーク少年を助けに行く。とりあえず停戦、それからのことはその後で決着をつけよう。

 近衛隊長は短い作戦会議を終えた。

「魔法使いさん、ここはもう守りきれんかもしれん。街ごと封鎖する潮時が来たんじゃないか。」

「避難民用の細い道路も閉じるのですか?」

「仕方ない。また刺客が入ってくるかもしれんから。今度は街ごと焼かれるかもしれん。」

「刺客はわしが捕まえてこよう。」

「部外者は黙っててください。」

銀ぎつねはほうき少年に氷の視線を突き刺してから、隊長に向き直った。

「必要なら、また『眼』を増やします。ここが封鎖されたら、難民の方たちの行く所は…。」

「どちらにしろここだって、食べ物が少ないせいでバタバタ死んでるんだ。来たって一緒だ。それより、今いる所を守らねばならん。私らに他の街の人間のことまで構っている余裕はない。自分たちのことだって守りきらんのだ。城の奥にまで入り込まれて、王女の部屋を爆破されたんだぞ! もう少しで王女も殺されるところだった。本当なら、ここを放棄して、もっと奥に引っ込みたいところだ。もう魔法使いさんが閉じてくれても、全然安全だとは思えん。…あんた、この黒い霧、何とか出来んのかね。」

銀ぎつねは薄らいでいきつつある黒い霧を心を開いて眺めてみた。黒魔力の薄まったものでできているようだが、消し方など見当もつかない。

「時間がたてば消えそうですが…。」

 隊長は戦闘に際して全く頼りにならない魔女にこれ見よがしにため息をついた。

「この霧が晴れなきゃ、誰が来ても全く駆けつけようがない。」

「わしにはわかるぞ。これは黒魔力を薄めて、煙幕に混ぜたんだ。」

ほうき少年に全員の注目が集まった。

「昔はよく使われておったが知らんのか。『黒霧』という。白魔力を薄く薄めて霧吹きでかけるといい。

そこまでしなくても、風でも送ればすぐに消え去るがな。白魔力は本当に薄くても中和できるが、こんなことに使うのはもったいないからな。」

銀ぎつねは自分の魔力を細長く出して黒い霧を払ってみた。黒い霧はあっという間にかききえた。

「すごい!あんた誰かね?」

「大魔法使いのマクベスだ。たった今、小鹿王女様が宮廷魔術師に任命してくださった。王様の正式な返事を待っているところだ。」

「すぐにその銀色のを寄越してくれ。手分けして城中にかける。物陰に誰かいそうで、危険な事この上ない。」

 銀ぎつねは渋った。

「風を送ることでお消しください。これは魔法使いには絶対必要なものなんです。」

「では、緊急用に少しだけ。…ありがとう。おい、全員に号令だ。女中も全部。窓を開けて風を送れ。誰か潜んでいたら、大声で叫ぶんだ。いや、呼子を配れ。二人一組で…それよりも全員で移った方が速いな。窓は全部開けるんだ! 霧が晴れるまで隠し部屋に移動する。」

 隊長はハンカチで銀ぎつねの魔力を包み、王女を6人の兵士で囲ませた。

「移動だ! 窓を忘れるな。点呼を取れ! 見かけないやつがいないか、よく確認しろ!」

「ドミノ! それからマクベス! あなたたちも来るんでしょ!」

小鹿王女は人垣の中から叫んだ。

「私たちは刺客を捕まえてから参ります。」

「マークも助け出さないと。」

魔法使い達は人垣の外から大声で答えた。

「霧吹き!早くもってこい、できるだけたくさん…よし、全員にいきわたるようにこの銀色のを薄めるんだ。…」「それなら大鍋がいりますよ!じょうごと!誰か持って来い!」

隊長が指示を飛ばしながら、人垣も遠ざかっていく。

「頼みましたよ。魔法使い殿。マクベス殿。刺客を捕まえたら、生かしたまま連れてきてください。我々は避難しています。霧が晴れるまでは、うかつに動くと危ないので。」

隊長は、やっと話の分かるやつが来た、という信頼のまなざしをほうき少年に送って、公式には家庭教師のドミノに、本心ではまだ任命前で何者でもないほうき少年に、まっすぐに敬礼してから、しんがりについた。

背中からは、戦争の分からないくせに口出しする魔女に対するイライラがにじみ出ていた。

銀ぎつねは人垣に囲まれた見えない王女にお別れの視線を送った。

何とはなしに、もう会えないような気がしたからだ。

「まずはマークを助けに行く。お前のほうきを貸せ。」

「まずは刺客を捕まえます。隊長もそれが必要だと言ってました。ほうきは持ってません。」

「それならお前の出せる条件を言ってみろ。この弱っちい、結界の魔法以外に。」

「それではあなたの条件をお聞きしましょう。魔力は渡しませんよ。ないなら一人で行きます。」

「魔力以外にお前に出せるものがあるのかと聞いているぞ。言っておくが、お前の魔法では刺客をとっ捕まえることはできん。」

「閉じ込められるのに、何を以ってできないとおっしゃるのかわかりません。一人で行きますよ?」

 銀ぎつねは三足歩いて振り向いた。

「よろしければ一緒に参りましょう。その間、お話もできるでしょうから。」

「のんきに話している余裕はない。ほうきがないなら、瞬間移動もできんのか?」

マクベスほうき少年は、銀色の姿を解いて、ほうきに戻った。

(その方が魔力を節約できるからだ、やはり魔力に非常に制限があるのだ。魔力を稼ぎたいはずだ。刺客をとらえ、マークを助けられたら、この魔法使いも、それなりに魔力を回復できるだろう。)と、銀ぎつねは考えた。

ほうきはほうきの柄をピタッと垂直にして、銀ぎつねを見つめているようだった。

「よかろう。知りたいのなら弟子にしないこともない。」

「その代り生殺与奪の権利をあなたに与えるというのですか?よく知りもしないのに?

