第3話 猫の森のヘンちゃん

 ヘンちゃんは、来る日も来る日も旅を続けました。

 もしかしたら、誰かがアフリカの森へ行く道を知っているかもしれない。そんなふうに考えて、ときどき鳥に尋ねてみました。でも期待している返事は一つもありませんでした。

 何日もたったころ、ヘンちゃんは元の動物園へ戻ってしまったんじゃないかと不安になっていました。

 真昼の太陽に照らされながらあちこちを見ると、動物園でヘンちゃんたちが入れられる小屋と似た形のもの。たくさん並んでいて、大きく作られています。壁が金網やガラスじゃないので、中にどんな動物がいるのかわかりません。

 どれも人間の家で、この辺りは人間がたくさん暮らしている住宅街――ヘンちゃんがそのことを知るのはもう少し後です。

「あ、人間! 隠れなきゃ!」

 人間の足音を耳にしたヘンちゃんは、すぐ物陰に隠れました。いい人間ならともかく、悪い人間だったらまた捕まるかもしれません。通りすがったのはおじさんで、ヘンちゃんに気づかず歩いていきました。

 足音が小さくなって、ヘンちゃんは別のものを聞きつけました。動物の鳴き声です。何だか不機嫌そう。

 聞こえる方へ歩いていくと、せまい道のすみっこでもがいている動物がいました。ヘンちゃんより少しだけ大きくて、白い毛並みはふわふわ。しっぽもはたきみたい。毛の長い猫でした。

「どうしたの?」

「これが邪魔ですのよ!」

 猫のしっぽには黒い糸が巻きついていました。

「人間が捨てていったんですわよ! わたくしの美しいしっぽにからみついて……ああもう!」

 取ろうとしているのにうまくいかないみたいです。かみついても、前足で押さえても、からみついているせいですり抜けるばかり。

「じゃあ、ぼくが取ってあげるよ」

 ヘンちゃんは黒い糸に前歯を当てました。

「からまってるなら、切って短くしちゃうとか」

 カリカリカリ……ヘンちゃんの前歯は硬いものでもかじれるので、糸くらい簡単に切れます。

 ヘンちゃんがところどころを切ると、糸はすぐ取れるようになりました。猫はうれしそうにしっぽを立てます。

「助かりましたわ。申し遅れましたが、わたくしはミーミー。お母様は血統書つきのペルシャ猫だったんですのよ」

 ヘンちゃんは『ケットウショ』という言葉の意味がわかりませんでしたけど、ミーミーが誇らしげなのできっとすごいことなんだろうなと思いました。

「ぼくはヘンちゃん。アフリカの森をさがしてるんだ。元は一匹で暮らしてたけど、そこに行けば仲間がいるらしくて」

「まあ、それは大変ですわね……」

 ミーミーは、やさしげな言葉をかけてきつつヘンちゃんの口もとをまじまじと見つめます。

「その歯、便利ですわね。お仲間がいらっしゃらないのなら、わたくしたちの集会に参加しませんこと? きっともてはやされますわ。それに、いつも一匹ではさみしいですもの」

 猫は夜に集まることがよくあるのです。

 ヘンちゃんは誘ってもらえてうれしかったですけど、野ネズミの群れでのことを思い出すとためらいがわいてきました。

「でも、ぼく……ツメが鋭いんだ。危ないよ」

 前足に力を入れて、ツメをにゅっと出してみせました。嫌われたらと思うと怖いです。でも、仲よくなってから追い出されるより少しだけ楽です。

 ミーミーは、ヘンちゃんのツメを見てもけろっとしていました。

「あら、わたくしたちも同じですわよ?」

 ミーミーも前足からツメを出して、ヘンちゃんは目を見開きました。

「同じツメだ! もしかして、ミーミーたちがぼくの仲間? ここがアフリカの森なの?」

 もちろんそんなところまで来ていません。問いかけられたミーミーは、少しだけ考え込みました。

「そういえば、人間はこの辺りのことを香野森かのもり町と呼んでいますわね」

「アフリ……カノモリ! やっと着いたんだ!」


 名前はたまたまアフリカの森と似ていましたけど、ここには木があまりありません。ただ、周りをよく見ると灰色の木がところどころに生えています。

 本当は木じゃなくて電柱、というのもやっぱりヘンちゃんの知らないことです。それにミーミーから案内された空き地は草がしげっていて、ヘンちゃんが見なれている木も何本か生えていました。

