第10話 In the dusk

 


・・・



 越生くんは倒れてしまうし、双葉ちゃんもピエロの蛇に噛まれて倒れてしまった。晴香ちゃんはずっと眠ったままだ。

 

 あたしはシアターの座席にしがみついてなんとか立っていたけれど、恐怖でそのまま座り込んでしまった。腰が抜けちゃったみたい。


「さぁて……、確かに『蛇の書』は頂きました。ではでは、退散しましょうか。ちょっと派手にやりすぎてしまった感はありますが……。まぁ、良しとしましょう」


 そう言って、黒いピエロは青紫の影に包まれたかと思うと、いなくなってしまった。


「ねぇ、起きて、起きてください!」


 近くに倒れている人を揺さぶり起こそうとしたが、全く反応がない。みんな意識がないんだ。あたしは一人一人確認していった。倒れている人達は揃って深い眠りについている。晴香ちゃんも双葉ちゃんもそうだ。


「越生くん?大丈夫?意識はある?」


 やっと立ち上がれたので、最後にシアターの入口まで歩いていき、倒れている越生くんに声をかけた。


「うぅっ……」


 越生くんは反応があった。そうか、あのピエロに眠らされたわけじゃないんだ。


「待っててね、今運んであげるから」


 とりあえず外に出たほうがいいと思った。ここの空気は淀み、殺伐としていた。誰かの足音一つで気が狂いそうだった。


「うっ……重い」


 あたしは越生くんを背中に背負った。流石に男の子の身体は重い。でも、一人でも助けなきゃ。反応がある彼を置いて行けない、いや、置いて行きたくない。一人で逃げるのが怖い。


 また襲われるんじゃないか、まだあのピエロのような誰かがいるんじゃないか――。

 

 疑心は暗鬼を生じ、吐き気と目眩を催す。


 とにかくこの場を離れたい。その一心で劇場内の非常口へ向かう。非常口の扉を開けると、薄暗い通路になっていた。


 ――バタン。


「きゃあぁあああっ!!!!」


 扉が閉まる音に驚いて叫んでしまった。暗い、怖い、どうしよう、越生くん、起きて――。


 背負っていた越生くんを下ろし、あたしは座り込んだ。目を瞑り、耳を塞ぎ、蹲った。もう動けなかった。逃げたい、そう強く願うだけだった。


 パチ、パチ――。


「なにっ?!」


 塞ぐ耳越しに何かの破裂音が聞こえてきた。もうなんだかわからなかった。また襲われるのだろうか。


 パチパチパチパチパチ――。


 破裂音は徐々に大きく、速くなっていった。


「あったかい……?それにこの匂い」


 いつの間にかズボンのポケットが温かくなっていた。それから、どこか懐かしいような、それでいて甘い香りがするのだ。


 ポケットに手を入れると、ふわふわした感触がした。これは綿? でもどこかベタベタする。


「わたがし……!」


 そうだ、これは綿菓子だ、手にとって、舐めてみた。甘い。綿は舐めたところからジワジワと縮んでいく。間違いない。


 すると、さっきまであった吐き気と目眩が嘘みたいに消え去った。恐怖感や閉塞感までなくなったのだ。


「これって、もしかして……」


 あたしの魔法なの?


 綿菓子って、嫌だなー、ベタベタするんだもん。


「ふふっ」


 さっきまで恐怖してたのに舐めただけでこんな呑気なことを考え出していて、吹き出してしまっていた。これはきっとあたしの魔法なんだ、これを口にすれば元気になる、みたいな効果があるのかもしれない。