残念ですが、私は今まで私の魔力を狙った白魔術師は、全て封じてきました。この城の壁には、窒息した白魔術師が、大勢眠っているのですよ。

好きでやっていると思わないでください。狙われたから仕方なくそうしたのです。あなたもそうしなければならないのかを知るために、話そうと言っています。

今ここで逃げてくだされば、それに越したことはありませんよ。」

「別に逃げはしない。わしもよくお前を品定めをしておきたいからな。

お前、いくつだ。見かけよりもずっと若いな?」

 銀ぎつねは一瞬詰まった。しかし、うそはつかなかった。

「21歳です。」

「そうか。よし、わしを使え。若い女には特別に許す。先に刺客を捕まえ、次にマークを助ける。」

 ほうきは銀ぎつねの乗りやすい位置に水平に浮かんで止まった。

 この若い女好きのほうきに乗っていい物かどうか、銀ぎつねは迷った。魔力を取るためのだましの手口かもしれない。このほうきは口は悪いが、姑息なところはなさそうだった。もっともそれが罠だったとしても、自分には危害が加えられない。

 (何よりこれで両方果たせる。)

銀ぎつねが細い両足でほうきにまたがり、しわだらけの両手でしっかり柄をつかむと、降り飛ばしそうな勢いで、ほうきは暗い空へ上っていった。


「あそこのようです。」

「どこだ?方角で言え。上を見られんのだ。」

銀ぎつねは魔力を矢印の形に伸ばして、ひときわ黒霧に覆われている草原を指差した。

ほうきはすぐに急降下して、流れ星のように、側の雑木林に落ちた。

銀ぎつねはほうきから飛び降りると、空き地をのぞき見た。

理由は不明だが、王女のベッドを運んできたようだ。黒霧を煙らせて座って休んでいる。当然だろう。何人いるのか知らないが、あのベッドは巨体の老王女が寝たきりになってもゆがまなかった頑丈そのものの代物だ。当然ひどく重いだろう。

 ランプのようなものを焚いて、そこから黒い霧が出ている。おかげでこちらの姿は隠れる。白魔術師はいつも少し光っているので、自分たちの周りはよく見えるし、好都合だった。ほうき少年を振り向いたが、傍らの幹に寄りかかって憩っている。房には落ち葉が絡み付いている。手伝う気はなさそうだった。

(助けは別にいらないが、邪魔しないでほしい。)

銀ぎつねは小声で尋ねた。

「あなたが捕まえに行かれますか?」

「行かない。お前のやり方を見せてもらおう。」

いちいち偉そうだ。

(念のため封じておいた方がいいだろうか?)

同じ白魔術師の仲間に対して、そこまでするのは嫌だった。とはいえ、刺客にかかりきりのところを襲われる危険もなくはない。

(情けをかけてはいけない…。殺すわけではないし…。)

「わしは一切手を出さんぞ。魔法使いの誓いを立てる。」

ほうきは柄から銀色のもやもやした手だけを立てて、しゅっと蒸気を立てた。

(読み取ったみたいに。)

 銀ぎつねは不安に駆られた。刺客よりもこの経験豊かなほうきの方が自分には100倍も危険だ。

(仕事に集中しよう)

銀ぎつねは目を閉じて、意識を開いた。強い黒魔術師の気配はしない。でも黒い霧のせいで、そこらじゅう黒魔力の気配だらけだ。人間の気配はもとから読めない。

結局何も分からない。

銀ぎつねは目を開いた。

(どこにどんな人が隠れていようが、私に手の出せる人は一人もいない。)

銀ぎつねは一気に魔力を放出した。

銀色の光がオオカミの群れの姿となって、たちまち空き地を取り囲んだ。鋭い牙に、緑の目をらんらんと光らせて、うなっている。声は聞こえないが。

休憩中だった刺客達は一斉に立ち上がって、武器を繰り出した。

だが、銀製の武器以外は、光るオオカミをすり抜けた。銀製の刃に当てられたものは、穴が開いて姿が消えたが、囲みが狭くなるだけだった。

出ようとしたものは、銀色のオオカミにのどを食いつかれて倒れた。後ろから見ていれば、年寄りの魔女が喉笛に食いついたのだと分かったはずだが、食いつかれた方には分からなかった。

そのようにして、刺客達は全員、天蓋ベッドの中に追いやられた。

全員が銀色のひもでぐるぐる巻きにされていた。

「出る幕がありませんでしたね。」

銀ぎつねは幹に立てかかっているほうきの所に戻った。

「あほ!」

ほうきはまっすぐに立った。

「あのまま捕まえさせる気か?」

「もう知らせは送りました。近衛隊の方達が来るでしょう。」

「近衛隊は刺客達を拷問にかけるぞ! そこまで考えたのか!」

銀ぎつねはまっすぐにほうきを見返した。

「子供を殺そうとした人たちのなのですよ?」

「だからと言って殺させるのか! お前よくそれで白魔でいられたな。見てろ。」

ほうきは銀色の小さな手を出して宙に方陣を描いた。

銀ぎつねはそれを覚えようと目を血走らせて手を見つめたが、早すぎて覚えきれず内心がっかりした。

 刺客の足のポケットから突き出した銀のナイフの柄が、自然な動きでシーツの上に落ちた。一人が気が付き、何とか戒めを解くと、仲間も解放した。

「早く閉鎖術を解け。」

銀ぎつねは相手の言うことに理があることは認めたが、自分のかけた魔法を乱されたことに気を悪くしていた。

「早くしないと、近衛兵が来るんじゃないのか? 戦闘になるぞ。」

「“ウブリエ”…一部だけ開きました。」

刺客達は必死に空気を叩くうちに、穴を見つけて、わらわらと全速力で南の方へ駆けて言った。黒霧で見えにくいのを幸い、ほうき少年は、糸の細さに伸ばした銀の魔力を、投げ釣りの要領で刺客の背中にひっかけた。

