第3話 The act of orienting

・・・



「対人戦闘魔法基礎……だって?何を言ってるんだ、あんた」


 相手は教授でも、流石に敬語を使うのを忘れてしまった。まぁ、元々敬語は得意な方ではないが。


「そうです、貴方には本日より四ヶ月、計十五回のこの講義を受けていただきます。差し当たって今日は当講義の説明を――」


「ちょっと待ってくれ」


「何か?」


「そもそもこれはなんなんだ?何のドッキリだ?本来あんたが教えるはずの、俺が受けるはずの有機化学は何処に行ったんだよ?」


「有機化学は現在私の助手が、隣の教室で講義しています。これはドッキリではありません。貴方は国家の特別機密機関に認められ、晴れて魔導の道を進むことになった、当大学学生六人のうちの一人ですからね」


 教授はあくまで冷静に答える。


「そんなこと、俺は聞かされてない。いつ決まったんだよ?」


「そうですよね、ここで貴方に知らせたのが初めてですからね。とにかく、これから本講義についての詳しい説明を聞いてもらいます。ここからは私語は慎むように」


「……はい」


 いつもの教授にはない気迫とこのわけのわからない状況についていけなくなり、俺は黙って教授の話を聞くことにした。


 教授の話によると、この講義は週一度、月曜日の一時限目に行われるらしく、来週からは俺を含めて三人になること、他の二人は別の教室でこの説明を受けていること、この講義は学科五回、実技十回でほとんど実技によって成績が確定すること、成績は百点満点で、八割を超えれば次の錬金術基礎と、対人戦闘魔法Aを取ることが出来ることがわかった。また、それぞれの講義内容は大学のホームページから閲覧できるらしい。そんな講義なかったはずだが……?


「それでは当講義の具体的な内容について話していきます。まず、最終目標として貴方には魔法が使えるようになっていただきます。しかし、単に魔法と言っても様々な分野、系統がありますので、まずはそれを見極めることになります。そして、魔法を扱うに当たり、貴方の魔力をただいたずらに放出するだけでは貴方が疲弊してしまうだけです。魔法を扱うための"触媒"となるものを探します。第一回の講義の課題は、この"触媒"を探してきて頂くことになります。」


「しょく、ばい?」


「はい、触媒はなんでもありです。貴方の思い入れがあるものの方が貴方の魔力に呼応してくれるでしょう。ただし触媒は安定している、つまり形あるものの方が良いかも知れません。」


「よくわからんのだが……例えばどんなものだ?」


わけがわからないがとりあえず質問してみる。


「そうですね、突然言われてもわかりませんよね。例えば私の場合、このチョークが触媒になりますがー」


 そう言って、教授はおもむろにチョークで黒板にX、Y、Zと三次元座標を書いた。すると、どこからともなく赤い線が浮かび上がり、枠を作った。


「この赤い線が私達が今いる教室の枠、になります」


 教授は次に緑のチョークを取り出して、赤い枠を覆うように同じ枠を描いた。


「何かお気付きでしょうか?」


 気付くも何も、俺と教授がどんどん離れていくのだ。教授がどんどん小さくなっていき、遂に見えなくなった。


「な、なんだこれ!?部屋がどんどん広くなってるぞ?」


「そうです、まぁ狭くすることも可能です」


 教授の声が聞こえたと思ったら、教授と俺との距離は三十センチあるかないかになっていて、椅子や机は狭くなった部屋に入る分しかなくなっていた。俺は慌てて手で口を覆った。こんな六十近いオッサンと接吻したくはない。それに息が臭い。


「つまり私の魔法はこの赤い枠を基準にして、この緑の枠を描くことで空間を膨張、圧縮できるというわけです。これを応用することで様々な芸をお見せできますが、今日のところはこの辺にしましょう。さて、先程お話しした通り、来週は後二人、この講義を聴きに来ると思いますが……期待して待っていてくださいね。それから課題の方を忘れないように」