 空き地は広くて、奥にいろいろなものが積み重ねられています。その上に丸々と太った猫が座っていて、縦長の瞳でヘンちゃんとミーミーを見比べます。ヘンちゃんはそれとなくミーミーに目をやりました。

「誰なの?」

「この辺りに住む猫の中で一番偉いボスですわよ」

 空き地には他にも野良猫が何匹かいて、ボスが一番高いところにいます。猫の社会で偉さを示すものなのです。

「ボス、このヘンちゃんをわたくしたちと生活させてあげたいんですの」

 ミーミーがいうと、ボスはじろじろとヘンちゃんを見つめました。

「変わった動物だな。お前、何という種類だ」

「ぼく、イヌネコネズミヘンナモンダだよ」

 野良猫たちが「聞いたことないぞ」とざわついて、ボスは更にヘンちゃんを観察します。

「猫とは付くようだな」

「ええ。それにヘンちゃんの前歯はとてもすばらしいんですのよ。わたくしの美しいしっぽにからみついた糸を、簡単にかみ切ってくれて」

 ミーミーが付け加えると、ボスはもう少しだけ考えてから答えました。

「ためしに置いてみるか。ただし、オレたちのために働いてもらおう」



 夜になると集会が始まって、たくさんの猫が空き地に集まりました。野良猫だけじゃなく、飼い猫もいます。

 ヘンちゃんは猫たちにあいさつして、ときどき足を観察しました。本当にみんな自分と同じなのか気になったからです。心配するまでもなく、鋭いツメを出せることは同じ。

 猫たちもヘンちゃんを仲間と認めてくれました。そうしたのはツメの形を見たからではなく、ボスがヘンちゃんに頼んだ仕事のお陰です。

 猫のツメは鋭くても草を切ったりできません。でもヘンちゃんは草を前歯で簡単に切れます。野良猫たちはヘンちゃんが切った草の束を持ってかえって、寝るところにしきつめました。こうすればお布団の代わりになります。

 飼い猫なら人間のお布団を使わせてもらえますけど、野良猫は違います。冷たくて硬い地面の上で寝なければならないこともあるのです。だからヘンちゃんが切った草はとても好かれました。



 一週間くらいたったころ、ヘンちゃんはすっかり猫たちにとけ込んでいました。

 猫はネズミと同じ夜行性ですけど、昼でも夜でも気まぐれに寝たり起きたりします。だからヘンちゃんも寝たり起きたりしながらの毎日です。動物園にいたころはお客さんが来る時間に合わせて目を覚まさないといけなかったので、気分に合わせて寝たり起きたりできるのは楽しいことでした。

 いつも寝ているのはミーミーの住みか。川にかけられた橋の陰で、ここにもやっぱりヘンちゃんの草でベッドを作ってあります。

「やっぱりヘンちゃんの草があると最高の寝心地ですわね」

 朝、ベッドで目を覚ましたミーミーがあくびしながらつぶやきました。ヘンちゃんはちょっと誇らしい気分です。

「役に立ってよかった。ぼくだって、ミーミーがここに誘ってくれたお陰でみんなと仲よくできてる。だから毎日楽しいよ」

 こういう一言を前にも出したような。ミーミーはヘンちゃんがそんなことを考えているなんて知らず、前足で顔を洗い始めました。

「ヘンちゃんがみんなと仲よくできているのは、頑張って草を切っているからですわよ。もちろんわたくしのお陰でもありますけど! わたくしってば、美しいだけでなくヘンちゃんを見出す観察力の持ち主でもあるなんて!」

 機嫌よさそうにしっぽを立てます。ミーミーは気取り屋なのが玉にきずですけど、本当はとても優しい子。さまよっていたところを助けられたヘンちゃんは、それをよく知っています。