「あとは案内してもらうだけだ。」

するすると南の方へ伸びていく銀の糸を糸巻にして、ほうき少年は近くの木の枝に引っ掛けた。

「糸が足りないかもしれないから、お前の糸をつないでおけ。」

糸のように細く魔力を伸ばすなんて、高等すぎて、銀ぎつねにはできないことだった。しかし銀ぎつねは慌てずに、虫こぶの付いた枝を取ると、虫こぶ以外を銀のナイフできれいに取り除き、ナイフの先で方陣を描いた。今度はほうき少年が、微動だにせず盗み見る番だった。

 銀ぎつねが短く不思議なアクセントの呪文を唱えて、ふっと金色の息を吹き込むと、

虫こぶはたちまち命の息吹を得て、銀ぎつねの手の中に転がり込んだ。

「乗せてもらえますか? これをあの刺客の背中にくっつければ、どこに居ようと私にはわかります。」

「何という魔法だ?」

うらやましさのあまり、ついほうき少年の口から質問がついて出たが、すぐに言わなかったことにした。魔法を教えてもらうという事は、弟子にでもならなければないことだ。そして弟子になるという事は、絶対服従を誓い、生殺与奪の権利を与えて、相手の召使いになるという事なのだ。

「糸は切れるかもしれませんしね。これならくっつけておけば気づかれません。」

「もじゃもじゃの頭の奴に糸をくっつけていたな。よし、貸せ。」

ほうき少年は虫こぶを銀の糸に通すと、糸は波打ちながら、刺客達の所に虫こぶを運び、首尾よく糸を接着剤にして、もじゃもじゃ髪のなかに虫こぶを埋め込んだ。

「早くマークを助けにいくぞ。再度乗れ。魔力はお前持ちでな。」

ほうきは自分の魔力をするすると柄の中に回収すると、おばあさん魔女の乗りやすいところに水平になった。銀ぎつねは疲れた表情で刺客達の去って行った、南東の方角を見やっていた。

「マークは地下宮殿にいるのでしょう。もしあの老人が、その場所を知っていたらですが。」

「知っていなかったらどこにいるんだ?」

「わかりません。道に迷っているのかもしれません。」

「“眼”とやらを働かせたらどうだ!」

「この霧が私の眼を見えなくしているんですよ。」

「役に立たないのなら置いていくぞ! 一人で行く!」

(このほうきは地下宮殿の場所を知っているのかもしれない。だとしたら本当に宮廷魔術師だったのかもしれない。…ほうきになるとは大した者ではないけど。)

 銀ぎつねは心の中でひとりごちた。

「そうですね。一人で行ってください。私は歩いて帰ります。」

ほうきは3秒ほど水平のままでいてから、あきれ返ったような舌打ちとともに、不必要なほど地面を叩いてほこりを上げながら、たしかに地下宮殿の入り口の方角へと銀色の矢になって飛んで行った。

 銀ぎつねは地下宮殿の近衛兵控室にいる自分の“眼”に、あやしいほうきの姿の魔術師がいることと、そちらに向かっていること、マクベス老人は魔法を使えはしないこと、掃除人に使っていた少年をさらって行方不明であることを伝えた。

 彼女は疲れてその場に座り込んだ。

 禁じられた魔術は、魔力ではなくて、銀ぎつねの生命力を食ったので、虫こぶに命を吹き込んだために、彼女は1週間、齢を取ったのだった。知らせを受けた近衛兵たちが、何人か組になってやってくる。武器のガチャガチャなる音と、歩きにくい長靴の足音がした。

 刺客を捕まえたという連絡の後に、わざと逃したことを、伝え忘れていたことを思い出したが、疲れていたので、草の中に自分を封じ込めて眠りについた。



 マクベス老人は、年寄りとは思えない力で、マークの腕をつかんで塔の石階段を引っ立てた。腕が痛かったが、マークは一言も不平を言わなかった。逃げるつもりはなかった。逃げても、どこに仕事があるだろう?

「本を出せ。」

 マークの部屋に着くと、マクベス老人は言った。マークは敷布団の下から本を出したが、マークの手から離れたとたんに、本は石ブロックよりも重たくなって、老人の手をすり抜けた。床から持ち上げようとすると、今度は接着剤でくっつけたようにびくともしない。マークが拾い上げると、軽々と持ち上がるのだが、手から離れると、本は老人の手に触れるのが嫌みたいに、床にへばりついて、動かなかった。

「魔法じゃな。」

 マクベス老人は、誰にでも分かることを重々しく言った。

「お前が読め。」

「『この本を最初に読んだものを僕の後継者とする。 マクベス。  わしの偉大なる偉業は数々あるが、そのもっともつまらないものから順に書き記すと、わしが宮廷魔法使いとなって1年目、城で火事が起こり、四つ谷から水を飛ばして火事を消した。大きな虹がかかって面白かった。花火も飛ばした。』」

マークは老人の方を伺ったが、目をつぶってふんふんと聞いていて、やめるとは言わない。マークは続きを読んだ。

「『それにしても、この国は小さい。人はとてもだまされやすい、お人好しばかりだ。裏切ったら怖いだろうが、僕はうまく気に入られるだろう。ばれるような裏切り方はしない。裏切った時には相手の息の根を止めてやる! お気の毒様。早く帰るだけの魔力を貯めよう。もう業績は飽きたからやめ。僕の偉大さは会えばわかる。 バイバイ!』」

