第4話 Coffee break
・・・
俺は奇妙な一限目を終えると早々に大学を去り、大学の最寄り駅近くの喫茶店でブレンドコーヒーを注文し、一息ついていた。ここは俺の行きつけの喫茶店だ。木目調のテーブルがいい味を出している。
荒んだ心を表すかのように俺はシュガースティックを一掴み取り、それを全てコーヒーに投入した。ドロドロになったコーヒーを啜ると、ドロドロになった思考は逆に澄んでいった。
魔法?そんなもんゲームやアニメの話だろ?しかし俺はこの目で見てしまった。教室があり得ないほど膨張、収縮するのを。昔、妹が「受け入れられない現実に直面した時は、夢の中で考えるの」と言っていたが、今がその時かもしれない。つまり、とにかく頭を柔らかくしろって事だ。超現実的な視点で俯瞰するんだ。タイムマシンでも、キャトルミューティレーションでもなんでもこい。
俺は目を瞑って思考することにした。
まずは目的だ。俺はなぜ魔法使いにならなくてはいけないんだろう?あの教授の言葉を思い出せばヒントは得られるはずだ。奴は国家の特別機密機関に認められた、と言っていた。つまりはこの魔法にまつわるものは国レベルのプロジェクトだって事だ。
それに科目名が「対人」戦闘魔法だった。つまり今後戦闘が起きるということだ。何を相手にするのかは皆目見当がつかないが。それにこの学生が数万人もいる大学の中で六人しか選抜されていないのを鑑みると魔法とやらは随分と大きな戦力になるらしい。この計画から逃げ出すのはリスキーみたいだ。これだけ色々な事を知ってしまってからでは逃げ出してしまえばどんな仕打ちが待っているか分からない。
俺が魔法使いだということは隠しておくべきみたいだ。あれだけ隔離して講義をしているのだし。妹や両親にさえこんなことは言外できない。まず信じてもらえなさそうだが……。とにかく、結論付けるなら目的は来たる戦闘に向けた人員確保、といったところだろうか―。
「いや、考えすぎか……?」
色々妄想するのは得意だが、行き過ぎてしまう節がある。そういうときは思考を止めるためにこうやって呟く癖がある。
もしも今考えたことが本当なら、では俺は何をすべきだろうか。それはひたすら魔法を習う事だ。それは俺が生き延びる事に繋がるだろうし、妹を守る事にも繋がる。一早く上達しなくてはならない。なんたって戦闘はいつ起こるか分からないのだ。
ゆっくり目を開ける。照明が眩しい。少し視界がホワイトアウトしたかと思うと突然目の前が暗くなった。気を失った訳ではない。眼前にはモッサリとした茶髪があったからだ。そのモッサリ頭は勝手に向かいの椅子に座っており、机に突っ伏して寝ていた。俺は脊髄反射的に奴を起こした。
「いっったあッー!? そんな起こし方ある!?」
なかなかテンプレな反応をしてくれるな。
「俺はいつも妹をこうやって起こしてるからな。デコピンは得意だ」
「いつつ……。赤くなってない?」
「お前が未婚者である事がわかるくらいには」
「どこのインド人よっ!」
「突っ込みを入れる前に自己紹介をしてくれと突っ込むのを我慢しているんだが……?」
「あたし?あたしは松原日和。あなたと同じ大学の一年生」
「一個下かよ……。なんで俺の事知ってんだよ」
しかも一個下のくせにタメで話してくるな。と思ったがさっきまで六十近い教授に「あんた」とか言っていた自分を思い出した。まぁ、どうでもいいかな。
「越生一月君。うちの大学で知らない人はいないわよ。大学を首席で入学し、二年になる現在までオールAの成績で、倒産真近だった会社を立て直すのに一役かったり、この間のノーベル賞受賞者にもその発明に関して告げ口したとか……」
「オールAまでしか合ってないな。どこまで噂が一人歩きしてるんだ?」
初めて聴いたぞ?そんな噂。誰が言い始めるんだよ、そんな事。噂するなら渋谷でスカウトされたとか、バレンタインでチョコを百個もらったとか、もっと黄色のものをだな……。
「それで、お前はなぜ俺の目の前に座っている」
そう言って、コーヒーカップを見ると、空になっていた。
「お前、コーヒー飲んだだろ?!」
「うん?美味しかったよ、キリマンジャロ」
「違う、アレはブレンドコーヒーだ!味の分からない奴がコーヒーを飲むな!」
