第16話 Crying over spilt milk
・・・
なんだか、凄く揺さぶられている。自分が揺れているのか、そんなはずはない。
「……くん、越生くん」
目を開けると、松原がこちらを覗き込んでいた。少し近い。シャンプーの香りが鼻に付く。
「ん……?松原、か。どうやら俺も眠ってしまっていたみたいだな」
俺は松原の部屋のテーブルに突っ伏して寝ていたようだった。松原が寝てしまったため、部屋を出ることができなくなってしまった俺は、目を閉じて今までのことを整理するつもりだったが、いつの間にか意識がなくなっていた。
「うん、あたしも途中から寝ちゃった」
「エルの言う通り、本当に疲れていたみたいだな」
松原の部屋の壁に掛かっている時計を見ると、もう夕方の五時を過ぎていた。部屋の窓から差し込む夕日が眩しさを失いかけている。
「もうこんな時間か、松原、そろそろ帰るな」
「うん、今日はその、色々とごめん」
松原は俯いて返事をした。映画館には松原が連れてきた。それを自分で責めているのかもしれない。
「謝る必要はない。もし俺達があの映画館に行っていなかったら、妹達はもっとひどい目に遭っていたかもしれない。結果的には助けられなかったが……」
俺は松原をフォローしたつもりだったが余計暗くなってしまった。
「うん、それもそうなんだけど、その……、家に連れ込んだりして、迷惑だったよね」
どうしたんだろう、少し弱気になっていた。いつも威勢がよくてウザいくらいなのだが、これくらい弱気でいると可愛いな。と言っても、今日初めて会ったばかりでそんな感情を抱くのはどうだろうか。
「そんなことないぞ、おかげで少し休むことも出来たし、あの時松原がいなければ俺は何も出来なかっただろう」
実際、松原がいなければあの映画館で倒れたままだった。恐怖で脚がすくんでいたからな。
「そっか。越生くんはなんでも出来る凄い先輩だと思ってたから、そういう弱い所見つけるのは、ちょっと嬉しいかな」
言ってくれるじゃないか、この娘。
「そんな完璧超人じゃないぞ。夜な夜なネットサーフィンしてるただの大学生だ」
「ふふっ、そうだったね」
少し笑顔になってくれた。これで気分良くここを後にすることが出来る。俯かれたままで別れるのは嫌だからな。
「それじゃ、今日はありがとな、後輩」
「うん、またね、センパイ」
カッコつけて帰ろうとしたら厭味ったらしく「先輩」と返されてしまった。まぁ、それだけ元気があれば大丈夫だろう。
松原に別れを告げ、マンションを後にした俺は、駅前へ戻り、例の映画館に差し掛かった。
(イツキ、これからどうするの?)
思念を使ってエルが聞いてくる。
「決まってるだろ」
俺は、口に出して答えた。俺の目的は一つだ。妹と晴香ちゃんが搬送されたであろう病院へ行きたい。だから、搬送先の病院について聞き込み調査だ。
映画館での出来事は結構な騒ぎになったようで、夕方の今でも野次馬がチラホラといる。映画館はバリケードが張られ、入ることが出来なかった。お、いたいた。警官が数人、見回りをしているのが見えたので、俺はそのうちの一人に声を掛けた。
「すみません、聞きたいことがあるんですが」
「はい、どうしましたか」
「今日ここで起きた事件に知人が巻き込まれたみたいで……。それでその、被害に遭った人ってどうなったんですか?」
「全員、病院へ運ばれました。被害の規模等の詳細はお伝えできないのですが……」
「ああ、結構です。病院ってここから近い総合病院ですか?」
「そうですよ」
「わかりました、ありがとうございます」
まぁ、一般に地方都市には大病院が幾つかあるが、この街でここから近いのなんて一つくらいしかない。流石に徒歩では遠すぎるので、バスを使って移動することにした。
・・・