マークは読むのをやめて黙った。

「続きを読め。」

「これだけです。後は真っ白で。」

ふうむ。と、老人は考えに考えた。老人はマークを招きよせると、研究を重ね、マークを服の下に隠して、同じ袖に腕を通させ、自分の足の上に足を乗せさせ、さらに少し背を屈めると、マークの足も隠れて具合がいいという事が分かった。折よく真っ暗の窓に姿を映して、老人は研究を重ねた。

研究の結果、マークをがんじがらめに自分の体に縛り付け、袖を縫い目が薄くなるくらいひっぱると、細い少年の腕も目立たないし、胴体もさほど太くならないという事を発見した。前かがみになると、効果は高まった。

マークは縛り首になるかもしれないという恐れから、絶対に老人の意向に逆らわないことにしていたが、老人がより前にかがみ、肋骨にロープが食い込んだ時に、思わず痛いと叫んだ。

「なんじゃと! わしのほうが痛いわ!」

老人は叫び返した。そしてマークにとってまずいことに、マークが声を立てるとこの計画がおじゃんになり、自分も縛り首になりかねないという危険に気が付いた。

「必要なのは、ぼろきれじゃな…。」

 老人はつぶやくと、何なのか絶対知りたくはないのだが、なんだか汚らしい白い布きれを、マークの口に無理やり押し込んで、これがあまりにも苦しくて痛かったので、ひょっとして一か八かで声を上げるか、首を振るかして、このペテンを周りに教えた方が状況は好転するのではないかという疑いを、マークに抱かせた。

 老人は、少年が反抗心を抱いたのを見抜いた。そして、大人ではないからと言って、あまり油断もならない、こいつも男だからと考えた。

 しかし子供の良いところは、すぐに人の言うことを信じることだ。

「のう。これがうまくいけば、おぬしに3食の食事を与えるぞ。」

 老人はマークがぞっとするような醜悪な表情をマークの顔に近づけた。マークは嫌悪感で体が強ばった。

「うまくいかなければ、魔法のほうきを持って、黒霧を発生させた罪で、縛り首になるようにしてやる。分かったな。分かったらうなずけ。」

 マークは大きくうなずいて、神妙な顔をした。あいにくと、マークはだまされやすい子供ではなかった。

(もしもこのペテンがばれたら、このおじさんだって危ないじゃん。

それにこれに協力したら僕もペテンを働いたのと同じだ。親方が知ったら何て言うか。ばらそう。)

マークは親方と同じように、知らないうちに最も安全な道を取ろうとしていた。

「お前もしかして、王様の前に出たときに、わしのことをばらそうと思っているんではなかろうな。わしは魔法が使えるぞ。お前のことをたちどころに黒い炎で焼いて殺してやる。」

 老人は勘所を心得たペテン師らしく、マークのやりそうなことを、自信たっぷりにつぶしにかかった。

 黒い炎など、絶対嘘に決まっていると、マークは確信したが、あまりにもマクベス老人が自信たっぷりだったので、殺されるという所は信じた。

(もし銃とか持っていたら、きっと殺されちゃうな。…じゃ、どうしたらいいんだ。)

 マークはさっぱり思いつかなかったので、とりあえず言うとおりにして、老人の足の上に足を乗せて、老人が本を読むふりをする演技に磨きをかけた。マクベス老人は、サインをマークに覚えさせた。手首を一回つねったら、本を上げる。その後は1回つねるごとにページをめくる。3秒つねったら、本を下す。

 手首の内側の、皮の薄い部分は、老人の強力な爪あとではれあがって、血がにじみ出た。

(ばらしても殺されない方法って、どうしたらいいんだろう。大体、殺されなくても雇い主がいなくなったら、僕どこに行けばいいんだ。)

 ペテンを暴けば、皆が感心してよくしてくれる、とマークは考えたりしなかった。彼は、離宮の中でも外でも、人が余り返って、食べ物が足りないことを知っていた。雇ってくれるこの老人がいなくなったら、どの人もすでにぎりぎりいっぱいの人を養っているのだから、マークを雇う人は誰もいないだろうと、自分は再び道端に放り出されるのだと、彼は自分の立場をあるがままに見ていた。

 口の中にぼろきれを突っ込まれて鼻でしか息ができなくても、ロープが肋骨に食い込んで、涙がにじむほど痛くても、ベルトの穴を新しく開けなければいけないくらいお腹を空かせていても、ここの方がましなのだ。

(親方ならどう言うだろう? 僕のことをいつだって一番に考えてくれていたから、し「死ぬよりはペテンの片棒を担げ」って、言ってくれるんじゃないかな?)

