第7話 狂乳

 吾輩、人生二度目のデートだ。

 佐藤・プルルン・栄介だ。


 昼。

 美知留を家に帰し、仮眠を取った僕に、勅命がくだった。


 『マルセルに街を案内してやれ』


 もちろん銀子姉さんの命である。

 どうやら姉上も桃實も用事があるらしく、必然的に僕にお鉢が回って来た。

 美知留にも同行を頼んだらしいが、すげなく断られたらしい。

 珍しいこともあるもんだ。


 そもそも。

 僕が起きた時、すでにマルセルは我が家に馴染んでいた。

 違う。

 僕の皮膚感覚とまるで違う。

 異世界から来たとかいう超常現象を受け入れるのに一日も要しないとは、僕の家族の事態消化能力はすさまじい。


 僕が桃實のおっぱいで頬を叩かれ目を覚ました時、リビングではホットプレートで焼きそばが作られていた。

 

 「あら栄ちゃん、起きたの。偉いねえ。」

 「いや、ママと寝た時間ほとんど一緒なんだけど。」


 ママは僕を幼児のごとく過剰に褒める。

 そう、僕の自己肯定感を下げないためだ。

 少し心苦しいが、自殺未遂の親不孝ものだから致し方ない。


 「おい、銀子蟯虫、さっさと粉の袋を開けろ。」


 銀子姉さんが僕に向かってソースの粉を投げる。

 今日も可憐なコーディネートで麗しい。

 それにしても一点、言わねばならぬことがある。


 「……姉上、昨日から言うか言うまいか迷っていたのですが、その表現はいかがなものかと。」

 「なんだ。蟯虫にはヒト蟯虫や馬蟯虫など、寄生する生物の名を頭に冠する。つまり、お前は銀子蟯虫だ。」

 「だから、それだと姉上の肛門に僕が住まうことになりますが……。」


 銀子姉さんは一瞬、僕の事を射殺すように睨み、それから顔を赤くして咳払いをする。


 「…………おい、私の粉茶立こなちゃたて、早く袋を開けろ。」


 何が何でも僕を虫にしたいらしい。

 確かに僕は読書が趣味だが、ページの間に挟まってかびを食う趣味はない。

 それと肛門程度のワードで赤面するのは、成人した女性としてはどうだろうか。

 某都知事選立候補者が、過去に「処女は病気」なる趣旨のことを宣ったとスクープされたことがあるが、すると姉は重篤な大病を患っていることになる。

 差別発言よくない。

 僕の姉は純粋培養で育っているだけだ。

 処女は至高だ。

 そして、それは破瓜はかによって消滅する聖性ではない。

 性交の経験の有無が処女の定義ではないのだ!

 

