第11話 エル


・・・



 ユサ……ユサ……


「んっ……」


 揺れが心地よかった。あたたかくもどこか硬い感触がした。お父さんみたい。


「―い。起―て――れ」


 何か鼻に付くような不思議な香りがする。でも、なぜか嫌じゃない香り。


「おい、起きてくれ」


「……んっ?」


 声がして、目が覚めた。しかし、目の前は真っ黒で、足が地面についてない。


「え、あ、あれ?!どうなってんの?」


 理解が状況に追いついていない。


「起きたか……松原、これからどうする。映画館から逃げてきてしまったわけで、こいつが言うには――」


「ってあたしおんぶされてない?」


 下ろせーっ!バタバタバタバタ。


「うわっ!あぶねぇ!」


「下ろして!恥ずかしいから!」


「こんな駅前で暴れんな!ただでさえ目立つのに、余計目立つだろ!」


 そう言われて辺りを見回すと、通行人という通行人があたし達を見ていた。中にはスマホのシャッターを切る人も……。


「あ、ぅ……」


 は、恥ずかしい。とりあえず大人しくして、下ろしてもらう。そそくさとその場を退散し、どこか人気のない狭い道へ向かった。


「松原、さっきの話だが、こいつが言うには俺達は魔法の使い過ぎでかなり消耗しているらしい。ひとまず休憩をすべきだって話だ」


 こいつが〜と言いながらタブレット端末に映る謎の少女を指差す。少女はニコニコしている。やっぱりこの子、とっても可愛い。ちょっと憎いくらいだ。


 あたし達はさっきまであの映画館で非日常を演じていた。今は警察も来てる頃だろう、みんな無事なはず。だけど映画館から少しでも離れたい。


「それじゃ、あたしの家まで来て、今は誰もいないはずだから」


「いいのか?それに家近いのか」


「うん、そこだよ」


 あたしは目の前のそこそこ大きなマンションを指差して言った。


「でかいな、何階建てなんだ?」


「二十階建て。あたしの家は八階の三号室」


「わかったが、本当にいいのか?」


「なんでそんなに聞くの、そんな困ることでもあるの?」


「俺一応男なんだが……」


「うん」


 越生くんは男の子、あたしは越生くんを自分の家に連れ込む。連れ込む?言い方が悪い、じゃあ家で休憩する?いやいやいや。


「――っ!」


 って、ええーっ?これって、アレだよね?アレ、イチャイチャ的な、いやでも考えちゃだめ、今は緊急事態なんだから!


「行くよ!越生くんっ!」


「って、え?ああ……」


 あたしは越生くんの顔を見ないようにしつつ、彼の袖を引っ張ってマンションに入った。



・・・



 半ば強制的に松原の家にお邪魔することになったのだが、乗り込んだエレベーター内ではとても気まずい雰囲気が支配していた。とても話出す事はできない。早く八階に着いてくれ。


(ねぇ、イツキ、マツバラどうしちゃったの?顔赤いけど……、やっぱりイツキがおぶってた方が良かったんじゃない?)


 空気を読んだのか読んでないのか、タブレット端末内の少女が思念で会話してきた。色々と詳しいやつみたいだが”そういうこと”には無頓着なようだ。


(まぁ、とりあえず黙ってような)


 俺はこの馴れ馴れしい少女に思念を返し、やれやれと目を伏せて溜息をつかない代わりに眉間に皺を寄せた。


(えー、はーい)


 少女は渋々返事をした。


 エレベーターを降り、松原の家の扉の前に辿り着く。松原はぎこちない動きで鍵を開けて手招きした。


「ど、どうぞ……」


 ぎこちない仕草がなんだか可愛く見えた。ちょっとからかいたくなってくる。


「お邪魔します、で、松原の部屋はどこだ?」


「ええっ、あ、あたしの部屋行くの?そ、そこの扉だけど……、って勝手に開けちゃダメ!」


 松原が指差した扉のドアノブに手を掛ける。松原は慌てて手を掛けたドアノブを押さえる。すると、俺の手に松原の手が被る事になる。


「あの……手」


「あっ、ってわわわわわ!うぎゃ!」


 松原は驚いて手を離し、尻餅をついた。びっくりするくらい反応が良かったけど、ちょっとやりすぎたか?