 マークは考えれば考えるほど、何の考えも浮かばなかった。

 それで、とりあえずは何も考えないことにして、正直な労働者らしく、老人の言う事をしっかり飲み込んで仕事を覚えた。

 マクベス老人の服の中に居ては、時間が分からないが、もう絶対に動けないと、さっきから何度も限界を感じているので、たぶん1時間ぐらいたったのだろう。

「よし。お前は使えるやつだな。」

老人は初めてマークを服の中から出して、毎日掃除しているマークでさえ、あるとは思いもしなかった壁の中の隠し戸棚から、大きなチーズの固まりを取り出し、二つに割ると、小さな方の固まりをマークにさしだした。

マークの手は考える前につかんで、チーズの固まりを呑み込んでいた。

 老人は少年が餓えた目で、残りのチーズを今にもひったくりかねない勢いで見ていることに満足しながら、ゆっくりと味わって食べた。この調子ならこの子は食べるために一生懸命やるだろう。

「いいか。今度の仕事に成功すれば、もっとたくさん食わせてやる。」

老人はマークがチーズを見るまいとして顔をうつむけても、空腹のあまり震えているのを見て含み笑いをしながら言った。

「それだけじゃないぞ。お前にはお仕着せもやる。もう掃除はしなくて良い。わしの専属の従者にしてやる。分からんか? わしの身の回りの世話をすることじゃ。それをやっていればたくさん食べられるぞ。それに、給金もやる。たんとな。」

 老人はもう脅したりはしなかった。マークは「従者」が今の仕事と何が違うのか分からなかったが、食事と服と給金はよく分かった。

「これはやれん。わしも腹をつくらにゃならん。しかし、今夜の食事は、おまえが満腹するまで食べさせてやる。」

 ぐらぐらしていたマークの心はこれで決まった。老人はチーズの最後のかけら時間をかけて噛んで呑み込むと、杖を手に取り、大分黒色の薄らいできた窓ガラスに向かって、ひげを整えた。

「よし中に入れ。」

マークは素早く老人のローブの下に潜り込んで、老人の足の上に足を置き、袖の中に袖を通して配置についた。

「今から一語たりとも口をきいてはならん。動いてもならん。大分階段を上り下りするから、できるだけ軽い体にせよ。」

 そう言ってから、老人は、これからもマークを服の中に隠すなら、あまり太らせないほうがよいという事に思い当たった。

(最初から約束を破らん方がよいからな。何か理由をつけて、明日の朝からの食事を抜くとしよう。食事をさせん方が、よく言うことを聞くようになるからの。)

 老人は考えた。彼は人を殺して使うことにかけては、かなりの玄人だった。


 銀ぎつねは目を覚まして、自分を封じ込めていた魔法を解いた。起きるのが嫌で、しばらく座っていたが、無理やり立ち上がった。足腰もめっきり弱ってよろめいた。

(必要なのは・・・杖かな?)

銀のナイフで、近くの枝を落として、即席の杖にしたが、生木は水気を含んでいて重たく、すぐに放棄した。燃料を取りに来た誰かが拾っていくだろう。その頃までには、少しは乾いて燃えやすくなっているだろう。

銀ぎつねは重たい体を引きずって、街の入り口を抜け、ついでに封印の魔法をかけ直した。習慣から、なすすべもなく死につつある避難民に目をやったが、もはや見慣れていて、心がマヒしていた。

遠回りして魔法使いの塔の横を通ったが、明かりがついていないことだけを確認して、まっすぐ秘密の地下通路に向かった。

地下通路は、大広間の玉座の後ろの隠し扉から入る。普段は赤いカーテンで隠されているが、一つだけ微妙に青色をしている壁の石を押せば、開く仕掛けになっていた。この入口を知っているのは、銀ぎつね、近衛隊長、小鹿姫だけであったが、人の気配がしない所を見ると、近衛隊長が全員を地下に避難させたのかもしれない。

(息が切れる。…寿命を使いすぎたんだろうか? たった一週間しか使ってないのに。寿命が尽きつつあるという事だろうか?)

そうだとしたら、銀ぎつねはもうすぐ死ぬという事だった。その意味を考えながら、銀ぎつねは長い階段を休み休み下りて行った。

 地下の宮殿は、縦長になっている。最初の部屋が、大広間で、そこから先の部屋に銀ぎつねは入ったことがない。王族と限られた使用人しか入れない、個人的な地下シェルターなのだ。その大広間から、今では耳慣れた声がした。

「お前ら、今すぐ放さねば魔法火で焼いてやるぞ!」

あの子供を餓え死にさせようとした、ペテン師の老人の声だった。中に入らずにのぞくと、ほうき少年がいかにも面白そうににこにこして、王様の足元に寄り添っていた。銀ぎつねは心の中でため息をついた。

(今度はあの子が宮廷魔法使いか。)

 マークの姿を探すと、別の近衛兵に保護されて、傷を調べてもらっていた。

「そいつを連れ出して処刑しろ。魔法使いを騙って王族をだました罪だ。」

 近衛隊長が部下に命じた。

「わしは魔法使いじゃ!」

 老人は、これほどの力を老人が出せるのかと思うほどの力で暴れた。老人というのも、ペテンかもしれなかった。近衛兵2人でもてこずったので、3人目が応援に駆け付け、老人が引きずられて大広間の外に出た途端、つづけて2本の火柱が上がった。

 熱いというよりも驚いて、兵士たちは飛びずさった。

そのすきに老人は階段を駆け上がったが、行く手の壁が両側からふくらんで階段は行き止まりになった。

 マクベス老人がふりむくと、銀ぎつねが手を上げて魔法をかけていた。

「このばばあ…。」

「やり方が狡猾ですよ。マクベスさん。」

 マクベス老人は、銀ぎつねが魔法をかけた以上、この廊下は絶対に通れない、という事を知っていた。

 彼はナイフを隠しから出すと、銀ぎつねに躍りかかった、と見せかけて、後ろに下がった銀ぎつねの前をすり抜け、大広間にUターンした。一番近くにいたかよわいものと言ったら、それは女官の一人だった。マクベス老人は、その女中の首に腕を巻きつけ、ナイフをあてがった。

「動くな。全員動くんじゃない。わしに襲いかかったら、燃やしてくれる! ばばあ、魔法を解け。」

「全員下がれ。魔法使いなら僕の出番だ。」

 ほうき少年は、先ほどよりもいきいきしてするどい笑顔を浮かべて前に進み出た。

 数時間前よりも、より色が濃くなって、実体化している。

(マークを助けて、ペテンも暴いた。大勢の見ている前でやった。十分な魔力を回収したに違いない。)

