第2話 咲也① 彼女の話
生まれて初めて恋人ができた。
俺にはもったいないくらい器量のよい女性で、まさかお付き合いができるなんて思っても見なかった。
いつも遠くから眺めるだけだった彼女が目の前にいて、俺の彼女として存在している。
彼女とのお付き合いが始まった日から、俺は浮かれに浮かれていた。
おそらく、一生分の幸せを先払いしてしまったに違いない。
付き合ってみて分かったことは、彼女はとてもロマンチストだってことだ。
最初のデートは彼女のリクエストを忠実に再現した。
流行りの水族館へ行き、おしゃれなカフェで一休みした後、ショッピング街を目的もなく彷徨い、最後には夜景の見えるレストランで過ごした。
プランは2人で考えたし、予算は割り勘だった。
学生でもないし、最初のデートぐらいおごらせて欲しい、との俺の申し出は即却下されてしまった。
「そういうのは好きじゃないんです。咲也さんとはお互い対等でいたい。駄目ですか?」
こう言われては反対なんてできない。
俺には、頷く以外の選択肢が与えられなかったのだ。
結果、デートは楽しかったし、気兼ねなく一日を過ごすことが出来た。始めてのデートにしては上々である。
夕食を終えて、そろそろ帰ろうか、という時に彼女は俺に小さなプレゼント箱をくれた。
開けてみると、小さく畳まれた説明書と、これまた小さな鉢植え、そして植物の種が入っていた。
「これは何の種かい?見たことない形だ。」
植物なんて小学生の時に育てた朝顔くらい。まして昔からマンション暮らしだったせいで、種なんてどれも見分けがつかない。昨今珍しくもない都会っ子ってやつだ。
でもこうして大人ぶった答えを用意できるぐらいには、図太く生きている。
スタンダードな植物だったらと少し肝を冷やしたが、彼女は「無理もないです」と答えた。
「これは「愛の花」っていうんです。この花は人の愛がないと咲くことができない不思議な植物。ある人からもらったもので、とても珍しいものなんです。」
彼女に導かれるように説明書を開けると、そこにも同じような旨の説明が書かれていた。
植物に疎い俺はそんな植物があることを知らなかったので、妙に感心したような気になった。
「へぇ、そんな植物があったんだ。知らなかったな。」
素直な感想を漏らしても、彼女は嫌そうな顔をすることもなく、種を持つ俺の手を優しく握った。
俺は彼女の手の小ささと温かさにドキドキした。
「だから、この種を私だと思って大事に育ててください。私も、同じ種を咲也さんだと思って大事に育てます。きっと愛が大きいほうが早く成長して花を咲かせるから、どっちが早いか競争しましょう?」
うっとりと話す彼女の整った顔、吐息、体温に惚れ直しながら、俺は力強く、何度もうなずいた。
「分かった。お互い頑張ろう。」
植物を育てるのなんて小学生以来だった。
しかもそのときは水遣りをサボって枯らせてしまった。
でも、この花が本当に俺の愛によって育つ花ならば、きっとすくすく育って、大きな花を咲かせるだろう。
今の俺にはそれだけの自信がある。
そしたら、彼女は喜んでくれるだろうか。
○ ○ ○
家に帰ってさっそく種を植えてみることにした。
付属していた土を入れ、中央に穴をあけ、黒い種を落とし、また土を掛ける。そして最後に小さなじょうろで水をやった。
「こんなもんか。」
俺は、まだ平らな植木鉢を食卓の目の前に置いた。ここにおいておけば食事の時にでも水遣りに気付くはずだ。そうだ。傍にじょうろも置いておこう。今回は昔のように水遣りを忘れて枯らすわけにはいかない。重度の物ぐさな俺でも、ここまで準備しておけば忘れないだろう。
この花が愛によって育つものならば、ぼくは彼女への愛を試されているということだ。失敗するわけにはいかない。彼女を悲しませたら切腹ものだ。
俺はもう一度説明書を読むことにした。
――――――――――
①キットに入っている植木鉢に土を入れてください。
②指の第一関節程度の穴をあけ、そこに種を入れてください。
③上から優しく土を掛け、湿らす程度に水をあげます。1日1回の水遣りが適量です。セットになっているじょうろを使ってください。
④この植物にはあなたの愛が必要不可欠です。あなたが愛をしっかり与えれば、素敵な花が咲くでしょう。
――――――――――
説明書を読む限り、これと言って普通の植物と変わったところは見当たらない。しかし、最後の注意書きだけが何だか異質な雰囲気をか醸し出していた。
「でも、愛が必要ってどういうことだろう…?」
愛だの恋だのというものは、熱病と言われるくらい自分ではどうにもならないものである。
だからこそ俺は彼女に告白できたのだ。
さらに恋愛が人を動かすという事実は幾多の文学でも説かれてきたことだ。先人達の言うことは聞いておいた方がいい。
愛は見えない。感じるものだ。
なんて言葉も聞いたことがある気がする。しかし、今まで片思いはしたことがあるにすれ、今回のように愛される側になったことはない。
今回が初めてなのだ。
「まぁ、今は彼女がいるんだし、これを期に本当に愛というものが存在するのかについて考えてみるいい機会かも知れないな。」
そんな高尚なことを口に出してみる。
途端に自分が幾多のお偉いさんたちの仲間入りを果たそうとしているような気がしてきて、何だか誇らしくなった。
この小さな植物の種だって存在していなければ愛の対象になることもなかったのである。愛の対象が存在していること自体貴重なことなのかも知れない。人を好きになれない人だっているのだ。
説明書を裏返すと、そこには手書きの文が書いてあった。
どうやら彼女が書いてくれたものらしい。
――――――――――
本日は1日お付き合いいただき、ありがとうございました。
とても楽しかったです。
そして突然無理なお願いをしてごめんなさい。
この種は植物学者の知人からいただいたもので、一般にはあまり知られていない植物だそうです。ちょうど種を2ついただいたので咲也さんにもお渡しさせていただきました。普通の植物とは違い、面白い性質を持っている花だそうなので、今から咲くのが楽しみです。
私たちの愛が、この花を咲かせることができると信じています。
2人でがんばりましょう。
葉子より
――――――――――
女性らしい丸字を眺めていると愛おしさがこみ上げる。
この人が俺の彼女になったのだ。
誇らしくて仕方がない。
「期待してるぞ!俺と彼女のキューピット!」
俺は土に埋まり、これから変貌を遂げるはずの「愛の花」へそう声を掛けた。
○ ○ ○
今思えば、彼女はこの「愛の花」のために俺と付き合ってくれたのかもしれない。
優しくて、真面目で、仕事が出来て、美人で、人に好かれていて、研究熱心で、己の願望に忠実で、そして強い意志を持って生きている。
俺はそんな彼女が好きだったのだから。
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