第24話 Re:veal
・・・
「松原、気が付いていたならどうして俺に言ってくれなかったんだ?」
「だ、だって……。これはあたしの問題だから……」
松原は弱々しく答える。魔力を使いすぎて弱っているのもそうだが、俺が少しきつく言ったせいでもある。
俺は少し怒っていた。松原が午後の講義の途中で教室を抜け出していった後、講義が終わってから、おっさん、もとい松原の父親から電話が来たのだ。おっさん達魔法省は、映画館の魔力痕を辿ってピエロの位置を特定したのだった。そこで俺も着いていくことにしたのだ。
「そして着いてみたらこれだ」
俺は少し溜息して、
「ごめん、越生くん」
「まぁでも、間に合ったならいいさ」
そう松原に言って、ピエロの方を見据えた。相変わらず表情が分からない。これが普通の人間であれば表情や視線からある程度次の動きを予測できるのだが……、そういったヒントは全て隠されているのだった。
そんなことを考えている時だった。ピエロはゆっくりと、両手を上げた。どんな魔法が襲ってくるのか。拳銃を構えているエルは引き金に指を掛けた。
「臨戦態勢のところ申し訳ありませんが、もう戦う気はありません、そういう意味でのこの”手”なのですが」
「えっ?」
俺の後ろで倒れ込んでいた松原は拍子抜けをした声を上げた。たしかに俺も驚いた。このピエロはなんの未練もなく、それが唯一の正解であるかのように、あっさりと、降参のポーズを取ったのだ。
「これ以上戦っていてもお互いに疲弊するだけではありませんか? これはちょっとした”提案”なのですが……。この『蛇の書』をお返ししますので、この場はお開き、ということにしませんかねぇ? もう松原日和さんの身体を乗っ取ることも諦めましょう」
そう言ったピエロはどこからともなく一冊の古ぼけた本を取り出した。その本はピエロの手の上で浮いていた。これが『蛇の書』なのだろう。
「なるほど」
つまりはこういうことだ。「魔導書は返すから見逃せ」と、そう言っているのだ。
(イツキ、このピエロにはきっともうワタシ達と戦うだけの魔力が残ってないみたいだよ)
脳内に直接、エルの声が響いた。当然周りには聴こえない。
(同意見だ。ここで俺達が戦えば、捕まえられるかもしれない。このピエロに勝てるかもしれない。そういうことになるな、だが――)
しかし、そんなことは考えなくてもわかることだ。相手に安々と不利を伝えてくる敵がいるだろうか、これは明らかな罠だ。
(うん、怪しさもあるよね。なにせあのピエロ、表情も何も分からないからね)
(ところで、あのピエロの手に浮いている本が『蛇の書』でいいのか?)
偽物を引き渡されたらいけないので、一応確認してみた。
(そうだよ、間違いなく『蛇の書』だね。本来、魔導書の本質は本という形から抜け出していて、無形のモノなのだけれど、あのピエロはわざわざ本の形として見せているね)
何か罠があるのかもしれない。だが、このまま戦闘を始めて俺達がこのピエロを倒せる保証はどこにもない。ピエロの言う通り、松原達を更に危険な目に合わせてしまうかもしれない。もしかしたらまだ何かしら隠し玉を持っているかもしれない。この提案に乗るか、乗らないか。どちらにしても罠に見えてくる。であれば、魔導書を取り戻せるこの”提案”に乗っかるべきなのではないか。
結局、どちらを選んだって腑に落ちないのだ。後悔するかもしれないが、それはその時だ。
(とりあえず、この提案に乗るのが最善かもしれないな)
(そうかもしれないね、イツキに任せるよ)