 もう自分には止められないかもしれないと、銀ぎつねは考えた。人間のペテン師よりも、ほうき少年の方が、銀ぎつねには頭が痛かった。

「何してる!早く魔法を解け!」

 老人はほうき少年が歩み寄るよりも早いスピードで、後ずさりに大広間の外に出ていた。いったい何人を殺せば、そんな醜い表情になれるのか、というような、恐ろしい顔をしていた。銀ぎつねは羽交い絞めにされておびえきった10代の女の子を見て、階段をふさぐ壁に、一人がぎりぎり通れる幅の細長い穴を開けた。

「全部開けろ。」

「行かれるなら一人でお行きなさい。後は追いませんから。」

「全部開けろ。わしが行くまでにやれ。」

 老人は後ずさりしながら、女の子の首を締め上げた。連れて行けないのなら、行きがけの駄賃に殺してやる、と、その凶悪な顔が言っていた。

「全員どけ!」

 ほうき少年が舌なめずりしながら現れ、どこで手に入れたのか、銀製の杖を幾何学的に動かした。銀ぎつねはとっさにペテン師の前に飛び出してたちはだかった。銀の龍が銀ぎつねの頭に食らいつき、食べられなくて逆に消えていった。

「何をする! 邪魔するな!」

 ほうき少年は本気で怒った。魔力を無駄に消費してしまったのだ。

「近衛兵!」

 銀ぎつねは呼び立てたが、誰も来なかった。入り口から帽子と目をのぞかせて、魔法使いたちが取り押さえてくれるのを待っていた。銀ぎつねは近衛兵を見たまま後ろ向きに銀の糸を繰り出して、老人の足を引っかけた。女の子を引きずって後ろ向きに階段を上っていた老人は、あっさり転んで、銀の糸に絡みつかれて身動きがとれなくなった。

「捕縛!捕縛!」

近衛兵たちが折り重なって、あらためて魔法陣も描けないくらいに、厳重にぐるぐる巻きにし、あごが外れるほど口の中に布きれを詰め込んで、呪文の一音も言えなくした。そこまでやってから、ようやく、安心して処刑しに上の階へ連れて行った。 

王族の住む場所で、死体を作るわけにいかなかったので、始末しやすいところで処刑するのである。

「お前、わしを敵に回すつもりか?」

ほうき少年は険悪に囁いた。

「あれは人間かもしれません。」

「魔法火を使ったぞ。」

「手品の道具もあります。火をおこすことはできます。」

「だが、単に弱い魔法使いだった可能性もあるぞ。」

「その可能性もあります。」

「なら貸しはなしだ。邪魔しただけかもしれんからな。」

ほうき少年は銀ぎつねに向き直ると、低い背で居丈高に言った。

「わしは正式に宮廷魔法使いに任命された。膝まずいて忠誠を誓え。これからはお前もわしの指揮下に入る。」

 銀ぎつねは軽蔑の視線をくれると、マークの元へ行き、慰めの言葉をかけた。マークを抱きしめると、女官に男の子用の古服がないかを尋ねた。上の宮殿にあるかもしれないが、難民のせいで古服も不足状態なので、魔法で作ったらどうかという答えが返ってきた。

 その間、ほうき少年は魔法使いの序列の何たるかについて、王様に告げ口していた。

「銀ぎつね。この魔法使いはおぬしよりも戦争向きのようだ。頭を下げて、指示に従うがよい。」

「シン王家の王族の方以外に膝まずくつもりはございません。」

銀ぎつねは無関心にキラキラしいほうき少年を見やった。

「それに私は小鹿姫様の家庭教師であり、護衛係なのです。戦闘には関わりがございません。」

「ヒジョーーーー事態だ。それにおぬしの魔法には限界が感じられるな。」

無関心な声色の中に、ピリピリした緊張感を潜ませて、ほうき少年は言った。

「指示に従うがよい。」

「陛下、魔法使いは師以外には頭をさげないのです。」

「陛下、この魔女はわがままを言って、統率を乱すつもりです。一致して事に当たらねば。」

 ほうき少年は、ただ言ったのではなかった。彼は王様の手に取りすがり、両目を見つめ、真剣そのものといった様子でこれを言った。ついでに銀ぎつねの知らない術でも、かけたかもしれなかった。

「そうだな。銀ぎつね。王女はこれからここで暮らすこととした。家庭教師は一時休んでよい。この者と協力して、この国を守るがよい。近衛兵たちも、魔法使いと協力するように。この者たちは、良き魔法使いだ。人に危害は加えまい。」

「はっ。」近衛兵は言った。

「はい。」銀ぎつねも仕方なく言った。

「上の様子を見てまいります。行くぞ。」

銀ぎつねは仕方なくほうき少年について、地上へと向かった。

「本当は何者ですか?」

「大魔法使いだ。」

2人は無言で地上までの階段を上った。銀ぎつねはのぼりながら自分の残り少ない寿命について、再び思いを巡らせた。



 地上に出ると、二人は二手に分かれた。銀ぎつねは、古着やめぼしいものを地下に運びたかったし、マクベスには用事があったので、魔法使いの塔に向かった。

 マクベスは老人が使っていた細長い部屋に入ると、壁にかかった絵の裏の魔法陣に、ふっと息を吹きかけた。

 両側にあった本棚がスライドして、それぞれ老人のベッドと机に引っかかってつかえた。マクベスはしかめっ面で、本棚が通るくらいのすきまが開くように、机と本棚をずらした。

