第17話 夜の帳
「お客さん、終点ですよ」
「ん……」
「お客さん」
「……あれ」
「終点ですよ、早く降りてください」
目の前に車掌さんがいた。どうやら俺はバスの中でも眠ってしまったらしく、なかなか起きなかったのか、起こしてくれた車掌さんは困った表情を見せていた。駅が終点でよかった。バスは寝心地が良いんだよな。どうしても寝てしまうんだ。
「すみません、今降ります」
俺は運賃を払い、バスを降りた。外はもう暗くなっていた。
俺は電車に乗り換え、家の最寄りまで向かった。電車は二十分くらいなので、寝過ごさないように座らなかった。最も、帰省ラッシュに巻き込まれてしまい、座る余地もなかったわけだが。
(ねぇ、イツキ、イツキの家って大きいの?)
電車を降り、最寄り駅から俺の家がある住宅街へ歩いていると、エルがまた脳内に語りかけてきた。別に周りに誰もいないし普通に声出してもいいのに。
(まぁ、二人で暮らすには大きすぎるかもな)
(そっか、両親海外だっけ)
妹と二人だもんね、と言われたら気まずくなってしまいそうだった。妹があんな状況なのだ、あまり考えてしまうと身動きが取れなくなってしまいそうだった。エルは気遣ってくれたのか、言葉を選んでくれたのかわからないが、俺が大学でつるんでいる馬鹿とは違う。
(そうだな、両親の寝室とか、父親の書斎とか、使ってない部屋が沢山あるから結局二人分のスペースしか有効活用できてないかもな)
そういえば、父親の書斎、何があるんだろう。今まで興味なんてまるでなかったが、魔術に関係した研究をしているとわかった今、あそこに何か手がかりがあるのかもしれない。今は魔術の知識すべてが手がかりになる。今まで父親のプライベートもあると思い、入ることさえしていなかった。少し入って、物色してみてもいいのかもしれない。
(イツキ、ちょっとそこの電柱の手前で止まって)
突然、エルの声のトーンが変わった。
(どうしたんだ)
(前方に魔力の集積を感じるわ。段々集まってる)
俺にはそんなもの感じられるわけがないが、エルがそういうのならばきっと、あまりよろしくないことが起こっているのだろう。
(どうすればいい)
(とりあえず、そこの電柱の影に隠れて)
俺は言われた通りに動く。そうするのが最善だ。
(さぁ、お昼ぶりよ。わたしを顕現させて)
(わかった、いくぞ)
二つ返事で俺は目を瞑り、目の前にエルが立っているのをイメージした。
(大事なのはイメージよ、理屈じゃない)
(うるさい、今集中してるから黙ってくれ)
アドバイスはありがたいが、もうやり方はわかっているんだ。こうやって茶々を入れてくるのはやめて欲しい限りだ。
閉じていた目を開く。エルを顕現させることが出来たみたいだ。目の前に少女が立っている。今更だが、来ている制服は少女には少し大きかったかもしれない、と思った。空色の魔力が鈍く瞬き、少女の長い髪の一本一本を描写する。街灯の光よりも綺麗で、星の瞬きより鮮明だ。
「あんまりイメージが安定してないわね、もう少し輪郭を意識して」
エルがそう言うように、彼女の輪郭は少しボヤけ、体の所々が火花が散るように光っていた。輪郭を意識、か。一応してみるが、あまり変わりはなかった。
「まぁ、まだ魔力の回復も完全じゃないからかもね」
なるほどな、と思ったが、魔力というものはどうも曖昧なものらしい。回復量も人一人が持っている量も人によってまちまちなわけだし。まぁ、よく理解できてないものをなんとなく扱えて、それで上手く御せているのだから上出来なのかもしれない。もちろんエルの助言あってこそだが。
「悪いな」
「さてと、今度は誰のお出ましかな」
呑気に言いよるな、この天使は。別に漫才するために顕現させたわけじゃないんだが。
先程エルが言っていた魔力の集積とやらは目で見えるほどになっていた。住宅街の何でもない虚空が歪む。紫がかった黒のような塊が、月や星が瞬く夜に帳を下ろす。