脳内会議が終わったので、俺は返事をした。
「ああ、わか――」
「ダメだ、」
俺が同意するのを遮った声の主は、この場に遅れてやってきたおっさんだった。
「お前はここで捕まえる。必ずだ」
「おっさん……?」
「いいか越生くん、こいつは多くの人間を拉致した張本人なんだ。魔導書を取り返すのは勿論だが、こいつを捕らえなくてはいけないんだ。今弱っている、十年来のチャンスなんだ」
如何におっさんが必死に目の前の正体不明のピエロを追ってきたのかがわかるほど、おっさんの敵を見る眼差しは鋭かった。
「こんなチャンス、安々と見過ごすわけがないだろう……」
そう言ったおっさんの拳に力が入るのが見えた。
だが、俺にもこのピエロには用があるのだ。『蛇の書』だ。どんなに人間が拉致されていようがなんだろうが、妹を救うこと以上の優先事項はないんだ。
だからここで提案を断ることは俺には出来ない。これ以上に安全に任務を遂行できるならそうしたい。だが、これ以上はない。
「おっさ――、」
と呼びかけた時、
「まぁまぁ、松原和也さん、これを見てもそれが言えるのですか?」
ピエロは唐突に質問を投げかけた。そして、纏っているマントと仮面にゆっくりと、手を掛けた。
「…………?! きょっ、きょうこ……? どうしてだ、どういうことなんだ?」
おっさんは目を見開き、狼狽していた。
マントと仮面の中身は美しい女性だった。二十代後半から三十代前半の、髪の長い、細身な女性。何故か浴衣姿だった。
「えっ…… うそ…… そんな……」
後ろにいた松原も驚いた表情をし、そう言って倒れてしまった。
「おい、松原、大丈夫か?!」
「ヒヨリは魔力の使いすぎみたい。気を失っているだけだから大丈夫」
「そうか、よかった。エル、あのピエロは何なんだ? どうしておっさんと松原は驚いているんだ?」
「ヒヨリとオジサンが驚いているのはわからないけど、あのピエロの正体はどうやら天界生物のようだね」
天界生物――。昨夜本を読んだときにそんな記述があったな。エルも解説してくれた。
「つまり天界生物は、あの人に憑依して生きているということなのか?」
「ちょっと違うね、憑依するのは生物‐生物間じゃないんだ、そうじゃなくて、天界生物は”モノ”に憑依するの、だから――」
そう言って、エルはおっさんの方を向き、
「オジサン、あのピエロ、今まで何度も見たことあるんだよね?」
「あ? あ、ああ……、あるとも」
エルに声をかけられ、かろうじて正気を取り戻したおっさんは、呆然としながら答えた。
「それで、このピエロの特徴、えーっと、なんて言えばいいんだろ、何か”ずっと変わらないところ”はない?」
「あるとも、あのマントにとんがり帽子だよ、それがどうしたんだ?」
「それだっ」
エルはそれを聞いて唐突に指を鳴らした。何が分かったのか教えて欲しい。
「おやおや、まぁここまで来たらネタばらしをされてしまっても、ほとんど意味が無いですがねぇ? ただ――」
ピエロは言葉を切って、
「そこの”同胞”に喋られるのは気に食わないですねぇ。そうです、私は天界生物。この”帽子”が私、つまりは本体なのです。そして、この女性はそこの松原和也さんの奥様ですよ……」
クックック、と、青紫色の魔力を纏う女性は”自己紹介”をする。
なんだって、おっさんの……奥さん? そんな偶然ってあるのか? 確かにおっさんの奥さんは十年前から行方不明だとここに来る道中で、おっさんから聞いた。だが、いや、そんな、それはつまり十年もの間ピエロに操られてきたというのか?
