第27話 リンゴ飴


・・・


 八月某日、都内某所。うだるような暑さに慣れ、夜風が心地よくなってきた。俺は駅の改札の前である人物を待っている。


「ごめーん! 浴衣着るのに手こずっちゃって」


 そう言って手で宙を切るのはゆるふわもっさりな頭がいけ好かない、そう、松原日和である。


「遅いぞ、早く行かないと混んじまうって言うから少し早めに待ち合わせたっていうのに」


 この女に三十分も待たされたのだ、これが怒らずにいられるか。


 そもそも、松原が「花火大会に行きたい」なんて言い出すからこうしてテスト終わり、ネットサーフィンし放題な夏休みの貴重な一日を削ってこんな暑苦しい人混みの中に身を投じているというのに、この女は「ごめーん!」で許してくれていると思っているという、その気概が気に入らないのだ。


(まぁまぁ、せっかくのデートなんだから、そんなに怒らなくていいでしょ? イツキ?)


(デートって……。確かに、イライラしてたら楽しめないな)


 脳内で俺を諭してくる天使。最近、俺が思っていることまでエルにはダダ漏れなのだ。全く、俺のプライベートはどこへ行ったのやら。


(逆にわたしの思考も少しずつ漏れてるでしょ、おあいこだよ)


(ま、そうだな)


 天使のささやきはさておき、俺は目の前の厄介な女に目を向けた。花火大会ということで、浴衣を着てきてくれたのだが、此奴、どうも俺に浴衣姿を評価されたいらしく、やけにチラチラと見てくる。似合っているし、いつもより特別な感じがするからか、綺麗なのだが、そんなに期待されると評価じづらい。


「ま、まぁ、似合ってるぞ、浴衣。少し驚いたぐらいだ」


「本当? ありがと! 照れちゃうなぁ」


 えへへー、とせっかくセットしてきたであろうゆるふわな頭を掻き出す。おいおい、あんまり褒めないほうがいいか?


「それじゃ、人は多いが縁日でも回るか」


「うん、下駄、これ結構歩きにくくてさ、」


 松原は少しモジモジしながら、


「ちょっとゆっくり歩いてくれると嬉しいな、なんて」


 やはは、と気まずそうに笑った。ぎこちない笑みはどこか幸せそうだった。そんな笑顔を見て、俺もどこか安心した。


 ”あの”事件から四ヶ月程経った。あの後、俺や松原、青梅は大学の講義を受けながら、魔法について、一緒に学んできたのだった。基本は俺達のそれぞれの魔術を磨く、というものであったが、実戦を想定した練習であったり、魔法の仕組みについて、ある程度学ぶこともあった。


 その間、あのピエロ、三角帽子に関しては目撃情報はなく、進展はなかった。それを追っていたおっさんは、魔法省の仕事を休職し、奥さんの今日子さんとの思い出作りに勤しんでいる。まぁ、当然こうして俺が松原と一緒に花火大会に来ているのも知っているってわけで。


「お父さん、今日は一緒に行く! なんて言ってたけど、まさか来てないよね……」


 なんて松原は呟いていたりする。まぁ、こっそり娘の様子を見に来ていたとしても不思議ではないが、これまた一緒に来た今日子さんに俺達の前に出るのを止められているんだろうな。いずれにせよ見られているかもしれないのは変わらないな、変なことはしないようにしなくては。


 ここまでくれば勘付いていると思う。俺と松原はこの四ヶ月なにかと一緒にいたわけで、まぁ、青梅とかいうのも一緒にいたが……、俺の中でこの後輩が特別な存在になっているのは否めない。まだ付き合っているだとか、そういったことはないが。


 ここまで仲良くなったのに、二人とも踏み切れていないのは、きっと俺の問題があるからだろう。


 そう、妹のことだ――。


 俺の妹はまだ、病室のベッドで寝ているのだった。この四ヶ月、一度も目を覚ましていなかった。そのことがどうしても切り離せず、俺達二人が幸せになる結末を拒んでいるのだった。


 原因はわからなかった。医者はもちろんのこと、エルでさえ首を傾げていた。魔導書をもとに戻したというのに、妹は目が覚めなかった。俺は、妹を目覚めさせるために魔術を学んでいる。それが今の原動力だ。


「ねぇ、越生くん。リンゴ飴、食べたいな」


 松原が覗くように俺を見てきた。ああ、また俺は怖い顔をしていたみたいだ。松原が少し言いづらそうにしているのを見るといつも妹について、考え事をしていたことに気付かされる。


