第13話 縁日に漂う雲Ⅰ
・・・
――微睡みの中で、あたしはある縁日の日を思い出していた。
あたしが幼い頃に住んでいた田舎町では、八月上旬に近くの神社で縁日が催されていた。
あたしは縁日が好きだった。毎年お父さんとお母さんを引っ張って、金魚すくいや輪投げを楽しみ、よくリンゴ飴を齧っていた。
小学校三年生の八月、あたしはまた、両親と一緒に近くの神社まで歩いていった。家から神社までは歩いて五分程度だ。その間の道のりは田舎の田んぼ道で、街灯は一切ない。明かりは星だけだった。あたしはそこを歩くのもちょっとスリリングに思えて好きだった。
「ねぇねぇ、お母さん、神社に着いたら最初にお参りしようね」
「そうね、何をお願いしようかしら。ねぇ、和也さん」
お母さんはお父さんに話を振る。お父さんは手を顎に当てて考えてから、
「んー、日和が明るく元気な子でいられますように、ってお願いしようかな」
「それはいいわね、私も和也さんと一緒にお願いしよーっと」
「えーっ、あたし明るいもん!元気だもん!だからお父さんもお母さんも違うことお願いしてよー」
ジタバタと、脚をばたつかせながら言った。
「そうねぇ、考えておくわ。日和は何をお願いするのかしら?」
「あたしは妹か弟が欲しい、ってお願いする!」
そう言うと、何故かお母さんは歯切れ悪く、
「あらまぁ、で、ですって和也さん」
また、お父さんに話を振った。
「そ、そうか、日和は妹か弟が欲しいのか、コウノトリさんが運んできてくれるといいなぁ?」
「うん!」
あたしは元気に返事をした。お母さんがお父さんのことを見て顔を赤らめていたが、対してお父さんは苦笑いをしていた。
「おっ、神社が見えてきたぞ、ほら、日和。あそこに鳥居が見えるだろう」
「とりい?なぁに、それ」
「鳥居って言うのは神社の門のことだよ。ここを入ったら神社ですよーってわかりやすいように置いてある目印だ」
「へぇー」
「日和、また一つ物知りになっちゃったな!」
「うん!」
元気よく返事をするのがあたしの取り柄だった。
「ほら、もう中が見えてきましたよ、結構混んでるわねぇ」
お母さんが鳥居を潜る前に言った。あたしはまだ背が低く、人がたくさんいて前が見えなかった。
「お参りするのはもう少し経ってからの方がいいかもしれないな」
「そうね、日和、最初は何がしたい?」
お父さんの提案に同意したお母さんは、あたしに聞いてきた。
「えーっ、お参り出来ないのー?」
あたしは口を尖らせて言った。
「できるわよ、でも今は人がいっぱいだから、屋台を回ってから行きましょ?」
「うん、わかった!あたしリンゴ飴食べたい!」
なんだかよくわからなかったから、とりあえずわかったと言って、とりあえず欲しいものを言った。
「リンゴ飴かー、全部食べたら虫歯になっちゃうぞー?」
お父さんはあたしに言う。
「ちゃんと寝る前に歯磨くもん!」
「そっか、偉いなー日和は。お父さんなんかガキの頃は歯なんて全然――」
「こら、和也さん、日和に悪いこと教えちゃいけません」
お母さんがお父さんを叱る。お父さんはやんちゃだったらしく、そのことをあたしに話すといつもお母さんはお父さんを注意した。お父さんの話を真似して、あたしにやんちゃが伝染ると思っていたのだろう。
「あーっ、お父さん怒られたー」
「ハハハ、悪い悪い」
と、お父さんは苦笑いをしながら後頭部を掻いた。気まずくなった時のお父さんの癖だ。
リンゴ飴屋さんは比較的空いていた。とりあえず、と、お父さんがリンゴ飴を一つ、買ってくれた。
「ほら、日和、リンゴ飴だぞ」
お父さんはリンゴ飴をあたしに差し出した。それはとても大きく見えて、とても一人で食べられそうになかった。
「口を汚さないように、綺麗に食べるのよ」
あたしはそんなお母さんの忠告を聞かずにリンゴ飴を頬張った。カリカリと音を立てて割れる砂糖のコーティング。
「あらあら、ポロポロこぼしてるじゃない」
お母さんが微笑ましく言った。
「おいしいよ!お母さんも食べる?」
