第9話 道化と舞う
劇場内の真ん中には真っ黒なとんがり帽子とマントを羽織った影が浮いていた。
「おい!待て!」
俺は反射的に叫んだ。その影は倒れている人間に何かしようとしていたからだ。
「お、お兄ちゃん……?」
「越生くん?ダメ!きちゃダメ!逃げて!」
その影の裏から声が聞こえる。妹と松原のものだ。何をされようとしているのかわからないが、ともかく狙われているみたいだ。二人が危ない。
「おやおや、魔術結界を施したはずなんですが……。どうやって入ってきたんですかねぇ」
と、黒い影はそう言いながらこちらを向く。顔は真っ白で、鼻には真っ赤なボールがついている。目は十字。大道芸でよくいるピエロのようだ。どうやら仮面を被っているらしい。シアター内の薄暗さもあってか、とても不気味だった。
「誰だ、お前。妹達から離れろ」
「すみません、もう少し待っていてくれませんかねぇ?今、彼女から魔導書を切り離しているところなんですよ」
そう言ってピエロは妹を指差した。
「なに、魔導書?」
パン、パン!
「それはいけないわ、そんなことをしたらその子は死んじゃう」
妹から?魔導書?そんなことを疑問に思っていると乾いた音が劇場内に響いた。蒼い髪の少女は持っていた拳銃を抜いていた。二発の弾丸はピエロの胴体部分に命中し、黒い影はゆっくりと地に落ちた。
なんだって、死ぬ?状況がよく理解できない。
「おい、なにやって――」
「イツキ、危ない!」
いきなり発砲した事に驚いている暇もなく、少女に押し倒された。
黒い影からは黒塗りのステッキ、それがこちらへ伸びて、先端が輪を作った。蒼い髪の少女はそれに捕らえられ、締め上げられてしまった。
「物騒ですねぇ、拳銃なんか持ち歩いて。いつから日本は銃国家になったのですか?」
クソッ、彼女も捕まってしまっては俺は何もできない、どうしろって言うんだよ。
「まぁ、魔導書を奪えれば私は退散しますから。それまでちょっと待っていてくださいねぇ」
ピエロはそう言いながら双葉の方を向く。ダメだ、妹が……。
(イツキ、諦めちゃダメ。わたしの性質を思い出して。わたしは”召喚”精霊よ?)
こいつ、脳内に直接……。まぁ、俺の魔力でこの空間に顕現させているのだ。それくらい出来るのか。
しかし、性質か。なるほど、わかったぞ。
俺は、脳内にある三人称視点のイメージを解除した。すると、蒼い髪の少女はチラチラと青白い光を発しながら消えた。
「ご明察。さぁイツキ、もう一度やるよ」
「まかせろ」
少し機械的な音質に変わった少女の声が、自分の持っているタブレットから聞こえてきた。少女はタブレット端末に戻ったのだ。次は別の空間に顕現させればいいだけだ。三点テレポートだ。
俺は目を瞑り、目の前に立つ少女をイメージした。目を開けると少女が蒼い髪をたなびかせて立っている。今回はきちんと制服を着ている。拳銃も装備済みだ。アプリのチェックボックスを解除しなければタブレット端末に彼女を戻しても消えないらしい。
あの如意棒のようなステッキをどうにかしないとな。三点テレポートを何度もやっていては、逃げることはできるが助けることは出来ない。
少女をいきなりあのピエロの前に顕現させることも不可能だ。自分を中心に半径二、三メートル程度の空間内でしかそれが出来ないみたいだ。
閃いた。俺はタブレット画面の実行ボタンに触れた。
俺は簡単なスニーカーをイメージした。ただし、ただのスニーカではない。靴底から魔力が放出される仕組みだ。
(おい、聞こえるか)
俺はさっき少女にやられたように思念を送った。送られてくるのならば送り返すこともできるかもしれないと踏んだのだ。
(うん、バッチリだよ)
伝わっているようだ。
(今からお前の靴をローファーからスニーカーに履き替える。このスニーカーの底からは魔力が噴出される仕組みだ。その推進力でここから一気にあのピエロのところまで飛ぶんだ。飛んだらまずは妹と松原を助けるんだ)
(わかった)
(ここから二人の様子は見えないが、二人は恐らくさっきお前がやられたように、そこに落ちている輪っかに捕まっていると思う。だからその銃で輪っかを撃ってくれ。その輪は魔力によって動かされているとするなら、俺の魔力で出来た弾丸をぶち込めば壊れるはずだろ?)