「あっ、そっか、それなら……」


 綿菓子を越生くんの口元に持っていくと、スゥー、と吸われるように消えた。


「くっ……」


「越生くん?!」


「まつば……ら?」


「そうだよ!よかった!」


 目が覚めた!あたしは安堵と、嬉しさと、いろんな感情がもういっぱいに溢れて、越生くんに抱きついた。


「おわっ!」


「えっ?!」


 越生くんはあたしを支えきれず、そのまま後ろに倒れ込んでしまった。


「あわわわわ」


 傍から見たら越生くんを押し倒してるみたいになっていた。ちょっと待って、そういうんじゃなくて……。


「まままま、まって、今退くからっ」


「お、おう」


 薄暗いところでよかった。ここが明るかったら顔が赤いのがバレてた。


「見ちゃった〜」


 どこからか、電子音だろうか、人の声に近い音が聞こえてきた。


「誰?!」


「ああ、こいつだ」


 越生くんは冷静に、タブレット端末の画面を見せてきた。そこにはさっきのピエロと戦っていた制服姿の蒼い髪の少女が映っていた。凄く可愛い女の子だった。ちょっと見とれてしまう。


「イツキ、この子、体温が上昇してるよ、熱なのかな?」


「そ、そういうことじゃないと思うぞ」


 蒼い髪の少女は本気であたしを心配するので、越生くんは少しどもりながら返した。


「やははは……」


 あたしは苦笑してやり過ごした。



・・・



 結論から言うと、俺は松原に助けられたようだった。松原は綿菓子のようなものを手にしていた。


「それは魔力の塊だね、回復効果がある」


 と、蒼い髪の少女が言った。俺と松原は話し出すタブレット端末を見た。


「イツキ、わたしがあの時言った『魔力干渉の結果は崩壊』って奴の例外だよ。この甘いお菓子は供給型の魔力にできる、つまりどんな性質も傾向もない、また言い換えるなら混じりけのない純粋な魔力なんだ」


「純粋な魔力?」


 松原が反復した。


「そう、例えばイツキの魔力は青白いような、水色のような色をしてるでしょ、これはわたしの髪の毛に表れてるね?」


「そうだな」


 たしかにそうだ。そういえば、四番シアターの扉を叩き割ったあの時、見えた文様の色は青紫だった。


「動物や人、植物まで、全ての生きとし生けるものに流れる魔力にはそれぞれ異なった”色”があるの。それを魔力相って言うの。動物や植物だと種によって決まった魔力相をしているんだけど、人間は個々によって色が違うの」


「それは、同じ色を持った人間もいるってわけか?」


「そうよ、その同じ魔力相を持った人間同士は魔力の受け渡しができるの。魔力は無限じゃないわ、人によって宿している量は違うし、使わなければ回復していくのだけど、その回復量もまちまちなの」


「なるほど、じゃあ、松原のこれは何色にも染まるってことか」


「簡単に言えばね。さっきまでイツキが倒れていたのは魔力切れってところよ。詳しくは場所を変えて話すよ。今、このタブレットで一一〇番に繋いだから、そろそろ警察とか救急とか来ちゃうかも」


「おい!双葉や晴香ちゃんはどうするんだ!松原のこれを使えば起こせるんじゃないのか」


 俺は松原が持つ綿菓子を指差した。


「いくら回復できるからと言ってもこれはマツバラの魔力が元になってるの。だからそんなに大量にできない、マツバラが倒れちゃうよ」


「そ、そうか……」


「それに、あのピエロの魔力は何処か毒のような性質を持っているみたいなんだよ。戦闘時に蛇の牙をかけられたけど、あの時魔力がジワジワとなくなっていくのが感じられたんだ。わたしは咄嗟にここに戻ったから良かったけど、多分マツバラの綿菓子を食べさせても目が覚める程回復したりしない」


 ここ、と画面を指しながら少女は言う。


「じゃ、どうすればいいんだ」


「安静にするのが一番だよ、だから警察と救急を呼んだの。病院へ連れてって貰って寝かせておくのが最善」


 またしても何もできないってわけか。チクショウ。


「ハァ、ハァ……」


 俺が悔しがっていると、隣に座る松原が寄りかかってきた。


「どうした?大丈夫か」


 息が上がっている。もしや、と思い額に手を当ててみる。熱い、熱が出ている。さっきの冗談が本当になってしまった。


「魔力をあげ過ぎたせいね、イツキ、マツバラを背負って。行くよ」


「え?ああ、わかった」


 少女に言われるままに、松原を背負って薄暗い非常用通路を後にした。

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