 つまり、僕の姉は肉体的にも精神的にも完璧な処女だ。

 だから僕は姉に逆らえないのである。

 そろそろ姉の下に天から子供が授けられてもおかしくない。


 家族+マルセルで焼きそばを囲む。

 しかしだ。

 このメンツに焼きそばは力不足ではなかろうか。

 美人に焼きそば。

 何か失礼なことをしている気がしてならない。

 僕の美的感覚が、そう五月蠅く警鐘を鳴らしているのだ。


 そんなことをぼんやりと考えていたときである。

 桃實が突如としてキレた。

 さすが最年少。


 「おい、箸の持ちかた汚ねえんだよ、ドブス。」


 ええぇ、桃實がなんかやさぐれてるぅ。

 朝方にツーリングから帰ってきた桃實は、なぜか脛やら腕やらに無数の擦過傷を負っていた。

 どうやら獣道をひた走って来たらしい。

 さすがオフロードの金色夜叉、金メダルのためなら泥をも食らってペダルを踏む女だ。

 いつもポニーテールかハーフアップにしているゆるふわウェーブの黒髪も、汗に濡れたまま眠ってしまったのだろう、重力を無視したような強烈な寝癖を残している。

 それに首元にも指で引っ掻いたような傷跡が赤く浮いている。


 「なんだ、桃實、怒っているようだが、済まない。書いて伝えてくれないか。出来れば紙がいい、そのうにょんうにょんはちょっとまだ慣れないんだ。」


 うにょんうにょんとは液晶画面のことである。

 変な擬音語だ。


 「なに勝手に呼び捨てしてんだごらぁ♪髪の毛と同じ色に染め上げるぞブス!」


 すごい。

 歌舞伎の見得みえなみの迫力だ。

 テーブルに足をあげ、血走った目でマルセルを睨みつける。

 僕はそろりそろり目を瞑った。

 触らぬ神に祟りなし。

 それにもうすぐ鉄拳制裁のいかづちが落ちて来る。

 姉上が口を開いた。


 「……桃實、お客さんに失礼だ。」

 「ああ!?口出しすんじゃねぇ!これは桃實の処女膜に誓って譲れねえことなんだ!」


 かっこいい。

 やっぱり処女かっこいい。

 と思っていたら、姉上は桃實の太腿に菜箸を突き立てた。

 無慈悲だ。

 あれは痛い。


 「ぎゃあああああああああああああ!」


 虫の潰れたような悲鳴。

 桃實はフローリングの床を転げ回った。

 その間も、マルセルは焼きそばに首ったけだった。


 「地球の民は火の扱いに長けすぎている。薪なくしてこの火力……それに焼きそば……この複雑な味の粉……魔法としか思えない……魔法の粉……クスリ?まさか!」

 『大丈夫。香辛料、知ってるか?』

 「ああ、新大陸から渡ってきたものだ。あれがないと肉が喰えん。」

 『そんなようなものだ。安心しろ。』

 「そうか……疑ってすまない。」


 うん。

 疑うなら最初に疑うべきだった。

 マルセルは口の周りを茶色くしてまで焼きそばを掻っ込んでいたので、相当腹が減っていたのだろう。

 

 ちなみに彼女は追加で足したとんかつソースをそのまま飲んでいる。

 マヨラーならぬ、ブルラーbull-erである。

 


 ………。

 今、僕は市街地に向かうため地下鉄に乗ろうとしている。

 が、マルセルがエスカレーターに捕まった。


 「おい!栄介、これ走るとさらに速いぞ!」

 「いや、当たり前なんだが。」

 「栄介!見ろ!全然登れないっ!登れないぞ!はははははははははははははは!……く、くそお、な、なんて地獄だ、わたしは永遠に陽の光を浴びれぬというのか……ずっとこうして階段を登り続け……なんて拷問だ……人の考えるものじゃないぞ!悪魔だ、悪魔の所業だ!」


 なんか小芝居までしだした。

 シーシュポスの小話は異世界でも普遍らしい。

 悪魔ではなく神様が考えた拷問だ。

 そんなことはどうでもいいが、どうにも周囲の視線が痛い。

 真っ赤な髪の美女が、稚気を帯びてエスカレーターで遊んでいれば、そりゃ衆目もほっとかないだろう。

 

 「映画の撮影?」


 なんて声も聞こえてくるが、それはむしろ好印象な方。

 後は、要するに、口に出すに憚られる、差別的な言葉が聞こえてくる。


 エスカレーターでこれだ。

 エレベーターも当然、無駄に幾度も往復することになった。

 僕はタブレットを小脇に抱え、メモ帳とペンを常備している。

 昇降機の理屈は絵と文章で説明済みであった。

 それと一応、公共でのマナーも。

 そのはずなのだが……。


 「でれでっ、でっ、でっ、でれでっ、でれでっ、でーーん!マルセル様の登場だぁ!」


 エレベーターの扉が開く度に、そんなことを叫んでいる。

 驚いたおばあちゃんは、「山姥やまんばやぁ!」と言って腰を抜かし、尻餅をつく。

 まるで日本昔話のようなリアクションだ。

 まあ、赤髪緑目の女が突然目の前に登場して、のみならず、仁王立ちで「ふはははははははは」と大声を上げていれば僕だってちびる。

 