「わかったよ、あそこに屋台があるな。少し人が多いけど並ぼうか」


「うん、そうしよ」


 俺は少し松原に感謝しつつ、屋台の前に出来た人の列に並んだ。



・・・



 越生くん、また怖い顔をして、双葉ちゃんのこと、考えてたんだな――。


 あたしはそう思いながらリンゴ飴を待っていた。


 そうなのだ、このリンゴ飴にはいろんな、本当にいろんな意味がある。だけど、さっきの越生くんの暗い顔を見て、少し、困っている。


 ううん、言うんだ。一歩前に進むために。


 自分にとっても。お父さん、お母さんにとっても。越生くんにとっても。


 言うって、決めて今日、お母さんに着せてもらったんだ、この浴衣を。


 あたしは今まで仮面を付けて生きてきた。だから、お母さんが戻ってきて、仮面が必要でなくなった今、一歩踏み出す必要があるんだ。


 仮面を外す勇気。


 ずっと、仮面を付けてきたあたしは、仮面の外し方がわからなくなっていた。ううん、外し方はわかっていた、だけど、外すのが怖かった。


 だけど、今、それを外す時がきたんだ。


 きっと、仮面の下を見せるのは恥ずかしい。だけど、だからこそ、大切な人に見てほしくて。お父さん、お母さんでもなくて、越生くんに。


 これはきっと、身勝手なことなんだと思う。越生くんにも迷惑なことかもしれない。


 きっと、双葉ちゃんにだって、怒られるかもしれない。これは多分、双葉ちゃんを裏切ってしまうことになるのかもしれない。


 だけど――。


 この想いはもう、蓋をする事ができなかった。溢れる気持ちは罪悪感に変わり、自分の首を絞める。今がどんな状況か、わかっているからこそ、余計に苦しい。


 耐え難い苦痛だった。だから、あたしは今、楽になろうとしてる。それも同じように罪なのだった。


「リンゴ飴も買えたし、もうそろそろ花火が上がる頃だな。花火が見やすいところまで移動するか」


 越生くんは買ったリンゴ飴を右手に持って、雑踏の中ではぐれないように、左手で手を握ってくれる。


 あたしは、禁断の果実を口にしようとしている。過去との決別をしながら、罪を償い続ける未来を選択するのだ。


「ねぇ、越生くん、」


 ヒュ〜ッ。


 ドン!!


 話し掛けた時に花火が上がった。一番初めに上がった花火は大きくて、地響きがした。見つめる越生くんの顔が花火の光で明るくなった。 


「どうした?」


 雑踏の中で、立ち塞がったから、越生くんは少し驚いた顔をした。


「あたし達、付き合っちゃおうよ」


「えっ?」


 どんな結末でも、どんな未来でも、どんと来い。あたしは挑むような目で言った。


 それはきっと、二人でなら、ううん、みんなとなら乗り越えられるんだ――。


 更に驚いた越生くんは、右手に持っていたリンゴ飴を落としてしまった。



・・・



(キャーーーーー!!!!)


 あまりにいきなり過ぎて、手の力が抜けてしまった。なんだって? 付き合う? まさか、松原から言うなんて思わなかった。そして脳内で天使がざわめく。


(ちょっと静かにしててくれ……)


(へい)


 まったく、良い雰囲気だというのにそこに浸らせてさえくれないのか、このバカ天使は……。困ったな、俺は今日、それを言おうか悩んでいた。松原も同じことを考えていたのだ。


「大丈夫だよ、これからのこと、……双葉ちゃんのこと。あたし達二人で、ううん、みんなで……、だからこれからは一人で抱え込まないで? あたしは大切な越生くんに寄り添っていたい。だから」


 それは、まごうことなき告白だった。俺にとってもこの後輩は大切な人になっていた。気持ちは同じだった。だが、彼女は一歩先を歩いていた。


「ああ、そうだな、俺はきっと、お前に迷惑をかけるかもしれない。いいや、かけるだろう。それでも構わないなら」


「構わないよ! あたしだって、迷惑、かけるから、ね?」


 そう言って、彼女は意地悪く笑った。


 いろんな問題を抱えている。だけど、今はこの無邪気な笑顔だけを見ていたい。俺はただそう思った。


 これは逃避ではない。むしろ前進している。



 しまった、そういえば。 


「リンゴ飴、落としてしまった。すまん……」


 早速迷惑をかけているのかもしれないな。


「ううん、リンゴ飴はもういいの。ホントはね、綿菓子が食べたかったんだ」


 彼女になった後輩は、にしし、と手を後ろに組んで上目遣いでこちらを見てくる。


 前言撤回。迷惑をかけられているのは俺の方みたいだ。まぁしかし、悪い気はしない。今度は綿菓子を買ってやるか――。


 誰よりも幸せそうに、綿菓子を頬張る彼女を想像して、俺も笑顔になった。





(第一章 綿菓子の彼女篇 END)

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