 今日も野良猫が草を切ってといいに来そう。それまでもう一眠りするのもいいかも。ヘンちゃんがそんなふうに考えていると、ベッドの前を二匹の野良猫が駆けていきました。

「あっちにスズメがたくさんいるんだって!」

「全部捕まえよう!」

 話し声が聞こえるなり、ミーミーがベッドから飛び出しました。

「のんびりしていられませんわね。わたくし、捕まえてきますわ!」

「じゃあ、ぼくも!」


 さっきの野良猫を追いかけていくと、道路の隅にご飯粒がたくさん散らばっていました。ご飯を悪くさせてしまった人間が、ハトやスズメのエサにしようとまいていったのです。

 スズメたちはチュンチュンいいながらご飯を一粒ずつついばんでいます。そこへ、野良猫たちが身を伏せてじりじりと近づいていきます。

「わたくしも負けませんわよ……!」

 ミーミーも同じようにしてスズメを狙います。ヘンちゃんはドキドキしてきました。

「ぼくだって!」

 イヌネコネズミヘンナモンダは雑食の動物。野菜も果物もお魚もお肉も食べます。つまり、鳥を捕まえて食べることもあるのです。

 ただし、狩りをするのは野生ならの話。生まれてからずっと動物園で育ってきたヘンちゃんは、鳥を捕まえたことなんかありません。せいぜい虫やトカゲくらいです。

 ヘンちゃんもスズメに近づいていきます。ミーミーたちに比べて動きがぎこちないです。そのくせ初めての狩りだからドキドキが強すぎて、いてもたってもいられません。

「……わにゃんちゅう!」

 ついに興奮がほえ声となってあふれました。スズメたちがおどろいて飛んでいっても、ヘンちゃんは自分を落ち着かせることができないままです。

「わにゃんちゅう! わにゃんちゅう!」

 何度も続けてほえます。スズメたちが影も形も見えなくなってからようやくやめて、おかしなことに気づきました。

 野良猫たちがヘンちゃんをじっと見ています。耳を伏せていて、ものすごく迷惑そうです。

「何だ、今の声」

「犬みたいに大きな声だった」

「犬? こいつ犬なのか?」

 ハーッ! と怒ったときの声を出す野良猫までいます。ミーミーでさえ瞳に戸惑いを映しています。

「ヘンちゃん、そんな鳴き方……いえ、ほえ方をするんですの?」

 ヘンちゃんは、ものすごく嫌な予感がしてきました。


 犬みたいな大声でほえたことはすぐに猫たちの間へ広まって、ヘンちゃんは空き地に呼び出されました。

「お前は犬のようにほえたらしいな」

 ボスがヘンちゃんをきついまなざしで見下ろしてきます。

「犬はオレたち猫にほえておどろかせる動物だ。そんなものは仲間と認めん」

 様子を見に来た猫たちも、離れたところでひそひそと話し合っています。ヘンちゃんはいろいろなものがずっしりとのしかかってきているように感じました。

 ミーミーもヘンちゃんのほえ方におどろいていましたけど、助け船は出してくれます。

「あの、ほえないように注意させればいいのではありませんこと?」

 ボスは少しも笑ったりしてくれません。

「オレたち猫は静かに暮らすものだ。いつほえるかわからないやつがそばにいたら、落ち着いていられん」

 他の猫だって、ミーミーの意見を聞いても不安そうな様子を変えません。昨日までヘンちゃんの草で喜んでいた猫もいるのに。

 ヘンちゃんにとってそれはとてもつらいこと。だからミーミーを止めてボスに答えました。

「……わかった。ぼく、出てくよ」


 夜がふけたころ、ヘンちゃんはミーミーの住みかから出発しようとしていました。ミーミーは、ためらいのある様子でヘンちゃんを見つめています。

「申し訳ありません。せっかくわたくしたちと仲よくしてくださっていましたのに」

 ヘンちゃんは暗くなっている心を懸命になだめました。

「大丈夫だよ……多分ね。ぼくは元々アフリカの森をさがしてて……そこには仲間がいるはずなんだ……こうなったってことは、きっとここもぼくが目指してたところじゃなかったんだよ」

 追い出されるのは二回目です。だからってなれたりはできません。むしろ前よりも悲しさが大きいような気までします。

「ええ……お元気でいてくださいまし」

 ミーミーは、カマボコとかチクワとかいくつもの食べ物をお弁当としてヘンちゃんに渡してくれました。どれも人間の食べ残しを拾ってきたもので、野良猫にとってはごちそうです。

「ありがとうミーミー。次こそ見つかる……と思うよ」

 ヘンちゃんはお弁当を頬袋に詰めて、猫たちの下から旅立ちました。せめて見た目だけでも元気そうにお別れしようと思いましたけど、どうしても足の重さがわかりやすくなってしまいました。

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