(開ける資格を持ちながら魔法の扉一つ見つけられない愚か者の人間が、変なところに家具置きやがった! ちぇっ。弟子を早く呼び出さないと。)

 やっと入り口が開くと、彼の好みで飾り付けた、夜空の色をした部屋が現れた。

 月と星が、壁の上でちらちらと瞬いている。

「大魔法使い様、おかえりなさーい。」

 豚の置物が間抜けた声を上げた。

「お前、まだ生きてたのか!」

「ブウ。」

「だが助けてはやらんぞ。500年くらいそうしてろ。魔力を全部消費するまでな。」

「ブウウ!」

彼は自分を襲った魔法使いは、置物に変えて、魔力が尽きて死ぬまでみじめな思いをさせておく主義だった。

「ああ、久しぶりに動ける、久しぶりに部屋が見られるな。」

彼は本の姿で耐えた年月をかみしめるように、ゆっくりと部屋の中を巡った。

大好きな月明かりの夜の、ぼんやりと光った藍色。壁際で動いて星のように見える動く燭台、苦心の末の魔法術、魔法陣のノート、動く鎧その他の貴重な魔法の品々。愛用のほうき、外出用のマント、小さな壁の地図、巨大オウム貝の殻…彼が恐竜を呼び出そうとした魔法陣も、ティラノサウルスが上を滑ったかぎ爪の跡まで、そのままで残っている。足つきのはたきが首を振りながら、その上を掃除していった。動くはたきは、200年ほどの間、ずっと忠実に、主人の部屋を掃除していたので、部屋は塵1つ積もってはいなかった。

マクベスははたきを持ち上げると、残っていた魔力を全て吸い取った。はたきは停止して、マクベスの手の中でただのはたきに変わった。

「すまんな。今は何より魔力がいるんだ。また元のように戻れたら、また魔力を入れてやる。ずっと動けるくらいのな。」

 マクベスははたきに優しく言って、本棚の貴重な品々の間に、そっと並べた。

「さて。今どうなっているかだ。『地図』!」

 『魔力がありません』という星くず文字が、天井の上に浮かんだ。

マクベスは苦り切った顔で、魔法をかけなおそうとして、止まった。

彼は争い事は嫌いではない。相手を出し抜いて平らげていくのは、性に合っていた。

しかし200年近く本棚で背表紙を日焼けさせながらまどろんだ後では、殺し合いの世界に戻るのは汚い手で顔をつかまれるような嫌悪感と倦怠感を感じた。

彼はこのまま魔法をかけ直さず、国を出ようかと考えた。今なら何もしていないし、ある程度魔力もできたから、放浪しても何とかなるのだ。しかし、宮廷魔法使いに任命された以上、戦いは避けて通れない。

そして、なぜ任命されるように持って行ったかと言えば、それはその必要があったからなのだ。

(しっかりしろマクベス。これが終わったら、また竜を呼び出そう。それで北の国に帰るんだ。それとも、本棚に戻りたいのか?)

呪文も魔法陣も覚えているので、彼は再び手をかざしたが、それでも何かが、彼を引き留める。魔法をかけるな、かかわるなと、囁くのだ。

(臆病風なのか、それとも嫌な予感なのか?)

彼はいらいらしながら自問自答したが、自分でも分からなかった。とにかく、絶対の信頼をおいてきた自分の心が嫌だと言う以上、魔法はかけないほうがよい。しかし地図を見られなければ、戦うことなど論外である。

「ぶぶーう。お客様、いらっしゃいませブウー。」

入り口には警戒心をマックスにして、銀の豚像を見つめる銀ぎつねがいた。

「何だ。弟子になる気になったか?」

「この豚は何ですか?」

「昔わしを襲った魔法使いだ。」

「えっ?」

「何しに来た。」

「地下城の入り口の入り方をご存じないかと思い、迎えに来たのです。魔法使いを襲撃するような者を、執務室に置いていいのですか? 情報が漏れます!」

「瞬きもできん。挨拶の他はしゃべれん。呪文も魔法陣も使えん。魔力が完全になくなるまで、そこでそうしているしかない。それよりこっちに来い。」

「塔の外でお待ちします。」

銀ぎつねは一歩下がって出て行ってしまった。

マクベスは杖を抜いて銀の豚像に歩み寄った。本になる前はいつも執務室で話しかけていた。相手は返事ができないという気安さがあった。共に200年以上物として孤独にしていたという点では、同僚のような親近感さえ覚えていた。元がどんな奴であったかもう忘れてしまっていたが、もしかしたら、死ぬ自由さえない彫刻生活を、内心恨んでいるかもしれなかった。表情もなければ涙1つ流せないので、全く分からないが。

普通に考えれば恨んでいるだろう。自分の使える魔法も、やり口も、みんな知っている。解放してやるという選択肢はない。

彼はさりげなく、素早く、杖を豚の胸に突き刺した。

杖は魔力瓶を正確に貫き、豚は胸から薄緑色の魔力を流しながら最後の叫びをあげた。

「ぶうううう・・・!」

豚は消滅していった。気のせいか、その目に感謝がこもっているような気がした。流れ出す魔力の量を見れば、あと700年は豚像として生きていかれそうな量がある。

(これでよかった。)

マクベスは胸のつかえがとれたような気がした。

思いついて魔力をはたきに吸わせた。残りの魔力で、魔法地図の魔法もかけ直すことができた。

他人の魔力に手をつけない主義であるが、これは厳密には国家の持ち物に吸わせているのだから、よしとした。

「ちょうどよかったな。」

マクベスははたきに話しかけ、銀ぎつねを呼び戻しに石段を下りた。



銀ぎつねは入り口の扉の陰に隠れ、しきりに外の様子をうかがっていた。マクベスが窓からのぞくと、門の所には、小さな人だかりができている。ぱらぱらとその人だかりに、人が加わっている。どの人も薄汚く黒っぽい。そしてやせている。ゆっくりだが、1時間もたてば黒山の人だかりになるのではないだろうか?