あたしはベタベタとした口でそう言いながら、持っているリンゴ飴をお母さんに差し出した。
「まぁ、いいの?」
「うん!」
「それじゃ、一口」
お母さんは髪を耳に掛け、浴衣の袖を抑えながらリンゴ飴に齧り付く。カリッと音を立てる。
「あーっ!一口大きい!」
小さいあたしから見たらお母さんの一口は大きく見えるのだった。ぶーぶーと文句を言う。
「ごめんごめん、でも美味しかったわ。和也さんもどう?」
「お父さんはダメー!なくなっちゃうもん」
「えーっ、くれないのか?そりゃないぜ日和ィ……」
お父さんは凄くがっかりしていたので、
「はい、ちっちゃい一口ならいいよ」
と、あたしは渋々リンゴ飴を渡した。
「ありがと、日和」
お父さんは少しだけリンゴ飴を囓った。それでもあたしには大きな一口に見えた。
「あーっ!お父さんも一口大きいよー!」
「ごめんごめん、はい、後は全部食べていいから」
「うん!」
あたしには大き過ぎると思われたリンゴ飴はすぐに無くなった。口の周りを砂糖でベタベタにしながら食べた。
「おいしかった!」
あたしは両親に言った。二人とも笑顔になった。
「あらまぁ、舌が赤くなってるわねぇ」
「ほんとだ、ハハハ、日和、鏡見てみなさい。今日子、鏡持ってるか?」
「持ってるわよ、ほら、日和、見てみなさい」
お母さんが鏡を巾着から取り出して見せてくる。口の周りから舌まで真っ赤になっていた。
「わーっ、ホントだ、真っ赤だ」
「はい、ティッシュあげるから口の周り拭きなさい」
「うん、でも舌はどうしたらいい?」
あたしはお母さんから貰ったティッシュで口を拭いながら聞いた。
「そうねー、何か飲み物飲んでれば赤いの取れるわよ」
「何か飲み物買ってこようか?ここは混んでるし、どこか近くの自販機で買ってくるが」
「あたしジュースがいい!」
「また甘い物か?ほんとに虫歯になっちゃうから日和はお茶な」
「えーっ」
「じゃあ私もお茶がいいかしら」
「わかった、すぐに買ってくるからここで待っててくれ」
そう言って、お父さんは自販機へ向かった。ここから一番近い自販機は歩いて五分以上かかる。田舎なんてそんなものだ。
「うーん、和也さん、待っててくれって言ったけど、暇になっちゃうわねぇ」
「そうだね、お母さん、そこの金魚すくい空いてるから一回やって来ようよ」
と、あたしはお母さんを引っ張る。浴衣姿のお母さんは歩きづらそうにコンコン、と下駄を鳴らしていた。
「ねぇお母さん、浴衣って動きづらいの?」
あたしは気になってお母さんに聞いてみた。
「そうね、日和も着てみたらわかるわ。来年は日和も浴衣デビューしちゃおっか」
「うん、着てみたい!」
「そうね、私のお下がりがあるからそれを着てみましょ、楽しみね」
「うん!」
あたしはお母さんの浴衣姿が好きだった。お母さんは凄く綺麗で、あたしの憧れでもあった。そんなお母さんと同じ格好ができると思うと、とても楽しみだった。
来年の縁日にもワクワクしながら、あたしとお母さんは金魚すくいに挑戦した。しかし、ポイはすぐ破れて、二人とも一匹も掬えなかった。
「うー」
「お嬢ちゃん、一匹サービスしてあげる」
「あらまぁ、ありがとうございます」
あたしがよほど悔しそうにしていたのか、屋台のおじちゃんが金魚を一匹くれた。お母さんがあたしの代わりにお礼を言う。
「ありがと、おじちゃん」
「いいってことよ」
あたしもそれに続いてお礼をする。屋台のおじちゃんは快く返事をする。
「わぁ、綺麗だね、お母さん」
あたしは金魚をお母さんにも見せた。金魚は狭い水の中でゆらゆらと浮いていた。
夏の夜風が涼しい。金魚が入ったポリ袋がチラチラと屋台の光を反射して、まるで夢の中にいるかのような、フワフワとした気持ちになった。
だけど――。
忍び寄る影は少しずつあたし達に近寄っているのだった。
この時はまだフワフワとした日常が続くと思っていた。
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