クックッ、と、ピエロは気味の悪い笑いを止めない。いや、不気味な笑みはおっさんの奥さんの顔で表わされていて、その間接的な表情を見た俺は、不気味の谷に突き落とされた。
「さあて、松原和也サン、どうです? 先程の"提案"に更に追加しましょう。この身体、貴方の妻、今日子サンも引き渡して差し上げましょう」
「グッ…… それは……」
それはつまり、このおっさんが十年間してきた事を否定するという事で。
それはつまり、"おっさんの正義"を自らの手で叩き壊す事で。
きっとおっさんの原動力は目の前の奥さんなのだろう。奥さんを救う為に全てを投げ打ってきたのだろう。
だが、十年という歳月は長過ぎた。おっさんの双肩には、より大きなものが、積もっていたようだった。
十年という重みは、おっさんが口を開く事が無くとも、彼のその姿を見るだけで、彼の想いが容易に想像できるようにしてしまう。
「どうしたのです。"私"を追って来たのでしょう? "私"さえ救えれば、貴方は全て報われるのではありませんか?」
その透き通った女性の声は、天使の導きのようでも、悪魔の囁きのようでもあった。
俯いていたおっさんは、導かれるように言った。
「わかった。今は見逃す。そうしたら本当に、帰ってくるんだな……? 今日子が……」
「ええ、もちろんですとも。お返ししますよ、約束通り」
クックック、とまた不気味に笑いながら。
「では、そこの同胞よ、この『蛇の書』を受け取りなさい」
今や何者なのかわからない女性はエルに言う。
「言われなくとも」
そう言ってエルは女性の手に浮いている書物に触れる。すると、書物はエルに吸われるように消えていった。
「たしかに、受け取ったわ」
どうなっているのかよくわからないが、どうやら魔導書を受け取ることが出来たようだ。俺は少し安堵した。
「それでは、私はお暇します。もちろん、この体は置いていきますのでね」
「わかった、だが次は見逃したりはしないからな……」
おっさんは静かに言った。複雑な心境のようだ。俺も、どんな顔をしていいのかわからない。
「それでは、また、会うかもしれませんね」
その声の後、ふっ、と女性が被っていた帽子が消えたのだった。帽子が本体と言うのは本当だったようだ。帽子が消えた途端、女性はその場に倒れ込んだのだった。
「今日子っ!」
おっさんは今日子さんに駆け寄った。俺とエルも後に続く。どうやら息はあるらしい。血の気もある。意識がないだけだ。だが、十年間も行方不明になっていて、挙句の果てにはあの帽子に操られていたとなると、身の危険があったとしてもおかしくはない。どうしてこんなにも”綺麗なまま”なのだろうか? よく見ると、とても若い。松原ほどではないが、おっさんの奥さんにしては若過ぎる。
(なぁ、エル、この女の人、おっさんの奥さんだとしたらなんだか変じゃないか?)
俺は一応エルに思念を送った。今は何かを口にしたらおっさんの邪魔になるからな。
(うん、イツキ、ワタシもおんなじ事思ったよ。なんだか違和感だね)
エルも同じように違和感を覚えているようだった。だが今は他にもやることがある。
「そうだな、っと、おっさん!」
気が進まないがおっさんに声をかける。一刻も早く妹のいる病室へ向かわなくてはならない。まだ、終わっていないのだ。
「…………」
「おい、おっさん」
「……、ああ、越生君、すまない、わかっている。今すぐに魔法省の者を呼んで、この一帯を調査する。処理はしておくから、越生君は妹さんのところへ行ってあげなさい」
「ありがとうございます」
今日子さんとの再会に感動していたおっさんだが、すぐに仕事モードに切り替わった。この人は本当に凄い人だ。
「そういうことでしたら、越生クン、私が病院まで送って差し上げましょう」
倒れ込んでいた教授だが、いつの間にか復活していた。
「……、教授は大丈夫なんですか?」
この間の講義の際は思わずタメ口を効いてしまったが、流石に敬語で返す。
「ええ、魔力の霧によって縛られていただけですから。ただ、日和さんの方は魔力の使いすぎです。出来れば病院へ向かったほうがいいでしょう。ということは、一緒に病院まで連れて行ったほうが良いですね。行きましょう」
「わかりました、おっさん、後はよろしくお願いします」
「どうした、俺にまで敬語か? 任せろ、また後で会おう。それから娘をよろしく頼んだ」
おっと、敬語のままだった。どうもこのおっさんに敬語を使うのは違和感があるな。
「わかった、それじゃ」
俺は倒れているゆるふわ頭の女の子をおぶって、教授の車まで運び、神社を後にした。
・・・
「んっ……」
あったかい。
だけど少し硬い。
前にもこんな感覚を経験した気がする。
いつだっけ? 十年前……。ううん、そうじゃない。ずっと最近。
そうだ、越生くんだ。映画館を出る時おぶってくれた。ちょうどこんな感じだったな。
そういえばあたし……、そうだった、あのピエロと対峙して、魔力が切れちゃって、それで……、そっか。越生くん達が来てくれて、あれ、その後はどうなったんだっけ。
「大丈夫か、松原」
この声は越生くん? ゆさゆさと揺れるのが心地良い。
この匂いはやっぱり越生くんだ。うん、もう少しこのままでいよう……。
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