(そうだね、間違ってないよ。じゃあ早速やりましょ)
(ピエロの懐に入ったら二人に逃げるように言うんだぞ、準備はいいか?)
(いつでもオッケーだよ)
俺は長押ししていた実行ボタンから指を離し、出来上がったスニーカーを少女に装備させる。『40.8/128GB』と端末画面右上の表示が切り替わった。魔力噴出は……毎秒4GB!?この容量値がどんな意味を持っているのかわからないが、もし使い続けたら一分も持たないんじゃないか?まぁ、出力によって変化すると記載されている。毎秒4GBは最大出力時だそうだ。一瞬でピエロに近づければそれでいいんだ。
(いけ!)
装備されたスニーカーの底から青白く輝く光の粒が散る。それはピエロに向かって放物線を描く。かなりの速さだ、飛んでいく少女を目で追うのがやっとだった。
パン、パン!
銃声が二回鳴り響く。
「逃げて!」
ここまで一瞬の出来事だった。少女は輪を破壊したようだ。
「うん!」
双葉と松原は左右に逃げた。映画館の座席は横に長く、狭いため、二人で同じ方向へ走るのは前が支えてしまって困難だからだ。
「おや?逃げないでください?」
ピエロは粘っこい声で言った。ピエロの持つステッキの先端が蛇の頭に変わった。蛇は伸びて、双葉を襲う。
「きゃぁっ!」
双葉は叫んで、その場で尻餅をついてしまう。蛇は双葉へと距離を縮めていく。
パン、パン、パン!
少女が放った銃弾が蛇の頭にヒットし、ステッキは元の長さに戻る。
「あらまぁ、まずは貴女からですねぇ」
ピエロは少女の方に矛先を変え、再度蛇の頭を伸ばす。少女も銃で応戦するが、なかなか当たらない。靴底から魔力を噴出して飛び回り、襲い来る蛇の牙を避けていたが、脚に牙が引っかかってしまう。傷ついた脚からは青白い光の粒が漏れ、ジリジリと鈍く光った。
「ぐっ……!」
少女は歯を食い縛るが、
(ごめん、イツキ、ここまでみたい)
と思念が送られるや否や、少女は消えてしまった。
「そんな……!」
双葉は恐怖で腰を抜かしてしまっているらしい。尻餅をついたまま、動けない。
「双葉ちゃん!」
反対方向へ逃げた松原が叫ぶ。
「さてさて、越生双葉サン、大人しくしていてくださいねぇ」
そう言うと、ピエロは伸ばした蛇をそのまま双葉へと向けた。双葉は逃げる時に。蛇は双葉の首筋に牙を立てた。
「やめ――」
俺は、声が出なくなってしまっていた。どこか冷静になって、ふと我に返った途端、初めてこの事態に恐怖したのだ。この四番シアター内はもう既に恐怖が支配していたのだった。
足がすくみ、立っていられなくなった。膝から崩れ落ちたかと思うと突然激しい目眩と吐き気に襲われた。
「オェッ―」
胃液が逆流し、それを床にぶちまけた。まだ消化しきれていない昼飯が吐瀉物の中に混じっていた。それを見て俺はさっきまでの日常を思い出した。
狂気を感じた。悔しさと恐怖と絶望が一気に押し寄せ、涙が溢れてきたかと思うと目眩が酷く……。
泣かせてもくれないのか――。
――。目の前が真っ暗になった。
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