 言い終えるや否や、チャイムが鳴り響き、教授は教室から去っていった。教室はいつの間にか元に戻っており、黒板に書かれていた座標軸はいつの間にか消されていた。


「触媒、ねぇ」


 魔法とやらを見せられてから、あの息の臭い教授にまくし立てられ、質問をする暇もなかったので、そもそもどういった目的で魔法とやらを習う必要があるのかよくわからないまま終わってしまった。


 わけのわからない現実に面食らって、狐につままれたような感覚が続くのは嫌だった。こういう時は冷静になるのが先決だ。とりあえず残りの講義はサボって、行きつけの喫茶店にでも行くか。これがまだ夢かも知れない可能性だってあるんだし。




・・・




「借りてるけど、借りてない?どういうことなのよ……」


 私はわけのわからないことを言い出す受話器に困惑してしまっていた。そして今はとにかく眠いの……。


「そうですね、現状を確認して頂くために、とりあえず受話器はそのままにして、二度寝をしてみませんか?」


「そうよ、この電話が来るまではずっと眠かったの!寝かせてよね!あれ、受話器はそのままだっけ」


「はい、よろしくお願いします」


 困惑よりも眠気が優先事項に来てしまったため、すぐさま二階へ上がり、布団に入る。おやすみなさい。




「って、どこよここ!!」


 眠りについたのは良いが、気がつくと何処か中世を感じる図書館の大きなテーブルの席についていた。変わったところといえば、無数の本棚が浮雲のようにフワフワと浮いているところだろうか。また、窓の外は雪が降っていた。今は春なんだけど、季節感ないなぁ……。


 恐らくここは夢なのだろうが、私は夢を自在に操れる、いわゆる明晰夢を見ることができる。しかしこの夢は私の管理下にない。そうであるなら本棚にある本の内容だって全て空で暗唱できるだろうし、念じただけで本をこちらへ引き寄せることもできるはずなのだ。


「ここはラインハイト王立図書館。ゲホゲホ、ちょっと待ってくれい、今姿を見せてやるぞい」


「ぞい?」


 奇妙な喋り方をする、しわがれたおじいさんの様な声が聞こえたかと思うと、古めかしい本が一つ何処からか飛んできた。


「ほぇー」


 感心して変な声が出てしまった。


「どうも初めまして、じゃな?ワシの名はまぁ……シックとでも呼んでくれんかのう?こんな若い人間のムスメと話すのは久しぶりなもんじゃ、名前で呼んでもらってもバチは当たらんじゃろう」


 なんか赤い古ぼけた本がバサバサと埃を立てながら飛んでいる……。声の主はこの本なのかな?


「おっと失敬、本と話すなんざ珍しいことじゃの。今姿を変えるから待っててくれんかの?」


 私の思考を読んだかのように気を遣うご老本(?)は煙を立てたかと思うとローブを着込んだ怪しげなおじいさんに変身した。ザ・魔法使いみたいな格好だ。


「それ、何にでも変身出来るの?」


 ちょっと興味が湧いてきた。


「いかにも」


「じゃあ若いイケメンを所望する!そっちの方が脳内処理負担が少ない!」


 お兄ちゃんみたいな、とは言わなかった。そもそもお兄ちゃんはイケメンではない、でも優しい。


「お安い御用じゃ」


 ローブおじいさんが煙を立てて、英国風紳士に変身した。これで「〜じゃ」と話されたら余計に困惑する。


「まぁ、こんなところですかね。そろそろ貴女をここに連れてきた理由をお話ししましょう」


「わぁ……ブロンドヘア!それにその姿だと〜じゃとは喋らないのね、シックさん」


 横槍を入れるのは好きな方だ。


「……説明させていただいてもよろしいでしょうか?」


 その金髪碧眼の紳士は苦笑交じりに聞いた。


「うん、お願いします」


「まず、このラインハイト王立図書館ですが……。なんと説明しましょうか、ここはとある大魔術師が構築した夢の共有空間なのです。」


「魔術師って、メ◯とかホ◯ミとか使える人だよね?」


「まぁ、全然違いますが……今はそんな認識で構いません。この図書館は全ての生物が見る夢をエネルギーに空間を維持しています。なぜこんな夢の中に図書館を構築したのか……。キリストが生まれるずっと前の事です。かの大魔術師はいわゆる魔導書、魔法を習うための教科書みたいなものと認識してもらっても構いません。それを悪用されないようにこの図書館を構築し、それらを隠した……。そして限られた人間にしか借用しない事にしました。それこそ魔法使いの家系か、突如魔法使いとして認められ、魔術師から魔道の教育を受けた者、魔道に関わる人間には、夢の中でこの図書館にアクセスする事が出来るのです」