「こんばんは、映画館以来ですねぇ」
この粘着質な声……。どこかで聞いたような。
「お前……」
どこからともなく目の前に現れたのはあの黒いピエロだった。俺とエルは身構える。
「何しに来たのよ」
「そうですねぇ、まぁ『蛇の書』も手に入れたことですし、こちらとしてはもう満足なのですが、一つお話をと思いましてねぇ」
ピエロは両手を上げながら話す。どうやら戦う気はないらしい。隣でファイティングポーズを取る蒼い髪の少女は、ちょっと残念そうに拳を下ろす。
「話ってなんだ、そんなことよりその魔導書を返してくれ。それは一冊だと維持できないんじゃないのか?」
奪われた側の妹の身体に残った片割れのことばかり気にしていたが、こちらのピエロの方の魔導書も少しずつ消滅しているわけだ。魔導書で何かアクションを起こしたいとなると、消滅してしまうのはピエロにとっても不都合ではないのだろうか。
「いいんですよ、それが我々の目的ですから」
どういうことだ? それが目的って、魔導書の破壊ってことなのか? そんなことをして何か意味があるのだろうか。
「それに、返して欲しければ力尽くで取り返してみせてください?」
このピエロ、表情がまるで読めないが、ほくそ笑んでるに違いない。
正直無理だ。
脚がすくんで立ってるのがやっとだった。怖いのだ。
それに今対峙しても絶対に勝てない、戦力差がありすぎる。俺は昨日までただの大学生だったんだ。こんなもの無理がある。
「くっ……」
俺は悔しくて唇を噛んだ。まただ、また何も出来ない。
「それで、話ってなんなの」
動けない俺をフォローするようにエルが尋ねた。
「単刀直入に言いますと、貴方に我々『ピース・メイカー』の一員になってもらいたいのですよ」
「スカウトってわけ……?」
「そうですそうです、貴女、使い魔さんですかねぇ。見たところ人の形をして、人ではないようですが……」
「使い魔じゃないよ、エルっていうちゃんとした名前があるわ」
エルがちょっと口を尖らせる。お前、と呼んでいたのを少しばかり起こっていたりと、そういった扱いを受けるのは好きではないらしい。
「失礼しました。とにかく貴方達には未知の力があると見込んでいるのです。是非とも我々の一員となり、研究させていただきたい」
未知の力?まぁよくわからないが、回答はこんなものだ。
「お断りだ」
「そうですか、まぁいいでしょう。――っと。いけません、私の身体もまた、この魔導書のように不完全でしてね。これはもうあまり長くは持たないかもしれませんねぇ」
突然そんな事を言い出すと、黒いピエロの輪郭がボヤけてきた。黒い三角のとんがり帽だけがそこにあるような感覚。下の身体は闇に溶けるように曖昧な形になる。
様子がおかしい。俺はそう感じた。
「もうここにはいられませんねぇ、それではまた近いうちに会うことになるでしょう」
そう言って、紫色の魔力は霧散し、道化師は目の前からいなくなった。どこへ行ったのだろうか。
「エル、さっきのピエロ、何か様子がおかしくなかったか?」
一応エルに聞いてみる。エルならわかるはずだ。
「そうね、消える前に魔力の乱れを感じたわ。何かを抑えつけてるような、そうね、炭酸で飛び出しそうになるラムネを上から手で抑えつけてるような感じかな?」
人差し指を立てて首を傾げるエル。この電脳天使はタブレットから出てくると、動きというものがとてもリアルになる。声も電子音混じりではない。はっきりとした声になる。表情もより豊かになったように見える。
「分かり易いのか分かりにくいのかわからないぞ、その例え」
とりあえず俺は、少女が頑張って捻り出した例えにいちゃもんを付けることにした。
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