 僕は慌てて三枚のお札ならぬ、一枚のタブレットを掲げる。


 『大声 やめろ』

 「済まなかった。つい高揚してしまってな。……それにしても、日本の人間は静かだな。あんなので楽しいのか?」


 おそらくモラルの相違だろう。

 それにしても、マルセルの様子がおかしい。

 昨夜とテンションが違いすぎる。

 今日の方が生来の気質なのかもしれないが、僕の目には空元気にも見える。

 僕は異世界転生経験がないので、同情することも出来ない。

 ここは静観するしかなかった。

 

 『騒げる場所は決まっていると考えてくれていい』

 「そうか。ここに来るまで、草原もなかった。どこにでも人がいるし、住処がある。恐ろしく窮屈だな。」


 もっともだ。

 地下鉄が来るのをベンチで待ちながら、僕は昨日できなかった質問をする。


 『お前の世界 ヤマナラ どんなところ』


 僕はそう伝えた後、中世の街並みを画像で検索して見せた。


 「うん。建物はおよそこんな感じだ。コンクリートとレンガ、それに木だな。私の国はサトミキアと言って、もう少し田舎の、牧草が広がる穏やかな場所だ。」


 僕の憶測は当たっていた。


 『マルセルは、そこで何をしているんだ?』

 「近衛騎兵部隊の騎士だ。」

 『近衛ってことは、王様に仕えているのか?』

 「いや、私は姫様に仕えている。」


 ファンタジーだ。

 どうやらマルセルはファンタジー世界の住人らしい。

 これはあれだ。

 原宿系じゃなく、秋葉系かもしれない。

 ただ、「姫様」と口に出したときの、苦痛や悲哀が綯交ぜになったマルセルの表情は見逃せなかった。

 僕は深入りなどしない。

 他人の生きて来た文脈に、そう易々と入り込んではいけないのだ。


 「そうだ。帰ったらこの世界の歴史を教えてくれ。幸い文字は読めるんだ。……ただ、見返りが、返せるものがないな。宿代も払えない。」

 『気にするな。掃除や家事の手伝いをしてくれればそれでいい、とママが言っていた。そして、お前の世界の歴史も教えてくれ。』

 「お安い御用だ。本当に、拾われたのが栄介の家族で良かった。」

 『それはどうも。』


 アナウンスが鳴り、マルセルがびくついて僕の服の裾を掴む。

 まだ遠隔系の技術にはなれないらしい。


 『電車、来る、知らせる、音』

 「電車……馬車の早いやつだな。なるほど、それは便利だ。」


 好奇心に駆られたマルセルが、地下鉄の到来を見ようと線路の方に歩いて行く。

 そしてそのまま、転落防止のホームドアから上半身を乗り出した。


 「おい!危ねぇ!」


 僕は立ち上がってマルセルの腕を引く。

 走る地下鉄のライトが線路の奥に見えた。


 『危ないですよぉ、下がってください。』


 と、カメラで見ていたのだろう、呑気なアナウンスがマルセルに向けて忠告する。


 驚いたマルセルは、もたついて僕の体に飛び込む形となった。

 柔らかな爆乳が、僕の腕の中に包まれる。


 「……お、おい、大丈夫、だ。私は、強い、それに俊敏だ。」

 

 マルセルは的外れな事を言うが、それも仕方のないことだ。

 僕は彼女の体を反転させる。


 「なんだ?怒っているのか?」


 と、マルセルが困惑した声を上げるのと同時に、地下鉄が風を切ってホームに滑り込んだ。


 「なっ!早すぎる……。」


 マルセルは口をあんぐりとさせたまま、茫然と扉が開くのを見る。

 それから緩慢に僕の方を振り返り……。


 「い、命の恩人……。」


 いや、僕がきちんと正確に伝えなかったのが悪かったのだ。

 反省しよう。

 気配りが足りなかった。


 そうして見詰め合っていると、マルセルは腹を抱えて笑い出した。


 「本当に、本当にここは異世界なんだな。」


 そう零した声は、やはり寂びしそうだった。

 地下鉄が、僕らを乗せず発車する。

 残された僕は、マルセルの腕を取ってまたベンチに座るのだった。

 

 


 

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