病院に着いたが、院内は少々騒がしかった。看護師がひっきりなしに廊下を行ったり来たりしていた。あれだけの人間が運ばれたんだ。よくもまぁこの病院だけで賄えるよな。
俺は病棟のナースセンターまで向かい、妹の病室を尋ねた。俺が兄であるとわかると看護師さんはすぐに案内してくれた。
双葉の部屋だけ個室だった。様々な医療機器が双葉に取り付けられていた。案内してくれた際に一緒についてきてくれた医師が容態を説明してくれた。被害に遭った他の患者よりも重体らしく、少しずつ衰弱していっているらしい。意識はなく、眠っているのだが、とても苦しそうな顔をしていた。
「双葉……」
俺は妹の手を握った。それは驚くほど冷たかった。何もしてやれなかった自分が酷く嫌いになった。絶対に魔導書を取り返して、助けてやるからな――。
「越生、一月君かな?」
背後から声がした。少ししわがれた声だ。
振り返ると、チェスターコートがよく似合う、中年か、どちらかと言うと初老だろうか?テキパキと仕事をしそうな感じではあるが、かなりやつれているおじさんが立っていた。
「そうですが」
あんなことが起きた後だ、知らない人が俺の名前をいきなり呼んできたらいつにも増して警戒するだろう。俺は鞄に手を突っ込んでタブレットに触る。
「いやいや、そんな警戒せんでくれ。俺は君の敵じゃない。ただ”特殊な”事件の捜査をしているだけだ。少しお話させてもらいたいんだが」
そう言っておっさんは両手を上げながら、フランクに話かけてきた。ああ、この人は魔法とかを知っている人だ、そう感じた。
「構いませんよ」
俺は快諾した。この人は悪い人じゃない、そう思ったからだ。
「おっと、自己紹介がまだだった。すまないね。私は松原、松原和也だ。魔法省というところで勤めている」
と、チェスターコートが似合うおじさんは手を差し出してくる。それに応じて俺も手を差し出し、握手を交わす。マツバラ?さっきまで一緒にいたモッサリ頭を思い出す。
「魔法省? 省って国土交通省とか文部科学省とかの省か?」
このおっさん、とても気さくそうなのでつい敬語を使わなかったが……、まぁいいだろう。
「そうだとも。魔法省は公にはされていないが、実在する省庁だ。国によって組織された機関だよ」
あまり気にしていないようだ。このままでいいみたいだ。
「国によって?」
そうか、国の機関なんてものがあるのか。確かに、大学で講義があるくらいだ。それに魔法は見たところ相当な危険因子でもある。これを国が関知していないはずはないだろう。少しカフェで考えていたことが本当の事になってきた。なるべくそうならないで欲しいが。
「そう、国家の機密機関だ。私はそこで魔術の絡んだ事件を捜査している。刑事さんってわけだ」
そう言って、このおじさんは手で銃の形を作って腕を引いた。
「その魔法省では他にどんなことをしているんだ?」
「そうだな、魔術の研究から、魔法使いの育成もしている。越生くん、君が大学で受けた講義は国のカリキュラムが元になっているはずだ」
なるほど、俺が大学で胡散臭い教授と接吻しそうになったことまで知っているわけか。それなら……。
「もちろん、君が今日、映画館で黒いピエロと対峙していたことも知っている」
「はぁ……」
心を読まれたかのようなタイミングで言われた。
「君が戦ったあのピエロはテロ集団、『ピース・メイカー』の一員だということは判明している」
「その、『ピース・メイカー』ってのは何なんです?あのピエロもあの時そう言っていて」
「我々魔法省の人間はテロ組織だとしているが、本当の所、何が目的なのかわかっていないんだ。テロリズムっていうのは目的があってこそだからな。ただ破壊していっているだけとしか思えんが」
と、松原と名乗る刑事は顎に手を当てて、少し渋い顔をした。昔何か悪い出来事でもあったのだろうか。