そうは言ったものの俺自身コーヒーの味は分からないし、今回は砂糖をたらふく投入していたし、ジュースよりも甘かったに違いない。
「あたしがここに来たのはそう、挨拶をしに来たの。これからお世話になるキミに」
「なるほど、プロポーズをされた覚えはないが?」
「は、はぁ?違うってば!さっきまで受けてたんでしょう?講義!」
なぜそんな冗談で赤面するんだ……。
「講義というと、有機化学の事か?」
「はぐらかすんじゃないわ、わかっているでしょう?私も来週から一緒に講義を受けるの」
ちょっと真面目な表情になった。忙しい女だ。
「なるほど。あまり馴れ合うつもりはなかったが…こうも来られては情報交換せざるを得んな」
「あたしもね、今日、第一回の講義を受けてたの。そりゃもう驚いたわ。あんなものを見せられたらね。で、教授にあの講義を受ける他の二人の名前を聞いたらあの越生くんの名前が出てくるじゃない?」
「あの」越生くんとはなんだ、どういう意味だ。
「それでね、さっき越生くんがこの喫茶店に入っていくのをたまたま見かけたわけ。どうせだし、課題一緒にやってくれないかな―なんて思って。ほら、あれ、あのー、しょく、しょく、食パン?」
「触媒だ」
食パンってどんな間違え方だよ。わかったぞ、こいつは絶対に大食いキャラだ。それに課題を一緒にやろーなんて言う奴は大体人のを写して終わりだ。殆ど課題を写される方が一人でやっているパターンだ。まぁ、今回の課題はそういうわけにもいかないが。
「どう?やらない?二人のほうが心強いでしょ?」
「随分と自分勝手だな……。まぁこちらも相談相手が出来てホッとしたのは事実だ」
さっきから思っていたが、この松原日和とかいう奴はあまりこの事態に困惑していないらしい。むしろ楽しんでいるようだ。つまりこいつはバカなのかもしれない。良く言えば楽観的だ。
そんなことを思っていると向こうから手が伸びてきた。
「じゃ、よろしくね!」
こちらも手を差し出す。
「わかった、コーヒー代を返せ」
・・・
「ん〜……」
越生双葉は寝ている。夢を見ているようで。
「…ぉ兄ちゃん、それはふぁめだよぉ〜……」
よだれを垂らす双葉は寝返りを打ってそのままベッドから落ちた。
「アダッ!?」
いったーーー!もう、せっかくいい夢だったのに邪魔しないでよね!ゲンジツ!
「おやすみ!」
そう言ってベッドに這い上がり布団に潜った。
・・・
「先輩のくせしてケチね」
「後輩のくせに生意気だな」
ああ言えばこう言うのは俺の専売特許だ。お前には渡さん。
「仕方ないわ、はい、二百四十円。渡すから課題手伝ってよ、お願い」
流石に悪いと思ったのか、掌に百円玉二枚と十円玉三枚、五円玉と一円玉五枚が乗っていた。おい、十円玉四枚で返せよ、財布が膨らむじゃないか、まったく。
「確かに頂いた。いいぞ、付き合ってやる。俺にもメリットはありそうだしな」
俺はこの喫茶店の常連だ。もちろんクーポンを持っている。だからこのコーヒーも本当は百九十円だったのだが……まぁ言わなければわかるまい。五十円得をした。まぁ、課題に協力する手付金だ。
さて、まずは机上学習から。
「まず、俺達の課題の内容は、”触媒”を探すってことでいいんだな?」
「あってるよ」
「俺はあの胡散臭い教授から”触媒”っていうのは、俺達の魔力を流すことで事象に干渉するような、いわゆる魔法を使うための媒介となるものであること。”触媒”はどんなものでも良いが、自分に思い入れがあるものが好ましいとされていて、形のあるものであること。この二つを聞かされている」
「あたしもおんなじようなことを聞いた。それに加えて自分に思い入れがあるっていうのは過去とのつながりが強いものってことだって聞いたわ」
過去とのつながり、か……。それなら俺は拘る必要はないかもしれない。俺は記憶喪失というわけではないが、昔の事で鮮明に覚えていることはあまり無い。よく双葉と昔話をすると決まって「え?あの事も忘れたの?!」と驚かれるくらいだ。これは妹の記憶力が良すぎるからかもしれないが。昔スキーへ行った時に雪山で遭難して~みたいな記憶はないのでスキー板を常備する必要もない。そんな物を持ち歩いていたら不審者と間違えられて職質を受ける必要があるな。いやだ。そんな魔法使い。