「で、私は魔術に携わってもいなくて、この図書館へのアクセス権もないのに、なぜか本を借りていたのね?」


「そういうことです。物分かりが良くてこちらも容易に説明が出来ますよ」


「いやぁ、それほどでも〜」


 そう、私は頭が良いのだ、エッヘン。


「そして、貴女が十七年前から借りていた二冊の本、『蛇の書』と『鷲の書』……。この二冊を返して頂きたいのです」


「私、そんなものを借りた覚えはないし、どこにあるのかもわからないわ……それに十七年前って私が生まれた年だよ、本なんて読めるわけないじゃない」


「そうでしょうね、私もわかりませんよ。こんなこと二千四百年生きてて初めてですからね……。しかし当てはあります。恐らく貴女の夢のどこかにあるでしょう。魔導書は夢の中でしか形として存在しないのです。執筆も、保管も、閲覧も、全て夢の中でしか出来ません」


「じゃあ、私が見てきた夢の何処かにその二つの本はあるってこと?」


「そうです。また、夢と記憶は密接に関わっていて、貴女の中に”記憶にない記憶”があると思います。それが魔導書なのです。つまり、魔導書はある人の『記憶の断片』ともいえますかね」


 ナルホドナルホド、夢は記憶を整理するものだって聞いたことがある。


「でも、そんな”記憶にない記憶”なんてものはないよ、あったとしてもわからない」


「そうかもしれません。なぜなら貴女は生まれてこの方常にその二つの魔導書と共に生きてきたわけですから、無意識の内に自分の記憶と他人の記憶を同一化してしまってるのでしょう」


「ふーむ、じゃあどうすればいいの?」


「結論から言えばその二つの本、記憶の断片を貴女から解離させれば良いわけです。そのために―」


 シックはちょっと溜めて、それからこう言った。


「越生双葉さん、貴女には魔法使いになって頂きたいのです」


「私が??マホウツカイ??」


「そうです」


 流石の環境適応能力に自信のある私でもグラッときた、恋かな?


「でもシックさん、あなたも魔法使いなんでしょ、だったら私の中にある魔導書とやらを魔法で取り出せたりしないの?」


「そうしたいのは山々なのですが、記憶と記憶を離すには、ご自身で行って頂く他はないのです。と、言いますのも、どんな生物にも魔力があり、そうですね、血液の流れのようなものです。これにもしも他者の魔力が干渉すると――」


「わかったわかった、私が自力でなんとかしなきゃいけないのね?」


 ふぇ〜、めんどくさい……。


「――っと。そうです!よかった!」


  と、満面の笑みを浮かべるシックさんとは裏腹に、私の脳内は「めんどくさい」の一言で埋まっていた。


 私は声に出そうな悪態を噛み締めて聞く。


「ぐぬぬ……。で、私は何をすればいいの?」


「そうですね、まずは毎週月曜日の朝は二度寝をして下さい」


「どういうこと?」


「この図書館内で貴女が魔術師になるための教育を行います。今回のように夢からアクセスして頂きます」


「なるほどね、でも、学校行けなくなっちゃうんだけど……」


「全部で五回なのですが……遅刻して頂けませんかね?」


「うーん、学校行っててもつまんないしなぁ〜。五回くらいの遅刻なら怒られないかしら?」


 まぁ、こっちの方が面白そうだしいいかな〜なんてね。


「私が奇妙なお願いをしているのもアレですが、貴女の学校に対する認識はいかがなものなんでしょうかね?」

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