「私がこの魔法省で刑事の真似事をするようになったのは、昔、魔術が絡んだ事件に巻き込まれて妻が行方不明になったからなんだ。『ピース・メイカー』が絡んでいた事件かどうかはわかっていないが、こういった事件は決して許されないことだ。魔術は人の為に使うべきなんだ。」
少し力強く言って、そのまま力強い瞳を俺に向けた。ああ、この人はとても情熱的な人なんだ、と思った。
「越生くん、君はどうして君の妹を放っておいたのか。どうしてそのまま逃げるようなことをしたんだ」
一番聞かれたくない事を聞かれてしまった。
「それは――」
俺は口籠ってしまう。松原日和を助けたとはいえ、妹や晴香ちゃん、映画館にいた人々を置いて逃げた。それは事実だ。
――怖かった。
あの場から一秒でも早く逃れたかった。
――妹を置いてでも。
そう思ってしまう自分を嫌悪した。いつでも自分は無力なのだ。誰かを助ける事はできても、いつも妹にまで届かないのだ。
それでは意味が無いのだ。
その無力な結果がこれだ――。
病室のベッドで眠っている妹の姿を見た。
「……すみません」
謝る事しか出来なかった。なんて情けないんだろう。
「いや、こちらこそすまない、個人的にはとても感謝してるんだ。私の娘を助けてくれたのだからね。ありがとう」
「娘?娘ってやっぱりマツバ――日和さんですか?」
何故か敬語に戻ってしまった。
「そうだ、日和は私の大切な一人娘なんだ」
松原という名字からもしやとは思っていたが、やはりそうだったのか。
「日和さんなら無事です。先に家に帰ったみたいです」
まさかこの親バカそうな人の前で、娘さんに連れられて家にお邪魔しました! なんて言えないので、半分嘘を付いておいた。
「そうか、ありがとう。ところで私がこのような職業に就いている事は、娘には内緒にしてほしいんだ」
「どうしてです」
「だってこんな危険なことに父親が関わっていると知ったら娘が心配するじゃないか」
「…………」
やはり親バカみたいだ。親はみんなそうなのだろうか? まぁ、うちの息子娘を置いて海外へ高飛びする親を見たら違うと言えるな。
「あの、おっさん、実はもう一人、知り合いのお見舞いに来たんだが」
親バカ認定してしまったからか、またタメ口を効いてしまった。勝手に口調が変わってしまうのだ。このおっさんとはどんな距離で話したらいいのかよくわからない。普段はそんなことないのだが。変なところでペースを崩される。
「わかってる。藤島晴香ちゃんだろう、彼女は隣の四人部屋にいる。案内しよう」
意識のない妹の手を取り、魔導書を取り返して助ける事を誓い、病室を出た。その後、晴香ちゃんのいる病室へ案内してもらった。晴香ちゃんはスヤスヤと眠っているようだった。妹ののように苦しそうな表情はしていなかった。
「この子の容態はさほど悪くない。魔術によって眠らされているだけだ。人の体に流れる魔術回路の循環が悪くなっているだけ。まぁ、大体二日あれば目が覚めるだろう」
おっさんはそう教えてくれた。よかった、晴香ちゃんは直に良くなるみたいだ。
俺は松原のおっさんと別れ際に連絡先を交換し、病院を後にした。別れ際に、
「ありがとう、おっさん」
と感謝すると、
「俺はおっさんって言われるほど老けてないんだけどなぁ……」
と、少しぼやいていた。
バスの中でずっと話していなかったエルが、脳内に直接話しかけてきた。
(あのハルカって子、わたしに似てるよね?)
(ああ、そう言われてみればそうだな)
確かにエルと晴香ちゃんは髪型、髪色は違えど瓜二つな気がする。エルは晴香ちゃんを少し幼くした感じだろうか。まるで姉妹のようだ。まぁ、どうでもいい話だが。
とりあえず今日は帰って、寝よう。疲れがどっと押し寄せてきたので、俺はバスの揺れに任せて目を閉じた。
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