「ふむ、ならば俺はこれでよかろう」
そう言って俺は鞄からタブレット端末を取り出した。有名なグレープフルーツ社のもので、多少高価だがこれを持っていれば読書からSNSまで、なんにでも使える。買ったのは半年前だが、これが三代目だし、一日のうちでこいつの画面を見ている時が一番長いだろう。歴史は浅いが思い入れはある。
「それでどんな魔法が繰り出せるのよ……」
「現代版魔法使いだ。箒で空を飛んだり、杖を持って呪文を唱えたりするのはもう古いだろ?」
「もう古いって……その古いイメージから外れたら魔法使いじゃないんだけど」
「まぁ、良いじゃないか。魔法も現代っ子に合わせてくれよ」
「はぁ……?」
松原は少し呆れた素振りを見せたかと思うと、突然タブレット端末をひょいと奪っていじりだした。
「おいこら、まぁいいや、パスコードわからんだろうからな」
「あいちゃったー」
「はぁ?何があいちゃったー、だ!おい、返せ!どうやって開けたんだおい!」
「いや、画面に映ってる指紋を見ればわかるっしょ?」
なるほど、ちょっと感心してしまった。まぁ、如何わしいものは何も調べていない筈だ。履歴も逐一消去するから大丈夫だろう。
「で、お前はどうするんだ、何を触媒にする?」
「それを今調べさせてもらってるのよー、常備できて、軽くて、手頃なものないかなーって」
「そうだな、これなんかどうだ?」
そう言って俺はシュガースティックを渡す。空の。
「へ?こんなんで……。シュガーか、砂糖。うん、良いかも」
「そんなのでいいのか?冗談で渡しただけなんだが」
「いいのよ、あたしね、昔、地元の縁日へよく行ったの。そこで必ずと言っていいほど買っていたのが綿菓子でね、あの焦がしたザラメの匂いがね……夏がくると今でも思い出すの」
松原は遠い目をして言った。こいつはこんな顔もできるのか……。
「――っと、そうか。それはちょうどいいかもしれんな。魔法で綿菓子でも作ってくれ」
ちょっと見惚れてしまった。今までは表情が目まぐるしく変わるのでそんなふうに思わなかったが、このもっさりゆるふわボブもこうして見ると可愛いかもしれない。
「うーん、ま、まぁ機会があればね」
ちょっと歯切れが悪い。あまり良い記憶ではないのだろうか?初対面だし、余計な詮索はしないが。
「さて、課題もクリアーした。後は来週に向けて精神を安定させるだけだな。お前は忘れないうちにシュガースティックを調達していけ」
俺は席を立ち、またしてもシュガースティックをわし掴みにし、それを松原に押し付けた。こんなにシュガースティックを取るのは初めてだ。流石にウェイターの目線が痛い。
しかし、触媒とやらはこんな簡単に決めて良いのだろうか?来週の講義で「駄目です」と言われればそれまでだが……まぁ、他にも幾つか候補を考えておくか。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして、だ」
松原はコロッと表情を変え、
「でさ、この後暇?暇なら映画でも観ようよ」
「は?なぜだ」
これでも一応初対面なんだが……グイグイ来やがるこの女。人見知りさんな俺にとっては苦手な部類だ。
「観たい映画があるんだよー、欧米系のアクション映画で、ちょーっとカゲキなセリフとかシーンが含まれてるらしくって、R15指定なの」
「そうか、クソほどにつまらなそうな映画だな。一人で行ってくるがいい」
どうせ車が派手に爆発して最後にキスして終わりだろう。観なくてもわかる。
「えー、ケチね、だからモテないのよ。まぁ、精神の安定っていう次の課題だと思って、行きましょ?」
まぁ、この後の講義に出る気力はないし、帰ってもどうせ家でネットサーフィンするだけだろう、付き合ってやるか。
「仕方ないな、わかったよ。で、どこの映画館で観るんだ?」
「やった!えーとね……」
どこか嬉しそうな顔をした、もっさりゆるふわな松原日和が指定した映画館は、俺の家の最寄りから五つ離れた駅前にあるものだった。
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