愛の花

蒼生真

第1話 愛華① 愛で育つ花

「愛華。ほら、手を出して。」

ある日、母親からひと粒の種をもらった。

手の中にある小さな種を不思議そうに眺めていたら、母はその大きな手で私の手を包み込んだ。

「その種は『愛の花』よ。普通の植物は、水と、土と、太陽の光の力で育つけれど、これは人間の愛がないと育たない特別な植物なの。あなたなら、きっと綺麗な花を咲かせることができるわ。」

母はそう言ってから、小さな鉢植えにその種を植えた。

私は勝手がよく分からなかったので、言われたとおりに小さなじょうろで水をやった。

「上手に植えられたわね。大事に育てるのよ。」

満足そうな母を見るのは、私も嬉しかった。

「お母さん。」

そう呼ぶと、母が私に視線を移す。

「なぁに?」

そのことばの響きにいつもとは違う甘さを感じて、もっともっと嬉しくなった。

「愛ってなぁに?」

「愛は愛よ。目には見えないけれど、確実にそこに存在しているものよ。」

「でも、このお花には愛をあげないといけないんでしょう?それじゃあこのお花に愛をあげることはできないよ。私、持ってないもの。」

そう言うと、母は笑った。

「そんなことないわ。だって、私は今まであなたにたくさん愛をあげてきたもの。ほら…。」

そう言って母は私を抱きしめた。

そうだ。母はいつも私を抱きしめてくれる。

心がじわっと温かくなって、お母さんが好きな気持ちが湧き上がってくるんだ。

「こうやって、大好きって気持ちをいっぱいこめるの。これが愛よ。」

「でもでも、お花を抱きしめたらつぶれちゃうよ?」

「そうね。こんな風に抱きしめたら、お花はすぐにつぶれちゃうわね。」

「それじゃあどうすればいいの?」

母のエプロンにしがみついていると、ゆっくりと腕が解かれてしまった。

母の目が少し冷たくなったのを見て、ゾワリとしたのを覚えている。

「それはあなたが見つけるのよ。」


そう言った次の日、母は消えた。

私の手元には真新しいじょうろと鉢植え、そしてまだ芽の出ない「愛の花」が残った。


  ○  ○  ○


 あれから十年が経ち、私は高校1年生になった。

今ならなんとなく分かる。「愛の花」は母からの餞別だったのだ。もう愛を与えることをあきらめた母親が、せめて娘に愛が分かるようにと、ひとつの花を贈ったのだ。

そう思うことにしている。

そうでもしないと「自分が捨てられた」という事実が、あまりにも救いのないものになっていまうから。

私の手元には、未だにあの時母と植えた「愛の花」がある。

とっくに芽が出たというのに。

十年も経ったというのに。

まだ花は咲いていない。

蕾さえない。

あるのは、いつまでも色褪せない青をたたえた若葉である。

いろいろと調べて見たが、「愛の花」なんて種類の花はなかった。

それどころか、人間の愛によって育つ植物なんてものも存在しないことにも行き着いた。

葉の形を見ても似たようなものはないし、花屋にも持っていってみたが分からないと言われてしまった。

どうやら母は本当に特別な植物を置いていったらしい。

特に害もないようだし、たった1つの母の形見となったそれを、おいおい枯らすわけにもいかず、今もせっせと世話を続けている。葉しかないといっても、こうしていると愛嬌を感じてくるもので、母がいなくなったあの日から世話を怠ったことはない。

もしも本当にこの花が人の愛で育つ「愛の花」ならば、花が咲かないのはまだまだ私の愛が足りないのだろう。

でも、これ以上どうやって私の愛を表現すればいいのだろうか。

母がいなくなったあの日、私の愛の行き先は、母から「愛の花」に変わった。

母の言う通り、愛というものは目には見えない。

それでも他に行き先がない以上、私の愛はこの植物に注がれているはずである。

しかし、愛は確実にそこにある気がしても、実はないなんてことはよくあることも知っている。実際に私の母がそうであったように。

宗教的に言う愛とは無償に誰にでも分け与え、そして与えられるものである。

しかし、歌やドラマで言う愛はそんな崇高なものには思えない。とすれば、世間一般的な愛とは、もっとシンプルで身近なものである。

さらに難しいのは、人間同士の愛とは互いに思うことで成立する一方、植物や無機物を対象とした愛は一方通行だ。相手に愛が伝わっているのか確認する術はない。これが愛なのかどうかも、植物相手にこの愛が成立しているのかも分からない。

そもそも愛とは何なのだろうか。

結局はそこに戻ってくる。

まだ16年しか生きていない私には、この世は分からないことだらけである。

そしてここまで考えて最後に思うのは、ということであり、その疑問に対する一般的な答えはNOである。

「いってきます。」

今日も机の上の「愛の花」へ挨拶をし、荷物を持って部屋を出る。当然、部屋には私の声だけが響いたが、どこからか返事が聞こえたような気がして、私は笑った。


「そんなことあるはずないのにね。」

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