第25話 春尽・夏隣


 神社での戦闘が一段落し、魔導書を取り返した俺達は、教授の車で妹のいる病院へ向かっていた。


(なぁ、エル。その魔導書、中身を見ることは出来ないのか?)


 俺は松原の顔を眺めながらエルに思念を送った。始め助手席に乗るつもりだったが、意識を失った松原の介護をするために後部座席に座った。松原は俺の肩を借りて、スヤスヤと規則的な寝息を立てている。もうそれほど心配することは無さそうだ。


(うん、中身は読めるようになってるよ。読めるというか、魔導書は開けばいろいろなアプローチをしてくるの。それこそ文字が書かれているのもあれば、勝手に魔術が身に付いてしまうのもあって、その魔導書によって様々なんだけど……。この『蛇の書』はイメージが流れ込んでくるタイプのものみたい。ただ――)


(ただ?)


 エルは少し唸りながら、


(これ、魔導書とかじゃなくて、これはきっとフタバの記憶、そのものだわ)


(なんだって? それってつまり、どういうことだ?)


 単純に言われすぎて思考が追いつかなかった。妹の記憶が魔導書、だと? そんなことってあっていいのか。


(おかしいわ。だって、魔導書は人には書けない。著者である天界人と”契約”を交わして初めて手にすることが出来るものなのよ? それならどうしてフタバ自身の記憶が魔導書に書かれているの?)


 エルはかなり驚いていた。天界からの使者であるエルは魔術には精通しているはずだが、これは不測の事態だったようで、声で狼狽しているのがわかる。


 俺の妹である双葉は何か隠しているのだろうか? それとも無意識の内に魔術に関わってしまったのか、他に考えられるとすれば、生越宗一郎、俺達の父親か。色々と考えられるがどれも間違っている気がしてならない。


 事態は俺が思っている以上に深いのかもしれない、そう思った。


(おい、エル、そういえば、妹の魔導書、『蛇の書』と『鷲の書』、だったか。その予備知識はあったじゃないか。ってことは、最初から何について書かれていたか知ってたんじゃないのか?)


 その魔導書が偽物って可能性も無きにしもあらずってわけだ。


(うん、だけど、魔導書っていうのは読んだ人にしかわからない、他人に的確に教えるのは不可能なの。こんな魔導書がある、こんな魔術が身に付く、こんなことを知ることが出来る、ってザックリとはわかってるんだけどね)


 エルはまたしてもうーん、と唸りながら説明する。


(だからさっきの”フタバの記憶”って言うのも的確に伝わってなくて、本当は魔術的意味があるのかもしれないけど……、きっともう一冊の『鷲の書』があって初めて理解できるみたいなの。それからこれは偽物とかじゃないよ、正真正銘、本物の『蛇の書』だよ)


 それにしても妹の記憶が魔導書に記してあるのはおかしな話だが、それもこれも妹を起こしてからの話だ、今は早く病院についてくれと願うばかりだ。



 病院に到着し、妹のいる病室までたどり着いた。松原は別の病室で治療を受けている。この病室にいるのは俺と教授だけだ。病室の窓を見て初めて、いつの間にか外が暗くなっていたことに気がつく。


「イツキ、わたしを顕現させて頂戴」


「わかった」


 俺は少し幼気な少女の姿をイメージする。それは、どこか懐かしいようなイメージ。長く、蒼い髪が揺らめいて、空想と現実が同一化する。そして襲ってくる脳髄に染み渡る、不思議な感覚。

 

「さぁ、やるよ」


 制服姿の少女は蒼い髪をちらつかせて、俺の目の前に立つ。俺達はまず妹を見て、それからお互いに向き合い、そして頷く。


 エルは妹の胸辺りに手をかざした。エルの手が淡い、白い光を放ち、それに呼応するように妹の、エルの手がかざされた部分が淡く輝く。光はすぐに妹の方に吸い込まれるように消えていった。


「おお、こんなにも容易に受け渡しが出来るとは……」


 隣で見ていた教授が驚きの声を上げた。俺には凄さがわからないから、綺麗だとかそういう感想しか持てなかった。


「終わったよ、後は意識が戻るのを待つだけね」


「ああ、ありがとう、エル」


 よかった、これで妹の意識が戻る。よかった……。



・・・



 妹の魔導書を取り返してから一週間。まだ妹の意識は戻っていない。まぁ、しかしあの寝坊助のことだ、まだ寝足りないだけだろう。エルも「長くて二週間くらいかな?」と言っていた。直に目が覚めるだろう。


 今日はおっさんに呼び出されて病院へ行くところだ。今回の答え合わせ、後日談って奴だな。


 ちなみに松原と晴香ちゃんは検査を終えて、今日退院する事になっている。今日病院へ行くのは彼女達の退院祝も兼ねてってことになるな。


「おっと、そうだった」


 いけない、忘れてた。俺は病院行きのバスに乗る前に、銀行のATMでお金を引き出した。


(ねぇ、イツキ)


(わかってるぞ、次にお前はこう言う、「どうしてそんなにお金を引き出すの?」だ)


(どうして……、って先回りして言わないで!)


 思念を飛ばしての会話も慣れてきた。暇になるとこうしてエルと他愛ない会話をするようになってしまった。


(いいから、教えてよ)


(まぁ、いいだろう……。今日は晴香ちゃんの退院祝いだ。あ、松原もいたか。まぁそれはいいとして、そしてこの後晴香ちゃんと食事をするわけだ。もし晴香ちゃんが「お兄さん、この特上カルビ、食べたいです!」って言ったらどうするんだ? え? 「お金ないからATM行きます」って凄くダサいじゃないか)


(…………)


 エルは俺の優しさに感動してしまったらしい、何も言い返して来なかった。



 さて。病院に着いた俺はおっさんに連絡を取る。今は屋上にいるらしい。病室で話をする気分でもないみたいだ。あの時助けられたおっさんの奥さん、今日子さんは今、ここに入院しているらしい。意識が戻っているのかどうか、詳しい事はわからないが、おっさんが連絡してきたってことは快方に向かっているのだろう。


 まぁ、もっとも、それを聞くために、今こうして屋上に立っているわけなんだがな。


「おう、久しぶりだな、一月君」


 咥え煙草のまま手を振るおっさんがそこにいた。屋上に吹く風は、少しばかり生温く、春物の服はもうそろそろ着られなくなるなと、もう似合わないチェスターコートを見て思った。

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