「大丈夫か?」


「イテテ、うん大丈夫。ってあれ?立てない」


 腰を抜かしたみたいなんだが……。おいおい。


「手、貸すぞ、ほら」


「ありがと」


 松原の手を掴んで引き寄せた。結果的に抱き寄せるような形になってしまった。ああ、マズイ。もう暴れ出さんでくれ、と思うがそうはいかないだろうな……。


「えっと。その……」


 眼前のゆるふわパーマは少しモジモジしながら俺の胸に額を当ててくる。おい、なんだこいつは。


「ど、どうした?」


「あの、ちょっとこのままでもいい?」


 あーダメダメ、いかんぞーこれはいかん。


「構わないが」


 理性が負けた。いい匂いするんだもん。


「ありがと」


 また感謝された、心拍数が上がる。松原に抱きつかれたまま俺は直立不動になっていた。どうする、どうしたら良いんだ……。ちょっとからかおうとか思ってたのがいけなかった。

 

 匂いが、感触が、いろいろと……ヤバい、手を回しそうだ、こうなったら素数を数えるんだ、1,2,3,5,7,8,9、12……


(全然素数になってないんだけど!!)


 手をロボットのように伸ばしてガクガクしながら固まっていると脳内にツッコミが炸裂した。


「こ、コホン。お二人とも良い雰囲気でいらっしゃるようだけど――」


「あ」


「うっ」


「わたしがいるのを忘れてませんこと?」


 鞄から声がした。少女のものだ。


「イチャイチャするのは良いんだけど、イツキ、マツバラ、これから二人にはわたしの特別講義を受けてもらうよ!」


 松原が顔を赤くして俯いていたが、俺も同じくらい赤面してるに違いない。


 結局俺達は松原の部屋で体を休ませつつ、少女の話を聞くことになった。少女曰く”講義”らしいが、こんな見た目小中学生みたいな少女が講義してくれるだなんて、まったく、有難いことこの上ない。


 俺は松原の部屋の座椅子に座り、タブレット端末をテーブルの上に置き、スタンドを使って立てた。松原は自分のベッドに腰掛けたので、松原に見えやすいよう、タブレットを斜めにした。


「それでね、特別講義って言っても、まぁ、わたしの事なんだけど」


 タブレット端末の中にいる少女が話し出す。まぁそうだろう、話す内容はそれに尽きる。俺もこの謎の少女の正体が知りたい。


「そうだ。お前はなんだんだ?召喚精霊とは言っていたが……」


「先に名前を教えておくね、これ以上お前お前って言われるのはイヤなんだから。わたしはエル、ある使命を受けて、この世界から遠いところから来たの。」


 少女はちょっとむっとしながら答えた。余程お前と呼ばれるのが嫌だったのだろうか。


「ある使命?遠いところ?」


「使命って言うのは大雑把に言えばあなた達魔法を使う人の監視。この世界から遠いところってのは正しいのかわからないけど、わたしはもっと高次元の世界の住人なの」


「あたし達の監視って、どうして?」


 松原が聞く。


「マツバラ、あなたは今、魔法を使えるようになった。じゃあマツバラは魔法をどんな事に使いたいと思う?」


「うーん、わかんない。でも、映画館で越生くんを助けた時みたいに魔法で人を救えるならそうしたいな」


「そうだね。でも世の中にはマツバラみたいな人ばかりじゃない、あの真っ黒なピエロみたいな、自分だけの目的の為に魔法を使う人間もいるの。あのピエロはなんのためにフタバの魔導書を奪っていったのかわからないけどね」


「双葉はなぜその魔導書とやらを持っていたんだ?妹は魔導書を抜き取られて無事なのか?」


 クソ、妹を思い出して拳に力が入る。


「なぜフタバが魔導書を持っていたのかはわからないわ。それからフタバは無事だよ、あのピエロが奪ったのはフタバが持つ二つの魔導書のうち一つだけだから」


「そうなのか?」


「うん、あのピエロは『蛇の書』と言っていたの。だからフタバは確実にもう一冊、魔導書を持ってる」


「もう一冊?」


「『蛇の書』って言うのは対になる魔導書があって、必ずセットなのよ。同じ本のタイトルの上巻と下巻みたいなものね」


「そのもう一冊の魔導書は――」


「『鷲の書』。一般に魔導書は膨大な魔力を有しているの。この対になる魔導書は片方が離れると形を維持出来なくなって、徐々に消失していくの。魔導書は防衛機構として、その莫大な魔力を放出してある程度の期間単独でも形を維持しようとするの」


「なんだか生き物みたいだな」


「フタバは魔導書を抜き取られた時、魔力干渉を受けて彼女の魔力回路に大きなダメージを負ったけど、今彼女の身体に残った『鷲の書』の防衛機構によって放出される魔力が、双葉の魔力回路を一時的に修復して、一命を取り留めてるところだと思うわ。出血したときに、血小板が傷口を塞いで止血するようなものよ」