「門兵がいなくなったので、避難民が集まってきているのです。ここなら食べ物があるかと思って。魔法をかけ直しましたが、時間の問題かもしれません。門が壊されたら、王族の不在がばれてしまいます。そうなったら…。攻めてこられるのも時間の問題です。」

銀ぎつねは方策を考えてしきりと手のひらを開けたり閉めたりした。

「地図が作動した。お前にも見てもらうぞ。」

銀ぎつねは「聞いてましたか?」と問いかけるようなまなざしを向けたが、門を見やり、あと1時間ぐらいは大丈夫と自分に言い聞かせると、ゆっくりと石段を登り始めた。老人の心臓にはきつい長階段なのだ。

マクベスはほうきに変身すると、銀ぎつねの膝の裏をすくい上げて、執務室まで運んだ。

「ありがとうござ…」

「いい加減老人の変装を解け! 柄の上に乗せるのも嫌になるぞ。」

「これは私の本当の姿です。」

マクベスは顔をしかめて、銀豚のいたところを指差した。

「いいか、わしは人間は殺さんが、魔法使いは殺すぞ。そしてな、この国にわしの命令に逆らうかもしれん魔法使いを置いとけん。1日やる。その間に弟子にならないのなら、この国から出て行け。」

銀ぎつねは冷ややかに見返した。ついで、マクベスの本質を見抜こうとするかのように、真剣に見つめた。

「まあいい。今日の真夜中までに考えておけ。護りの術が得意なようだが、わしの前には通用せん。地図だ。『DIDU!』」

マクベスが杖の先をくるくる所定回回すと、天井の星は渦を巻き、やがて止まった。

「どこの国が敵だと言った?」

「ウォンシティです。」

「方位は?」

「西南です。正確には、…南南西でしたか。」

「そうだな。あそこだ。黒魔術師の気配が固まっている。大きいのは、3つだ。」

銀ぎつねは初めて見る魔法に、目を丸くした。星の大きさが、魔力の大きさを示すとは、なんと便利な魔法だろう。呪文の言語からして、アジアからの渡来系の魔法に違いない。

「こんな便利なものがずっとここにあったとは!…噂では、ダークという邪悪な魔法使いが、子供を捕まえて食べていると聞きました。」

「一人じゃない。ここに映らない魔法使いを含めたら、1個師団くらいあるんじゃないか?軍隊でも作るつもりか?際限なしに魔法使いを増やしやがって厄介なやつらだ。」

「あの散らばっているのも、黒魔術師ですか?」

「そうだろう。支配地域に手下を置いているんだろう。黒魔術師の星は少し暗いが、白魔と見分けがつきにくい。わしの弟子の星なら、すぐにわかるが、全員生きてはいないようだな。もしくは逃げたか。」

「ここにも大きな星があるようですが。」

銀ぎつねは天井の中心を指差した。それは、ウォンシティの黒魔術師の星々に勝るとも劣らぬほど大きく、白々と光っていた。白魔術師ではないかと思える。

マクベスは、しばらくその星を見上げていた。

「あれはおそらくお前だ。」

「は?」

「避難民を助けたり、結界を張ったりしている間に魔力の蓄えが大きくなったんだろう。中央はこのシン国だ。」

こんな魔法があるのでは、目立つのを避けてわざと家庭教師になったり、閉じこもって噂に立つのを恐れたりしたのもすべて無駄だったわけだ。銀ぎつねは喜ぶというより血の気が引いた。

「…椅子を拝借します。」

「どうした?」

「次から次へと魔法使いが襲ってきた理由がやっと分かりました。魔力の量が人に見えるとは、思いもしませんでした。」

銀ぎつねは、マクベスの椅子に座るのを遠慮して、肘掛けに腰かけ、机に突っ伏した。

(他に魔力を貯えている人はいないんだろうか?私は呪文は1つしか知らないのに!)

銀ぎつねは目の端で天井の、ウォンシティの方角を眺めた。星がいっぱい集まって、光の固まりのようだ。

(多すぎる!絶対勝てない。ある程度以上の魔力しか載らないと言ってたし。)

一方マクベスも、天井を調べているふりをしながら、しきりと対策を練っていた。

先ほどは大口をたたいたが、実は銀ぎつねの護りの術を打ち破る方法が、思いつかなかったのだ。

(転んでも傷も負わない術なんて、厄介極まるぞ。魔力も少ないし、どう懐柔する?)

2人の魔法使いは、息を潜めてお互いをうかがった。

魔法使い同士の間で、「気を許しあう関係」というものは存在しない。気を許した瞬間に、魔力と命を取られてしまうからだ。まずは契約ありきである。

問題は、その契約を、どこのあたりで折り合いをつけるかなのだ。

―頼んだ方が不利になる。頼ませた方がよい。

2人とも同じことを考えた。そのため、延々と黙りこくったまま、執務室の時間は流れていった。開いた窓から、集まる避難民の騒ぎが風に乗って上がってきていたが、執務室の中は静かでひんやりとして、のどかだった。

「ウォンシティの悪い魔法使いを倒したいのですが。」

銀ぎつねは焦りが勝って口火を切った。

「わしは手足となって動く弟子が欲しいのだがな。」

得たりとばかりににんまりしてマクベスは言った。

それから二人は細かい条件を取り決めて、今後の作戦をたてた。

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