第22話 Re:turn
「私の車がありますが、どうですか、行ってみませんか?勿論、危険が伴うことであるのは重々承知してください」
教授はそう提案した。言われなくても一人で行っていただろう。
「そうですね……」
「松原さんが行かなくても私は一人で調査しに行きます。仕事ですからね」
件の神社まではここから車で行って二時間弱はかかる。今は午後二時、行って帰れないことはない。もしもお母さんに関して何か手掛かりがあるなら、いち早く知りたい。もしあのピエロと対峙できるなら、魔導書を取り返すチャンスにもなる。
「はい、行きます。連れて行ってください」
あたしははっきりと教授に頼んだ。危険があるかもしれないのは承知だ。
「わかりました。特別講義と行きましょうか。安全は保証出来ません。しかし、危機が迫ってきたら学生さんを守れるよう、最善は尽くすようにという方針ですから、それに従います。では、ついて来てください。教職員用の駐車場に停めてありますので」
白衣を身に纏ったおじいさんは車のキーを見せた。このおじいさんも、あたしや、あたしのお父さんみたいに誰か大切な人を失って、ここにいるのかな? わからないけれど、その優しそうな微笑みの裏には何かがあるような気がした。
「あの、教授、神社へ行く前に少し寄りたいところがあるんです」
「どこですか?」
「スーパーマーケットです」
「……、わかりました。良いでしょう」
あたしは教授の車に乗り込んだ。教授の車は年齢に似つかわしくない、スポーツタイプのものだった。クーペって言うんだっけ。レザーシートは黄色いスレッドでステッチされていて、おじさん臭さの中にもなんとも言えぬ若々しさがあった。六十歳くらいに見えるこの教授の運転は概ね上品ではあったが、発車するときだけはアクセルを大きく踏んで、エンジンを唸らせる。余程車が好きなのだろうか。このおじいさんの中にもまだ少年の心があるような気がして、少し可愛く思えた。
近くのスーパーに寄ってもらうと、あたしは迷うことなく調味料のコーナーまで向かった。買うのは勿論砂糖。一キログラムのグラニュー糖の塊を二つと三十本入りのスティックシュガーを手に取り、レジに列ぶ。
パートのおばちゃんが少し不思議そうにバーコードリーダーに商品を重ねていたが、あまり気にしないことにしよう。
「さて、ここからは直接神社まで向かいますよ。早く行かなくては、日が暮れてしまいます」
袋に入った砂糖達を持って再び教授の車に乗り込むと、教授がハンドルを握りながら言った。
「はい、行きましょう」
高速に乗って一時間すると、見たことのある風景が広がってきた。田んぼや山など、のどかな情景が十年前の記憶を鮮明にする。
高速を降りて、さらに三十分、ようやく目的の神社まで辿り着いた。お父さんが教えてくれた鳥居は今も同じくそびえ立っている。でも、少し小さくなったかな? ううん、あたしが大きくなったんだ。
「ちょっと待って下さい。凄く、強い、魔力の臭いがします」
あたしが鳥居を潜ろうとすると、それを引き止めるように教授が言った。ちょっと嫌な、モヤモヤとした雰囲気はするけれど、それは魔力のせいなのだろうか?