 思うわって、よくもまあ予想でモノを言うエルに少し憤慨するが、俺には何もわからない。彼女の話を信じて安心するほうがいい。


「ただ、失われた魔導書があったところはぽっかりと穴が空いてるようなものだから完全に再生できない、魔導書をもとに戻さない限りね」


「そもそも魔導書ってのは独立しているわけじゃないのか? どうして取られただけで妹の身体に影響があるんだ?」


 まだ魔導書というものがよくわからない。多分奥が深いものなのだろう、しかしその形さえわからないというのは問題だ。


「魔導書っていうのはね、もともとわたし達みたいな高次元の世界に住む人――、ここが地上界なら天界って呼ぶ人もいるけど……、いわゆる天界人が扱うものなの。本来ならこっちの人には手にすることさえ出来ないんだけど、ある特殊な方法で魔導書と人を結びつける事ができるんだよ」


 特殊な方法……?天界人と人はそんなにも違うのだろうか。


「それはね、著者と契約をするの。魔導書は複製の利かない唯一の物。著者の記憶の断片と言ってもいいわ。そして、人は自分の記憶と引き換えに魔導書を譲り受けることが出来るの。そうして人に結びついた魔導書は人の魔力回路や記憶、全てに影響を与える。だから魔導書を奪われて、フタバ自身にも影響があった」


「なんだって? そうしたら妹はその著者と契約を交わしたということになるのか?」


 お兄ちゃんはそんなこと聞いてないぞ。


「ううん、残念ながら今回の事例はわたしにもよくわからないの。フタバが持っていた二つの魔導書―『蛇の書』と『鷲の書』―は、著者が不明なの。恐らくもうこの世にはいないと言われているわ。著者がいなくなってしまった魔導書は、それだけでも独立して生き続けるんだけど、それらは天界の”魔導図書館”に保管されているはずなの。だけど、どうしてフタバがあんなものを持っていたのかな」


 随分と壮大な話になってきた気がするな。聞けば聞くほど謎が増えていくようだ。


「しかし、魔力には魔力相ってのがあるんじゃないのか? もし魔導書のそれが妹のものと違ったら良くないんじゃ」


「魔導書の持つ魔力の色は、マツバラの魔力相みたいに特殊なの。だから良くないってことはないよ。大丈夫、安心して」


 そう言って、エルは俺を宥めてくれた。


「エル、その話は一旦置いておくとして、少し他の質問をしても質問してもいいか?」


 さっきの話を続けたかったが、もう一つ重要なことを聞く機会を逃してしまいそうだったので、そっちの質問をしよう。


「お構いなくー」


「天界ってのはなんだ?どんなところなんだ?」


「そうね、この世界に該当する言葉を使うならわたしは天使のような存在なの。この世界より高次元な、まぁ、天界だね。天界にはキミ達と同じように人が暮らしているわ。天界人も見た目はこっちの人と同じだよ。ただ、キミ達みたいに科学技術による文明じゃなくて、魔術が文明を発展させているの」


「そうなのか、つまり魔術は科学技術の延長線上にあるのか」


「そうなるのかな?まぁ、その辺は議論の余地がありそうなんだけど。ともかく、わたし達高次元の世界の住人はこの世界に顕現することが出来ないの。逆もまた出来ないわ。基本は互いに不干渉なの。このタブレット端末はわたしの魔力波長と合うようにチューニングされていて、これを介することでこの世界に存在できるようになったの。ただ、問題があって……」


「問題?」


「タイムマシンは未来には行けるけど、過去には戻れないのはわかる?」


 まぁ、簡単に言えば光速で移動すると未来に行け、光速より速く移動すると過去へ戻れると言った話だろう。現実味はないが。光より速いものが存在しないから過去へ戻れないってわけだ。


「今そんな状態なの。天界からこっちには来られたものの、こっちからは天界へ行く術がないの」


「じゃあ、俺のタブレットにずっといるしかないってことか?」


「そうなるね……」


「なんてこった……」


 これからずっとエルに監視されてなきゃいけないのか……。


「それと、この端末を介してだと、この世界に完全に顕現できてないでしょ、だから映画館でやったみたいに、イツキの魔力を使って限定的に顕現することが出来るの」


「なるほどな、大体わかった」


「うーん、チンプンカンプン……」


 松原が難しそうな顔をして頭を抑えている。目を三の字にして頭の上にはてなマークを浮かべているのがちょっと可愛く見えた。


「そういえば、俺のタブレット端末がチューニングされていてって言ったな?俺はこれをそうやって弄った覚えはないぞ?誰がやったんだ?」


「それはこのアプリケーションの開発者を見てみるといいよ、同じ人がやってるから」


 ホーム画面でゆらゆらとしているエルがあの時映画館で使ったアプリケーションを指差す。


「ほう、それじゃ、失礼して」


 俺はそれを開いて開発者の欄を確認した。


 そこには、『SOUICHIROU OGOSE』と書かれていた。俺の親父の名前だ……。

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