「いつでも魔法を使える準備をしてください。私も準備します」
そう言って、このおじいさんはどこからともなく小さい、持ち運べるタイプのホワイトボードとマーカーを取り出した。そして、何か図を書いている。なんだろう?いや、あたしも準備しなくっちゃ。
「大事なのは、魔力の流れ、イメージ……」
呟くように口に出し、視界をなくす。一点に気を集中させて、手にした十本のシュガースティックを握る。
「流す魔力は少なめに、最低限の魔力での生成……」
映画館で越生くんがピエロと対峙した時、越生くんは魔力の使い過ぎで倒れてしまった。魔力はなるべく節約しないといけない。
握った十本のシュガースティックが熱くなっていき、飴色の針になった。長さは十五センチくらいかな。とにかく鋭利にイメージした。
この形成に使う魔力は微々たるものだ。ここから大きく魔力を消費するんじゃないかなと思う。そうならないといいけど。
「教授、準備できました。行きましょう」
「優秀な魔法使いになれそうですね。昨日の今日でそこまで出来るなんて。普段の化学の勉強にもそれくらい精を出してもらいたいものです」
「っ。それはいいじゃないですか……、期末テストではいい点取りますよ」
あたしが授業をサボりがちなのを知っているんだろう、痛いところを突かれてしまった。今度越生くんに勉強教えてもらお。
「さて、行きましょうか。入りますよ」
「はい」
あたし達は鳥居を潜った。
「きゃっ――!」
鳥居を潜るや否や、いきなり狼のような獣が飛びかかってきた。あたしは声にならない声を上げ、目を瞑って固まってしまった。
「空間断絶!」
「キャン!」
隣から声がして、獣の鳴き声が聞こえる。あたしは目を開くと、飛び掛かってきた獣は胴が真っ二つに分かれていた。当然、石畳に鮮血が飛び散った。しかし、それは驚くほどの量だった。生き物にはこんなにも沢山の血が通っているのかと、恐ろしくなった。
「うっ……」
「大丈夫ですか、すみません。いきなりだったので、少々手荒になってしまいました」
そう言って、吐きそうになるあたしの背中を擦ってくれる教授。屍となった獣の頭をよく見ると、額に一本角が生えていた。こんな動物、初めて見た。獣の目が、まだあたしを見ているようだった。あたしは目を逸らす。
「困りました。まだ後三頭はいるみたいですね……」
神社の本殿の裏から、同じ獣が三頭、現れる。よく見ると、彼らの角には青紫色の靄がかかっている。きっと魔力だ。
「教授、あの獣達を今みたいに殺すんですか?」
「そうですね、やむを得ません」
「そんなのダメです!どうにかして大人しくさせられないですか?」
獣とはいえ、命ある動物だ。殺生なんて、したくない。
「そうですね、恐らくですが、あの獣の角が見えますか? 彼処に青紫色の靄がかかっているのが見えるはずです」
「はい、さっき気が付きました」
「あの魔力相はあの獣特有のものではありません。つまり、何者かに操られていると考えられます」
そう言っている間にも獣は近づいて来ている。
「今から教える立場として、お手本を見せます。私でも殺めないとなると、一気に二頭までしか捌ききれません。良いですか、よく見ててください」
教授がそう言うと、獣のうちの一頭がたまらずに教授の方に駆け出す。それに釣られて二頭目も一頭目に追従する。
「空間断絶!」
教授が手にしている小さいホワイトボードに何かを書き込むと、虚空が少し、歪んだ。何か見間違えているのかと思ったが、
パキン!
甲高い音が鳴り響いたかと思うと、獣は教授の前に倒れていた。
「大丈夫です、気絶しているだけですから。おっと、次も来ますね?」
音の正体は、獣の角が割れた音だった。そっか、角が割れれば制御が解除されるんだ。
パキン!
またしても良い音が鳴る。教授の前には二頭の獣が倒れていた。
「さて、松原さん、大事なのはあの魔力を消し去ることです。私のように、角を折らなくても方法はあります」
「やってみます」
最後の一頭があたしの方に向かってくる。あたしは砂糖で出来た針を一本握り、魔力を通す。念じると、針は宙に浮いて、真っ直ぐに飛んで行く。
「いけっ」
針が獣の頭上に来た所であたしは針の向きを直角に方向転換、振り下ろした。
「キャン!」
針は浅めに首に刺さる。ごめん、獣さん、でも少し待っててね。
あたしは獣が倒れたことを確認し、目を瞑って、魔力の流れを感じ取る。薄い、紅色の魔力。この獣が持つ、本来の魔力。あたしはその流れを、針から通した無色透明な魔力で動かす。糸のようにした透明な魔力は少しずつ獣の魔力の色に染まっていく。それを獣の角の方に持って行く。
かなり繊細な作業だった。まだ夏にもなっていないのに、額から汗が垂れる。
「これで、どうかな」
糸状の魔力を角に固く縛り付けるイメージ。グッと、キツくすると、青紫色の靄は消えていく。それを確認して、針をゆっくりと抜く。
「素晴らしいです。ここまで細かく魔力を制御できるなんて、驚きました」
教授が目を丸くして驚いていた。あたし、才能あるのかな?
「ありがとうございます!」
よかった。これで、三頭の獣達は殺さなくて済んだ。あたしはホッと胸を撫で下ろすと共に、最初に襲ってきた一頭のことを悔やんだ。見ると、もう既に血が黒くなってきていた。
「……いいですねぇ、貴方達、見所ありますよ」
「誰っ?」
本殿の方から声がする。どこか粘着質な話し方に聞き覚えがあった。
「忘れてもらっては困りますねぇ、私ですよ、お待ちしていましたよ、松原日和さん」
目の前の虚空に青紫色の靄がかかり、そこから少しずつ鮮明に人の形が浮かび出る。現れたのは、あの黒いピエロだった。
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